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「……おじい様」
徹さんの声が、微かに揺れた。
前当主である正蔵さんは、高橋家において絶対的な権力を持つ人だ。
彼が首を横に振れば、徹さんの勘当は決定的なものになる。
正蔵さんはゆっくりと立ち上がると、杖を突きながら私と徹さんの前まで歩いてきた。
私を射抜くその瞳は、静江さんよりも深く、重い。
「……田中結衣と言ったか。お前、さっきからずっと膝の上で何を握りしめている」
「え……?」
私は驚いて、無意識に握り込んでいた手を開いた。
私は特訓中に徹さんから渡された「高橋家の親族相関図」のメモを、ボロボロになりながら握っていた。
「それは…その、皆さんに失礼がないようにと、徹さんに教えていただいたことを忘れないよう、ずっと……も、申し訳ありません…!」
「…ふん。麗奈さんのような華麗な作法はできずとも、誰よりもこの家の歴史と、ここに集まった人間を尊重しようとしていたのは、お前だけのようだな」
「え……」
正蔵さんの言葉に、私だけでなく会場全体がざわめいた。
「静江よ。お前は作法や家柄という『殻』ばかりを見て、中身を見ようとしなかった。……この娘の目は、嘘をついていない。徹がここまで必死になる理由が、今の立ち振る舞いだけで十分分かったわい」
「お父様……!ですが、始まりは偽装だと……」
「偽装だろうが何だろうが、今のこいつらは『本物』だ。……それとも何か? 私の鑑定眼が狂ったとでも言うのか」
正蔵さんの一喝に、静江さんは力なく項垂れた。
麗奈さんも、自分の完璧な作法が「心」で負けたことを悟ったのか、静かに視線を落とした。
正蔵さんは徹さんに向き直ると、その肩をポンと叩いた。
「徹よ、家を捨てるなど簡単に言うんじゃない。…これほど真っ直ぐな嫁を連れてきたのなら、それこそが跡取りとしての最大の功績だ。……お前たちの結婚を、私が認めよう」
「……っ、ありがとうございます!」
徹さんが、私の手を握ったまま深く頭を下げた。
私も涙が溢れて、隣で一緒に深く、深く頭を下げた。
「家柄」という分厚い壁が、一人の老当主の言葉によって、音を立てて崩れ去った瞬間だった。
宴が終わり
邸宅の庭を二人で歩いていると、後ろから静江さんが追いかけてきた。
「……徹。結衣さん」
立ち止まった私たちに、静江さんは以前のような冷たさはない、どこか寂しげな笑みを向けた。
「…私が間違っていたわ。お父様にまで認められたのなら、私に言えることは何もない…でもね、一つだけ。……徹を幸せにしなかったら、承知しないから」
それは、静江さんなりの、不器用な「母親」としての譲歩だった。
「はい。……必ず、二人で幸せになります」
私が真っ直ぐに答えると、静江さんはフイッと顔を背けて
「……さっさと帰りなさい。見てるだけで暑苦しいわ」と呟いて去っていった。
「……結衣。本当によく頑張ったよ……っ」
暗くなった庭園で、徹さんが私を抱き寄せた。
「徹さんのお陰です…っ、嬉しいです、私、認めてもらえて……」
「結衣が頑張ったから…その努力を認めてくれたんだよ」
偽装彼女という嘘から始まったこの恋は
今、親族という最後の壁を越え、確かな「現実」へと変わっていくようだった。
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