「んん…………ん、んん、嫌だ、ああっ! はあ、はあ……ゆ、め?」
轟々と燃える炎。崩れる家屋。泣き叫ぶ声、炎の奥で赤ん坊の泣く声だって聞こえた。そこは地獄だった。
故郷イベント――アルフレートは、故郷へ戻るのを楽しみにしていた。しかし、アルフレートが訪れた故郷は魔物の襲撃にあって、すでに壊滅状態だった。炎が渦を巻き、煙に巻かれ倒れる人、魔物に食いちぎられて負傷している人。アルフレートは地獄を見た。
そんな、ゲームのあるシーンが夢に出てきた。それは悪夢としか言いようがなく、老若男女の声の中に、自分の声もあるのだろうかと耳を澄ませた。でも、わからないくらいカオスで、ぐちゃぐちゃで、不協和音で。けれど、身体の痛みと、肺に入ってくる煙の気持ち悪さだけはわかった。そして、身体が焼け焦げていく。そんなリアルな夢をみた。
目が覚めると、ぐっしょりとシーツが濡れていて、枕にもシミができていた。寝巻なんてもう最悪で、張り付いた綿毛色の髪を払って、呼吸を整える。
嫌な夢。
「……最悪、さいあくだよ」
夢をみたこと。それとも、こんな悲劇が訪れる村に痛くないって思ったこと。きっと、どっちも正解で、それ以上に、アルフレートが大好きだった村が燃えて、人が死ぬ……その様子を、絶望した顔で彼がみる未来が耐えられなかった。まだまだ先の話だとは思うけれど、アルフレートは勇者であり、英雄になって。でも、その陰では耐えきれないほどの絶望と、悲劇を仲間と、時には一人で乗り越えることになる。
彼の力になりたい。でも、僕はアルフレートのように選ばれた存在じゃない。
どうしようもなさと、吐き気に襲われ、僕はベッドから降りた。息もまだ上がっていて、心臓がバクンバクンいっている。水でも飲もうかと思って部屋を出ようとすると、コンコンと窓を何かが叩くような音が聞こえた。こんな真夜中に! と、身体が大きくはねて、振り返るまでに数分ほどかかった。でも「テオ」と聞きなれた声が聞こえたため、勇気を振り絞って振り返ることができるのだ。
「あ、アル!?」
「しーっ、気づかれちゃうから」
と、口もとに人差し指を立てたアルフレートが周りを気にしてそういった。窓が閉まっているので、本当にそう言っているかは不明だが、多分そういっているのだろう。
僕は、隣で寝ている両親を起こさないようにと窓にそっと近づいて、建付けの悪いそれをグッと上げた。すると、屋根に上っていたアルフレートがシュタッと部屋の中に降りてきて、パンパンと服を払った。みれば、彼も寝巻だった。
「ど、どうしたの。アル。こんな夜に」
「明日、だろ。俺がここから出ていくの。だから、最後にテオの顔見ておこうとおもって」
「昼間、さんざん見たじゃん。てか、ほんとどうやってここに来たの」
昼間に送迎会みたいなものを簡易的だがやった。アルフレートは大人たちに囲まれていたが、無理を言って、僕を隣に座らせて、まるで僕までこの村から出ていくみたいになってしまった。気まずかったし、何よりもアルフレートに特別扱いされている僕を妬むような目が怖かった。
アルフレートは「俺が守るから、何か言われたらいって」と白い歯を見せていってきたので、その会では何も起こらなかったが、居心地が悪いのは変わらなかった。自分がアルフレートの権力に守られているんだって思ってからは、ますます自分のことが惨めというか、弱い存在だなと思ってしまったのだ。
アルフレートが悪いわけじゃない。ただ、彼に守られなきゃいけない自分というのが、情けなかったのだ。
アルフレートは「昼間はあれだったから」と、僕が思っていたことをまんまいって頬を。
「気を遣わせちゃった?」
「ううん。もとはといえば、俺が悪かったから。テオのこと、無理やり隣に座らせて。それで、テオが嫌な思いして」
「知ってたんだ」
「なんとなくだけどね。テオのこと、いつもよく見てるから、すぐわかるよ」
なんて、アルフレートは、自慢げに言う。
いつもみてるって、その言葉が嘘に聞こえずちょっとびっくりしてしまう。アルフレートは、どちらかというと周りをよく見ているタイプで、一人を注視するタイプじゃないからだ。
自惚れかな? とは思いつつ「ありがとう」とだけいって、僕は水をとってくるから隠れていて、とアルフレートにいって部屋を出た。深夜の訪問にはびっくりしたが、アルフレートの顔をみれて安心しているのは事実だった。
(明日……今日で、もうアルは出ていっちゃうんだ)
アルフレートが、一週間といったから一週間。もし、一か月と言っていたら、一か月ここにいてくれたのだろうか。でも、引き留めれば引き留めるほど、別れがつらくなっただろう。賢明な判断、何も間違っていない。
(いやだ、いやだよ。アル…………)
それでも、一週間なんていう短い時間。彼をずっと独占できていたわけじゃないし、今だって、このまま二人で逃げちゃいたいくらいでいるのに。顔を見たら、余計にその気持ちが膨らんでいく。
子供のころの大好きな人とのお別れほど悲しいことはないだろう。前世では、二十歳くらいまで生きていた。その間につらいことはあったが、こんなにもつらいことはなかった。身体年齢に精神年齢も引っ張られているのだろう。
そうでなくとも、僕とアルフレートは生まれてからずっと一緒に育ってきた唯一無二の存在だ。そんな片割れともいえる彼が引きはがされるのを、笑顔で見送れるわけがない。
泣きそうになりながら、二人分のコップと水をもって部屋に戻る。アルフレートは僕のベッドに腰を掛けて待っていた。
「ありがとう。テオ」
「もう、びっくりしたんだからね。お化けかと思っちゃった」
「ごめん。眠れなくて。それで、テオの顔が浮かんだら、無性に会いたくなって。今、ほっとしてる」
「それはよかった……」
僕は、ぎゅっとコップを握る。
あれだけ喉が渇いていたはずなのに、口にものを入れることさえ体が拒んでしまっていた。アルフレートはごくごくと隣で水を飲んでいるのに。
アルフレートは、ほっとしているといっているけど、僕は余計に離れたくない気持ちが膨らんで、押しつぶされそうだった。この夜が永遠に続けばいいと思うほど、アルフレートと離れたくない。彼も同じ気持ちならいいのに、とアルフレートのほうを見る。すると、月明かりに照らされた黄金色の髪と、うっすらと光ったラピスラズリの瞳が僕を見ていた。
「テオと一緒のこと考えてるよ」
「え、一緒って、何?」
「俺も、テオと離れたくない。ここから、出ていきたくないんだよ」
「あ、る……」
僕の顔が、態度が彼にそういわせたのだろうか。いや、きっと思っていたけど口にしなかった。いったら、余計に悲しくなるのが分かっていたから。また、ここでも我慢していたんだなって思って、さすがアルフレートだと。そう思う一方で、アルフレートが同じ気持ちであることに、安堵を覚えた。
「ここから抜け出したい。テオをつれてどっかにいきたい」
「どっかにって、どこ?」
「わからない。けど、でも、旅、旅する。テオと。どこまでも。追手が来たら、俺が全員倒すから」
「そんなために、勇者の力使っちゃだめだよ?」
そう僕がいえば、アルフレートは「いいだろ。俺の力だから」と、反抗的な目で見てくる。
そんなために勇者の力を使ったら罰が当たるのではないかと、僕はひやひやしたが、本人が”誰かを守るため”につかうのならきっと、勇者の力は彼にこたえるだろう。
まあ、そんな冗談も、夢物語もかなうはずないのだが。
「けど、周りに迷惑かけたいわけじゃない。俺はね。テオと一緒にいたいと思う以上に、この世界を救わなきゃって思ってるんだ。おかしいんだよ。あの石板に触ってから、使命……みたいなのを、感じる、から」
「勇者、だからだよ。アルは」
勇者なんて聞こえはいいが、いってしまえばそれは束縛の魔法のようなものだ。
勇者だから、この世界を救いなさい。勇者だから、その力を使って正しい行いをしなさい、と。アルフレートはそのお告げというか、強制力もあって、ますます正しい人間になっていくのだろう。元から優しい彼だ。誰かを見捨てるなんてきっと、勇者に選ばれずともしたはずだ。それが、助長される。彼は、聖人にでもなってしまうかもしれない。
アルフレートは頭を押さえて苦しんでいた。そんなアルフレートを僕は見ていられなくて、飲みかけの水をベッドに投げ捨てて彼を抱きしめた。
「テオ?」
「僕だって、悲しいよ。アルがいなくなること。アルと一緒にいたいもん。いっちゃいやだよ」
「……俺も、だよ。テオ。ごめん、ごめん……勇者なんかに、選ばれちゃって」
誰かがきいたらきっと怒るだろう。勇者という大役を、大義を、侮辱するような言葉。
勇者というのは択ばれた存在で、なろうと思ってなれるものでもない。そして、それを放棄することだってできない。
「ごめん」と泣きながらいうアルフレートに、僕も泣いてしまう。ごめんなんて、言わなくてもいい。だって、アルフレートのせいじゃないのだから。
騒いだら、家族が起きてきてしまうかもしれないというのに、涙は止まらなかった。
さよならしたくないよ。ほんとだよ。ずっとここにいていいんだよって言いたいけれど、これは僕のわがままだ。今日、旅立つ日だってわかっていても、もう一日と思ってしまう。
そうやって、ひとしきり抱き合って泣いた後、先に泣き止んだアルフレートは、そっと僕を抱きしめる力を強くする。
「あ、アル、あ、る……」
「あのね、これ、テオに渡しておこうと思って」
と、アルフレートは、ポケットに手を突っ込むと自分の瞳と同じ色の宝石のようなガラス片を取り出した。それは長いひもがついていてネックレス状になっている。
「勇者になったら、お金もらえるみたいだから、そのとき、俺の目の色と同じ宝石テオにプレゼントするから。けど、今は買えない、からまがい物だけど」
「アルの目の色?」
深い青色のアメジスト光の加減によって紫色にも見える特殊なガラス片だった。アルフレートは、河原で見つけてきたといって笑うと、手を隠した。そういえば、そこまでアルフレートは、手先が器用なタイプじゃなかったなと思い出し、ネックレス状にするために、かなり苦戦したのだろうとわかった。こういうところは、不器用だな、と僕はネックレスを受け取ってつけてみる。
アルフレートはそれを見て息をのむと、「似合ってる。俺のものみたい」とうっとりとした表情でつぶやいた。最後のほうがなんていっているか聞こえなかったが、悪口を言っていないことは確かだ。
「ありがと。大事にするよ。アル」
「うん。絶対に、絶対に外さないでね」
「は、外さないでって。紐が切れたりしたら、外す、かも……ああ、でも! 大事にする。なくさないから!」
慌てて訂正して言えば、アルフレートは満足したように微笑んだ。
しかし、さすがにうるさくしすぎたのか、パタパタと両親が寝る寝室から足音が聞こえてきたので、アルフレートは「じゃあ、また明日!」と元来た窓から出ていこうとする。そんな慌てて出ていって屋根から落ちたら! と思ったが、アルフレートはひょいひょいと、屋根をつたって自分の家まで行ってしまった。まるで、兎のようだな、なんて思っていると、両親が部屋の扉を開ける。
僕は窓辺に立ちながら、アルフレートが来たとバレないように「ちょっと眠れなくって」と笑ってごまかした。両親は、アルフレートにもらったネックレスには気づかず、部屋に戻っていった。ホッと、息を吐いて、僕は彼が出ていった窓の外に浮かぶ白い月をなだめ、「また、アルに会えますように」と願い事をしたのだ。
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