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あいうえお
118
るしゅ
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複合商業施設ビスタの建設プロジェクトが中止となり、文字通りビスタは生ける廃墟となった。
吾妻建設の社員たちは進めてきたプロジェクトを奪われ、下請け業者の労働者たちは一夜にして仕事を失った。
彼らはそれぞれ、しそね町から撤退する準備に追われていた。
「ビスタがオープンしない」
その噂は、しそね町の住民の間にすぐ広まった。
多くの町民たちが怒りをたずさえ、吾妻建設のビスタ管理事務所を訪ねてきた。
「おい! ちゃんと説明しろ! ショッピングモールができるからって、俺は先週、貯水池のそばの土地を購入したんだ! ビスタが建設中止になるって知ってたら、誰があんな寂れた土地を買うってんだ! 責任者を呼んでこい!」
「社長を出せ! ショッピングモールができるから、家族みんなでこっちに引っ越してきたんだぞ!」
「あんたら、それでも吾妻会長の部下たちか! 会長が病に倒れたからって、好き勝手に裏切りやがって! あんたらが天罰を受けるのも時間の問題だからな!」
「皆さん、どうか落ち着いてください。これには事情がありまして」
「なら、今すぐ説明しやがれ!」
「申し訳ありません」
「はぁ? それだけか? せめて説明会を開くのが筋じゃないのか。町おこしの雰囲気だけ煽っておいて、最後にひっくり返して、そのままトンズラするつもりだったのか!」
住民たちの怒りは日ごとに大きくなり、事態は結局、地方ニュースで報じられた。
再び吾妻グループの話題がニュースになると、会社の株価はすぐに下落した。
副会長である吾妻勇太の死亡事故。
暗殺説。
吾妻家の不毛な遺伝子説。
そこに今度は、ビスタの建設中止。
負の情報が相次ぐことで、株主の不安がそのまま数値として現れたのだ。
しかし数日後、株価は再び上昇に転じた。
ビスタが将来的に赤字になると予想していた吾妻勇太副会長が、建設中止という英断を下した。
そう報じられると、多くの株主がこれを支持した。
結果的に、ビスタの一件は早期に落ち着いた。
ビスタを巡るいくつかの告訴案件は発生したものの、グループ側は十分に予測していたため、混乱はなかった。
そのうえ株価が回復しはじめていたこともあり、裁判案件が大きくニュースで扱われることもなかった。
事件は、ピーク時にのみ人々の興味を惹く。
マスコミは、そのことをよくわかっていた。
結局のところ今回のビスタ建設中止は、吾妻勇太の経営者としての高い手腕が証明される機会となって幕を閉じた。
*
ビスタ敷地内のオフィスに、5人の男が座っている。
吾妻グループ常務である吾妻勇信によって、特別に立ち入りを許可された下請け業者。
秋山建設の労働者たちだ。
ビスタの建設が中止となったからには、下請け業者も部外者と見なされ、現場に残ることはできない。
しかし非公式の命令を受けた彼らは、仮設通用口の暗証番号を使い、自由に出入りすることを許されていた。
「本日より、極秘プロジェクトを開始する」
オフィスのホワイトボードには、プロジェクトの全体概要が書かれている。
2週間前。
東京神宮前グレートコロシアム。
労働者たちは8角形の金網の中で、勇信(ブルース)と殴り合った。
決闘が終わると、勇信は彼らに特別な指示を出した。
「実は皆さんをここに呼んだのは、もうひとつ理由があるためです。ビスタの建設が中止となったので、新しい業務を任せたいと思っています」
吾妻建設企画部の堀口ミノル課長を暴行した男たちは、恐ろしい制裁を受ける覚悟で東京へ向かったはずだった。
しかし吾妻常務は、彼らを雇用すると言った。
「ビスタはその機能を失ってしまいました。だから、あの巨大な建物を私の遊技場にしたいのです」
「遊技場……って、遊ぶ場所ってことですか?」
労働者全員が、あ然とした表情で勇信を見つめた。
「おっしゃる通り、遊び場です。ビスタ3階を中心として、私だけの遊び場を作ろうと思いましてね」
労働者たちは言葉を失った。
こぶしを交わし、殴り合った目の前の男が、本物の財閥息子であると認識した瞬間だった。
「ビスタに常務が希望する遊び場を作る、という話は理解できましたが……」
秋山泰泳が状況を整理しようと、冷静に尋ねた。
「どうしましたか?」
「常務。我々は建築専門であって、遊技場など作ったことがありません」
秋山の言葉に、勇信は小さく笑った。
「あまり難しく考えなくても大丈夫です。私が指定したものをホームセンターなどで購入し、そのまま搬入して適当に設置してくだされば終わります。電気やガスなど一部の工事は別途依頼しますが、大々的なプロジェクトではありません。気楽にやってください。あくまでも私の趣味であり、完全なる非公式案件ですので」
状況を理解できない労働者たちに対し、勇信は具体的な構想を説明した。
フードコートを設置するはずだった一角に、キッチン設備を導入する。
そこに吾妻勇信専用のレストラン街を作る。
客用の広い空間には、楕円形の陸上トラックを設置する。
客席には大量のパーティションを持ち込み、産業展示会のように各ブースを作る。
その他、リストに記載した物品を購入し、搬入する。
すべてはビスタの後方搬入口を通じて行う。
「大きくはこれだけです。あくまでも私の個人的な趣味空間ですので、セキュリティは徹底する必要があります。そのため、秋山建設の皆さんに依頼したのです。私たちはこぶしを交わした仲であり、秘密を共有する仲ですからね」
「わかりました。常務のご希望通り、任務を遂行させていただきます。ただ……東京ではなく、なぜビスタを遊び場になさるのですか」
「まあ、たいしたことはありませんよ。忙しい日常から抜け出すためには、東京から遠い場所でなければなりません。家を出て、車を走らせ、他の地域へ向かう。こうした時間の浪費こそが、心を日常から遠ざけてくれる要素となるのです」
「わかりました。あまり詮索するのもあれなので、これ以上は聞かないようにします。とにかく我々は、常務の指示通りに動きます。絶対に秘密を漏洩しないことも、ここでお約束します」
現場監督である秋山の言葉に、他の労働者たちもうなずいた。
「まず何より、ビスタを取り巻く環境が静かになってこそ仕事も進められるでしょう。そのときまでは通常通り、ビスタからの撤退準備をしておいてください。落ち着いたら、またこちらから連絡します」
*
「しかし常務も変わった方だな。格闘技の試合会場に俺らを呼ぶこと自体も変だけど、本気で殴り合ったあとに非公式な仕事を依頼されるなんてなぁ」
「常務のやり方が気に入らないんすか?」
最年少の玖村蓮が言った。
「そうじゃねえよ。ただ、俺の頭にあった財閥御曹司のイメージとは、かなり違っただけだ」
「俺は常務のこと好きっすね。権力じゃなくこぶしで語り合って、廃墟になるだけのビスタをうまく生かしてやるなんて。なかなか型破りでおもしろいじゃないっすか。ある意味、俺らって運がいいんすよ。がんばって作った建物があのまま廃墟になったら、それこそ残念でたまらないっすからね」
「そうだな。これまでの労働が無駄にならずに済んだってのはあるな」
「さあ、秋山組がやるべき仕事はこれで整理できたな?」
ホワイトボードの前に立つ秋山泰泳が言った。
「はい、監督」
「ようやくビスタの周辺も静かになった。ここからは俺たちのやるべきことを完璧にこなすだけだ。常務の期待に応えるため、常に緊張感をもって仕事に取り組むんだぞ」
ビスタ建設中止を取り巻く騒動は、表向きにはほとんど解決を迎えていた。
吾妻建設の社員たちが、地域住民の心に訴えかけるため、町を回ったのだ。
各所で説明会を開き、高齢により参加できない町民の家には一軒一軒足を運び、ビスタ建設が中止された経緯を説明した。
もちろん内部不正があったことや、勇太副会長の突然の方針転換などは口に出さなかった。
「吾妻副会長は、父である吾妻和志会長のことを思って、苦渋の決断をしたのです。副会長は吾妻会長が再び目を覚ますことを、切に願っておられました。会長が眠りから覚め、竣工式に参加することで、ビスタは本当の意味を持つ。副会長は、そう考えたのでしょう。ですのでビスタは建設中止ではなく、しばらく休息の時間を持つだけなのです。どうか皆さんも、広い心でご理解いただけませんでしょうか」
もちろん住民は、心の中では納得していなかった。
しかしビスタが吾妻和志会長の善意によって建てられるものであることを知っている以上、誰も強く反発することはできなかった。
そうしてビスタは、生ける廃墟となった。
仮設事務所の機能をビスタ内部へ移した秋山組の労働者たち。
彼らだけが、ビスタの心臓を細々と支えていた。
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