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【異世界・転移した学園/職員室】
職員室の蛍光灯は点いていない。
代わりに、窓の外から入る森の暗い緑と、
廊下に置かれた魔術灯の淡い光が机の角を照らしていた。
教頭、担任、学年主任、保健の先生、体育教師。
皆、顔色が薄い。けれど目は起きている。生徒を預かった大人の目だ。
その前に、ハレルは立った。
隣にサキ。背後にアデル。
少し離れてリオ――マスクのまま、壁際に寄っている。
ヴェルニは窓際で腕を組み、
外の警戒の気配を残しながら聞く姿勢だけは崩さない。
ハレルは、息を吸った。
言葉にした瞬間、戻れない。
でも、もう戻る場所がない。
「……最初に、“今どうすれば助かるか”から言います」
先生たちの視線が集まる。
体育教師がごくりと喉を鳴らした。
「外は危険です。森には、獣が出ます。黒い影みたいなものも出ます」
「だから――勝手に外に出ない。窓を開けない。
入口に人を集中させない。これだけは徹底してください」
教頭が頷く。すでに同じ判断に辿り着いている顔だ。
「……それは、分かった。問題は……ここがどこなのか、だ」
ハレルは短く頷き返す。
「ここは、現実じゃないです」
言い切った瞬間、職員室の空気が一拍止まる。
誰も否定できない。窓の外の森が、否定を許さない。
「“異世界”です」
「王都イルダっていう街がある世界。
……俺が言っても信じにくいと思います。でも、そこに行ったことがある」
先生の一人が掠れた声で言った。
「君が……? どうして……」
ハレルはすぐには答えない。
順番だ。
「原因は、スマホのアプリ……“クロスワールド”です」
「もともとはゲームとして広まった。でも、裏で危険な実験に使われてた」
教頭の眉が寄る。
「実験……?」
「会社が関わってます。クロスゲート・テクノロジーズ」
その名前を出しただけで、何人かの先生の表情が変わる。
ニュースで見たことがある。噂で聞いたことがある。
“ゲーム企業”という顔の裏を、うっすら嗅いだことがある。
「俺は、その件で……巻き込まれてきた」
ハレルは言い切り、胸元を押さえた。
ネックレス。主鍵。
だがここで「観測鍵」と言い切るほど、まだ先生たちの頭の棚が追いついていない。
「この首のものは、俺が“境界”っていうものに反応できる理由のひとつです」
「だから俺は、ここの状況が普通じゃないって、分かる。……分かってしまう」
サキが小さく言った。
「私も……巻き込まれてます。スマホに、変な地図アプリが入ってて……」
先生たちがざわつく。
保健の先生が震える声で問う。
「そのアプリで、助かるの?」
ハレルが先に答える。分かりやすく、短く。
「助かることもある」
「でも、代償がある。使うたびに“穴”が残る。スマホの充電も減る」
「だから、最後の手段です」
職員室に、重い沈黙が落ちた。
“助け”があるのに、簡単には使えない。
その現実が、いまの世界の形に似ている。
教頭が言った。
「……兵士の人たちは? 彼らは、君の味方なのか」
アデルが一歩前へ出た。
白い外套の裾が揺れる。
「私は王国警備局のアデル。ここを守るために来た」
声は端的で、揺れない。
先生たちの背骨になる種類の声だった。
「学園の中は、あなたたちが守る」
「外は、私たちが守る」
「ただし、敵が“人のふり”をして入ることがある。そこだけは覚えて」
先生の顔が青くなる。
体育教師が口を開ける。
「人のふり……? 生徒の……?」
「そう」
アデルは頷いた。
「だから、点呼は何度でも。
見知らぬ顔、見慣れない行動、少しでも変なら私たちへ」
教頭がゆっくり頷く。
そして――ずっと気にしていたことを、ようやく口にした。
「……君の後ろの彼は」
目線が、リオへ向く。
「顔を隠している。生徒の混乱を避けたいのか」
リオの肩が少しだけ上がる。
逃げたいわけじゃない。
ただ、言葉にするなら、今が一番“ややこしい”。
ハレルが一歩前へ出た。
「……ここからは、先生たちにだけ」
「生徒全員に言うかは、明日の様子を見て決めたい」
教頭が頷く。
「分かった。ここにいる者だけで止める」
ハレルはリオを見た。
リオはほんの少しだけ頷く。
「……彼は、俺の同級生です」
「現実側の人間。でも、いまはこっちの世界で戦ってる」
「名前は――
一ノ瀬涼」
職員室の誰かが、息を呑んだ。
先生なら名簿で聞いたことがある名前だ。
それでも、今ここで“鎧の兵士たちと一緒にいる”現実が結びつかない。
リオは低く言った。
「面倒なら、名前は広めなくていい。今は守るのが先です」
言い方はぶっきらぼう。
でも、逃げない声だった。
教頭が唇を噛んで頷く。
「……分かった。まずは今夜を越える」
ハレルは息を吐く。
言葉にした。
その瞬間、職員室の空気が少しだけ“動いた”。
恐怖は消えない。
でも、動ける形になる。
――その時。
窓の外で、風が鳴った。
森の闇が一段濃くなる。
ハレルの胸元で、主鍵が一度だけ熱を持った。
短い、合図みたいな鼓動。
(……まだ終わらない)
◆ ◆ ◆
【現実世界・臨時指揮車両/車内】
車内のモニターは、赤点で埋まり始めていた。
転移地点。黒い影の反応。薄い膜の揺れ。
日下部のノートパソコンの地図ソフトが、それらを“点”で並べている。
日下部は目を細め、地図を拡大しては戻し、指先で円を描いた。
何度も。確認するみたいに。
「……円だ」
城ヶ峰が顔だけ向ける。
「何が」
日下部は、喉の奥を鳴らして言った。
「転移地点が……学園跡地を中心にして、円形っぽく並んでます」
「きれいすぎる。偶然なら、もう少し歪む」
モニターに映る点は、確かに“輪”を作っている。
中心――学園跡地は空白だ。
そこが抜けているのが、余計に気持ち悪い。
城ヶ峰の目が細くなる。
「意図がある、ってことか」
「……あると思います」
日下部は唇を噛む。
「輪を作って、その内側だけ膜を薄くする。
それか……“座標を固定する枠”を作ってる」
城ヶ峰は一拍だけ黙って、資料の束に指を置いた。
クロスゲート関連の古い調査。
旧施設。データセンター。関係者リスト。
「クロスゲートも関わっている可能性が高いな」
「“事故”に見せるには、点の並びが綺麗すぎる」
日下部が頷く。
「……あの会社、地図みたいに世界を扱う癖がある」
自分で言って、少しだけ顔をしかめた。
(言葉が出るのも嫌だ)という顔だ。
その時、城ヶ峰のスマホが震えた。
着信表示。知らない番号――ではない。
“病棟”の内線番号が登録されている。
城ヶ峰がすぐに出る。
「城ヶ峰だ」
『……夜分にすみません』
若い男の声。落ち着いている。
落ち着こうとしている声だ。
「……佐伯蓮か」
城ヶ峰は一拍で判断した。
声の記録を聞いている。話し方の癖も、少しだけ把握している。
『はい』
佐伯の声は短い。
『……今、外が騒がしいのが分かります。
ニュースも、病棟の人の会話も。……俺たちも、何かしたい』
電話の向こうで、別の気配がした。
少しだけ早い呼吸。
誰かが隣でスマホを覗き込んでいる。
『村瀬です』
今度は女の声。丁寧で、でも強がりが混ざっている。
『怖いだけで終わるの、嫌なんです。
あの……私たち、助けてもらったので。恩返しがしたい』
城ヶ峰は、すぐ返事をしない。
感情で動く場面じゃない。
でも、切り捨てる声でもない。
「今は危険だ」
城ヶ峰は淡々と言った。
「外の状況は、普通の避難じゃ回らない。
君たちが動けば、守る手が増える。だが――守る側も限界だ」
『分かってます』
佐伯が短く言う。
『でも……俺たち、戻ったのに、まだ“引っ張られる”感じがある』
その一言で、日下部の手が止まった。
城ヶ峰の目も一瞬だけ鋭くなる。
“引っ張られる”。
それは、ただの比喩じゃない。
村瀬が続ける。
『私も……時々、白い廊下の感じがします』
声が一瞬揺れて、でも踏ん張って言い直す。
『夢じゃないやつ。……あれが、今の黒い影と関係あるなら、何か役に立てるかもしれない』
城ヶ峰は短く息を吐く。
「……分かった。今すぐ外に出るな。病棟から動くな」
「だが、こちらから聞き取りをする。状態が安定しているなら、情報は役に立つ」
『はい』
佐伯の返事は短い。
村瀬が小さく言う。
『ありがとうございます』
城ヶ峰が付け足す。
「一つだけ。無理をするな。恩返しは、死んだらできない」
『……分かってます』
佐伯の声が少しだけ柔らかくなる。
『生きて、返します』
通話が切れた。
車内の空気が、一段重くなる。
城ヶ峰はスマホを伏せ、日下部を見る。
「……輪の中心の空白が、ますます嫌になった」
「ええ」
日下部が小さく頷く。
「中心は……“学園”だけじゃない気がします。
“鍵”がいる場所が、中心になる」
城ヶ峰は視線を前へ固定した。
夜の道路。赤色灯。サイレン。
それでも人は動く。
「クロスゲートの残りを洗う」
「そして、この輪の意味を突き止める」
「……偶然ならいいが、偶然じゃないなら――止める対象がいる」
日下部が、地図ソフトの円を見つめた。
画面の輪が、まるで“狙い”みたいに見える。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/職員室】
説明が終わっても、先生たちはすぐには動けなかった。
怖さが消えたわけじゃない。
ただ、“怖さの形”が変わった。
教頭がハレルを見る。
「……明日の朝、生徒にはどこまで話す」
ハレルは一瞬だけ迷った。
でも答えは決まっている。
「最初は、行動の指示だけ」
「ここが異世界で、外は危険で、守ってくれる人がいること。
それを、先生たちの言葉で伝えてほしい」
アデルが頷く。
「それでいい。生徒は“理解”より“安心”が先」
リオはマスクの奥で小さく息を吐いた。
言葉にした分、次の責任が増える。
それでも、逃げない顔をしている。
職員室の外から、体育館の泣き声がまた聞こえた。
夜は、まだ長い。
――そして、学園のどこかで、行方不明の兵士はまだ見つかっていない。
それだけが、言葉にならない棘みたいに残っていた。