テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#シリアス
3,184
紫香楽
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夜の静寂に包まれた裏庭で、梅の蕾が微かに震えている。
煌様の見つめる瞳の熱に射抜かれ、私は息をすることさえ忘れて立ち尽くしていた。
煌様の口から零れ落ちた言葉の意味を、心が咀嚼しきる前に
煌様はさらに一歩、私の逃げ場を塞ぐように距離を詰めた。
「雪。私は、君を愛している」
鼓膜を震わせたその告白は、あまりにも重く、あまりにも切実だった。
煌様は、私の荒れた手を大きな掌で包み込むと
祈るような、自らを罰するような苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「だが、私は軍人であり、君を望むにはあまりに重すぎる身分を背負っている」
「私の側にいることは、君に再び世間の好奇の目や、謂れのない中傷を強いることになるかもしれない。……私の独りよがりな守り方が、君をあの地獄へ突き落としたのだ」
あの方の指先が、私の手首の傷跡をなぞるように震えている。
あんなに強く、一閃で悪を断ち切った鬼神のようなお方が
今は一人の非力な私を前に、拒絶を恐れる少年のように怯えている。
その姿が、愛おしくて、胸が張り裂けそうになった。
「それでも……私のような男を愛してくれるのか。君は、私のことを恨んでいないのか……?」
その問いに、私の迷いは一瞬たりともなかった。
視界が熱い涙で滲んでいく。
私は、包み込まれた手の中に力を込め、あの方の軍服の胸元を強く握りしめた。
「……煌様。私は、身分なんて、そんなものどうでもいいのです。泥棒猫だと石を投げられても、居場所を失っても、煌様が私の料理を食べて褒めてくださったあの日から、私の世界には煌様しかいなかったんです」
溢れ出した想いが、言葉となって堰を切ったように流れ出す。
「あの日……初めて私の作った料理を一口食べて、『美味い』と笑ってくださった時から。私の短くなった髪を見て、汚れを知らぬ雪のようだと言ってくださった時から」
「……ずっと、ずっと、煌様のことが、お慕いしておりました。ですからどうか……私の方こそ、煌様の側で、一生お料理を作らせてくださいませんか……っ?」
私の告白を聞いた瞬間
煌様の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
煌様は、私のすべてを飲み込むように、優しく
けれど壊れ物を慈しむような手つきで私を抱き寄せた。
「雪……っ、当たり前だ……ありがとう」
月明かりが、私たちの影を一つに重ねる。
煌様がゆっくりと顔を近づけ、私のまぶたが自然と閉じた。
触れるか触れないかの僅かな躊躇の後、唇に柔らかな熱が灯る。
それは、冬の終わりを告げる陽だまりのような、初めての口づけ。
冷たい雪が溶け、凍てついていた私の時間が、あの方の鼓動と共にようやく鮮やかに動き出した。
月下に咲く梅の香りが、私たちの誓いを祝福するように、どこまでも優しく鼻を掠めていった。