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宇宙展の打ち合わせで顔を合わせても、春日野さんと言葉を交わすことはなかった。仕事以外では。
悪態をつかれるのは気が滅入ったが、無視されるのは不気味。
そう感じたのは、私だけではなかった。
「急に大人しくされると、気持ち悪いわね」
打ち合わせから帰る途中でランチしようと、ピッツァのお店に入った。
クアトロフォルマッジとディアボラ、イタリアンサラダ、アイスコーヒーとアイスティーを注文した。
「何かあった?」
私は真由に話した。雄大さんのご両親が私との結婚を反対していて、春日野さんとの結婚を願っていること。捨て身でぶつかってきた春日野さんのこと。春日野さんに気持ちを乱されている雄大さんのこと。
「なるほどね。それで、あの態度か」
真由がクアトロフォルマッジに蜂蜜をかけた。私はサラダを取り分ける。
「強敵かもね」
「どうしてそう思うの?」
「あの手の女は、プライドを捨てたら怖いわよ。冗談抜きで、形振り構わずに部長に迫るでしょうね」
私はクアトロフォルマッジを頬張った。
チーズのしょっぱさと蜂蜜の甘さがクセになる。
「たとえ真っ裸で抱きつかれても部長が手を出すとは思えないけど、突き放すことも出来なそう」
同感。
事実、雄大さんは春日野さんからのメッセを無視できずにいる。表情を変えないようにしているのだろうけれど、わかりやすく憂鬱そうにため息をつく。
「私は……どうしたらいい?」
「どうって?」
「わかんない……」
本当はわかっている。
私に出来ることなんてない。
「部長は何て言ってるの?」
「何も」
「何も?」
「私が何も言わないから、雄大さんも何も言わない」
春日野さんかららしいメッセが届いても、私は気づかない振りをしている。雄大さんの申し訳なさそうな顔を見たくない。
「いっそのこと、拗ねて見せた方がいいのかもよ?」
「……?」
「突き放せない部長に非がないわけじゃないけど、馨はそれを責める気はないんでしょう? なら、部長がツラそうな時は、それを共有してあげたら?」
共有……。
「嫌味の一つでも言ってさ、拗ねて甘えてみたら? 二人で別々に深刻に考えてたって、息が詰まるでしょ? なら、一緒に深刻に考えたら?」
一緒に……か。
「てか、深刻なのは変わらないんだ?」
「深刻になるなって言って出来るなら、私に相談しないでしょ?」と言って、真由がサラダを頬張る。
これだから、真由には敵わない。
「馨、高津さんとのことは相談してくれなかったよね?」
「え?」
「付き合ってる間も愚痴なんて言わなかったし、結婚を決めた時も別れることになった時も事後報告だった」
真由がアイスコーヒーをすすった。
「愚痴がないくらい順調なのはいいことだし、結婚することも別れることも他人が口出しできることじゃないから仕方ないのかもしれないけど、ちょっと寂しかったのよ。あの頃は私の方が馨に色々聞いてもらってたから、言いにくかったのかもしれないけど」
私が昊輝と結婚を決めた頃、真由は不倫で悩んでいた。相手は仕事で知り合った十歳年上の男性。そして、私が昊輝と別れた直後に、真由も別れた。
その後、真由に恋人はいない。
私と昊輝が別れたことが影響を与えてしまったのかもしれないけれど、真由にとっては本気の恋だったんだと思う。
「高津さんと別れた後も仕事に打ち込んで、私の前では泣いたりしなかったよね」
「真由……」
「だから、部長のことで怒ったり悩んだりしてるの聞くと、ちょっと嬉しかったりするのよ」
確かに、昊輝と付き合っていた頃は怒ったり悩んだり、しなかった。真由に愚痴るような不満もなかった。なのに、雄大さんとの関係が始まってから、真由には心配かけっぱなしだ。
「昊輝さんとの穏やかな愛情が悪かったわけじゃないけど、今みたいに部長のことで一喜一憂する恋愛も楽しくない?」
恋愛が楽しい……。
「私は部長のそばにいる今の馨、好きよ」
真由はいつも、私の欲しい言葉をくれる。私自身も望んでいると気づけない、言葉。
『好きよ』
誰かに愛されているというのは、それだけで幸せ。
顔を上げようと、思える。
「……ありがとう」
私は一人じゃない。
今度は雄大さんとこのピッツァを食べたいと思った。
*****
「春日野さんから?」
スマホを見てため息をつく雄大さんに、言った。
春日野さんと会った日から、雄大さんはビールではなくてウイスキーを飲む。
強いお酒で気を紛らそうとしているのだと思う。
「付き合ってる時には、こんな風に毎日連絡を取り合ったりしなかったのにな」と言って、雄大さんはスマホを置いた。
「会いたい、って?」
「ああ……」
「行くの?」
「行かないよ」
春日野さんと会ってから三日。
雄大さんは私を抱かない。
ウイスキーを飲んで、ベッドに入ると五分もしないで寝息を立てていた。
そうしたくてウイスキーを飲んでいるのか、ウイスキーを飲んだせいでそうなっているのかは、わからない。
多分、勝手な感情で避妊せずに私を抱いたことを悔いているのだろう。
いつも傲慢で強引で自信家の雄大さんらしくない。
私は雄大さんの隣に座ると、彼の手からグラスを奪った。一口、飲む。苦い。キツいアルコールが喉を焼く。
「春日野さんは……雄大さんと結婚したら幸せになれるのかな」
「さあな」
「雄大さんは……?」
私の愚問には答えず、雄大さんはグラスを奪い返すと、飲み干した。
「明日の朝、早いんでしょう?」
「ああ」
雄大さんは明日から十日の予定で、出張に行く。京都に五日、熊本に三日、愛知に二日。
「京美人と浮気しないでね?」
「……どうした?」
雄大さんが不思議そうに私を見た。
「何が?」
「いや……。お前がそんなこと言うの、初めてだろ」
「そうだっけ?」
言い慣れない言葉に恥ずかしくなり顔をそむけた私の肩に腕を回し、雄大さんが顔を覗き込む。
「なんか、くすぐったいな」
目を細めて、口角を上げた雄大さんの顔がほんのり赤いのは、ウイスキーのせいか、照れているからか。
「お前こそ、寂しいからって浮気するなよ? 平内が一緒だから大丈夫だとは思うけど」
雄大さんの出張中、私も北海道への出張が入っている。真由と一緒に。週末から現地入りして、観光する予定。
「それから、黛を近づけさせるなよ」
雄大さんが真顔になる。本気で私を心配してくれているのがわかる。
「大丈夫だよ。出張重なってるし」
黛は今日から出張。帰って来る頃、私が出張。
「それでも、用心するに越したことはないからな」
部長の部屋で黛に詰め寄られてから、雄大さんは毎日のように言う。社内でも、黛のスケジュールを把握して、私と顔を合わせることがないように注意してくれている。
『職権乱用だ』と言ったら、『権利ってのは使うためにあるんだ』と悪びれもせずに言った。
「つーわけで、こっちも用心しとくか」
真剣な表情が一変し、いたずらっ子のようにニッと笑うと、私のパジャマのボタンを外しにかかる。
「何の用心?」
「浮気の用心」と言って、胸に歯を立てる。
「いった!」
キスマークをつけられると思いきや、噛みつかれた。
「キスマークじゃすぐに消えちまうからな」
「だからって噛みつく?」
「じゃ、痛くしたお詫びに気持ち良くしてやろう」と言って、今度は胸の先端を口にふくんだ。
「エロおやじ」
「そのエロおやじに気持ち良くされてるのは誰だよ?」
雄大さんはパジャマのズボンとショーツを一度に下ろして、脚から抜いた。足の間に顔を埋める。息がかかるだけで、その先を想像してしまう。
「誰にも見せんなよ?」
生温かい粘つく感触に、身体が反る。
「誰にも舐めさせんなよ」
「何……言って——」
「一晩で十日分も出来っかな」
今夜は寝かせてもらえないと、覚悟した。
違う。
今夜は寝かせたくないと、思った。
私が寝かせないと、決めた。