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第4話 夜更けの祭り
週末の夜、日野澪が仕事から帰ると、
二色の扉の向こうから軽快な音楽が流れていた。
ポップスと打楽器が混ざり合い、
アパートの古い壁がわずかに揺れる。
扉を開けて出てきたのは、派手な服の青年だった。
短く刈った髪は栗色に染められ、
耳には小さなリングが光る。
緑のシャツの上から金の糸を編んだベストを羽織り、
香水ではない、甘くスパイシーな匂いが漂った。
「やあ! 隣の人でしょ? 入ってみる?」
軽やかな笑顔に押されるように、澪は頷いた。
部屋の中はまるで別世界だった。
天井には光の粒が揺れ、壁には色紙の飾り。
狭い空間なのに、人の声と笑いで満ちていた。
住人たちは音楽に合わせて踊り、紙コップを掲げている。
「俺、ヒビキっていう。イベント好きなんだ」
青年は笑って、手にした炭酸水を差し出した。
澪は少し戸惑いながらも、それを受け取る。
喉をくすぐる泡の音が、彼の笑い声と混じる。
その瞬間だけ、自分の孤独が遠くなった気がした。
「ずっと見てた。きみ、廊下でいつも黙ってるよね」
ヒビキの声は、音楽の合間に落ちた。
「本当は、騒ぐのが好きじゃないんでしょ」
澪は息をのむ。
「でも、こういう夜も悪くないでしょ?」
彼が差し出した手はあたたかかった。
光に照らされたその指先が、
ほんの一瞬、澪の心に触れたように感じた。
それから数日、澪は扉の向こうの音を待つようになった。
ヒビキが笑う声、誰かが歌う声、
そしてそれが消えた夜の静けさ。
一週間が過ぎた夜、音は途絶えた。
部屋の前に行くと、扉は半分灰色になっていた。
床には紙吹雪が一枚だけ残っている。
澪がそれを拾い上げると、
そこには手書きの文字で「また、祭りの夜に」と書かれていた。
翌朝、アパートはいつもより静かだった。
誰も笑わず、風の音だけが残る。
澪はその静けさを、痛みのように抱いた。
そして心の中で、もう一度だけ呼ぶ。
——ヒビキ。
返事の代わりに、遠くで紙吹雪が舞い上がった。
まるで彼の笑顔の残り香のように。