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はじめアキラ
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柘榴とAI

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伝えたい。伝えられない。
とっても大事な事なのに。
そんな時、目の前に不思議な宝飾店が現れるらしい。
「その人にぴったりのジュエリー」を用意してくれるんだって。
+
僕は今年で七歳になるらしい。
学校にも通っていない。
外に出るのは怖いんだ。
去年までは「お母さん」と二人で暮らしていた。
お母さんは、僕の本当のお母さんじゃない。
僕がもっと小さい頃に、本当のお母さんに暴力を振るわれていた。
「虐待」っていうらしい。
僕は、僕と同じような目に遭った子達がたくさんいる場所に連れていかれた。
そんな僕を引き取ってくれたのが、今のお母さんだった。
だけど去年のある日、お母さんはいなくなってしまった。
朝は普通に「おはよう、ケンちゃん」って頭を撫でてくれたのに、夕方にはお母さんの姿は見当たらなかった。
僕は毎日毎日、なき続けた。
今は一日に二回、朝と夜に『アスカ』ってやつが様子を見に来る。
僕がお母さんに引き取られた頃から、何度かうちに遊びに来ていたやつだ。
「はい、朝ご飯。お昼も用意しといたから、お腹が空いたら食べてね。また夜に来るから」
そう言って僕の頭をポンポンと撫でたあと、アスカはいつも慌てて家を後にする。
+
「また明日来るから」
夜になり、晩ご飯を用意したアスカが帰っていった。
晩ご飯を食べた後、僕は一人、布団に潜り込む。
……お母さんの匂いがする。
いつも僕のそばにいてくれて、夜は一緒の布団で眠っていた。
だけど、今は一人。
それに最近、夜になると誰かが家に入ってくるんだ。
アスカじゃない。
男の人の足音だ。
家に入ってきているのは、『あいつ』。
僕はいつも、あいつが家の中に入ってくる前に机の下に逃げ込む。
前のお母さんの家には高いテーブルしかなくて、隠れてもすぐに見つけられて叩かれていたけれど、 今のお母さんの家には僕の背丈よりも低い机がある。
最初にあいつが来た時、僕は大人には入れないような、この机の下に隠れた。
部屋の角に置いてあるから、僕の事は見えていないと思う。
あいつは、玄関の扉をガチャガチャした後にガラガラと開け、廊下をドスドスと歩き、色んな部屋のドアを開けて何かをしている。
何をしているのかは分からない。
タンスや押し入れを開ける音が聞こえるから、捜し物かもしれない。
机の下に隠れながら僕は、お母さんとドラマを見ている時に映っていた『泥棒』に似ているなと思っていた。
今、僕が出ていっても、大人のあいつに力で敵うわけがない。
それに僕は言葉を話せない。
学校にも行っていないから字が書けない。
だから、時々夜中に誰かが家に入ってくる事をアスカにも伝えられないんだ。
+
……まただ。
夜になり、布団に入って眠っている時、またあいつがやって来た。
玄関先でガチャガチャと音がする。
僕はまた、机の下に潜り込んだ。ガラガラと開く玄関の引き戸、靴を脱ぎ、廊下を歩く音。
足音は、僕の眠っている和室の前でぴたりと止まった。
障子を乱暴に開ける音がした。ミシ……ミシ……と、古い畳のきしむ音。机の下の奥からは、歩き回るあいつの足だけが見える。
やっぱりいつものように、タンスや襖を開けたりしている。
しばらくしてあいつは、僕のいる和室から出ていった。
階段を上がる音がする。
今度は二階の部屋からガサガサと音がする。
怖いよ。 お願いだから、早く出てってよ!
+
あいつが家から出ていくまでの時間は、とても長く感じられた。
僕は机の下からゆっくりと★這はい出し、再び布団に潜る。
……どうしよう、トイレに行きたい。
トイレは和室を出て、長い廊下を進んだ左側にある。
玄関の方向に行かないといけない。
もしあいつが戻ってきたら?
鉢合わせしたらどうしよう。
だけど、前みたいにここでオシッコをしてしまったら、またアスカに布団を干してもらわないといけない。
布団から顔を出して確認すると、少しだけ障子が開いている。
僕は恐る恐る布団から出て、畳の上をそろりそろりと忍び足で進み始めた。
誰かの視線を感じて顔を上げたその時、障子の隙間から覗く片方の目に気が付いた。
ひいぃっ!!!
僕は慌てて、机の下の奥へと逃げ込んだ。
ブルブルと震えていると、廊下の方から声が聞こえた。
「ケンタ様ですね?」
誰!?何で僕の名前を知ってるの?
あいつの仲間なの!?
「いいえ、私は『あの方』の仲間ではありません。 あなたのお母様に頼まれて、こちらに伺った次第でございます」
お母さんに頼まれた?
「はい。ですから、どうか机の下から出てきてはもらえませんでしょうか?」
え?僕の頭の中の言葉が分かるの?
「分かりますよ。私は怪しい者ではございません。さあ、こちらに」
僕はナメクジのようにゆっくりと、机の下から再び這い出す。
やっぱり障子の隙間から、片方の目だけが見えている。
僕よりも大分背の高い男の人みたいだ。
「さあ、こちらに」
男の人は、僕がゆっくりと近付いてくるのを確認したところで、障子を一気に開けた。
何!?眩しい!!
+
「ようこそいらっしゃいました」
さっきの男の人の声がして、僕は目を開けた。
そこは僕の家の廊下じゃなかった。
ここはどこ?
「ここは私のお店です。実はケンタ様にお見せしたい商品がありまして」
店の男の人は、小さなケースの中からある物を取り出した。
あ!それ、お母さんのだ!
店の男の人の手の平には、お母さんがずっと大切にしていたブレスレットが乗っていた。
どうしてお兄さんがそれを持ってるの?
「あなたのお母様は現在、ご病気で入院されています」
病気?入院?お母さんは治るの?
「進行を遅らせる事はできますが、現代の医学で完治させる事は難しいでしょう」
難しい言葉ばかりでよく分からないけれど、お母さんが治らないっていう事は、何となく分かった。
店の男の人は、泣きそうな顔をしている僕に近付いてきて、片方の膝を曲げながらしゃがんだ。
「このブレスレットを、入院中のお母様から預かってきました。あなたに着けていてほしいと、そう仰おっしゃっています」
店の男の人は僕に、お母さんのブレスレットを着け始めた。
「やはりあなたには大きすぎますね。長さを調節しなくては」
工夫して僕にブレスレットを着けてくれた後に、店の男の人は言った。
「あなたの願いは『言葉を話せるようになりたい』ですね?」
そうだよ。僕、アスカに伝えなきゃいけない。
あいつが勝手に家に入ってきてるって!
「それではあなたの願いを叶えましょう。 元の世界に戻ってから、あなたは一日だけ言葉を話せるようになります」
一日だけ?
「そうです。一日の間に、アスカさんに伝えたい事を全て伝えてください」
……分かった。
店の男の人は、僕の言葉を聞くと優しく笑った。
「当店の商品は、きっとあなたのお役に立つ事でしょう」
+
目を覚ますと、僕はいつものように布団で眠っていた。
僕が顔を洗っていると、アスカが玄関の鍵を開ける音が聞こえてきた。
「おはよう、ケンタ。すぐ朝ご飯にしようね」
鍵をポケットに仕舞いながら、アスカが仕度を始めた。
「さあ、できたよ。ん?ケンタ、何を着けてるの?あれ、そのブレスレットって……」
「おはよう、アスカ!」
僕はアスカに話し掛けてみた。
わあ、本当に声が出る!
喜んでいる僕とは反対に、アスカは目を点にして、床にペタリと尻餅を付いた。
「アスカ、どうしたの?」
アスカは両手とお尻を床に付けたまま、ビックリした顔で僕を見つめている。
「……ケンタ、あなた、話せるの?」
「そうだよ!でも、あんまり時間がないんだ!」
+
僕は早速、アスカにあのお店の事、夜中にあいつが勝手に家に入ってきている事、一日経ったらまた言葉を話せなくなる事を伝えた。
「……『あの人』がこの家に?間違いないのね?」
「本当だよ!あいつは何かを探してるみたい」
アスカはしばらく難しい顔をした後、口を開いた。
「分かった。今日は私がここに泊まるから」
よかった。今日は一人じゃないんだ。
僕は嬉しかったけれど、お母さんの事をまだアスカに聞いていなかった。
「お店の男の人に聞いたよ。お母さん、入院してるんだね。僕、お見舞いに行きたい!お母さんに会いたい!」
アスカは、少し考えた後に答えた。
「ごめんね。それは無理なの」
どうして?
「アスカはお母さんのお見舞いに行ってるんでしょ?どうして僕は駄目なの?」
アスカは困った顔をしていた。
せっかく喋れるようになったのに、僕はすぐに口を聞かなくなった。
「じゃあ、夜にまた来るから」
家を出る時にアスカはそう言ったけれど、僕はそっぽを向いていた。
アスカが意地悪するからだよ。
……でも、アスカも怒ったかな?
夜、来てくれなかったら、泊まってくれなかったらどうしよう。
+
アスカはその日の夜、いつもより大きな鞄を持ってきた。
僕は少しほっとしていた。 アスカは鞄の中から何かを取り出して、何かをしている。
僕はそれが何かを聞きたかったけれど、聞けなかった。
「これはビデオカメラだよ。あの人からは見えない場所に付けたから。寝ている時に誰か入ってきてるか、録画してみよう」
離れた所から僕がじっと見ている事に気が付いたアスカは、そう言った。
でも僕はまた、そっぽを向いた。
アスカはやっぱり、僕の事を信じていないのかな?
+
すっかり暗くなって、僕たちが眠る準備をしている時、誰かがやって来た。
「え?お風呂場で?いつ来るか分からないんだよ。大丈夫なの?」
アスカは玄関に向かい、その人と話している。
僕は少し開いた障子の隙間から顔を出して、その様子を見ていた。
誰だろう?
話が終わったアスカがこっちに向かって歩いてきたから、僕は急いで顔を引っ込めた。
「大丈夫、あの人は味方だから。お風呂場で待機してくれるみたい。何かあったら警察を呼んでもらうから」
何でお風呂場?
一緒の部屋で寝ればいいのに、変な奴。
「今夜、あの人がやってきても、騒がずに大人しくしてるんだよ」
布団に入る前にアスカはそう言ったけれど、僕は返事をしなかった。
同じ布団で一緒に寝ているけれど、僕はアスカから少し離れていた。
+
扉を開ける音が聞こえた。
やっぱりまた、あいつがやってきた。
アスカもずっと起きていたみたいで、すぐに音に気が付いたらしい。
僕はまた、急いで机の下に隠れた。
足音が近付いてきて、僕達の寝ている和室の前で止まった。
障子が開く音がする。
「……人の家に勝手に上がり込んで、何をやってるんですか?」
いつの間にか立ち上がっていたアスカが、電気を付けて、あいつに言った。
「誰だ?……ああ、お前、確か」
アスカに向かって、あいつはそう言った。
お酒の匂いが酷い。
「帰ってもらえますか?これ、不法侵入ですよね。二度とここには来ないでください」
アスカがそう言った瞬間、ものすごい音がした。
僕の潜り込んでいる机を、あいつが思い切り蹴ったんだ。
僕はブルブルと震え上がった。
「ふざけんな!このアマ!」
机の下から少しだけ顔を出すと、あいつがアスカの服を掴んで殴りかかろうとしているのが見えた。
「やめろ!」
僕は咄嗟に飛び出して、あいつに体当たりをしていた。
だけど、あいつはびくともしなかった。
「ああん?お前、何で喋ってんだ?」
「アスカに意地悪するな!出てけ!」
「どけ、チビ!」
あいつにお腹を蹴られて僕は壁際に吹き飛ばされた。
「ケンタ!!」
アスカがすぐに駆け寄ってきて、僕の体を守るように覆い被さった。
「テメーら、ぶっ殺してやる!」
あいつはズボンのポケットからナイフを取り出して、アスカの背中目掛けてそれを振り下ろした。
「やめてよ!」
+
目を開けると、僕達はあのお店にいた。
「危ないところでございました」
店の男の人がそう言った。
「ここだよ、アスカ!僕が言ってたお店!」
僕は、隣の椅子に座って目を真ん丸にしているアスカにそう言った。
よかった。どこも怪我してないみたい。
「ここが『願いを叶えてくれるお店』……?」
「当店へようこそ。ケンタ様のご家族のアスカ様ですね」
店の男の人は、優しい顔をしながら僕に手当てをしてくれた後、飲み物が入ったカップをアスカの前に置いた。
「……ケンタが話せるようになったのは、本当にこのお店のお陰だったのね」
「そうだよ!」
アスカははっとした顔をした。
「そうだ!早く帰らなきゃ!旦那が……、晃一が危ない!」
コウイチ?
「ご主人はご無事でございます」
店の男の人が僕達の前に置いた鏡の中に、僕の家の和室が映っていた。
「現在、和室には旦那様が一人いらっしゃるだけです。あなた達はここへ、『あの方』は別の場所へと移動させて頂きました」
鏡の中には、キョロキョロと部屋の中を歩き回る、『コウイチ』の姿があった。
こいつ、風呂場にいるっていってた奴だ。
アスカが刺されそうになっていたのに、何の役にも立ってないじゃないか。
「それで、『あいつ』はどこに行っちゃったの?」
僕はアスカの代わりに聞いてみた。
「しばし、ご覧ください」
鏡の中の景色が変わった。
ここは、線路の上かな?
向こうから電車が走ってくるのが見える。
この電車は、他の電車よりもずっと早く走るんだよ。
いつも家の窓から眺めていたから、知ってるんだ。
「ん……?ああ?なんだあ……?」
鏡の中から、あいつの不思議そうな声が聞こえてきた。
「これは、VR……?」
アスカがそう言った。
「いいえ、現在の『あの方』の目線でございます」
「え?」
次の瞬間、ものすごい音がした。
机を蹴られた時よりも、もっともっと大きな音と、声が。
鏡に電車がぶつかったのかと思ったけれど、違うみたい。
鏡の中が真っ暗になったと思ったら、次は真っ赤になった。
そして『あいつの顔』が映った。
でも、その下がない。
体がバラバラになってる。
「ひっ……!」
アスカは鏡から顔を離した。
「この方は、あなたの伯母様のご主人、岩元貴一様ですね?」
「ええ……」
アスカは青い顔をしながら答えた。
あいつ、キイチって名前だったのか。
「私の母親の姉……美津子の配偶者です」
「存じ上げております。 あなたのお母様達も、美津子様や貴一様に長年、お金の無心などで随分と迷惑を掛けられていましたね」
「……美津子と貴一は金銭面にとてもルーズで、結婚当初から借金を繰り返し、母達に何度も何度も立て替えてもらっていて」
「貴一様は先ほど亡くなりました。『泥酔して妻の姪の家に入り、その後、誤って線路に侵入。 そこに通り掛かった急行列車に偶然轢かれて』鬼籍に入られました」
「きせきに入るって何?」
「死んでしまうという意味でございます」
店の男の人はにこにこしながら、僕にそう教えてくれた。
「ところでケンタ様」
「何?」
「現在の時刻は午前六時二十分、あと十分で、あなたは言葉を話せなくなります。アスカ様に伝えたい事は全て伝えられましたか?」
僕はアスカの方を見た。
「アスカ、いつもご飯を用意してくれてありがとう。おしっこをした布団を綺麗にしてくれてありがとう。……お母さんの代わりをしてくれてありがとう」
今度はアスカが僕の顔をじっと見つめながら口を開いた。
「ケンタ、刺されそうになった時、助けようとしてくれてありがとう。……私、ずっとケンタに嫌われてると思ってたんだ。いつもそっぽ向いてるし、頭を撫でてもすぐにどっか行っちゃうし。でも、そうじゃないって分かった。また言葉が話せなくなっても、私はずっとケンタの家族だから。あ、晃一……風呂場にいた私の旦那さんも味方だから!」
アスカは目にたくさんの水を溜めていた。
……コウイチって、お風呂場にいた役に立たない奴も家族なの?
アスカがそう言うなら別にいいけど。
僕はまだ話せるけれど、声には出さなかった。
「……お時間が来たようです」
店の男の人が、僕達に言った。
「……ブレスレットの力が弱まってきているようですね。しかし、家族愛というのはとても素敵なものでございます。それでは、ご多幸をお祈りしています」
+
白石明日香が目を覚ました時、辺りは真っ暗だった。
「明日香ー!ケンター!どこにいるんだよ!」
晃一の声が聞こえる。
私の隣に、ケンタの気配がある。
ケンタが私の前を横切る気配がしたと同時に、その小さな手で壁のようなものをバシバシと叩き始めた。
そこに何があるの?ここはどこなの?
ピシャッ!という音と共に、光が差し込んでくる。 眩しい……。
「明日香!ケンタ!………お前ら、何で天袋に入ってるんだよ!?」
+
「だから、あの人が襲いかかってきたから、逃げようと思って咄嗟に入ったんだって!」
「でも天袋って、押し入れの上の、俺より背の高い所にあるんだぜ? 脚立でも使わないと絶対に上れないだろ……!」
コウイチは押し入れの上の方を指差しながら、慌てた声で話している。
あれから何日が経ったけれど、コウイチは不思議で堪らないらしい。
僕は部屋の隅に座りながら、二人が話しているのをじっと聞いていた。
あの日から、アスカは毎日泊まりに来てくれている。
「物音がしたからすぐに助けに行こうと思ったら、風呂場のドアが急に開かなくなるし……。本当に心配したんだぞ!でも、無事で良かった…。ケンタも、なあ!?」
僕の方を見たコウイチの目はものすごく真っ赤で、鼻からもたくさん水が出ている。
やっぱり弱っちい奴だなあ。
僕はそっぽを向いた。
コウイチがまたアスカの方を向いて、鼻をティッシュでかみながら続けた。
「もう警察には事情を話したし、カメラの映像も提出してあるけど、問題は伯母さんじゃないのか? 逆恨みして、何をしてくるか分からないぞ?」
「分かってる……。 既に作成してある遺言書の内容が、『遺産は全て慈善団体に寄付する』って知って、伯母さん激昂してたから。 何が何でも遺言書を捜し出して破棄しようとしてたんだと思う」
「まさか合鍵を作られてたとはなあ……」
コウイチは、腕を組みながら難しい顔をしている。
電車に跳ねられて死んだキイチのズボンのポケットから、僕の家の鍵が出てきたらしい。
「伯母さんがまだ合鍵を持ってる可能性があるから、取り合えずこの家の鍵は変える。もう鍵屋さんに連絡してあるから」
「いつ来るって?」
「明日になるみたい」
「まあ、何もしないよりはマシだよなあ……」
「あの事故の件で休ませてもらってたけど、私も明日から仕事に復帰しなきゃいけないから、ケンタはまた夜までこの家に一人になっちゃうけど」
「そうだな……。ごめんな、俺のせいで」
「仕方がないよ」
何の話をしているんだろう?
僕は二人の話を聞きながら、部屋の隅で首を傾げた。
+
次の日の朝、アスカはいつもより早く起きていた。
「また夜に来るから、朝ご飯食べといてね。鍵屋さんも、そのくらいの時間にお願いしてあるから。行ってきます!」
アスカは僕の頭をポンポンと撫でた。
行ってらっしゃい!
僕は目を細めて応えながら、仕事に行くアスカを玄関で見送った。
+
夜になった。
今日はいつもより暗くなるのが早い。
アスカはまだかな?
その時、玄関の方からガチャガチャと音が聞こえた。
アスカ、帰ってきたの?
僕は玄関の方に走り出そうとしていた足をピタリと止めた。
……違う。アスカじゃない。
僕はすぐに、和室に戻って机の下に隠れた。
ガラガラと扉を開けて入ってくる女の人の足音。
『あの人』だ。
和室の障子が開いた。
太い足が二本見える。
そして、片方の手に大きな荷物を持っている。
まだ何かを捜してるの?
『あの人』の持っている荷物からは変な匂いがして、僕の鼻の奥が痛くなった。
太い足が二本、近付いてきた。
大丈夫……。
ここにいれば絶対に見付からない。
大丈夫……!
僕はぎゅっと目を瞑った。
次に目を開けた時にはいなくなってる。
あいつキイチの時もそうだった。
キイチは、僕がアスカを助ける為に飛び出すまで、一度だって僕に気が付いていなかった。
だから大丈夫、今、目を開けたら『あの人』はいなくなってるはず。
僕はゆっくりと目を開けた。
「見いぃいぃつけたあぁぁあ……!!」
目の前に、机の下の僕に話しかけてくる、僕の『前のお母さん』の顔があった。
+
「うちの人貴一から聞いてたんだよ!いつもお前が机の下に隠れてるって事を!!気付かれてないとでも思ってたのか!?」
前のお母さんが叫びながら、僕を蹴り続けている。
「お前、捨てたのに、どうしてまだ生きてんだよ!!ん?お前、何を着けてるんだい?……こんな高そうなもん与えられて、お前らばっかりいい思いしやがって!」
そう言って、ブレスレットを僕の体から無理矢理外した。
返してよ……。
でも昔みたいに何度も何度も蹴られて、僕はもう動けなくなっていた。
「借金があるんだよ!遺産が入ったらお釣りが山ほど来るのに、あの女……!」
前のお母さんは僕からいったん離れると、持ってきた荷物の方に近付いて蓋を開けた。
さっきよりも酷い匂いがする。
その中味を部屋中に撒き始めた。
畳や襖、布団の上にも。
やめて。お母さんの匂いが消えちゃう。
「こんな家、全部燃えちまえばいいんだ……!!」
+
あの人は帰ったみたいだ。
でも、部屋が燃えてる。
熱い。息が、苦しい……。
「ケンちゃん」
お母さんの声が聞こえた。
目が霞んでよく見えないけれど、すぐに分かった。
きっと、病気が治ったんだ。
「ごめんねケンちゃん、長い間、会いに来られなくて。 こんなに痛い目に合わせちゃって、ごめんね」
お母さんが、僕をふんわりと抱き締めた。
「これからはずっと一緒だから。 痛いのも、直に治まるから。 お母さんと一緒に行こうね」
うん……。
ずっと一緒だからね。
約束だよ。
+
一時間後に帰宅した明日香が見た光景は、酷いものだった。
何台もの消防自動車、警察車両に、半焼した日本家屋。
出火元の和室には、ガソリンの匂いが充満していた。
部屋の隅には、ケンタの亡骸があった。
だけど、何故かその表情は安らかだった。
首輪代わりに撒かれていたブレスレットは無くなっている。
伯母さんの仕業だ……!
明日香は、悲しみと怒りを同時に感じていた。
以前からおかしいとは思っていたのだ。
祖母の家の物の位置が、微妙に変わっている気がしていた。
普段はケンタが家の中を自由に歩き回れるように、各部屋の扉を少しだけ開けてあった。
和室の障子もだ。
それなのに朝に来てみると、障子がぴったりと閉まっている事が何度もあった。
ケンタが教えてくれなければ、単なる思い違いで済ませていただろう。
自分の事を人間だと思い込んでいたケンタ。
祖母を本当の母親のように慕っていた。
以前の飼い主は、伯母だった。
十年前に亡くなった私の母とは対称的な性格で、金遣いが荒かった
ペットショップで仔猫だったケンタを衝動買いしたが、すぐに世話が嫌になり、虐待を繰り返し、最後は保健所へ連れていった。
それを知った祖母が、慌ててケンタを保護したのだ。
ケンタは祖母が付けた名前だ。
伯母が付けた名前は忘れてしまったけれど、片仮名でもっと長かった。
祖母はその名前を覚える事ができず、「ケンタ」と改名した。
急に名前が変わったにも関わらず、ケンタはその日から、祖母の自分を呼ぶ声に応えていた。
しかしケンタを引き取って六年が経った頃、以前から兆候が見られた祖母の認知症が悪化し、介護施設に入所する事になった。
私がケンタの世話をするようになったのはそれからだ。
動物を祖母のいる施設に一緒に連れてはいけないし、晃一は酷い猫アレルギーで、うちで飼う事もできなかった。
最後にもう一度、ケンタと祖母を会わせてあげたかった。
……でも、それはもう叶わない。
伯母は現在も逃走中だ。
廊下に付けていた防犯カメラは故障しておらず、伯母がガソリンの入ったポリタンクを持って和室へと向かう姿が映っていた。
警察は伯母の行方を追っている。
+
実家に火を着けて逃走中の岩元美津子は、すっかり人気ひとけの無くなった公園に身を潜めていた。
所持金は七千円と小銭が少し。
もう終電もなくなっている。
取り合えず、今日はここで夜を明かそう。
そして明るくなる前に、どこか遠くに逃げよう。
美津子は公園の遊具の中に隠れ、眠りについた。
+
低い唸り声で目が覚めた。
暗闇に光るいくつもの眼。
やだ、野犬?
しっしっ!あっち行け!
……あれ?
美津子は自分の体に違和感を覚えた
犬を追い払おうと出した手をじっと見つめる。
手の平がぷっくりと盛り上がっている。
やだ、私、また太ったかしら?
再び遊具の中から外を見渡す。
野犬達が遠ざかる気配はない。
しかも何!?
あの犬達、いくらなんでも大きすぎない!?
美津子には野犬達が、自分の体の何十倍もあるように見えた。
僅かに体を動かすと、遊具内に陰が過ぎった。
ひゃっ!?何!?
遊具の内側の塗装が剥げた金具部分に、小さな影がぼんやり映っている。
……なんだ、仔猫か。
え?仔猫!?
遊具の中には私しかいないけど?
美津子は再び、自分の手の平をじっと見つめた。
……これ、肉球……?
………じゃあ、ここに映っている仔猫は、私!?
遊具の穴から、野犬達がのそりのそりと、入ってきた。
逃げないと!
美津子は、遊具の中の別の穴から外へ抜け出し、全力で走った
……怖い!怖い……!!
しかし、すぐに公園の真ん中で野犬達に囲まれてしまった。
仔猫になった美津子を中心に、野犬達は円を描いている。
その面積は、じりじりと、少しずつ小さくなっていく。
……ひいぃぃ……!助けて!!
「惨めな姿ですね」
美津子を囲む野犬の円の外に、一人の長身の男が立っていた。
男は一匹の野犬の隣でしゃがみ、その頭を撫で始めた。
野犬は尻尾しっぽを激しく振りながら、男に顔を寄せている。
よかった、人間が来た!
ちょっとあんた!私を助けてよ!
「随分と都合のいい話ですね」
男はこちらをちらりと見て、そう言い放った。
「ケンタ様は、何度も何度もあなた方に『助けて』と訴えていたはずです」
男はゆっくりと立ち上がり、冷たい視線をこちらに向けた。
……この男、人間じゃない……?
野犬達の視線が一斉に、男の方に向けられた。
「お前達の好きにしなさい」
男の背を向けたのを合図に、野犬達が一斉に美津子に襲いかかった。
+
翌日、逃走中の岩元美津子が死体で見つかった。
早朝にジョギングをしていた男性が発見、通報した。
遺体の損傷は激しく、警察関係者達も目を背そむけるほどだったという。
目撃者はおらず、現在も犯人を捜索中だ。
「とても人間の仕業とは思えない。自分の体の何十倍もある猛獣に食い殺されたような状態だが、そんな化け物、地球上にがいるはずがない」
刑事の一人がそう言い放ち、その後も犯人が見つかる事はなかった。
+
三年後、ある霊園を訪れる夫婦の姿があった。
「もう、三年も経つんだな」
白石晃一は呟くように言った。
「……そうだね」
白石明日香はそう答えた。
白石夫妻は今日、二つの霊園の墓参りに行っていた。
一つ目は明日香の祖母、宮江みやえの墓へ。
二つ目はケンタが眠っているこの動物霊園へ。
ケンタが死んだあの日、その一週間前から誤嚥性ごえんせい肺炎で入院していた宮江が亡くなった。
「同じ日に息を引き取るなんて、まるで、ケンタを迎えに来たみたいだな」
晃一は涙腺を緩ませながら、そう言った。
涙脆いのは、猫アレルギーだけが原因ではないらしい。
「しっかりしてよ、パパ!」
明日香が晃一の背中を軽く叩く。
「そうだな」
晃一が目頭に溜まった涙を、指の背で軽く拭った。
「じゃあ、そろそろ行こうか、……あれ?」
駐車場に向かおうとした晃一が、何かに気が付いた。
「どうしたの?……あれっ」
明日香も気が付いたようだ。
段ボール箱に入った子犬と、その箱の横で大人しく座っている母親らしき犬。
「捨て犬かな?」
明日香がそう言って軽くしゃがみながら、顔を近付けた。
アスカ、久し振り!
「お腹が空いてるのかな?」
はしゃぐ仔犬を、明日香が心配そうな顔で見つめる。
やっぱり言葉が通じないや。
明日香が抱いている子供が仔犬の方を指差し、何かを訴えている。
お前、僕の言葉が分かるの?
じゃあ、代わりにアスカに伝えてよ!
「日向、どうしたの?ワンワンだよ」
日向は「あうあう」と繰り返すだけで、まだ話せないらしい。
なんだ、お前も話せないのか。
「……なあ、この仔達、俺達の家族にしないか?」
段ボールの前にしゃがみこんだ晃一がそう言った。
「パパ、犬は大丈夫なんだよね」
「ああ、子供の頃に飼ってた事があるよ」
「そうだったね。……あなた達、うちの子になる?」
僕、またアスカとコウイチの家族になれるの?
そのヒナタって奴も?
+
仔犬と母犬は車に乗せられた。
チャイルドシートに乗せられた日向は、何度も何度も「あ!あ!」と仔犬を指差している。
「日向、今日から家族になる仔達だよ。 仲良くしてあげてね」
助手席に座る明日香が振り向き、日向に言った。
ヒナタ、よろしくな!
日向はキャッキャとはしゃぎながら、足をバタバタさせている。
やっぱり、話せないのはつまらないなあ。
まあいいか。 またみんなで仲良く暮らせるなら。
でもアスカ。
本当は一つだけ、アスカに伝えたい事があったんだ。
僕、お母さんと本当の親子になれたんだよ!
はしゃぐ仔犬の横で、母犬が目を細めながら、車内の家族達を見守っていた。
コメント
1件
わあ……読み終わってしばらく言葉が出ませんでした。最後の「本当の親子になれたんだよ」という一文が、全ての伏線を優しく回収していて、胸がぎゅっとなりました。ケンタくんが猫だったという真実、それでもお母さんを「お母さん」と呼び続けた愛情、そしてアスカと再会できるラスト——切なくて、でも温かい。設定がしっかりと伏線として機能していて、本当に巧みな構成だと思います。沙里央さん、素晴らしいお話をありがとうございました。