テラーノベル
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違う。そうじゃない。
誰も信じてくれない。
そんな時、目の前に不思議な宝飾店が現れるらしい。
「その人にぴったりのジュエリー」を用意してくれるんだって。
+
「あのさ。俺達、友達に戻れないかな?」
出勤の支度を進めていた時、彼氏から届いたLINEにそう書かれていた。
最近、彼の様子がおかしいと思っていた私は、『やっぱり』と思った。
「分かった。今日出勤?一応、会って話しようか」
「今日は休みだけど行くよ。 昼休みにまたLINEする」
+
昼休みになり、壁に掛けてあるシンプルな時計を見上げた途端、制服のスカートのポケットの中のスマホが振動した。
「今着いた。資材置き場に来れる?」
「分かった。今から行く」
資材置き場へと向かうと、そこには私の彼氏……、いや、元彼になったばかりの|杉浦智久《すぎうらともひさ》が、バツが悪そうな表情で、私が近付いて来るのを見ていた。
「……ごめん」
開口一番がこれだ。
「一応理由を聞いときたいんだけど」
「|綾音《あやね》の事が嫌いになったとかじゃないんだ。……実は、……二年間、体だけの関係の子がいて」
「はあ!?」
「俺達、付き合ってる事を周りには言ってなかったじゃん?でも、その子にバレちゃって。『あの人と別れてくれないと嫌!!』って、荒れちゃってさ」
「『バレちゃって』じゃないでしょ! まず、私と付き合ってたのに何でセフレがいるの?」
「その子がさ、俺が綾音と別れたら、彼氏と別れて俺と付き合ってくれるって言うんだよ……」
はあ?
「……その子は他に彼氏がいるのに、あなたと関係を持ってたって事?」
「別の店舗に彼氏がいるらしくて、 二年前にその子の彼氏の事情で一ヶ月会えなかった時、淋しくて俺と……。それからずっと続いてる」
「『別の店舗に彼氏』って事は、そのセフレの女は、このデパートで働いてる子?」
智久は無言で頷く。
「どこの部門?」
智久は伏し目がちなまま、無言で固まっている。
そこまで言ったなら全部言えばいいのに。
私は自分自身を落ち着かせる為に、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「……お昼まだなんだ。ちょっと奢ってよ」
智久は距離を空け、私の数歩後ろを歩いている。
私達は、職場のデパートから少し歩いた所にある中華料理店に入った。
「あ、それ二つともこっちで」
大盛りのチャーハンと餃子を運んできた店員は、不思議そうな顔をしていた。
私は黙々と食べ始める。
智久は、気まずそうに目線を明後日の方向に向けている。
「智久は食べないの?」
「……いや、俺はいい」
智久は不機嫌そうに答えた。
私が料理を全部食べ終わるまでの間、お互い無言だった。
「ごちそうさま」
綺麗に完食し、手を合わせる。
「……出ようか」
二つの空になった皿を、薄目で見つめながら智久が言った。
「じゃあ、これで終わりでいいから。 バイバイ」
私からも別れの言葉を告げる。
「……うん」
歯切れの悪い智久の方にを振り返る事なく、私は職場へと戻った。
+
「食べ過ぎた……」
持ち場に戻った私は一人で呟く。
胃が気持ち悪い。
自販機で飲み物を買おう。
会社から支給された貴重品を入れた透明のバッグから財布を取り出し、席を立つ。
自販機から出てきたアセロラドリンクのキャップを|捻《ひね》っていると、後ろから声がした。
「アイツと別れてくれたんですね。 良かった」
振り返ると、私の顔を笑いながら睨むという、器用な技を持つ女が目の前に立っていた。
食品売り場の制服を着ていて、名札には『水産売り場 小鰭さより』と書いてある。
つまり、魚売り場だ。
この女が智久のセフレなのだと、数秒で理解した。
「いいですよね。その制服」
意味がよく分からなかった。
小鰭さよりは構わず続ける。
「私、同じ正社員なのに希望の売り場に配属されなくて、こんなダサい制服で毎日毎日、魚をパックしてるんですよ」
「そうですか」
持ち場に帰ろうとする私を小鰭さよりは体で塞ぐ。
「あー、でも。その制服って、私みたいな若い女子が着た方が断然似合いますよね」
「何を言いたいのか分からないけれど、アイツとはさっき別れたから私にはもう関係ない。アイツはあなたがセフレだとか他の店舗に彼氏がいるとか言ってたけど、そんな事、別にどうでもいいから」
小鰭さよりのニヤついていた表情が、一瞬で真顔になる。
「そんな訳ないじゃないですか! 確かにちゃんと付き合ってなかったけど、『彼女ができた』って聞いて私、やっと自分の気持ちに気が付いたんです」
「そう、それは良かったね」
私は冷めた表情で言い放つ。
「取り合えず、もう色目を使うのはやめてくださいね!」
捨て台詞を残して小鰭さよりは去っていった。
+
時計の針がもうすぐ三時を指す。
昼礼の時間だ。
私もそろそろ行かないと。
会議室に、各部門からパラパラと人が集まってくる。
椅子に座り、昼礼が始まるのを待ちながら何となくドアの方向を見ていると、小鰭さよりが入ってきた。
目が合ってしまった。
向こうは即座に目を|逸《そ》らし、違う部門の女性社員達とヒソヒソと話し始めた。
店長が部屋に入ってきた途端、女性社員達はピタリと話をやめた。
昼例が終盤になり、店長が「連絡がある部門は?」と尋ねると、数人が手を挙げて報告をし始める。
「もう、他は特にないね? では、昼礼を終わりに……」
店長が言い掛けたその時だった。
「ちょっといいですか?」
先ほど小鰭さよりと話していた女性社員の内の一人が手を挙げた。
皆が注目する中、小鰭さよりが小声で「ちょっと……本当にいいから……」と言っているのが聞こえた。
女性社員はその声を遮るように続ける。
「小鰭さん、|大坪《おおつぼ》綾音さんにイジメられてるって言うか、いびられてるらしくって。 私に相談してきたんです」
「はぁ!?」
思わず声を上げた私を見て、周りがざわつき始めた。
+
「私は何もしていません」
店長は、冷静に伝える私と、いつのまにか瞳いっぱいに涙を浮かべている小鰭さよりを見比べている。
昼礼の後、二人だけ残るように言われたのだ。
「私が悪いんです……。きっと、何か怒らせるような事をしちゃったんだと思います……」
さっき私にタンカを切った時の勢いは微塵も感じられなかった。
腕を組みながら椅子の背もたれに身を預けていた店長が、しばらくして言葉を発した。
「女性が多い職場だからいろいろあるとは思うが……、若い子に対する|僻《ひが》みはよくある事だから、気にしちゃいかんよ」
僻み?何に対しての?
「さっきも言いましたが、私は小鰭さんに何もしていません。 それに、今の発言はセクハラですよ」
「……君も、こんな気の強いお局になっちゃいかんよ」
涙を拭う真似をしながら、小鰭さよりは小さく頷いた。
+
「次の彼氏、見つけるの大変ですよね。もう、一生見つからなかったりして」
会議室を出た後、小鰭さよりが私の後ろをずっと付いてきて、楽しそうに話し掛けてくる。
「……あのね、変な嘘を他人に吹き込まないでくれる?働きにくくなるでしょう?私はアイツとあなたの関係を知らなかったし、もう別れた。 恨まれる筋合いはないはずだけど?」
「わあ、やっぱりコワーイ!」
グーの形のした両手を顔の前に持っていき、そう発する小鰭さよりを横目で見た。
「あなたも早く職場に戻ったら?私はもう就業時間で帰るから」
気が付くと、従業員通路をさっきの女性社員達が塞いでいた。
「一緒にいるのが、遠くから見えたから。何か言われた?大丈夫?」
一人が心配そうに、私の後ろにいる小鰭さよりに聞く。
「……全然、大丈夫……」
明らかに大丈夫ではなさそうなトーンで、小鰭さよりは瞳を潤ませている。
私は溜め息を吐きながら、「通して、帰りたいから」と、女性社員達を掻き分けて更衣室へ向かった。
「うわ、恐いね」
「マジでないわ、あの態度」
「きっとああいう人が、ガールズちゃんねるに芸能人の悪口を投稿したり、マイナス付けまくってるんだよ、きっと」
背中に容赦なく浴びせられる罵声に、本日何度目かの溜め息が出る。
書き込みとか、くだらない事はしません。
それに私、毒女ニュース派なので。
+
今日はとても疲れた。
入社した当時はあの店長だって、私をちやほやと扱っていたものだ。
私自身もそんな店長を『いい人』だと思っていた。
だけどそれは、店長が『若さ』でしか女の価値を見出せない人だったからだ。
くだらない。
自社の食料売り場で適当に食材を買い、商品をエコバッグに詰めている最中にふと思い出いた。
あ、明日に提出する資料、ロッカーに仕舞ったままだ。
持ち帰って修正したい箇所があったのに。
今日はいろんな事があったせいか、私物のバッグに入れるのを忘れてしまっていた。
食材をエコバッグに詰め終わると、再び従業員入り口から中に入り、更衣室のある四階へと向かった。
ロッカーから取り出した資料をバッグに仕舞い、再び更衣室を後にする。
更衣室のある四階は、玩具売り場やスポーツ用品店、メンズ服の専門店がある。
いつもの癖で、なんとなく店を眺めながら出口へと向かっている途中、見覚えのない店が目に入った。
……ん?ここって、宝飾店……?
おかしいな。
新しい店が入ったなんて聞いてないけど。
店の展示ケースの中で一番目立つ場所にあるガラスケースには、まるでディズニープリンセスが頭に乗せるようなティアラが飾ってあった。
値段が付いてない。
ブライダル用なのかしら。
「いらっしゃいませ。 そちらのティアラがお気に召されましたか?」
いつの間に人が近付いてきていたのだろう。
私の右側には、店員と思われる長身の男性が笑顔で立っていた。
「びっくりした……。 違うんです、私はここの従業員で」
「ええ、存じ上げております。 大坪綾音様ですね」
何故この男性は私の事を知っているのだろう。
おしゃべりな女達が沢山いるから、誰かが私の事を話したのかもしれない。
「彼氏にセックスフレンドがいたというのは、何ともやるせない話でございます」
「何でそこまで知ってんの!!」
大袈裟に肩を|竦《すく》めながら眉を下げる店の男性に、私は思わず声を荒げてしまった。
「……あなたも、ただの噂好きな人間なのね」
店の男性は怪しげな笑みを浮かべたままだ。
「まったく……。そんな薄気味の悪い笑顔じゃお客が寄り付かないわよ。……ってあれ?」
そこでやっと私は違和感に気が付いた。
この人は、何でセフレの話を知っているの?
この事を知っているのは、智久と小鰭さよりと私だけのはずだ。
あの女が他人にそんな話をする訳がない。
……だとしたら智久が?
「いいえ、杉浦様でもありませんよ」
私の心の中の声と会話するように、店の男性は答えた。
「こちらのティアラがお気に召したのでしょう?でしたら大坪様に差し上げます」
「だから私は客じゃないし、そんなティアラを貰ったって使い道がないって……。それより、何であなたは智久との事を……!」
先程と変わらない不気味な笑みを浮かべる店の男性。
背筋が凍るような感覚を覚えた私はその場を離れようとするが、足が動かなかった。
「ぜひ一度、お試しください。当店の商品は、きっとあなたのお役に立つ事でしょう。
店と男性が遠ざかる感覚と同時に、軽い目眩を覚えた。
+
気が付くと、さっきまで目の前にあったはずの店は無く、そこには|殺伐《さつばつ》としたフロアが広がっているだけだった。
そうだ。
元からここは催事場で、店なんてなかった。
疲れてるのかな、私。
取り合えず帰ろうと私物のバッグを持ち直した瞬間、違和感を感じた。
「……え、嘘でしょ!?」
あのガラスケースに飾ってあったはずのティアラが、私のバッグの中に入っていたのだ。
+
翌朝。
私は枕元にあるティアラを、寝ぼけ眼で見つめていた。
……やっぱり現実なんだ。
複雑な気持ちで支度を済ませ、会社へと向かう。
バッグの中には、気泡|緩衝《かんしょう》材……いわゆるプチプチで厳重に撒かれ、丁度いい大きさの箱に仕舞われたティアラが入っている。
傷付けてしまってはいけないと、帰宅してから梱包したのだ。
店があるかどうかは分からないけれど、とにかく返さなきゃ。
出勤し、更衣室へ入る前に催事場のある場所を確認したが、やはりあの店はなかった。
+
十五時、昼礼の時間だ。
昨日の事があったばかりなので、気分も足取りも重い。
会議室のドアを開けた瞬間、今まで会話をしていたはずの社員達が静まり返り、私に注目する。
もう、面倒くさい。
連絡ノートを抱え、空いているキャスター椅子に腰掛ける。
遅れて店長は、スーツを着た男性と一緒に部屋へと入ってきた。
「別店舗から来た社員を紹介する。 今日から働いてもらう宇野幸隆君だ」
『うのゆきたか』、聞き覚えのある名前だった。
「今日から配属になりました、宇野幸隆です。まだまだ未熟でご迷惑をお掛けするかもしれませんが、宜しくお願いします」
男性に向けて一同が拍手をする。
続けて昼礼が始まった。
私も自分の部署の連絡事項を淡々と伝える。
昼礼が終わり、会議室を出た所でさっきの男性に声を掛けられた。
「あの、同じ幼稚園だった……大坪さん、だよね?」
覚えいてくれていたなんて思わなかった。
「宇野くんだよね、やっぱり!
年長さんになった時にいなくなったから、どうしてたのかと思ってたの」
「親の転勤で春休み中に引っ越す事になってさ。みんなにお別れも言えないまま。でも、覚えてくれてたなんて嬉しいよ」
宇野くんが照れ臭そうに笑う。
忘れる訳がない。
だって、私の初恋の男の子だもの。
「あのさ。これも何かの縁だし、LINE交換しない?」
いきなりの提案に少し戸惑ったが、深い意味はないのだろうと快く承諾した。
機嫌良く持ち場に戻り、作業を進める。
向こうも覚えていてくれていたなんて、やっぱり嬉しいかも。
しかも幼稚園の時だよ?
ポケットの中のスマホが震えた。
もしかして……と期待をし、すぐにメッセージを確認した。
「今から会えない?」
智久からだった。
がっかりしながら返事を返す。
「私とは別れたでしょ! あの子と付き合ってるんだったら、いい加減な事しない方がいいわよ」
「付き合ってないよ」
すぐに来た返信に、軽い苛立ちと疑問が交差する。
「どういう事?」
「資材置き場に来てくれたら話す……」
もう、ややこしいな!
+
「サボってばっかりいないで仕事すれば?」
結局、資材置き場に来てしまった私は、智久に説教を始めた。
「分かってる……」
「で?付き合ってないってどういう事?」
「『やっぱり本命の彼氏の事が大事』だってさ……。 俺は綾音と別れてまで付き合う覚悟だったのに」
こいつ、本当に失礼にも程がある。
「ていうか、私、あの女にある事ない事言われて困ってるの。あんたから何か言ってやってよ」
「……それは綾音の勘違いだろ。あいつ気が弱いから、そんな事は出来ないよ」
智久はまだ、あの女の本質を見抜けていないだろう。
イライラする。
「結局は、セフレが別の女と付き合ったのが気に食わなかっただけでしょ。いるよね、そういう女。『いらない』って言っておいて、誰かの物になったら『やっぱりいる!』っていう……」
苛立ちを隠せずに喋り続ける私の口を遮るように智久の唇が塞いだ。
「……何するの」
「ごめん」
唇を離して私の顔を間近で見つめている智久が消え入るような声で呟き、背中に両腕を回してきた
「……泣いてるの?」
「ちょっとだけこのままでいさせて。……俺、この職場、今日で辞めるんだ。さっき辞表出してきた」
メンタル弱いな! 肩に顔を|埋《うず》め、智久はしばらく私を離そうとはしなかった。
+
更衣室で私服に着替え、外に出ようとドアを開ける。
一瞬で空気が変わったのが分かった。
「困った元彼様ですね」
目の奥が笑っていない不気味な笑顔。
またあの店が現れたのだ。
でももう|物怖《ものお》じしたりはしない。
「ちょうど良かった。 これ、返そうと思って持ってきたんだけど」
私はバッグの中からティアラの入った箱を取り出した。
「これはわざわざ……。しかし、これはあなたに差し上げたものです。今日は何か変わった事がありませんでしたか?」
店の男性の言葉に目を閉じ、腕を組みながら今日一日を振り返ってみる。
「変わった事……、そうだ。 初恋の人が今日から同じ職場に」
私にとって宇野くんとの再会は、元彼にキスされた事などよりも、遥かに記憶に残る出来事だったのだ。
「その|ティアラ《商品》は『縁を取り持つティアラ』なのでございます」
「私と宇野くんの仲を取り持ってくれるとでも言うの?」
「そのティアラをお持ちになっていれば、いずれ分かりますよ。どうぞ『縁』をお大事になさって下さい」
+
気が付いた時にはやはり、店と男性は消えていた。
またしてもティアラを返し損ねてしまった。
謎は深まる一方だったが、私は再びティアラをバッグに仕舞った。
+
次の日は休みだった。
そして今、私の隣には宇野くんがいる。
昨日、家に帰ってからLINEに「明日休みなんだけど二人で出掛けない?」と宇野くんからメッセージが来たのだ。
断る理由なんてどこにもなかった。
車を出すからと言って、ドライブに連れていってもらう事になった。
幼稚園児の恋なんて可愛らしいものだ。
だけどあの頃、格好をつけてヒーローごっこをしていた男の子がどんな風に育ったのか、引っ越してからどんな風に過ごしたのか、興味があった。
海沿いを走る横顔には、あの頃の面影が少しだけ残っているように見えた。
「宇野くんはさ、今、彼女とかいないの?」
不自然じゃないように何気なく聞いてみる。
「いたら女の子をドライブに誘わないよ」
はにかみながら返す宇野くんの横顔に少しドキリとした。
ランチかディナーか分からないような時間帯の食事を済ませ、また同じ道を引き返す。
「ごめんね、こういうの慣れてなくて」
宇野くんが申し訳なさそうに言ったが、私は満足だった。
「とんでもない!美味しい食事もご馳走になったし、いろいろ話も出来て楽しかった」
「そっか。良かった」
信号が赤になり、車が停車したほんの一瞬の出来事だった。
宇野くんの唇が私の唇に触れた。
信号が赤になり、車が動き出す。
「急にごめん……」
謝りながら顔を赤くする宇野くんに、何と返していいか分からず、「ううん……」と答えるしかできなかった。
+
「じゃあここで。今日はありがとう」
自宅の前まで送ってくれた宇野くんにお礼を言う。
「明日はお互いに出勤だよね?じゃあまた明日」
微笑みを返し、手を振りながら宇野くんを見送った後、部屋に入った。
何だか久し振りに幸せかも……。
湯船の中で唇を軽く押さえながら、信号での事を思い出し、顔が赤くなる。
中学生みたいな気分だ。
小鰭しおりや智久に対するイライラなんて吹き飛んでしまいそう。
その日は余韻に浸りながら眠りについた。
+
「………何、これ」
私が出社した時、掲示板の前には沢山の社員達が集まっていた。
そこには、智久とキスをしている私の写真が大きくプリントされて、何枚も貼られていた。
小鰭しおりの取り巻きが、私を見つけた途端にすごい勢いで問い正してくる。
「ちょっと、ここに写ってるのってあなたよね!?この人はさよりの彼氏だって聞いたんですけど!?嫌がらせのつもりか分からないけれど、何誘惑してるの、最っ低!!」
|捲《まく》し立てている取り巻きの後ろで、私にしか見せない笑みを浮かべる小鰭さよりがいた。
小鰭さよりは、智久と付き合っていると取り巻き達に吹聴した訳か。
「あのね、私は杉浦くんとは最近まで付き合ってたの。だけど、この子は私より先にあいつと体だけの関係を持ってた!それが分かったから別れたの!……分かった!?」
思わず感情的になってしまう。
小鰭さよりは笑みを一転させ、涙を浮かべた。
「……酷い……。私と彼は二年前から真剣に付き合ってて、『他の人に迷惑を掛けないように黙っていようね』って言ってただけなのに。それなのに、いつの間にかそんな関係の人が出来てたなんて……信じられない」
小鰭さよりの頬を涙が伝う。
私に集中する社員達の冷たい目。
その中にはいつの間にか宇野くんもいた。
『彼氏のいる後輩の男を寝とった意地の悪い先輩』
もう何を言っても|覆《くつがえ》りそうにない。
取り合えず、掲示板に貼ってある写真を一人で剥がし始める。
もう泣きそう。
「一体何の騒ぎだ!!」
店長がやってきた。
+
朝礼の後、以前のように私と小鰭さよりが店長に呼び出され、話を聞かれた。
そもそも、店長は私の話なんて聞く気はないのだけれど。
「小鰭君はもういいよ。話は理解したから。そんな状態じゃ仕事にならないだろうから、今日はもう帰りなさい」
店長は涙を流し続ける小鰭さよりを|諭《さと》す。
小鰭さよりが退室する時に開けたドアの向こう側には、睨みを利かせた取り巻き達の視線がたくさんあった。
「……不倫じゃないとしても、今回の一件は人としてどうなんだ!?」
さっきと打って変わってキツい口調になった店長に、私はできるだけ真実を伝えようとした。
信じてもらえなかったとしても、真実を嘘で塗り替えられるのは、絶対に嫌だから。
だが結局信じてもらえず、激怒した店長が退出し、部屋には私一人が取り残された。
机の上に肘を乗せ、両手の指を交互に組んだ手の甲に、|額《ひたい》を乗せてうなだれる。
ガチャリとドアが開いた。
店長が戻ってきたのだと思った私は顔を上げた。
そこに立っていたのは宇野くんだった。
言葉が出て来ない。 あんな醜態を見られてしまった恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
でも、ちゃんと伝えなきゃ。
「違うの」
「何が違うの?」
やっと出た言葉を遮るように、宇野くんが無表情で言った。
「何を言い訳してるの?彼女がいる男と付き合ってたのは事実なんでしょ?」
「知らなかったの……。智久があの子と関係を持っている事を知らされて、最近別れたの」
「別れた後の男と、君は普通にキス出来るんだ」
「……っ」
たしかにそうだ。
私は特に抵抗する事もなく、受け入れた。
智久がとても哀れだったから。
宇野くんが冷ややかな表情で私を見ている。
「……昨日の事は忘れて」
宇野くんはそう言い残し、部屋を出ていった。
+
いつもの職場。
だけどいつもと違う制服。
私はもう以前の持ち場にはいない。
通称『左遷部屋』に移動になったのだ。
冴えない男性社員一人と、資料を整理するだけの仕事。
代わりに私の元の持ち場に配属されたのは、店長に自ら志願した小鰭さよりだった。
憧れの制服を着る事が出来て、さぞかし満足している事だろう。
左遷部屋に移動させられたという事は、暗に「辞めろ」と言われているのと同じだ。
だけど黙々と作業をこなす。
男性と二人、密室での作業になるので店長に抗議したが「君相手に何かしようとする人はいないから」と失笑で返された。
私の向かい側で、挨拶以外に一言も言葉を発さずに作業を続ける男性社員の名前は佐伯さんだ。
|佐伯さん《この人》はどうして左遷部屋にいるのだろう。
疑問に感じながらも、そこまで興味がある訳ではなかったので本人に質問する事はなかった。
+
キツいのは昼休憩の時間だった。
佐伯さんはいつも左遷部屋で昼食を取り始める。
作ってくれる家族がいるのだろう。
いつも歳に似合わないような可愛らしいおかずが入っていた。
私はというと、社員達が集まる食堂には行けなくなってしまった。
食堂のドアを開けた瞬間に毎回、一斉にこちらに集中する視線と、急に始まるヒソヒソ話に耐えられなくなっていた。
屋上で、朝、電車に乗る前にコンビニで買ったパンにかぶりつく。
今までは食品売り場で美味しそうな物を見つけては|嬉々《きき》として食堂に持ち込み、堪能したものだ。
食品だけじゃない、服やアクセサリー、本にCD、おもちゃ。
いろいろ見て回るだけで楽しい時間を過ごせるデパートは、私にとっては遊園地みたいな場所だったのに。
涙腺が緩みかけた時、屋上のドアが開く音がした。
私は条件反射で、つい隠れてしまった。
「まだ辞めないんだよ、あの女! 本っ当に図太いよね!!」
小鰭さよりの声だ。
また取り巻き達と一緒に、私の悪口でも言っているのだろうか。
……いや、小鰭さよりは取り巻きの前では大人しく気の弱いキャラを演じているはずだ。
じゃあ一体、誰と話しているの?
「せっかく俺が協力してやったのにな。まあ、昼休憩の時は食堂に来なくなったんだろ?顔を合わす機会が減って良かったじゃん」
その声の主は宇野くんだった。
どういう事……?
隠れたまま壁に背中を預け、思わず口元を片手で覆う。
「まあね。それはそうと、幸隆。せっかくこの店に配属になったんだから、仲良くしようね」
小鰭さよりは宇野くんの首に両手を回し、唇を重ねた。
それに応えるように宇野くんも小鰭さよりの腰に手を回す。
……嘘……、まさか宇野くんが、小鰭さよりの本命の彼氏だったっていうの……!?
「そういえば、最近辞めた杉浦って男、お前とはマジで関係ないの?大坪はお前のセフレとか喚いてたけど」
「そんな訳ないじゃない。 あんな馬鹿みたいな男。周りにはそう言ったけど、あの女を|陥《おとしい》れる為に仕方なくだよ。私が幸隆一筋なの知ってるでしょ?」
「冗談だよ。ごめん」
二人の会話を聞きながら、身動き一つ取れない自分が情けなかった。
「もうすぐお昼休憩が終わるね。戻ろっか。 じゃあまた、今夜ね」
「ああ。またLINEする」
宇野くんは小鰭さよりにそう答えた。
私は、まだ半分以上残っているパンの袋をぐしゃりと握り潰した。
その弾みで、手提げバッグを下に落としてしまった。
二人が同時にこちらに見た。
「……覗き見なんて信じられないんだけど」
小鰭さよりがそう言った後の、二人に向けられた軽蔑の視線に耐えきれず、屋上を後にしようと扉のある方向に足を進めた。
その瞬間、宇野くんが私に言った。
「元彼くんとのキス写真、撮ったの俺なんだよね。それと俺、大坪さんの事、実は全然覚えてなかったんだ。ここの店舗に配属される前に、こいつが俺の部屋に来てアルバムを見た時に偶然、君が名札を付けて写り込んでたスナップ写真を見つけたらしくて。何かごめんね?『ずっと覚えてた』みたいな振りして。でも俺って演技上手くない?」
私は、宇野くんの顔を見る事なく屋上を後にした。
……舞い上がっていた自分が馬鹿みたい。
左遷部屋のドアノブを回そうとした時、はっと気が付いた。
従業員用の手提げバッグを屋上に落としたままだ。
慌てていて、すっかり忘れていた。
あの二人は、もういないだろうか。
屋上へ向かう途中の通路で鉢合わせたりしないだろうか。
私は半泣きになりながら、今来た通路を再び戻り、屋上の扉を開いた。
「ない……」
手提げバッグはあったが、いつでもあの店の男性に返せるように入れていたティアラがなくなっていたのだ。
まさか、小鰭さよりが……?
不意に浮かんだ疑いを|払拭《ふっしょく》する為、即座に頭を振る。
現場を見た訳でもないのに疑うのは良くない。
置いていった私も悪いのだから。
+
「遅れてすいません……」
私は左遷部屋へ入り、黙々と作業をしている佐伯さんに謝った。
「……ん、ああ」
佐伯さんはこちらを一切向く事はなく、そう返事をしたきり、作業を続けている。
今は仕事中なのだから、ティアラの事は考えないようにしないと。
佐伯さんの向かいの席に座り、私も作業を始める。
作業に集中する私の顔を、佐伯さんがじっと見つめていた事に、私はまったく気が付いていなかった。
+
二日後、一日の休みを経て出勤し、更衣室で制服に着替えを済ませる。
ロッカーの内側に取り付けられている鏡を見て前髪を整えながら、ぼんやりと考えた。
あの宝飾店、全然現れなくなったな……。
その時、扉を開けて数名の女性社員達が、楽しそうにお喋りをしながら更衣室に入ってきた。
私の姿を確認した瞬間、女性社員達はすぐに無言になり、それぞれのロッカーを開けて着替え始める。
私が更衣室から出た途端、中から賑やかな声が聞こえてきた。
「……本当、くだらない……」
閉まったドアをちらりと見ながら、私は呟いた。
+
その日の昼休み、私は佐伯さんに差し出された物を見て目を丸くしていた。
「……何ですか?これは……あの」
突然の事で意味が分からなかった。
目の前に差し出されたのは、可愛い柄の風呂敷に包まれたお弁当箱らしき物。
昼休憩になり、いつものように一人で屋上でパンを食べようと席を立った時に、突然私の机に差し出されたのだ。
「いくら若いからって、毎日パンぱっかりじゃ体がもたないだろ。……歳の話をしたら今はセクハラになるんだっけ。参ったな」
そう言いながら、頬をポリポリと掻く佐伯さん。
まずは、目の前に置かれた物の説明をしてほしい。
「取り合えず座ったらどうだ?」
椅子から立ち上がりかけ、中途半端な状態で固まっている私を見て、佐伯さんは言った。
「あの、これって」
再び椅子に座り、質問する。
「いいから開けてみろよ。俺も今から食べるし、何も変な物は入ってないから」
本当に?精子とか入れてない?
佐伯さんは無地の風呂敷を開き、お弁当箱の蓋を開けて食べ始めた。
とりあえず可愛い柄の風呂敷をほどき、蓋を開けてみた。
「わあ……っ!」
思わず声が漏れた。 彩りが綺麗だし、全部美味しそう。
私は、風呂敷の中に一緒に入れられていた割り箸を割って、おかずの一つを口に運んだ。
「美味しい!!」
私の反応に、佐伯さんは笑顔になった。
この人が笑うの、初めて見た。
他に誰もいない空間。
そのまま二人で黙々と箸を薦め、ほぼ同時に食べ終わった。
「ご馳走さまでした!」
「はい、お粗末様」
箸を置き、手を合わせた後に我に返る。
冴えない男性社員と、色恋沙汰に巻き込まれて左遷された女性社員が一緒にお弁当を食べている。
何、この絵面……。でも。
「奥さん、お料理が上手なんですね」
「奥さんはいないよ」
佐伯さんは目を逸らし、少し淋しそうに言った。
え、どうしよう。地雷を踏んだ……?
「えっと……、じゃあ、娘さん……?」
佐伯さんはおもむろに、シワの付いたスーツのポケットからスマホを取り出し、待ち受け画面を私の方に向けた。
「……本当に可愛いんだよ」
画面の中で、小さな女の子が笑っている。
あ、これが娘さん?
でも、まだ料理をするにはちょっと無理がある歳だよね?
……じゃあ、もしかして、このお弁当は佐伯さんが自分で作っているって事?
佐伯さんが空になった弁当箱に手を伸ばした。
「あ、ちゃんと洗って返します」
「いいよ。どうせ一変に洗うんだから。それに、次に入れる弁当箱の予備がなくなると困る」
佐伯さんはそそくさと風呂敷を包み、自分の弁当箱と一緒に、自分の手提げバッグに仕舞った。
『次』って何ですか?
+
それから出勤する度、昼は佐伯さんのお弁当を食べるのが当たり前になっていた。
完全に胃袋を掴まれてしまったのだ。
「でも、毎回大変じゃないですか?」
おかずを頬張りながら、同じくご飯をかき込んでいる佐伯さんに聞く。
「……あんたはそんな事気にしなくていい」
断ったってどうせ言い負かされるのだし、断る理由など特にない。
私達はほとんど会話をしない。
ただ、黙々と同じおかずのお弁当を向かい合って食べるだけの関係。
何か変なの。
+
そんな日が続く中、他の誰にも話していないというのに、私と佐伯さんが不倫しているという噂で社内が持ちきりになっていた。
佐伯さんに奥さんはいないの!
きっと奥さんは数年前に亡くなっていて、小さな娘さんを男手一人で育ててるの!
私がそう言ったところで耳を傾けてくれる人間なんて、この会社には誰一人としていないだろう。
だからもう何も言わない。
私達はただの弁友で、それ以上でもそれ以下でもない。
そんな事を知らない店長や社員達は、私を完全に無視するようになり、空気のように扱われるようになった。
+
「元の部門に戻りたくないのか、あんたは」
いつものように二人でお弁当を食べている時、珍しく佐伯さんが話を振ってきた。
佐伯さんも、私が左遷部屋に来た理由を知っているのだろうか。
「本音を言うと戻りたいです、すっごく。デパートが小さい頃から好きだったから就活も頑張って、面接もたくさん受けてやっと内定をもらって。せっかく希望の部門に入れて毎日も充実してたのに、もう最近、本当に嫌な事ばっかり続いて」
珍しく一方的にペラペラと話す私を、佐伯さんはまばたきもせずに見ていた。
「少し前までは楽しかったんですけどね……」
「そうか」
素っ気ない返事をした佐伯さんは、休めていた箸を再び動かし最後のご飯をかき込んだ。
「……今日は残業できないんだ。時間通りに上がらせてもらってもいいかな?」
佐伯さんが、お弁当箱を仕舞いながらそう言った。
「珍しいですね。用事ですか?」
表向きは『サービス残業ゼロ』だが、左遷部屋だけはタイムカードを切った後も職場に戻り、作業を続けなければならない。
会社側はわざと仕事を増やし、私達が自ら辞めていく方向に持っていきたいらしい。
やっと要領を掴んだ私でさえ、一時間ほど残業をしなければこなせない仕事量なのだ。
「うん、ちょっとな……」
+
佐伯さんが上がる時間になり、いそいそと支度を始める。
「じゃあ、お疲れ様」
「お疲れさまです」
何だか嬉しそうな顔をしながら部屋を出ていく佐伯さんの姿を、私は無意識に笑顔で見送っていた。
それが佐伯さんの姿を見た最後の日になるとも知らずに。
+
佐伯さんが亡くなった。
正確に言うと、殺された。
佐伯さんを殺したのは宇野くんだった。
あの日、佐伯さんが小鰭さよりにしつこく言い寄っている場面に宇野くんが遭遇した。
言い争いになり、宇野くんに顔面を何度も殴られた佐伯さんは打ち所が悪く、搬送先の病院で亡くなってしまったらしい。
宇野くんは殺人罪で逮捕された。
事件が起こってから、小鰭さよりは一度も出勤する事なく退職した。
「あんな事があったから仕方がない……」
店長は眉を潜めながら呟いていた。
「宇野さんもさよりも可哀想。ストーカーから同僚を守ろうとしただけなのに……」
宇野くんに同情する女性社員達もいた。
佐伯さんの事はニュースでも報道された。
【ロリコン平社員ストーカー】
ネットにも佐伯さんの顔を晒して中傷している書き込みが沢山見られたが、時間が立つ事に徐々に忘れられていった。
佐伯さんがあの女のストーカーをしていたなんて。
初めは信じられなかったが、時間を掛けて無理矢理自分を納得させた。
+
数ヵ月後。 大坪綾音は、人手が足りなくなった元の部門に戻るように店長に懇願されれたが、それを断り、退職した。
新しい職場で仕事を覚えている頃に弟が結婚する事になったり、とても慌ただしい毎日を送っている。
+
昼休憩の時間、社員食堂の扉を開け、お気に入りの席へと向かう。
椅子に座り、手提げバッグから可愛い風呂敷に包まれたお弁当箱を取り出し、食べ始める。
実はあれから、去年に建設されたショッピングモールに転職した。
以前に勤めていたデパートは業績が悪く、来年にも海外の企業に吸収されてしまうとか。
私は無言で箸を進め、一つ一つのおかずをじっくり味わう。
この歳で転職が上手くいくかどうか不安だったけれど、思い切ってよかった。
今は非正規社員だけど、正社員になるチャンスもあるみたいだし、やれるだけやってみよう。
やはりどの職場にいても女同士の派閥や多少の嫌がらせはあるが、今は何とか平穏な日々を過ごせている。
ああ、美味しかった。
午後からの仕事も頑張ろう。
空のお弁当箱に手を合わせ、丁寧に風呂敷に包んだ。
+
次の休日、偶然立ち寄ったコンビニで、男性店員がアルバイトを口説いていた。
「俺の事、好き?」
アルバイトにしつこく話しかけているのは杉浦智久だ。
「えぇ~?」
アルバイトは眉を下げ、首を傾げながら笑っている。
「じゃあ、好きか嫌いか、どっち!?」
智久は真顔で詰め寄る。
「……うーん、じゃあ、好き!あ、ちょっと在庫チェックしてきますね」
アルバイトはレジから離れた。
「はあ……、可愛いなあ。今日も一日頑張れる……」
アルバイトの後ろ姿を眺めながら目を細める智久を眺める私。
「バカだ……」
客が並んでいるのも気が付かないのか、この男は。
「わあっ!綾音!?何でここに!! まさか、俺がここで働いてるのを聞き付けてストーカーに……?」
「スイーツと花を買いにコンビニに入ったら、あんたがいただけ。それだけの話」
商品を智久の前に差し出す。
「そういえば転職したんだっけ。でも、相変わらずだなあ……。あのJKちゃんとは大違い!」
バーコードを読み取りながら智久はブツブツ言っている。
あんたからは見えていないでしょうけど、その可愛いJKアルバイトちゃんは背を向けてから、ものすごく険しい顔をしていたけどね。
「666円になります!……そうだ、聞いたぞ。ほら、お前の弟、結婚したんだって?」
「そうよ、あんたも二回くらい会った事あるでしょ」
スマホ画面をバーコードリーダーに向けながら応えると、智久は複雑そうな顔をして、何か言いたげにしていた。
「何よ?」
レシートを渡しながら智久が言う。
「……弟の嫁、あんまりイジメてやるなよ」
その言葉を聞いた私は、智久の顔をジーッと見つめながら、徐々に顔を近付けていく。
「あ、綾音……?ちょっ……、ここはコンビニだぞ!」
智久と顔の距離が五センチほどになった所でピタリと止め、息を吸い込んだ。
「バーーーーーーーカ!!!!」
「……へ?」
私が大声を発してポカンとしているのは智久だけではない。
コンビニにいた全ての客もこちらに注目している。
「何だよ、意味分かんね!営業妨害だぞ!」
「じゃあね、もうサボるんじゃないわよ」
スイーツが入った袋を手に取り、出口に向かう。
「杉浦さん、何ですか?あの人」
JKアルバイトが奥から戻ってきたようだ。
「ん?たまにいる変な客だよ。気にしないで!」
扉が閉まる前にしっかり聞こえたが、そのまま本来の目的地に向かう。
+
雑草が伸びきっていた一通り掃除をした後、スイーツと花を供える。
火を着けた線香を手で|扇《あお》いで供え、墓石に話し掛ける。
「あんな女のどこが良かったんですか?」
数秒間、手を合わせた後にゆっくり目を開けると、私はあの宝飾店の中にいた。
「お久し振りですね。大坪様」
店の男性が、心から笑っていない笑顔で久し振りに話し掛けてくる。
「……本当、随分と長い間、見かけなかったわね」
「佐伯様のお墓参りですか?大坪様以外に、誰も見えられていないようですが」
「あんな|フェイクニュース《・・・・・・・・》が流れたんじゃね」
目を伏せる私に構わず、店の男性は続ける。
「何故、大坪様はこちらへ?」
「あなたの事だから、本当は全部分かっているんでしよう?」
店の男性は、ニヤリと口の端を上げた。
+
小鰭さよりが辞める事になり、私は話があると言って屋上に呼び出した。
「何ですか?早く帰りたいんですけど。まさか突き落としたりする気じゃ……、こわーい」
「怖いのはどっちよ」
私が発した言葉に、小鰭さよりはピクリと反応した。
「何なんですか。私はずっとストーカー被害に遭ってて……」
小鰭さよりは、ジロリと私を見上げて来る。
「ストーカー被害に遭っていたとしたら、あなたならすぐに店長とかお友達に相談するんじゃないの?」
「……先輩には分からないです。ストーカーに遭ったりする女子の気持ちとか。言ったら余計に恨まれるとか……」
「あなたはストーカーにお弁当を作ったりするの?変わってるわね」
小鰭さよりの顔色が変わった。
「……何言ってるか分からないんですけど……」
小鰭さよりは目を泳がせながら、何とか言葉を続けようとしている。
佐伯さんに結婚歴はなかったらしい。
もちろん娘もいなかった。
いつか見せてもらった佐伯さん待ち受けの写真。
顎の左側に二つ並んだホクロ。
おそらく接写で撮ったであろう、|あの写真《・・・・》に写っていたのは、やはり小鰭さよりだった。
「あなた、佐伯さんとも関係を持ってたの?私、あなたのインスタを見た事があるのよ。佐伯さんと全く同じおかずのあなたのお弁当の画像を。……どうして佐伯さんは、私の分まであなたに作らせたの?あなた達は一体、何をしたかったの?」
私は聞きたい事をそのまま言葉にした。
「私は何も知りません」
「佐伯さんね、スマホの待ち受けをあなたの写真にしてたの知ってる?」
「……ストーカーなんだから、隠し撮りしてたんじゃないんですか?」
「あなたが幼い頃の写真よ。佐伯さんは無断であなたの家に上がり込んでアルバムの写真を撮ったって事?」
小鰭さよりが溜め息を吐きながら、観念したように重い口を開いた。
「……はあ、どうせ辞めるんだからいっか。もう先輩と関わる事も一生ないんだし。そうですよ、佐伯さんとお付き合いしてました。信じてもらえないかもですけど、佐伯さんの事も真剣だったんです。お弁当は、佐伯さんが先輩の|自堕落《じだらく》な食生活を気にしてて。私に先輩の分も作ってやれないかってお願いされたから」
「どうしてあなたは私の分も作ってくれてたの?私の事、嫌いでしょ? 断る事だってできたはずなのに」
私は一番不思議だった疑問をぶつけた。
「えーっ。だって面白くなりそうだなって」
小鰭さよりは急にニヤニヤしはじめた。
「『面白く』?」
「同じ左遷部屋の男女が、同じおかずのお弁当を二人で食べてるって。周りは佐伯さんの事あんまり知らないし、結婚してると思ってるから。 先輩と佐伯さんが不倫してるように見えたら面白いかなって」
小鰭さよりは全く悪びれる様子がなかった。
「不倫の噂を流したのはあなた……か宇野くんね。宇野くんはあなたと佐伯さんの関係を知らなかったんでしょ?あなたのいい加減な行動で、人一人が亡くなったんじゃないの?」
「私、佐伯さんとは別れようと思ってたんです!それなのにあの日、私の誕生日にサプライズでプレゼントを持ってきたりするから……」
「宇野くんに見つかった?」
小鰭さよりがこくんと頷く。
独身とはいえ、歳の離れた女性と付き合っている事は誰にも言えなかったのかもしれないし、口止めされていたのかもしれない。
スマホの待ち受けを私に見せたのは、幼い頃の恋人の写真だけでも、せめて誰かに見せたかったのかもしれない。
佐伯さんは自分でお弁当を作ったとは一言も言っていない。
私がそう思い込んでいただけだ。
佐伯さんが亡くなってから、私の頭の中を様々な考えが過った。
本当は、他の女性社員を気に掛けている振りをして、小鰭さよりに嫉妬させようとしたんじゃないかとか。
堂々と一緒に食堂で昼食を食べられない淋しさを、私で紛らせていたのかもしれないとか。
単に彼女の自慢の手料理を、誰かに食べさせたかっただけだったのかもしれないとか。
今となっては、佐伯さんの本音を知る|由《よし》はない。
+
「佐伯様は、世間に誤解されたまま無念の死を|遂《と》げられましたね」
店の男性が入れてくれた紅茶を飲みながら回想にふけっていた私は、空になったティーカップをソーサーに置いた。
「やっぱり、全部お見通しって訳ね」
店の男性は、私の私物のバッグに目をやった。
「そういえば弟様が結婚されたようで。おめでとうございます」
「……ありがとう。そういえばごめんなさい。ティアラ、返せなくなっちゃった」
「あのティアラは大坪様に差し上げた物でございます。例えその後、盗まれたとしても」
「本当に、妙な縁を運んできてくれたわね」
「今日の昼食も義妹様の手作りのお弁当ですか。仲がよろしくて羨ましい限りでございます」
「まさか弟の結婚相手があの女だなんて、最初はどうしようかと思ったわ」
+
やはりティアラを盗んだのは小鰭さよりだった。
佐伯さんが亡くなり、小鰭さよりが退職してから一ヶ月半ほどが経ち、弟が結婚すると言って連れてきた若い女性。
それが小鰭さよりだと分かった時は、地球がひっくり返るほど驚いた。
「姉ちゃんの前の職場で働いてたんだろ?姉ちゃんにイジメられたりしてなかった?」
飽くまでも冗談っぽく|茶化《ちゃか》す弟。
逆だよ、このバカ。
小鰭さよりは、別の店舗で働いていた私と同じ名字の男が、私の親族かもしれないと一度も考えた事はなかったのだろうか。
小鰭さよりの本命の彼氏は宇野くんではなく、弟だったのだろうか。 そんな事は、最早どうでもいい。
「顔は見た事あるわよ。鮮魚売り場の子よね?」
「はい……」
小鰭さよりは真っ青だった。
何よ。弟に悟られないように、気を効かせたっていうのに。
「これから家族になるんだから、仲良くしようね?」
私はニコリと微笑み、右手を差し出した。
「……よろしくお願いします……」
小鰭……いや、大坪さよりになる目の前の女は、私の手を弱い力で握った。
「弟様に真実を話されなかったのですね」
店の男性が言う。
「どうせ弟も、私の言う事を信じないでしょ?それにあの時、既に妊娠三ヶ月だって聞いたし。産まれてくる子供に罪はない……ってありきたりな言葉だけど、案外いい母親になるかもしれないじゃない。DNA鑑定なんて、野暮な事はしないわよ」
「確かに。お義姉様にお弁当を毎日用意されるとは、出来のいい義妹様でございますね」
「弟と両親が席を外した時にあの子……、さよりちゃんに『お弁当だけは最高だったよ』って一言伝えただけなんだけど。『妊婦が無理しないでいい』って言っても、弟の分も作ってるからって意地になっちゃって。こっちが脅してるみたいじゃない。でもなるべく顔は会わせたくないみたいで、弟が出勤の途中に私のマンションに届けてくれるの」
「結婚式で、さより様はあのティアラを着けられたのですね」
「さよりちゃんは『捨てても捨てても朝起きたら戻ってくる呪いのティアラなの!』とか騒いでたけど、 弟や両親は、『マタニティーとマリッジブルーが重なってナーバスになってるんだろう』って」
恐怖に怯える義妹の姿を思い出し、思わず吹き出してしまう。
「……縁っていろんな形があるのね。 縁を取り持つとか言うから、てっきり良縁を運んできてくれるのかと思っちゃった」
「それは虫が良すぎる話でございます」
「……じゃあ私、そろそろ帰るわね。弟と、あのクソビッt……さよりちゃんが実家に遊びに来るから、私も帰って来いって両親に言われてるの。すっかり気に入られちゃって。特に父親!『こんないい嫁はいない』とか、鼻の下伸ばしてバッカみたい」
「楽しそうでございますね、大坪様」
目を細めて笑う店の男性も、私には同じく楽しそうに見えた。
「楽しいわよ、毎日。でも、宇野くんが出所したらどうするのかなって心配はしてる。根に持つ人じゃなければいいんだけど。あのティアラがあるから、またさよりちゃんの前に現れるかもしれないわね」
淡々と話す私の顔を、店の男性は表情一つ変える事なく見ている。
本当に、不思議な男。
「では、いつかまた……」
店の男性が、指を揃えた右手を扉の方へ向けた次の瞬間、私は元の墓地にいた。
「甘い……」
口の中に、先ほど飲んだ紅茶の香りが残っている。
まだ少しだけ水が入っているバケツと、雑草が入った透明のゴミ袋を両手に持ち、立ち上がる。
さてと。今日はどんなお土産を持っていこうかな。
これからの予定を考えながら、私は佐伯さんの墓石を後にした。
その後ろ姿を店の男性が見つめていた。
「今回のお客様、佐伯様の願いは『命を落としてでも、恋人に自分という存在を刻み付けたい』でございました」
店の男性は一人、続ける。
「縁には良縁と悪縁がございます。人生というものは、良縁ばかりに恵まれる訳ではございません。裁ち切れない悪縁をどう活かすかも本人次第。大坪様にもいつかきっと、良縁が訪れる事でしょう。……むしろ心強いのではないでしょうか?何しろ、あのティアラが身近にあるのですから」
私は、背後に店の男性と佐伯さんの気配を感じていたが、振り返らずにそのまま歩き続けた。
コメント
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沙里央さん、第5話読み終わりました……。めちゃくちゃ重くて、心臓がギュッてなりました。 大坪さんが一方的に悪者にされて、左遷されて、唯一の味方だった佐伯さんまで亡くなっちゃうところ、本当に苦しかったです。でも最後に智久に「バカ!」って叫んだシーンとか、弟の嫁がまさかの小鰭さんで、しかもティアラが呪いみたいに彼女を縛ってるオチ……鳥肌立ちました。 「縁」って良いものだけじゃないんだなって。でも、大坪さんはちゃんと自分の人生を歩き続けてるのが、すごく強くてかっこよかったです。ラストの「今日はどんなお土産を持っていこうかな」の一文に、全部救われた気がしました。 沙里央さんの暗い中にも希望を残す書き方、本当に好きです。続き、ゆっくり楽しみに待ってますね🌙
はじめアキラ
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柘榴とAI

215
swingout777
1,157
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