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第六十三章 寄り添うもの
水溜まりを避けようと、軽くジャンプして着地する。
……つもりだった。
その拍子によろめいた翔太は、隣を歩く蓮にぶつかった。
蓮の足が、見事に水溜まりへ沈む。
亮平はお腹を抱えて笑った。
蓮 🖤「おい💢」
翔太💙「ごめんなさーい」
蓮 🖤「少しは落ち着いて歩けないのか?」
翔太にとって紫寮から職場までの通勤が、こんなにあっという間で軽やかだったのは初めてだった。
夜の仕事を終え、馬車馬のように働き詰めていた頃には、通勤途中に咲く白詰草にすら気付かない程に――。
翔太💙「あっ四葉のクローバー!」
亮平💚「待って……」
四葉のクローバーごと翔太の手を包み込む亮平の手は、温かかった。
亮平💚「心の中で願い事を唱えてから摘むといいよ」
翔太💙「…………」
翔太💙「これって……五つ葉だったらもっと幸せなのかな?」
亮平💚「そんなご都合主義じゃないでしょ」
翔太💙「はっ!…なんて浅はかな……私利私欲に塗れた、汚れた考え方だ」
亮平💚「大袈裟でしょ。でも可愛い♡」
雨水に濡れるクローバーを優しく両手で包み込む。
睫毛を伏せて目を瞑る翔太の隣へ、亮平も膝を抱えるようにしゃがむ。
肩が触れ合うほどの距離。
それでも亮平は離れようとはせず、ただ静かに翔太の横顔を見つめていた。
亮平💚「何お願いしたの?」
翔太💙「秘密です」
亮平💚「えー、教えてよ」
翔太💙「教えたら叶わなくなるんでしょ?」
亮平💚「そうだったね」
蓮🖤「……くだらない」
そう言いながら、前を歩く蓮の歩幅はいつもより短くて――。
それに気づいた亮平が、躊躇いがちにクスッと笑い、蓮を小突いた。
翔太は訳が分からず、小走りで二人の後を追った。
蓮 🖤「くっつき過ぎだ。歩きづらい」
亮平💚「あら、じゃあもうちょっとこっちへおいで、翔太」
二人の間に割って入って、両方の腕にしがみ付いていた翔太は、蓮から引き剥がされた。
蓮 🖤「お前にやるなんて言ってない」
亮平💚「あんたの了承を得る必要ないでしょ。最初から俺のだから」
翔太💙「モテモテじゃん、オレ♡」
🖤💚「調子に乗るな」
二人から同時に怒られて、思わず吹き出した。
昨夜雨が降ったせいか、道路のところどころには小さな水溜まりが残っている。
雲の切れ間から差し込む陽射しがそこに反射して、眩しいくらいに輝いていた。
これまで灰色に見えていた景色が、今は少しだけ色鮮やかに見える。
紫寮を出てから、まだそれほど時間は経っていない。
なのに、今日は随分と遠くまで歩いてきたような気がした。
右には蓮。
左には亮平。
二人に挟まれて歩くなんて、少し前の俺なら考えもしなかった。
翔太💙「……なんか、いいね」
亮平💚「何が?」
翔太💙「こうやって三人で歩くの」
亮平💚「そう?」
翔太💙「うん」
蓮🖤「……遅刻するぞ」
翔太💙「分かってるって」
そう言いながらも、足取りは自然と軽くなる。
道端に咲く白詰草。
雨上がりの匂い。
少し湿った風。
遠くから聞こえる車の音。
どれも、昨日までなら気にも留めなかったものばかりだ。
なのに今日は、ひとつひとつが妙に愛おしく感じられた。
三人で歩く。
ただそれだけのことが、嬉しい。
ふと見上げた空は、夏の終わりを惜しむような青だった。
そういえば、今年はまだ夏らしいことを何もしていない。
海にも行っていない。
花火も見ていない。
夏祭りだって――。
もうすぐ夏が終わってしまう。
そう思うと、少しだけ寂しくなった。
そんなことを考えながら歩いていると、前方に見慣れた建物が見えてきた。
雪達磨大学附属病院。
いつもの職場が、今日は少しだけ違って見える。
翔太💙「……もう着いちゃった」
亮平💚「何?もっと歩きたかった?」
翔太💙「……うん。せっかく今日は二人とも俺の両側にいるのに」
蓮🖤「……」
亮平💚「……そういうこと言うの、反則じゃない?」
翔太💙「何が?」
思わず笑いながら、俺は手の中の四葉のクローバーを見つめた。雨に濡れた小さな葉が、朝の光を受けてきらりと輝く。
このまま持っていたら、どこかで萎れてしまうかもしれない。
でも、捨てるなんて絶対に嫌だった。
そんなことを考えていると――。
ラウ男🤍「今日は三人で仲良く出勤?」
翔太💙「見てみてラウ男さん、四葉のクローバー見つけちゃった」
嬉しそうに差し出したクローバーを、ラウ男が受け取る。
ラウ男🤍「可愛いね」
翔太💙「ね、可愛いでしょ」
ラウ男はクローバーを眺めたあと、翔太の首から下がっている社員証へ視線を移した。
ラウ男🤍「……じゃあ、雪うさぎはもう要らないな」
そう言って社員証を取り上げ、ぶら下がっていた雪うさぎのボールペンを指差す。
翔太💙「だめっ!」
即答する翔太に、ラウ男は一瞬悲しそうな顔をすると、すぐに笑顔になった。
きっと無理して笑ってる――。
翔太はそう感じた。
ラウ男🤍「そう。まだ無理か」
翔太💙「……何が?」
ラウ男は手の中の四葉を見つめ、それから翔太を見る。
ラウ男🤍「雪うさぎって、大事にしたいものは、ちゃんと大切にできる子なんだな」
翔太💙「……」
ラウ男🤍「やっぱり君は優しすぎる」
翔太💙「……?」
ラウ男はふっと目を細めると、手の中の四葉に視線を落とした。
ラウ男🤍「叶うといいね。翔太の願い事」
翔太💙「……え?」
その瞬間、胸が小さく跳ねた。
初めて呼ばれた、自分の名前。
いつもなら「雪うさぎ」と呼ばれているからこそ、その二文字が妙に耳に残った。
翔太💙「……俺の名前……」
ラウ男🤍「ん?」
翔太💙「今、翔太って……」
ラウ男🤍「ん……嫌だった?」
翔太💙「ううん……」
なんだろう。
嬉しい。
たったそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
ラウ男はそんな翔太を見て、優しく笑った。
ラウ男🤍「じゃあ、ちゃんと大切にしな」
そう言って、社員証の透明なケースを開く。
そして、四葉のクローバーを傷つけないよう、そっと中へ挟み込んだ。
雪うさぎのボールペンの隣に、小さな四葉が並ぶ。
ラウ男🤍「これなら、ずっと一緒にいられるね」
翔太💙「……うん」
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。
翔太💙「ありがとう、ラウ男さん」
ラウ男🤍「どういたしまして」
社員証を胸元に戻した翔太が、四葉のクローバーを嬉しそうに覗き込む。
そのまま三人で病院の正面玄関をくぐった。
すると――。
康二🧡「お! しょっぴー、おはようさん!」
翔太💙「康二くん、おはようございます!」
放射線技師の康二が、廊下の向こうから大きく手を振る。
それをきっかけに、翔太の周りへ次々と人が集まってきた。
リハビリ室からは理学療法士の照が顔を出し、看護師たちも笑顔で翔太へ声を掛ける。
「昨日どこ行ってたん?」
「大丈夫だった?」
「昼、一緒に食べような」
そんな他愛もない言葉が、次々と翔太へ降り注ぐ。
次から次へと声を掛けられて、翔太は目をぱちぱちさせる。
翔太💙「え、ちょっと待って。みんな一気に喋らないでよ」
そう言いながらも、翔太は笑っている。
結局、ひとつひとつの声に律儀に足を止め、名前を呼ばれれば嬉しそうに返事をする。
頼まれれば「いいよ」と頷いてしまう。
そんな翔太だから、いつの間にか周りには人が溢れていた。
笑い声が廊下に広がる。
その中心で、翔太も楽しそうに笑っている。
少し離れた場所から、その光景を蓮と亮平、そしてラウ男が見つめていた。
亮平💚「……相変わらず人気者ね」
蓮🖤「騒がしい」
そう言いながらも、蓮の目は翔太から離れない。
亮平も小さく笑った。
亮平💚「でも、楽しそう」
ラウ男🤍「……そうだね」
いつもの柔らかな笑顔。
けれど、その目だけは笑っていなかった。
ラウ男🤍「二人とも」
蓮と亮平が、同時にラウ男を見る。
ラウ男🤍「ひとつだけ、私からお願いだ」
亮平💚「お願い?」
ラウ男は、楽しそうに笑う翔太へ視線を戻した。
ラウ男🤍「あいつを……悲しませるようなことだけは、するなよ」
一瞬、二人の表情から笑みが消える。
蓮 🖤「おまえには関係ない」
亮平💚「やめなさいよ……大丈夫よ分かってるから。ご心配には及びません」
ラウ男🤍「そう」
小さく頷いたラウ男は、それ以上何も言わなかった。
ただ、翔太の胸元で揺れる社員証を見る。
透明なケースの中で、雪うさぎのボールペンと四葉のクローバーが寄り添っている。
ラウ男🤍「……大切にしてあげて。あいつが大切にしているものを」
その言葉が誰に向けられたものなのか。
蓮も亮平も、分かっていた。
その時――。
院内放送が、静かに流れ始めた。
『本日、午前九時より総回診を行います。対象となる医師、スタッフは医局前へ集合してください』
明るかった廊下に、ほんの一瞬だけ静寂が落ちる。
翔太💙「あ、総回診だって!」
康二🧡「しょっぴー、行こ行こ!」
翔太💙「はーい!」
いつものように笑って、翔太が人の波の中へ駆けていく。
その背中を見つめながら、繰り返し流れる院内放送に蓮はほんの少しだけ目を細めた。
『繰り返します。本日、午前九時より総回診を行います――』
院内放送が途切れる。
翔太は何も知らないまま、みんなの笑顔に応えるように挨拶を交わし、少し離れた二人へ「早く来いよ」と手招きをする。
その胸元で、社員証が小さく揺れた。
透明なケースの中には、雪うさぎのボールペンと四葉のクローバー。
二つは寄り添うように、静かに並んでいた。
――そして。
総回診の時間が、やってくる。
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#ご本人様には関係ありません
楪羽*yuzuriha*
11,923
51
雪月❄️
8,147
コメント
5件

雪うさぎ可愛い💙 みんなに囲まれてるのも可愛い。本当に最高🥹
いや〜、めちゃくちゃ良かった…!雨上がりの道で翔太が蓮にぶつかるドジっ子っぷりから始まって、亮平が手を包み込む優しさとか、蓮が「くだらない」言いながら歩幅短くしてるとこ、三人の距離感が全部愛おしい。ラウ男さんが初めて「翔太」って呼んだシーンは胸熱すぎてやばかった。社員証に四葉のクローバーを挟む優しさ、ずるいわ。何気ない日常の一コマなのに、色鮮やかに光って見えるの、ほんと花凜さんの筆力だと思う🔥