美しければ、愛される。
頂点と底辺、二つの日々を過ごした私が選んだのは──。
◆◆◆
≪高校二年生 初夏≫
「死ねよ、ブス」
私の人生は、ずっと地獄だった。幸せだったことは一度もない。醜いせいで嫌われ、いじめられ、無視され、暴力を振るわれる。こんな日々なら壊れてしまいそうなものだが、私は正気だった。痛みを感じる心と身体で、降りかかる悪意に耐えるしかないのだ。神様は『敗者』に厳しすぎではないだろうか。
私は地面に丸まり、呻き声を上げた。今日は暴力の日だ。体育倉庫裏で、スクールカースト最上位の女子四人組から徹底的にやられている。髪を引っ張られても蹴られても、私は『腕に抱えているもの』を守ろうと必死だった。
「ねえ、それ何?」
御崎天音が言った。彼女は一軍女子グループのリーダー格。この高校一の美少女でもある。下校時刻になると、彼女の姿を一目でも拝みたい他校の男子生徒たちが校門の前に集まるほどだ。アホ毛一つない手入れの行き届いた黒髪を下ろし、前髪は二重ラインで切り揃え、頬にかかるように計算してサイドの髪を作っている。国民的アイドルグループのメンバーを連想させる清楚な出で立ちで、小さな図面に詰め込まれた目も鼻も絶妙に整っている。手足は長く骨格は華奢。贅肉なんて存在しない。私と彼女が同じ人間で、同じ時に生まれて、同じ校舎で学んでいるなんておかしな話だが、世界が違うなら関わらなければいい。大抵の人間はそうするだろう。けれども、何が楽しいのか彼女は率先して垣根を越えて私に関わり、いじめてくる。
「ねえ、聞いている?」
痛みで喋れない私の前髪を、天音が掴んだ。無理やり顔を上げさせられた私は、正面からその綺麗な顔を見た。
「天音のことを無視するなんて、いい度胸だよねぇ?」
天音に突き飛ばされ、脇腹を蹴られた。
「──げほっ」
衝撃に耐え切れず、私の腕が守っていたものが地面を転がった。天音はそれを拾った。
「ノート?」
「だから──」
「何?」
「クラスの子たちのノートだから……」
息も切れ切れに答えると、何が気に食わなかったのか天音の顔が引きつり、鬼のような表情で私の頬をひっぱたいた。大きな音が響き、バランスを崩して地面に頭を打ちつけた私を見て、天音の取り巻きたちが慌てて止めに入った。
「顔はマズいって!」
「見えない位置だけにしないと」
天音の取り巻きが、スカートの中に入れていた私の制服のシャツの裾を引っ張り出し、めくった。数ヶ月前に天音につけられたアザが、腰に刻まれている。痛みは引いても消えなくて跡が残ってしまった。
「こいつの顔、ムカつくからぁ」
鬼のような表情からガラっと変わって、天音は天使のような笑みを浮かべた。私は手の甲で鼻血をぬぐって、泣きながら天音を見上げた。
「ねえ、風見瀬理奈。そのアザ、誰にも見せないでねぇ?」
見せたところで助けてくれるような相手はいない。
「返事は?」
「……はい」
見えない位置への暴力はしばし続いた。
天音たちは仰向けで倒れている私を放置して、『新しくできたカフェ』だの『インスタのいいね数』だの、女子高生らしいことを話しながら立ち去った。
「痛い」
青と白のコントラストが眩しい晴れやかな青空だった。どこまでも澄んでいて、私の気持ちとは真逆だ。『人間は平等』という偉い人の教えは、こういうことかと悟りを開いた気がした。平等なのは『価値』ではない。勝ち組も負け組も、空の色は同じということだ。
「疲れた」
家に帰っても安らげない。父親は私の目を見ない。四年前に離婚して家を出た母親は、気に入らないことがあると私を殴った。母親に比べれば父親の対応は健全に思えてくるが、私はどちらのことも同じくらい嫌悪している。
この日を境に、私は高校に行けなくなった。
◆◆◆
三年後──。
八月中旬の気温は、デブには辛い。立っているだけで背中を汗が伝う。
学生にとっては麗しの夏休み期間だ。アルバイト先のコンビニでも、予定があるからと休みを入れているスタッフが何人かいる。私だって彼らと同じ年頃だが、代わりにシフトに入ってあげてばかりだ。
私の同級生は大学や専門学校に進学した。こっそりSNSを覗くと、飲み会だ合コンだデートだ何だと青春を謳歌している。それに比べて私の最終学歴は中卒。友達はいない。薄暗くて古くてボロいアパートで一人ぼっちの生活を送っている。以前の入居者の女性が不慮の事故で亡くなった事故物件だそうで、初期費用不要、家賃格安、保証人不要のお得トリプルコンボで、私のような貧乏人でも契約できた。
事故物件といっても今のところお化けは見ていないし、住めば都だ。『内』についてはこのように改善されたが、『外』は引き続き地獄だった。
「君、暗いんだわ」
コンビニのバックヤード。オフィスチェアに座っている太った中年男性が、在庫管理のプリントが貼り出されたホワイトボードの前に私を立たせて、ニヤニヤしている。
「はい」
一八時でタイムカードを切った直後に、夜勤シフトに入る店長に捕まってしまった。
「その外見さ、もーっちょっと何とかできるんじゃないの?」
「お金に余裕がなくて、美容室にもあんまり行けないです」
「お金がなくてもダイエットしたりニキビ跡を消したりはできるよね?」
そんなことをしたところで、意味がないからやらないだけだ。
「仕事もとろいし」
「覚えが遅くてご迷惑をおかけしています」
「君のことさ、『努力したことがない子なんだろうね』って皆も言ってるよ」
「すみません」
「仕事ができなくても可愛げがあれば愛嬌になるんだけどさ。君の場合は若さの無駄遣い。綺麗なおばさんのほうがマシ! はははっ」
早くこの時間が終わるように、私は反論せず俯いてやり過ごした。モジモジと腹の前で重ねた手はカサカサしている。
今日は私の誕生日で、二〇歳になった。けれども、よいことは一つもない一日だった。
説教地獄から脱出し、夏の葉の濃い香りが漂う薄暗い道路をトボトボ歩いて帰る。私の家は職場のコンビニから一五分歩いた住宅街の中にある。新幹線が停まる岡山駅からはバスでおよそ二〇分の場所で、夜は静かで落ち着いている。私の実家は神奈川県だから、縁もゆかりもなかった場所だ。地元では知り合いに遭遇してしまうかもしれないから移住した。地方で、私でも契約できる格安物件なら、どこでもよかった。
私のお城は203号室──。玄関のドアを開けると、耳障りな音が鳴る。玄関の目と鼻の先はキッチンで、向かいのドア二つがバスルームとトイレ。このスペースには窓がないから、玄関のドアを閉めると真っ暗になる。壁のスイッチを押すと、パッとゴミ袋の山が現れた。
「また出し忘れちゃったなあ」
奥のドアを開けて寝室に入っても、ゴミや洋服や本やチラシが散乱していて足の踏み場がない。私はベッドの上に転がって、スマホを開いた。
友達は一人もいないのに、私は同級生たちのSNSをフォローして逐一チェックしている。初期状態のままの記号の羅列のハンドルネームで、一件も投稿していない。業者か捨て垢風のアカウントだ。指で画面をスクロールする度に、楽しそうな笑顔が流れていく。
『みんなと焼き鳥行ってましたぁ!』
『課題大変だけど頑張る! #スタバ #大学生』
『タワマンのホームパーティーに参加してきました! 高いシャンパン飲めて最高』
投稿を認識しては流していく私の指は、とあるショート動画で止まった。
『ハッピバースディトゥユー~ハッピバースディ ディア 天音~♪』
明るい歌声と笑い声が、狭い室内に充満した。大勢の友達に祝われているのは御崎天音──。私が高校を辞めた原因だ。皮肉なことに、真逆な容姿と人生の私と彼女の生年月日は、まったく同じらしい。
このショート動画についているコメントを見て、心臓がバクバクした。
『天音、アイドルデビューおめでとう』
『超美少女だもん。絶対芸能人になると思ってた!』
『ライブ行くからね!』
見るべきではないとわかっているのに、私は天音のアカウントを表示した。花束を抱えた天音の写真の下に、『オーディションに合格して、憧れのアイドルグループの追加メンバーとしてデビューが決まりました』と、文章がついている。
私はふいに、高校時代のことを思い出した。廊下を歩いていた天音が『アイドルになりたい』と言っていたことがあった気がする。
「羨ましいな」
本心だった。天音はこれまでもこれからも、欲しいものを手に入れる人生を歩む。私は他人にバカにされて、低学歴で、孤独で、今から人生を巻き返せるとは思えない。明日も明後日も、このゴミ溜めに帰りSNSを眺める――。そう思った瞬間、これまで何度も浮かんでは気分と共に消えていた言葉が、初めて口をついて出た。
「死のう」
これ以上自分が落ちぶれる前に。これ以上他人に傷付けられる前に。高校を辞めて知らない街に移住したくらいでは、自分を守れない。自分を守る最後の方法は、自分の手で命を終わらせることだ。できれば痛くない方法がいい。私は画面のSNSを、インスタグラムからエックスに切り替えた。アカウント作成の際に電話番号とメールアドレスは登録したが、それ以外はどこにも『私』がないアプリだ。
『苦しくない死にかた』
と、検索してみた。色々な呟きがヒットした。死にたい人からの連絡を待っているアカウントもある。けれども、今更他人の力を借りるのは怖かった。他人に力を借りようと思える人はまだやり直せるから死ぬべきではない。私は違っている。他人はいらない。一人がいいのだ。
「首吊りが一番楽か」
そういえば押し入れに縄跳びがある。さっそく行動に移そうと、私がベッドの上でわずかに腰を上げたとき、アプリ下部の封筒マークに通知マークがついた。
──フォロワーゼロで投稿ゼロのこのアカウントに?
見たこともないアカウントからのDMだ。スパムか何かだろうが、開いてみた。
『死ぬ覚悟があるなら、新しい人生を送ってみませんか?』
と、だけ書いてある。まるで私が今、自殺方法を調べていたことを知っているかのようだ。送り主のアカウントを覗くと、私と同じように初期設定のままのハンドルネームでアイコンも未設定だった。フォロワーも呟きもゼロ。まともなアカウントのわけがない。最近はスパムの文言も進化しているという。興味を引くための新手のやり方なのかもしれない。私がアプリを閉じようとしたとき、同じアカウントからもう一通DMが届いた。
『私はマネジメント事務所でスカウトを担当している者です。あなたをスカウトしたいと思いました。もしよかったらここをチェックしてみてください』
URLが送られてきた。胡散臭いが、気になってタップしてみたら、『Calculate GmbH』という、初めて見る会社の公式サイトに飛んだ。会社情報のところに読み方が書いてある。『キャルキュレイト ゲーエムベイハー』らしい。インフルエンサーや配信者やVtuberなど、クリエイターのマネジメントをしていると記載がある。
「つまり芸能事務所ってこと?」
所属クリエイターの一覧ページを開いて、私は目を丸くした。「SELENだ!」
彼女は大人気のインフルエンサーだ。インスタ、エックス、ショート動画アプリ、それとファンから投げ銭をもらう形式の有名配信サイトで活動している。
登録から一年未満なのに、インスタのフォロワー数は既に五〇〇万人を突破しているという。銀色のストレートロングヘアと青いカラコンがチャームポイントで、透き通るように白い肌をしている。顔が小さくて、くりくりした大きな並行二重の目、そして小さくて形のよい鼻筋をしていて、とにかく美人なのだ。そんなSELENが所属している芸能事務所が、私に何の用だろう。URLはこの会社のものでも、送り主は無関係で詐欺かもしれない。そんなことはわかっているが、死ぬ前のヤケだろうか。私は返信してしまった。天音のアイドルデビューの投稿を見てしまったせいかもしれない。
『よくわからないのですが、どういうことでしょうか?』
『風見瀬理奈様、ご返信ありがとうございます。電話してもよろしいでしょうか?』
返信を見て、驚愕した。
「何で名前を知っているの?」
画面を見つめたまま固まっていると、電話が鳴った。知らない番号で、03から始まっているから東京からだ。おそるおそる出てみると──。
『風見瀬理奈様。初めまして。Calculate GmbHの採用担当、佐藤と申します』
落ち着いたトーンの、若い男性の声だった。
「どうして私の名前を?』
『SNSやメールアドレス作成の際に、名前や電話番号や生年月日を登録しますよね?』
「それは、まあ」
そうしないと登録できないものが多い。
『そこから紐づけられる情報が、闇ルートで売買されることがあります』
「え……」
つまりこの佐藤さんの会社も、闇ルートで買ったということだ。
『怪しいのは承知ですが、死ぬ勇気があるなら飛び込んでみるのもいいのではないでしょうか?』
「どういうことですか?」
『あなたにインフルエンサーになって欲しいのです』
「わ、私にッ!?」
私はベッドの上で跳ね上がり、向かいの棚に載っている卓上鏡を見た。ありのままの私が映っている。デブで顔がパンパン。長い髪は天然パーマで硬くて艶がなく、せめてもの誤魔化しのために後ろで一つに結っている。肌はニキビ跡まみれで脂ぎっていて、赤みも酷い。脂取り紙で拭いてもすぐに出てきてしまう。
ブスで、汚い──。
毎日お風呂に入っても、清潔感は欠片も出てこない。悪口ばかりを投げかけられて、ぐちゃぐちゃに壊死した見えない傷を抱えまくった女だ。そんな私がインフルエンサーなんて、正気だろうか。
「あの、佐藤さん?」
『はい』
「どう頑張っても私はインフルエンサーになれるような人間ではありません」
『どうしてそう思うのでしょうか?』
「超ブスです。この容姿のせいで、地獄のような人生でした」
『なるほど』
「だから辛くて死のうと思いました」
『そうですか』
「インフルエンサーになれる人って、美人で特別ですよね?」
『オリジナリティがある人間だと言いたいのですね?』
「え……どうだろう……」
『風見瀬理奈様』
「は、はい」
『Calculate GmbHは、あなたにSELENになってほしいと考えています』
「SELENに!? どう逆立ちしたってあんな綺麗な子にはなれません」
『いいえ。あなたはSELENにそっくりです』
その言葉に、私はひっくり返りそうになった。
『今、鏡を見てください』
私はベッドから立ち上がって、物が散乱する床を足でかき分けて卓上鏡に近付いた。
『SELENをよく見てください』
スマホから音が鳴った。一旦耳から離して画面を見ると、LINEにメッセージが届いている。『佐藤』というアカウントからだ。写真が何枚も添付されている。様々な角度から映したSELENだ。
『見比べてください』
スマホから佐藤の声がして、私は言われるがままSELENの写真と鏡を交互に見た。
『似ていますよね』
「まったく似ていないと思いますが」
『いいえ。あなたはSELENにそっくりです。──骨格が』
「……骨格?」
『頭の形、輪郭、身長、手足の長さ、頬骨の位置、鼻の根本と目の骨のくぼみ――とてもよく似ています』
「は、はあ?」
『あなたなら、SELENになれます』
私はこのときの佐藤の言葉を、『SELENのような』スターになれるという意味だと──思ってしまった。
『風見瀬理奈様』
「はい……」
『お誕生日おめでとうございます』
一〇年以上ぶりに、他人にそう言われた。
「あ、ありがとうございます」
『Calculate GmbHは、この世界にあなたを歓迎します』
コメント
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ドッペルゲンガーなのか‼️‼️
やば