コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「それで。三田課長と桐島ちゃんの馴れ初めについて、みんな聞きたくない? 聞きたいよねー!」
おー、と周りのみんなから声があがる。
翌日の飲み会にはなんと五十人ばかりが集まった。この場を仕切るのは中野さんだ。わたしは輪の中央に、課長と並んで座らされ、まるで結婚式の花嫁状態だ。
――結婚。
あまい響きに胸がときめく。
昨日は、日付が変わるまで求めあい、ろくに話も出来ず、一緒に出社した。プライベートと仕事を切り分けると言っている割りには、課長はオープンなひとで。わたしとの交際を隠す気配がない。ひょっとしたらわたし、すごく、恵まれているのかもしれない。
狙ったわけではないが、真っ白なシャツワンピースを着てきた。アイロンがけが大変だけど、気に入って買ったものだ。中野さんの計らいで、アップにされた髪に、花を飾られて。
「じゃあ、莉子。頼むな」
「えっ」
隣に座る課長は目のくらむような美しさだ。彼はわたしにだけ聞こえるような声で、
「……おれから話すよりも、きみから話したほうがみんな喜ぶよな」
「ですかね」
「そうだ。おれは、……おれとの関係をきみがどんなふうに話すのかを、聞いてみたい」
出社前、実は電車のなかで手を繋いでいた。新婚夫婦ってこんな感じなのかな、とあまい予感に酔いしれて。
わたしの前では、こちらがほうっと見惚れるような笑みを見せる課長は、
「じゃあ、よろしく」
「――分かりました」
頭のなかで情報を整理する。プレゼンに臨むときのような緊張に包まれる。すると、テーブルの下の手にぬくもりが伝わった。……課長、ふるえている。
『緊張するとおれ震えるんだ』
課長だって人間だもの。緊張することだってあるよね。その課長の緊張が伝わり、わたしはかえって安心出来たのだった。
わたしはじっくりと皆の顔を眺めまわし、
「課長はわたしにとってたったひとりの、大切で、最愛のひとです……」
* * *
ひとを信じられなくなることがあって。
表面上は普通にしていても、本当は裏でなにを思っているのか、分からなくなる……疑いが拭えない時期があって。苦しんでいました。
きっかけは……金曜の夜、わたしが残業をしていると、課長に声をかけられて、そこから瞬く間に発展して。
課長は、わたしが不安に思っていることとか、ひとつひとつ、丁寧に取り除いてくれて……。
こんなにこころを許せることってあるんだな、って思って。
わたしのなにもかもを喜んで受け入れてくれる課長の愛に触れて、その……。
価値観ががらりと変わりました。いままでモノクロだった風景が、急速に色づいて見えるような、そんな感覚で……。
こんなにひとを好きになるのは初めてで。自分の気持ちの重たさにめげちゃいそうになるときは、いつも……課長が気づいてくれて。
わたし、課長が、大好きです。
早めにみんなに打ち明けるよう提案したのも課長です。きっと、秘密を隠し続けることでわたしに精神的負担がかかる、それを前もって阻んでくれたのだと思います。
課長と出会えて、本当に幸せです。……ひとを好きになるって感情を教えてくれた課長に感謝しています……。
職場ではあくまで上司と部下という関係ですので。皆さんになるだけ迷惑のかからぬよう、頑張って参りますので、どうか、今後ともご指導ご鞭撻のほどを、よろしくお願い致します……。
* * *
「おれの言う台詞がなくなるじゃないか」顔を背け、眼鏡を外し、目元を拭ったかに見えた課長は、前に向き直り、「おれからもよろしくお願い致します」
「三田課長、いま……泣いていましたよね」
口をあんぐりと開けているのは中野さんだ。課長に向けて指をさしたまま、
「え……なに。なになに。なにその裏設定。……三田課長、もしかして、泣き上戸だったりします……?」
周囲がざわつく。まさか、あの、鉄面皮。サイボーグな課長が、裏ではこんなにもエモーショナルな顔を持つだなんて、誰も予測しなかったのだろう。
「泣いてない」といまだ目を赤くした課長は言い切り、「他に質問は?」
「アッチの相性は最高だったりする?」
声の主は、道中さんだ。金曜日、残業をわたしに頼んだ張本人。キューピッドとも言えようが、彼は酒が入っているらしく、顔を赤くしている。
タメ口を使う辺り、わたしに向けた質問だということは明らかだ。場が、静まる。どう言えばいいのか。わたしが思考を走らせていると、
「――ご想像にお任せするが」
彼はぐっとわたしを抱き寄せ、頬に口づけると、
「いままでに感じたことのない幸せを感じているよ。――きみたちにも分けてやりたいくらいさ」
* * *
「課長ったらもう……」
みんなと別れ、駅に向かい、揃ってわたしのアパートに向かう。用意のいい課長は、明日の分の仕事着も持ってきたらしい。こうして、月夜の下で、手を繋ぎ、並んで歩く、帰り道。課長の肌は湿っていてあたたかくて気持ちがいい。
以降は、課長の独壇場だった。勿論、わたしに対する質問はわたしが答えたが、ちょっと答えにくい質問は課長が上手に交わす。課長の有能ぶりを見せつけられたかたちだ。
「少し、喋りすぎたかな」こき、と課長は肩を鳴らし、「おれに対する印象がバージョンアップされたように思うが。――まあ、こんなのもいいか。悪くない。
仕事には決して情を持ち込まないよう努力していたが――もう少し力を抜いていいのかもしれない。きみや――みんなの力を借りながら」
なんのことはない。課長もわたしも、同じように、煩悶の海で、あがいていたのだ。誰かに理解され――誰かと分かり合うために。
「必要以上に力が入ってたのも同じだということか」都会に特有の明るい夜空を見上げた課長は、「おれも、きみも、同じ……。みんなみんな、同じなんだな」
「わたし――わたしのなかで答えが見えた気がします」
と、わたしは課長の手を握り返し、
「みんな平等で。立場とか性別とかバックグラウンドの差はあれど、同じ人間なんだから……。時には分かり合うことは難しいかもしれませんが、それでも、手の届く範囲で大切な世界を守り抜く。それが、『生きる』ってことなんだと――思います」
「悩みは抜けたか? 昨日とは顔つきが違う」
わたしの顔を見てふっ、と笑う課長は、
「きみは――強くなった」
父親のように、愛おしい眼差しで目を細める。わたしの髪に触れると、
「頼りないと思うところもあったのに。自分でちゃんと答えを見出す――ますますきみのことが好きになったよ莉子。悩みがちなところも、自分ひとりで背負いがちなところも、――そこも含めて好きなんだ。
けど、おれはきみの味方だから――この先どんなことがあっても、おれはきみの味方だから。
迷ったときには、おれという存在がいることを、思い出して欲しい……。
おれは、たったひとり、誰よりも深くきみを愛する人間のひとりなのだから――」
「遼一、さん……」
ちょうどマンションのドアの前に辿り着いた。人目をはばからず唇を重ねる。幸せで官能的なキスは、ちょっぴり、塩辛い味がしてしまった。
*