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◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・深夜】
夜が深くなるほど、体育館の空気は静かになる――はずだった。
けれど今夜は違う。
毛布にくるまっていた女子生徒のひとりが、急にしゃくり上げた。
最初は小さな音だったのに、こらえきれなくなったみたいに、声が大きくなる。
「やだ……帰りたい……お母さんに会いたい……」
その声に引っぱられるように、別の場所でも泣き声が上がる。
我慢していた子たちの不安が、一気に表に出た。
先生たちが慌てて動く。
「大丈夫、大丈夫だから」
「水持ってきて」
「こっち、少しスペース空けて!」
教頭も担任たちも必死だ。
でも、何をどう説明すればいいのか分からない顔をしている。
それでも、生徒の前では崩れないように踏ん張っていた。
体育館の入口近くでは、窓の外の警戒灯みたいな魔術光が、時々白く揺れる。
外で兵士や術師が動いている証拠だ。
それが逆に、生徒たちの好奇心と恐怖を刺激していた。
「外の人たち、何者なの……?」
「映画じゃないよね、これ……」
「さっき剣持ってたよな……」
ハレルは体育館の壁際から、その様子を見ていた。
サキが隣で小さく言う。
「……もう、限界かも」
「うん」
“隠しておく”ことで守れる段階は、もう過ぎている。
そう思わせる夜だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/職員室前・廊下】
廊下の灯りは弱い。
非常灯代わりに置かれた魔術灯が、白い床に淡くにじんでいる。
職員室前には、アデル、リオ、ヴェルニ、それからハレルとサキが集まっていた。
セラは姿を薄く保てないのか、今は声だけだ。
耳の奥とスマホのスピーカー、その両方にかすかに触れる。
ヴェルニが腕を組んで、低く言う。
「体育館の空気、やばいな。戦う前の空気じゃなくて、折れる前の空気だ」
「分かってる」
アデルは短く返した。
「でも、何をどこまで話すかを間違えると、今度は別の形で崩れる」
リオはマスクの奥で息を吐く。
視線は体育館のほうへ向いたままだ。
ハレルは迷ったあと、はっきり言った。
「もう隠しておく意味、ないと思う」
みんなの視線が集まる。
ハレルは言葉を選びながら、でも止めずに続けた。
「異世界のこと。ゲームアプリのこと。クロスゲートテクノロジーのこと。
俺たちが前から巻き込まれてたこと。
……リオのことも」
サキが、兄の横で小さく頷く。
「先生たちも、生徒も、何も分からないまま我慢してる。
分からないから、余計に怖くなってる」
リオの肩がわずかに動いた。
“涼”として知られる可能性の話だ。
ずっと避けてきた部分でもある。
「……俺の顔、見せたら混乱するのは分かってる」
リオは低く言う。
「でも、今のままでも混乱してる」
ヴェルニがちらっとリオを見る。
からかう感じではなく、珍しく真面目な顔だった。
「隠し札ってのは、使う前に場が壊れたら意味ねえしな」
アデルは剣の柄から手を離し、ハレルを見た。
「全部を一度に言うのは危険」
その上で、少し間を置いて続ける。
「でも、“何も言わない”のも、もう危険」
サキのスマホに、白い線みたいな通知が走る。
セラの声が入る。
《……ハレルの判断は、間違っていません》
《ただし、順番が必要です》
「順番?」
ハレルが問う。
《最初に話すのは“今どうすれば助かるか”です》
《次に“ここがどこか”》
《最後に、“なぜあなたたちが知っているのか”》
セラの声は静かだった。
でも、橋渡し役の言葉だった。
《真実は、人を救うこともあります》
《でも、投げ方を間違えると、人を動けなくします》
ハレルは唇を噛む。
分かる。
分かるけど、しんどい。
「……俺たちのことを話したら、先生に怒られるかもしれない」
「そりゃ怒られるだろ」
ヴェルニが即答した。
「今まで黙ってたんだからな」
サキが思わず少し笑いそうになって、でもすぐ顔を戻す。
こんな状況で、少しだけ空気が緩んだ。
アデルが結論を出すように言った。
「まずは先生たちの中枢だけに話す」
「教頭、担任、保健の先生、各学年で落ち着いて動ける人を選ぶ」
「生徒全員への説明は、そのあと。言葉をそろえてから」
リオが頷く。
「その時は、俺も出る」
ハレルがリオを見る。
リオはマスクに手をかけはしない。
でも、逃げない顔をしていた。
「涼のこと、どこまで言うかは相談させてくれ」
「でも、もう“知らない兵士”のままは無理だ」
ハレルは、やっと息を吐いた。
「……分かった」
そして、アデルとリオ、サキ、見えないセラの気配を順に見て言う。
「先生たちに話そう。今夜のうちに」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/解析室】
ノノ=シュタインは、術式盤の上に散った光点を睨んでいた。
机の端では、増員された分析員が記録結晶を整理している。
イヤーカフ越しの回線に、学園側の相談内容が断片的に流れてきていた。
『……話すなら、先に行動の指示を』
『……順番、大事……』
ノノは小さく呟く。
「うん、それがいい」
隣の分析員が振り向く。
「ノノ隊長、学園周辺の“穴”の残留値、更新できました」
ノノはすぐ画面を覗き込む。
「ありがと。これ、アデルに回して」
「強制退出のあとに残る膜の削れ、やっぱり自然には閉じない」
別の分析員が不安そうに言う。
「ダミエ隊長が塞ぎに回ってる場所、増えてます」
ノノの顔が曇る。
「……足りない」
それでも、声は止めない。
「学園側には“穴を増やしすぎない”って伝える」
「スマホの充電も削れるし、今後の逃げ道にも関わる」
ノノは一瞬だけ目を閉じ、すぐに開く。
「情報、整理する。朝までに説明用の簡易版つくる」
「中学生でも分かる言い方で」
それは自分自身への確認でもあった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・都内/駅前跡地・規制線外】
木崎は、人の流れから半歩外れた場所でカメラを構えていた。
駅前だったはずの場所には、巨大な木が立っている。
駅ビルのガラス壁があった高さに、今は崖みたいな岩肌が走っている。
赤色灯、拡声器の声、泣き声、靴音。
現実の街の音に、異物みたいな風の音が混ざる。
その中を、黒い“OL”が歩いていた。
スーツ姿の輪郭。
でも表面は煤みたいにざらつき、肩や髪の端から細かな文字列がこぼれている。
顔は“人の顔をしているつもり”なのに、目の置き方が少しだけずれて見える。
ふらふら歩きながら、近くの避難誘導員に向かって、
やけに普通の声で言った。
「今日、寒くないですか?」
次の瞬間、同じ口で、別の声が混ざる。
「たすけて」
「寒くないですか」
「やめて」
「終電、もうないですよね」
聞いた人間が凍る。
意味の通る世間話と、壊れた救難が交互に出る。
「下がって! 近づくな!」
警官が叫ぶ。
別の警官がテイザー銃を構え、震える手で狙いをつける。
木崎はシャッターを切った。
連写。
黒い影の表面に走る文字列が、写真の中でだけ少し濃く見える気がした。
その場でスマホを取り出し、城ヶ峰へ画像を送る。
短くメッセージも添える。
――「駅前跡地。OL型。会話と救難が混線。人に近づこうとする」
送信後、木崎は小さく歯を食いしばる。
(ハレルたち、向こうでこれ以上のもん見てんのか)
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地周辺/臨時指揮車両内】
車内のモニターに、木崎からの画像が表示された。
城ヶ峰は無言で見つめ、日下部はノートパソコンの画面を操作している。
日下部の地図ソフトには、周辺の黒い影反応と、転移地点の歪みが点で並んでいた。
点は増えている。ゆっくりじゃない。
「……広がってる」
日下部が掠れた声で言う。
「局所じゃない。もう“現象”じゃなくて、運用されてる」
城ヶ峰が眉を寄せる。
「運用、か」
日下部は頷く。
「誰かが意図して流してる。試してる」
その言葉のあと、少しだけ息を詰める。
「学園だけじゃない」
城ヶ峰は木崎への返信を打ちながら言った。
「分かってる」
それから、日下部の画面を見る。
「そっちの地図、更新を続けろ。避難線の組み替えに使う」
一拍置いて、低く付け足す。
「……隠せる段階は、もう過ぎたかもしれんな」
車外では、サイレンがまた鳴った。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/職員室】
職員室には、最低限の先生だけが集められていた。
教頭、担任数名、保健室の先生、体育教師、学年主任。
全員疲れている。
でも目は起きている。
生徒を預かる顔だ。
アデルは入口側に立ち、リオは少し後ろ、ハレルとサキは先生たちの前に立った。
ヴェルニは窓際で警戒しながら、黙って聞いている。
セラの姿はない。声だけが、ハレルたちの側にある。
教頭が先に口を開く。
「……雲賀くん。話があるんだな」
「はい」
ハレルは喉を鳴らす。
怖い。
でも、ここで逃げたら、もう次はない。
「これから話すこと、信じにくいと思います」
「でも、今の状況を考えると、もう隠しておく方が危ないです」
サキが隣に立つ。
震えているのに、目は前を向いている。
リオはマスクの奥で静かに息を吸った。
体育館の遠い泣き声が、かすかにここまで届く。
夜はまだ終わらない。
でも、この夜の中で、隠していたものをひとつずつ言葉にするしかない。
ハレルは、先生たちをまっすぐ見て言った。
「……まず、ここはもう“日本の学校の中”だけじゃありません」