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#SCRATCHERS
K-Takasaka
49
25
#CREATIVE BASE
朝、目が覚めたときから、少し体が重かった。
いつもなら目覚ましが鳴る前に起き上がり、周囲の音や気配を確認する。だが、その日は布団の中でしばらく動けなかった。
体が熱い。
額に手を当てると、手のひらよりも額のほうが熱く感じられた。
「……少し寝不足なだけだろう」
俺はそう判断した。
昨日は、警察用バスに積んでいる音響設備と照明設備の点検をしていた。アオノが新しく作った配線装置の確認を手伝い、夜には機材の搬入予定を整理した。特別に激しい仕事をしたわけではない。
少し疲れただけだ。
俺はベッドから起き上がった。
その瞬間、視界がわずかに揺れた。
壁に手をつき、数秒待つ。揺れはすぐに収まった。
「問題ない」
誰に言うでもなく、そうつぶやいた。
着替えを済ませ、特別仕様のガラケーを腰につける。今日は防弾チョッキを着る予定はなかったが、念のため装備の状態だけ確認した。
共有スペースへ行くと、カキが大声で歌っていた。
「おはよう、Kさん! 今日も元気か!」
「普通だ」
「普通ってことは、ちょっと元気じゃないのか?」
「問題ない」
カキは近づいてきて、俺の顔をじっと見た。
「なんか赤くないか?」
「寝起きだからだ」
「声も変だぞ。いつもより低い」
「そうか?」
「重低音って感じだ! ライブで使えそうだな!」
カキは楽しそうに笑った。
マサカゲはテーブルで予定表を確認していた。アオノは小型の装置を分解している。ミステーはソファに座り、ピラミッドの被り物をかぶったまま、まったく動いていなかった。
「ミステーは起きているのか?」
「起きている」
「寝ているように見える」
「考えている」
「何を?」
「昼の照明」
「まだ何も始まっていない」
「だから考えている」
マサカゲが予定表から目を上げた。
「メバルはまだ寝ている」
「起こしてくる」
俺が言うと、カキが慌てて手を振った。
「やめたほうがいいぞ。俺、さっき起こしに行って投げ飛ばされたからな」
「何回だ?」
「二回……いや、三回」
「自分から転んだ分も含めているだろう」
マサカゲが冷静に言った。
「メバルを起こすのは、昼食の準備を始める時間になってからでいい」
時計を見ると、もうすぐ昼だった。
俺は台所の食材を確認した。簡単なスープと炒め物なら、すぐに作れる。
「俺が準備を始める」
「Kさん、一人で大丈夫か?」
アオノが聞いた。
「問題ない」
カキにも言われたが、アオノまで俺の顔を見ている。
「本当に?」
「大丈夫だ」
自分でも、少し言い方が強くなったのが分かった。
だが、体調に問題があるとは思えなかった。
熱があるような気はする。しかし、意識ははっきりしている。歩くこともできる。食事を作ることもできる。
それなら、休むほどではない。
俺はメバルを起こしに行った。
部屋の扉を叩く。
「メバル。昼食の準備を始める」
返事はない。
もう一度、叩く。
「メバル」
「……うるさい……」
扉の向こうから、眠そうな声が聞こえた。
「昼だ」
「まだ朝でしょ……」
「時計は十一時を示している」
「細かいことを言わないでよ……あと少し寝る……」
「カキが起こしに来るぞ」
「それは嫌」
扉が開いた。
メバルは寝癖のついた髪のまま、目を細めてこちらを見た。
「Kさん、顔が赤いわよ」
「カキにも言われた」
「熱があるんじゃないの?」
「問題ない」
「問題ない人は、壁に手をつかないのよ」
俺は自分が廊下の壁に手をついていることに気づいた。
いつからそうしていたのかは分からない。
メバルは俺の額に手を当てた。
「熱いじゃない」
「手が冷たいだけだろう」
「そういうことにして、無理をするつもり?」
「昼食を作る」
「熱があるのに?」
「少し熱いだけだ」
「少しじゃないと思うけど」
メバルはため息をつき、部屋へ戻ることなく台所へ向かった。
「私も手伝うわ。Kさん一人に任せたら、倒れるまで作業しそうなんだから」
「倒れない」
「そう言っている人ほど倒れるのよ」
台所へ行くと、カキが切った野菜がまな板の上に散らばっていた。大きさはそろっておらず、端のほうには切ったまま放置された玉ねぎがある。
「カキ、これは何だ?」
「野菜炒めだ!」
「途中だな」
「俺は準備担当だ!」
「切っただけでしょう」
メバルがカキを台所の外へ押し出した。
「危ないから出ていて。包丁を持ったまま調子に乗るんだから」
「俺は調子に乗ってないぞ!」
「乗っているわよ」
マサカゲが食材を確認し、アオノが冷蔵庫から肉を出す。ミステーは照明のスイッチの前に立った。
「ミステー、触るな」
「料理には照明が必要」
「天井の照明で十分だ」
「赤い光のほうが肉が焼けたように見える」
「見えるだけでは意味がない」
メバルがミステーの手を押し下げた。
「勝手に触らないで。設備を壊したら、アオノが直すことになるんだから」
「直せばいい」
「簡単に言わないで」
俺は鍋に水を入れ、コンロへ置いた。
だが、鍋を持つ手に力が入りにくい。
手のひらが妙に熱い。
体の内側から熱が広がり、首筋に汗が流れた。
「Kさん?」
メバルがこちらを見る。
「何だ」
「今、鍋じゃなくてボウルを持っていたわよ」
俺は手元を見た。
確かに、空のボウルを持っている。
「……間違えた」
「やっぱりおかしいじゃない」
「少し疲れているだけだ」
「疲れている人が、鍋とボウルを間違えるの?」
「昼食を作れば戻る」
「何が戻るのよ」
「体調が」
「意味が分からないわ」
俺はボウルを置き、鍋を持ち上げた。
その瞬間、手から力が抜けた。
鍋が傾く。
メバルがすぐに支えた。
「危ない!」
「すまない」
「謝っている場合じゃないでしょう!」
メバルは俺の額にもう一度手を当てた。
「やっぱり熱があるわ。かなり熱い」
「意識ははっきりしている」
「意識がはっきりしていても、体が動かなかったら駄目なの!」
俺は少しだけ考えた。
確かに、いつもより体が重い。
視界も、さきほどからわずかに揺れている。
だが、倒れるほどではない。
「まあ、大丈夫だろう」
メバルの顔が引きつった。
「その言葉を言う人が、一番大丈夫じゃないのよ」
その声を聞いた直後、視界が大きく傾いた。
音が遠くなる。
カキの声も、アオノの機械音も、マサカゲの指示も、すべて水の中から聞こえてくるようだった。
足元から力が消えた。
俺は何かにつかまろうとした。
手は空を切る。
前へ倒れた俺の肩が、メバルにぶつかった。
そのまま、俺はメバルへ寄りかかるように倒れ込んだ。
「きゃーっ、Kさんがー、って死んでる!? 誰か助けて〜!」
メバルの叫び声が聞こえた。
死んではいない。
そう伝えようとした。
だが、声が出なかった。
K-Tが台所で倒れたあと、家の中は一気に騒がしくなった。
メバルに寄りかかるように倒れたK-Tを、マサカゲとアオノが支える。カキは慌てて救急道具を探し、ミステーはその横で、なぜか照明のスイッチを確認していた。
「ミステー、今は照明なんてどうでもいいでしょう!」
メバルが怒鳴る。
「暗いと、Kさんの顔色が分からない」
「昼間なんだから分かるわよ!」
「でも、照明をつけたほうが病院らしい」
「病院へ行くの! ここで病院ごっこをするんじゃないの!」
マサカゲがK-Tの額に手を当てた。
「かなり熱い」
アオノも体温計を確認する。
「高熱です。意識はありますが、すぐに病院へ運んだほうがいいと思います」
K-Tは壁にもたれながら、かろうじて立っていた。
「歩ける」
「歩かせないわよ」
メバルが言った。
「さっき倒れたばかりなのに、また歩くつもり? 病人なんだから、おとなしくしていなさい」
「自分で車へ行ける」
「駄目」
「問題ない」
「その言葉は禁止!」
メバルがK-Tの腕をつかんだ。
しかし、K-Tは自分で歩こうとする。
一歩目は何とか踏み出せた。
二歩目で、足元がふらついた。
三歩目を出そうとしたところで、体が大きく傾く。
「ほら!」
メバルが支えた。
「だから言ったでしょう!」
K-Tは反論しようとしたが、視界が揺れて言葉が出てこない。
カキが不安そうに近づく。
「Kさん、本当に大丈夫か?」
「……大丈夫だ」
「今の間は絶対に大丈夫じゃないやつだぞ!」
「カキ、騒いでないで手伝って」
メバルが言った。
「Kさんを車まで運ぶわよ」
家の前には、K-Tのアルファードが停まっている。病院へ行くなら、それを使うしかない。
「四人で支える」
マサカゲが指示を出した。
「俺とアオノが肩側。ミステーとカキが足側。メバルは周囲を確認してくれ」
「分かった」
メバルはうなずいた。
「絶対にふざけないで。Kさんを落としたら、全員ただじゃ済まないんだから」
「了解!」
カキが返事をした。
だが、その返事が妙に明るかった。
K-Tは嫌な予感がした。
「カキ」
「何だ?」
「余計なことはするな」
「まだ何もしてないぞ」
「その顔は、何かする顔だ」
「大丈夫だって!」
四人がK-Tを持ち上げる。
マサカゲが右肩側、アオノが左肩側。ミステーとカキが足を支えた。
K-Tの体は、簡易担架に乗せられたように水平になった。
「この運び方、何かに似ているな」
アオノが言う。
「分かった!」
カキが急に声を上げた。
「棺桶ダンスだ!」
「やめろ」
K-Tが即座に言う。
「まだ何もしていない!」
「そう言いながら、もう足が動いている」
カキはK-Tの足を支えながら、曲に合わせるように左右へ体を揺らし始めていた。
「ちょっと、カキ!」
メバルが振り返る。
「何をしているのよ!」
「雰囲気作りだ!」
カキはスマートフォンを取り出し、軽快な音楽を流し始めた。
家の前に、明るく陽気な曲が響く。
K-Tは四人に担がれながら、顔だけを少し動かした。
「音楽を止めろ」
「病院へ行くんだから、気分を明るくしないとな!」
「必要ない」
「でも、こういうときは音楽があったほうが――」
「ないほうがいい!」
マサカゲが怒鳴った。
「カキ、揺らすな。K-Tが落ちる」
「落とさないって!」
「すでに体が傾いている」
アオノが言った。
カキが音楽に合わせて一歩踏み出したせいで、足側がずれた。K-Tの体が斜めになり、頭側が下がる。
「危ない!」
マサカゲが肩を引き上げた。
ミステーも足を支え直す。
「音楽に合わせると、運搬効率が上がると思った」
「上がっていない!」
アオノが叫ぶ。
「むしろ危険が増えている!」
K-Tは目を閉じた。
熱のせいか、車までの距離がいつもの倍以上に感じられる。
しかも、音楽がうるさい。
カキは楽しそうに曲を流し続けている。
「Kさん、笑ってくれよ!」
「笑えない」
「手を振るだけでもいいぞ!」
「手を動かせない」
「ノリが悪いなあ!」
その瞬間、メバルの足が止まった。
彼女は無言でカキを見た。
続いて、マサカゲ、アオノ、ミステーを見た。
「……全員、止まりなさい」
カキが音楽を流したまま答える。
「どうした?」
「音楽を止めて」
「今、ちょうど盛り上がって――」
「止めて」
メバルの声が低くなった。
カキは慌ててスマートフォンを操作する。
しかし、手が滑った。
音楽の音量が、さらに大きくなった。
家の前に、陽気な曲が大音量で響き渡る。
K-Tはメバルの表情を見た。
あれは、危険な状態だ。
「カキ、すぐに止めろ」
「分かってる! 今やってる!」
「もう遅いわよ」
メバルが言った。
K-Tを担いでいた四人は、何とかその場で止まった。
メバルはK-Tの前まで歩いてくる。
「Kさんを病院へ運ぶだけだったのに、どうして棺桶ダンスになるの?」
カキが小さな声で言った。
「棺桶じゃないぞ」
ミステーが訂正する。
「病人運搬ダンス」
「名前の問題じゃない!」
メバルの右手が握りしめられた。
「全員、動くな」
マサカゲが危険を察知した。
「カキ、逃げろ」
「えっ?」
「もう遅い」
ゴン!
メバルのげんこつが、カキの頭に落ちた。
「痛え!」
ゴン!
マサカゲの頭にも落ちる。
「なぜ俺まで!」
「止めなかったからよ!」
ゴン!
アオノの頭にも落ちる。
「私は完全に悪くない!」
「止められたでしょう!」
ゴン!
最後に、ミステーのピラミッドの上へげんこつが落ちた。
「硬い……」
メバルは手を押さえた。
「自分で硬くしているんでしょう!」
ミステーはピラミッドの上をさすった。
「もう一度、少し強く?」
「受けなくていいの!」
四人はそれぞれ頭を押さえ、K-Tを支えたまま固まっていた。
K-Tはメバルを見た。
「俺はどうすればいい?」
「そのまま」
「四人が動けない」
「なら、私が運ぶわ」
メバルはK-Tの前へ回った。
マサカゲが驚く。
「一人で?」
「ええ」
「無理だ」
「誰が無理ですって?」
メバルはK-Tの背中と膝裏に腕を回した。
K-Tは止めようとした。
「メバル、俺は自分で――」
「黙って」
次の瞬間、メバルはK-Tを一人で持ち上げた。
K-Tの体が、メバルの腕の中に浮く。
「……持ち上げたな」
「当たり前でしょう」
「だが、俺は軽くない」
「今は病人で、抵抗しないから持ち上げやすいだけよ」
「そういう問題ではない」
カキが頭を押さえたまま驚く。
「メバルちゃん、すげえ……」
「カキ、音楽を止めて」
「はい!」
今度はすぐに音楽が止まった。
メバルはK-Tを抱えたまま、アルファードへ向かった。
「ちょっと待て。普通に歩かせるか、担架を使ったほうが――」
マサカゲが言う。
「時間がないのよ」
メバルはそう言うと、アルファードの後部ドアを開けた。
そして、K-Tを一人で車内へ投げ飛ばした。
「……え?」
K-Tの体は、後部座席へ向かって勢いよく飛んだ。
どさっ、とシートに落ちる。
幸い、後部座席には毛布が敷かれていたため、大きな怪我はなかった。
しかし、衝撃はあった。
K-Tはシートに横たわったまま、天井を見つめた。
「メバル」
「何よ」
「投げ飛ばす必要はあったのか?」
「歩いて運ぶより早いでしょう」
「病人を車へ投げ入れる人間は初めて見た」
「何よ。ちゃんと毛布を敷いていたんだから、安全には配慮しているわ」
「安全の定義がおかしい」
カキが後部ドアから顔を出す。
「Kさん、痛くないか?」
「少し揺れた」
「大丈夫だな!」
「大丈夫ではない」
「でも、さっきより車に近い!」
マサカゲがカキを押しのけた。
「余計なことを言うな。K-Tの体を固定する」
アオノがシートベルトを確認し、ミステーが毛布をかける。
メバルは運転席へ向かった。
「病院まで行くわよ」
K-Tは後部座席から声をかける。
「メバル」
「今度は何?」
「安全運転をしてくれ」
「分かっているわよ」
「本当に?」
「疑うの?」
「念のためだ」
「病人は黙って寝ていなさい!」
K-Tは目を閉じた。
メバルが運転席に座り、エンジンをかける。
アルファードは問題なく始動した。
車はゆっくりと家を出る。
病院へ向かう間、カキは何度も音楽を流そうとしたが、そのたびにメバルから鋭い視線を向けられた。
「音楽は禁止」
「でも、車内が静かすぎるぞ」
「Kさんが寝るために必要なの」
「じゃあ、小さい音で――」
「禁止」
「はい」
後部座席で、K-Tは薄く目を開けた。
体はまだ重い。
熱も残っている。
しかし、メバルが運転し、マサカゲとアオノが周囲を確認し、ミステーが毛布を直し、カキが音楽を我慢している。
その状況なら、病院までは何とかなるだろう。
「Kさん、寝ていていいからね」
メバルが前を向いたまま言った。
「ああ」
「今度こそ、無理しないで」
「分かった」
「大丈夫だろう、も禁止」
「……分かった」
カキが小さな声でつぶやいた。
「でも、車に投げ飛ばすのは大丈夫なのか?」
メバルの手が、運転席から後部座席へ伸びることはなかった。
ただ、バックミラー越しに、鋭い視線がカキへ向けられた。
「何か言った?」
「何も言ってません!」
アルファードは、今度こそ静かに病院へ向かった。
俺は車の中で意識を失っていたが、家を出てから病院へ着くまでの間は、誰も音楽を流さず、誰も踊らず、誰もK-Tを投げ飛ばさなかった(らしい)。
「途中で焦げた匂いやこすったような音が聞こえて内心焦っていました。」(後日談)
◇
次に意識が戻ったとき、俺は病院のベッドにいた。
診察の結果、俺は高熱と脱水、強い疲労による失神だった。熱があるのに気づかず動き続けたため、症状が悪化したらしい。
点滴を受け、薬を飲み、しばらく安静にすることになった。
その間、意識が戻ったり眠ったりを繰り返した。
夕方ごろ、一度家へ戻ることになった。
体調は完全ではなかったが、医師からは、熱が下がり始めているため、周囲の人間が注意して看病するなら問題ないと言われた。
帰り道、俺はアルファードの状態を確認しようとした。
「Kさん、寝ていて」
メバルが運転席に座りながら言った。
「俺の車だ」
「だから何? 病人は運転しないの」
「異常を確認する必要がある」
「車は後でいいでしょう!」
◇
家へ着くと、俺は車の周囲を見た。
右側のドアには長い擦り傷がある。左のバンパーにはへこみ。後部にも傷があり、サイドミラーは傾いていた。
「メバル」
「何よ」
「病院までの間に、何回ぶつけた?」
「ぶつけてないわよ。少し擦っただけ」
「複数箇所ある」
「Kさんを病院へ連れていくほうが大事だったんだから、細かいことを言わないで」
俺は運転席に乗り込んだ。
メバルが腕をつかむ。
「Kさん、まだ病人でしょう!」
「確認するだけだ」
キーを回す。
一度目ではかからない。
二度目も、エンジンは重く回るだけだった。
三度目で、ようやくエンジンがかかった。
低い振動が車内に伝わる。
普段とは明らかに違う音だった。
アオノがボンネットへ回る。
「異音があります」
その直後、ボンネットの隙間から白い煙が立ち上った。
「煙が出ています!」
俺はすぐにエンジンを切った。
だが、煙は止まらない。焦げたようなにおいが広がる。
「全員、車から離れろ」
「Kさんも!」
メバルが俺の腕を引っ張った。
「分かっている」
「分かっている人は、そもそもエンジンをかけないの!」
アオノが車を確認した。
冷却系統の一部と配線に異常があり、走行は危険だということだった。
俺は車から離れた。
その瞬間、体に重さが戻ってきた。
足がふらつく。
視界が暗くなった。
「Kさん?」
メバルの声が聞こえる。
「大丈夫だ」
「その言葉は禁止!」
次の瞬間、膝から力が抜けた。
メバルとマサカゲに支えられたが、俺は再び意識を失った。
◇
病院で再び診察を受け、俺はベッドに横になった。
熱がぶり返していた。
医師からは、体調が戻るまでは絶対に動き回らないよう注意された。
点滴を受け、薬を飲み、俺は眠った。
目を覚ましたとき、最初に感じたのは、体の重さだった。
熱があるときとは違う。
上半身全体に、何かが乗っているような感覚だった。
腕を動かそうとした。
動かない。
胸も重い。
「……何だ?」
俺はゆっくり目を開けた。
視界に、メバルの顔があった。
メバルはベッドの左側に座ったまま、上半身を俺の体の上に乗せるようにして眠っていた。
肩から胸元にかけて、完全に俺へ寄りかかっている。片腕は俺の腹のあたりに置かれ、もう一方の腕はベッドに垂れていた。
右側を見る。
ミステーも、俺の右肩から胸にかけて上半身を乗せて眠っていた。
ピラミッドの被り物が俺の腕に当たり、体重が右側へかかっている。
俺の体の上に、メバルとミステーの上半身が乗っている。
左右からではない。
二人とも、かなりの部分が俺の体の上にある。
俺は動けなかった。
「……どうやって起きればいいんだ」
小さくつぶやく。
メバルもミステーも起きない。
ベッドの足元では、マサカゲが椅子に座ったまま眠っている。アオノは壁にもたれ、カキは窓際の椅子で寝ていた。
俺はまず、右腕を動かそうとした。
ミステーの上半身が乗っているため、腕を抜こうとすると、ピラミッドの被り物がずれる。
「……照明を、少し右へ……」
ミステーが寝言を言った。
俺は動きを止めた。
次に、左肩を動かす。
メバルの上半身が少し揺れた。
「……ん……」
メバルが身じろぎし、さらに俺の胸へ体重をかけてくる。
俺は完全に動けなくなった。
「メバル」
反応はない。
「ミステー」
こちらも反応はない。
俺は点滴の管を確認した。
左腕から伸びた管は、幸いどこにも引っかかっていない。
だが、このままでは起き上がれない。
体調を確認するためにも、看護師を呼びたい。
しかし、ナースコールはメバルの体の下にある。
(さすがに体触ったら大問題だしな…)
俺はため息をついた。
「どうやって起きればいいんだ……」
その声で、マサカゲが目を覚ました。
「K-T、起きたのか」
「ああ」
「体調は?」
「悪くない。ただ、動けない」
マサカゲは俺の体の上を見た。
「……なるほど」
「助けてくれ」
「分かった」
マサカゲがメバルの肩へ手を伸ばす。
「メバル、起きろ」
「……Kさんを動かさないで……」
寝たまま、メバルが俺のシャツをつかんだ。
「本人が動けないと言っている」
「じゃあ、このままでいいでしょう……」
「よくない」
ミステーも目を覚ました。
「Kさん、起きた?」
「ああ。君の上半身が俺の体に乗っている」
「そうだった」
ミステーはしばらく考えた。
「では、降りる」
「頼む」
ミステーがゆっくり体を起こす。
ようやく右側の重さがなくなった。
メバルも目を開けた。
「……あれ? 私、Kさんの上に乗ってる?」
「上半身がな」
「えっ……」
メバルは慌てて飛び起き、ベッドの横へ移動した。
「ご、ごめん! ずっと看病していたら、いつの間にか……」
「問題ない」
「その言葉は禁止でしょう!」
メバルは俺の額に手を当てた。
「まだ少し熱いけど、意識はしっかりしているわね」
「体が重い」
「それは私とミステーが乗っていたからでしょう」
ミステーが首を傾ける。
「私のピラミッドも合わせて3人分だ」
「人にカウントされないでしょ!」
そこへ、カキが目を覚ました。
「Kさん、起きたのか!」
「声を落とせ」
「よかった〜!!」
カキが立ち上がった拍子に、椅子を倒した。
「ああっ!」
マサカゲがため息をつく。
「病院では静かにしろ」
アオノも起き上がり、点滴を確認した。
「意識が戻ってよかったです。体を起こすときはゆっくりにしてください」
「分かった」
「それから、アルファードですが……」
俺は嫌な予感がした。
「どうなった?」
「修理業者に連絡しました。ボンネットから煙が出た原因は、冷却系統と配線の損傷です」
「修理費は?」
「かなりかかると思います」
メバルがすぐに言った。
「私が払うわ」
「いや、俺も責任がある。エンジンをかけたのは俺だ」
「でも、運転して傷を増やしたのは私でしょう」
「病院へ運ぶためだった」
「そうよ。だから後悔していないわ」
メバルは少しだけ視線をそらした。
「Kさんが無事なら、アルファードの傷なんてどうでもいいんだから」
俺はメバルを見る。
「ありがとう」
「また言うの?」
「何度でも言う」
メバルは困ったように笑った。
「……なら、次からは熱があったらちゃんと休んで」
「ああ」
「大丈夫だろう、も禁止」
「分かった」
「車のエンジンも、勝手にかけないで」
「アオノに確認してもらう」
「Kさんは何もしないの」
「……分かった」
ミステーが手を上げた。
「アルファードが直ったら、快気祝いに照明をつける」
「病院では静かにしろ」
マサカゲが言う。
カキが笑った。
「じゃあ、俺が歌う!」
「それも駄目」
俺が答えると、カキは口を閉じた。
病室に静けさが戻った。
俺はベッドに横になり、ゆっくり息を吐いた。
体はまだ少し重い。
だが、さっきまでの重さとは違う。
メバルとミステーの上半身が乗っていたせいではない。
自分が無理をしていたことを、ようやく理解した重さだった。
そして、次に目を覚ましたときは、誰にも寄りかかられずに起きられるよう願った。
少なくとも、二人分(3人分?)の上半身が自分の体に乗っている状態だけは、もう一度経験したくない。
「Kさん」
メバルが隣から声をかける。
「何だ?」
「眠るなら、今度はちゃんと枕を使ってね」
「それは君たちにも言える」
「……そうね」
ミステーがピラミッドの被り物を直した。
「私と私の魂とメバルちゃんの分の枕を用意する」
「お前今なんて言った!」
ゴン!
メバルのげんこつが、ミステーの頭に落ちた。
「私は何も言ってない!」
「お前だろうが…」
ゴン!
マサカゲの頭にも落ちる。
「なぜ俺まで!」
ゴン!
アオノの頭にも落ちる。
「私は完全に悪くない!」
「止められたでしょう!」
ゴン!
最後に、カキのヘルメットの上へげんこつが落ちた。
「ヘルメットにヒビが〜!!」
「病院でそんなもの被るな!」
また四人にげんこつが飛んだらしい
俺は今度こそ静かに目を閉じた。
コメント
1件
第2話、読ませていただきました!メンバーがK-Tさんを気遣いながらも、それぞれの個性が爆発しているのが面白かったです。カキの棺桶ダンス発言には笑いましたし、メバルが病人を投げ飛ばす豪快さには驚きました。でも、最後にK-Tさんがメンバーの上で寝ている姿を見て、みんなが心配して看病していたんだなと実感して、ほっこりしました。無理しがちなK-Tさんが、次はゆっくり休めるといいですね。