テラーノベル
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大学一年生の夏、サークルのみんなで合宿に行くことになった。合宿というのは建前で、宿泊を伴うただの海水浴だ。メンバーには卒業生も入っていて、そこには私の知らない先輩もいた。
車に分乗しての移動だ。市川の車には私と藍子、同期二人が一緒に乗る。
「着いたぞ」
市川は民宿の駐車場に車を止めた。
車を降りた私たちは、各自トランクから荷物を取り出す。
「先輩たちはもう着いてるみたいだね」
藍子の目線を追ってどきりとする。数台先の車の辺りに矢嶋がいた。彼と目が合ってしまわないように、慌てて明後日の方向を向く。
私のその様子に藍子が苦笑する。
「そんなに嫌いなの?矢嶋先輩のこと」
「嫌いというか……苦手」
事情を知っている藍子はため息をついた。
「夏貴を嫌っているわけじゃないと思うけどねぇ」
「そうは思えないけど」
私は肩をすくめてため息をつく。
藍子は明るい声で言いながら、私の背を軽くたたいた。
「とりあえず、せっかくの海なんだから楽しもうよ」
「もちろんよ」
私は藍子に大きく頷いた。
民宿に着き荷物を置いた後は、早速水着に着替えて皆で海に繰り出した。
だいたいが同期同士、あるいは同性同士でまとまって行動していたせいもあって、矢嶋とは常に距離を保つことができていたから、私は安心して海を楽しんだ。
宿に戻ってからは、夕食までの時間、一応は合宿だからと、卒業生も交えた数グループに分かれて五分程度のラジオドラマを作る。夕食を済ませた後にそれらを発表し合い、なんだかんだと感想などを述べ合った。
その後は各自好きなように過ごす。入浴を終えてもまだ眠くない。誰かが、流れ星が見えるかもしれないと言い出して、私を含めた十数人で浜辺に向かうことになった。
藍子と歩いていたはずが、いつの間にか彼女は市川と並んでだいぶ先を歩いていた。実は藍子は彼を好きなのだ。心の中で頑張れと応援しているところに、声をかけられた。今日初めて会う卒業生、佐野治だった。
「川口さんって、一年生だっけ?俺の名前とか、覚えてる?」
「はい。えぇと、佐野さん、ですよね。先輩はいつ卒業されたんですか?」
「去年だよ」
「そうなんですね」
頷いた時に、うっかり彼の腕にぶつかってしまう。
「す、すみません」
「全然。ていうか、大丈夫?暗いから足元見えにくいよね」
そう言うと、佐野はいきなり私の肩に手を伸ばした。
異性からこんな風に急接近されたことは初めてで、全身が強張る。顔の近くでぷんとアルコールの匂いがした。先輩たちの中にはお酒を飲んでいた人もいた。佐野もきっと飲んだのだろう。彼の気を悪くさせないような言い方を考えながら、私はやんわりと言った。
「先輩。ちゃんと足元は見えてますから、手を離してもらって大丈夫です。一人で歩けますので」
「いいから、いいから。危ないしね」
佐野の手がさらにぐいっと自分の方へ私を引き寄せた。その時、佐野の手が乗った方の肩に誰かがぶつかった。
「きゃっ!」
いったい誰かと見上げたそこには矢嶋がいた。
彼は私に謝ることもなくただ無言で私の手を掴み、佐野に言った。
「佐野さん、けっこう酔っぱらってるみたいですね。部屋に戻った方がいいんじゃないですか?」
「全然酔ってないよ」
しかし、佐野にそれ以上は言わせまいとするかのように、矢嶋は畳みかけて言う。
「いやいや、自分で分かっていないだけで、絶対に酔ってますよ。こいつは俺が連れていきますね。佐野さんはちゃんと部屋に戻ってくださいよ」
「あ、おい、矢嶋!」
呆気にとられた様子の佐野を無視して、矢嶋は私の手を引いてずんずんと浜辺へと向かった。
その先に他の皆の姿が見えた。どうやら私たちが最後尾だったようだ。
「あの、先輩。ちょっと」
もしかして助けてくれたのだろうか。それなら礼を言わなければと口を開きかけた時、矢嶋が前を向いたまま言った。
「あのな、佐野さんは手が早いんだよ」
「へ?」
「特に酒を飲むと、いつも以上に早くなる」
「はぁ……?」
「ま、たこ焼きちゃんが佐野さんの好みだとは思えないけどな。あの人、スレンダーな美人が好きなはずだからさ。でも念のためと思って、あの人から離しただけだから」
皮肉交じりの彼の言い方に苛立ち、礼を言おうとしていた気持ちが吹っ飛んだ。
「それなら、ほっといてくれても良かったのに。助けて頂かなくても、自分でなんとか対処できましたしっ」
「別に助けたわけじゃない。勘違いするな。目の前を歩いていたお前たちが目障りだっただけだ」
「目障り……」
あぁ、少しでもいい人だなんて思ったのは間違いだった――。
「手、離して下さいっ」
矢嶋から離れようとしてぶんっと腕を振った途端、体のバランスが崩れかけて足が砂に取られた。
「あっ!」
#独占欲
危うく転びかけたところを矢嶋の手に救われる。
「おい、大丈夫か」
「は、はい。大丈夫です……」
「それなら良かった。気をつけろよ」
「はい。あの……。色々とありがとうございました」
もごもごと礼を言う私に、矢嶋ははっとしたように顔を背けた。
「こんな所で怪我でもしたら、みんなに迷惑かかるだろ。このまま掴まってろ」
「でも……」
「いいから」
私の手を握る矢嶋の手にぎゅっと力が入った。
私のこと嫌いなんじゃなかったの?優しいのか優しくないのか、いったいどっちなんですか、先輩――。
皆がいる所までの数メートルを進む間中、私の心はずっと揺れっぱなしだった。
(了)
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