動画の再生回数は、日に日に伸びていた。コメント欄も、投稿のたびに賑わいを増していく。
田島はスマホを見つめながら、ふと考えた。
──まどかって、もしかして有名人だったのか?
「演技うますぎ」「この子、どこかで見たような……」「声、聞いたことある気がする」
そんなコメントが増えてきた。
まどか自身は、特に反応を示さない。
ただ、コメント欄を眺めるときの目が、少しだけ遠くを見ているようだった。
ある日、「ゾンビが歌ってみた動画、見たいです!」というリクエストが届いた。
田島はまどかに相談した。
「歌ってみる?流行りの曲とか、軽いやつでいいから」
まどかは少し考えてから、うなずいた。
「うん。歌えるかどうか、試してみたい」
最初の「歌ってみた」動画では、まどかが流行りのバラードを口ずさんだ。
声は不安定だったが、どこか芯があった。
コメント欄には、「声が綺麗」「切なさが伝わる」「ゾンビなのに感情あるのすごい」といった反応が並んだ。
視聴者がまどかのことを“ゾンビ”という設定で自然に受け入れている様子は、田島にとって嬉しくもあり、どこか可笑しくもあった。
まどか自身も、そう呼ばれることに特に否定的ではなく、むしろその言葉に少しだけ安心しているように見えた。
これだけの盛り上がりを見せても、不思議とまどかが誰であるか、その正体に言及しようとする人はいなかった。
視聴者は“ゾンビ”という設定を楽しみ、まどかの存在を物語の一部として受け入れていた。
誰もが、まどかの過去よりも、今のチャンネルを純粋に楽しんでいた。
──でも、あるコメントから、それが一変した。
「この曲、歌ってほしい」
それだけの短い文面。添えられていたのは、ある現役アイドルグループの楽曲名だった。
田島はそのコメントを見て、胸の奥がざわついた。車の中でラジオから流れていた、あのグループ“UNDONE”の曲だ。
──何かを探ろうとしている。
そう感じた。
そのコメントには、他のリクエストとは違う“空気”がまとわりついていた。
冷たく、無機質で、目的だけが浮き彫りになっているような。
その違和感は、すぐに確信へと変わった。
田島はアカウント名を確認した。
──見覚えがある。
「ゾンビとして生き返ったんだ?」
そう書き込んだ、あのコメントと同じアカウントだった。
田島はスマホを握りしめた。
偶然とは思えなかった。
あの時も、今回も──まどかの“存在”に対して、何かを確かめようとしているような言葉だった。
「まどか、この曲をリクエストした人、前にもコメントしてた」
「どんなコメント?」
「“ゾンビとして生き返ったんだ?”って」
まどかは少しだけ目を伏せた。
「……覚えてる。なんか、冷たい感じだった」
田島はそのアカウントをタップして、チャンネルページを開いた。
登録者数はゼロ。動画の投稿もなく、再生リストも空白だった。
公開されている情報はほとんどなく、まるでこのチャンネルのためだけに作られたようだった。
まどかの“声”を通じて、確信を得ようとしている。
ひとつひとつ、確実に。
まるで、音の奥に潜む“真実”を、冷静に、着実に引きずり出そうとしているようだった。
田島はスマホを握り直した。
その手のひらに、微かな汗が滲んでいた。
でも──ゾンビちゃんねるの目的を忘れて、ただ純粋に楽しんでいた俺たちに、これは本来の目的を思い出させる結果となった。
まどかのことを、誰かに知ってもらうために。
見つけてもらうために。
そのために始めたはずだった。
ただ、それは危険と隣り合わせでもあった。
まどかの“過去”に触れるということは、誰かの“現在”を揺るがすことでもある。
そのことを、田島はようやく実感し始めていた。
その夜、田島はUNDONEのことを調べてみた。
検索結果には、華やかなステージ映像やファンの熱狂が並んでいた。
まどかの名前は、すぐには見つからなかった。
──仮にこのグループの一員だったとしても、「まどか」は芸名ではなく、本名だったのかもしれない。
そもそも“まどか”という名前も、まどか自身が言い出したものだ。
記憶の断片から拾い上げただけで、全くの他人の名前の可能性だってある。
そう思うと、検索に引っかからないのも当然だった。
しかも、UNDONEのメンバーの本名は、どれもネット上に“流出”していなかった。
ファンの間でも、個人情報の特定はされておらず、プロフィール欄には芸名と生年月日、出身地だけが記されていた。
まどかの“過去”は、まだ表に出てこない場所に眠っているようだった。
グループの背景や過去のニュースを調べ終えた田島は、改めてリクエストされたMVを探し、再生ボタンを押した。
彼女は無言で画面を見つめていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「この曲、知ってる。歌ったことある。……たぶん」
田島は息を呑んだ。
──そう言えば、車の中でもこのグループの曲を口ずさんでいた。
単にヒット曲を覚えている──そんな単純なものではないと、今なら分かる。
曲に合わせて、微かに体が動いていた。
それは、振り付けを思い出すような、無意識の動きだった。
やはり、無関係ではない。このアイドルグループと。
田島は焦っていた。
腐敗の進行は以前より遅くなっている。
それでも、まどかの状態は明らかに良くない。
肌の色は日に日に変わり、関節の動きも鈍くなってきている。
──もしかしたら、人肉を食ってないからかもしれない。
田島は自分の腕をじっと見つめる。
「・・・さすがにそういうわけにはいかないよな」
記憶が戻る兆しが見えてきた今、時間との戦いが始まっていた。