秋から冬に変わる頃、トワイス国内で情勢が変わった。ある領地の貴族の運営が傾き始めたと、国王に臣下より報告があったのだ。
実情は、少し違う。ある貴族の懐が壊滅的に傾いただけだ。領地への影響はさほどないと聞き及んでいる。万が一を考え、今後の領地への影響については、すでに手も打ってある。
ちなみに、国王への報告時点では、その領地を管理する貴族家のみ、すでに火の車になっていたのだが、そこまで正確な報告はまだ上がっていなかった。
私は寮でお茶を片手に手紙を読んでいた。何度目かの報告だったが、なかなかおもしろい内容だ。そう、その手紙には宛先もなければ、送り元もないただの紙切れ。たったひと言書いてあるのみ……『 陥落 』と。
その報告を読み、私はほくそ笑む。これで、後顧の憂いは払拭できた。私は、件の貴族が、何かいちゃもんでもつけてこようとしてくるのであれば、蹴散らしてやる! と心の中にはメラメラと燃えるものがあったのだが……証拠もないので、どれだけ情報をかき集めたとしても、ワイズ伯爵程度では残念ながら私までたどり着かないだろう。
のんびりお茶を飲んでいると扉が急に開く。今日は、兄とのお茶会で定期報告会の日だ。ちょうど私の部屋に無遠慮で入ってくる兄にため息ひとつつく。
「お兄様は、いつになったらノックという言葉を覚えますか?」
「そうだな、たぶん一生覚えないだろうな!」
はぁ……エリザベスは、こんな兄のどこがいいのだろう……?
私はおでこに手を当て首を振る。本気でエリザベスの感性を疑ってしまうが、兄と仲がとても良いと評判になっているので、うまくいっているのだろう。
ただし、エリザベスは、兄にまだ、ワイズ伯爵のことは言えていないようだ。見かけるエリザベスはかなり影を落としている。それも、もうすぐ終わる。エリザベスが、あんな暗い表情をしないといけない日々は終わったのだ。
「アンナ、知っているか? ワイズ伯爵の話。20も年下の貴族令嬢を後妻に望んだらしいぞ……巷ではロリコンとか変態とか噂されているって夜会の噂の的だよ。まぁ、貴族の10歳、20歳の年の差なんてあってないようなもんだけどな……政略結婚なんて、ざらだし」
うちの兄は暢気にそんなことを言っている。この感じだと、その貴族令嬢が誰なのか絶対気づいていないだろう。ため息ものである。
「そのワイズ伯爵のお相手が、エリザベスだったとしても、お兄様は笑ってそんな風に割り切って言えるのかしらね?」
意地悪く兄に真実を放った。兄は、やはり知らなかったようでかなり驚いている。
「まさか! そんなこと、あ……あるわけなだろ……? なぁ? アンナ??」
「さぁ、自分で情報でも集めるのですね。それにしても、お兄様は、情報がかなり古いですわ。その令嬢の政略結婚解消もすでに解決済みですけど……」
えっ? と、兄が私を見る。何も言わないでおく。気付かないで、自分で対処できなかった兄が悪い。
「さっきの話本当なのか? なぜ、僕に黙ってんだ!?」
兄は私に対して怒るがそれはお角違いだ。私に落ち度はない。兄が気付けなかった、エリザベスが兄に話さなかった、情報収集不足なだけである。あげればきりがないけど、どれもこれも兄の落ち度であり、それを妹である私がワイズ伯爵にわからないように手を出しただけの話だ。
「エリザベスが、お兄様に話さなかったからですよ。お兄様には、婚約者となりうる人が二人いると申し上げたはずです。そして、私の選択は、エリザベスなのです。母とも話し合った結果なので、文句言われる筋合いはないですけど……どんだけ、暢気なのですか? 危機感がなさすぎませんか? 仮にも侯爵を継ぐのですよ? しっかりしてくれないと困ります。世情には詳しくないと、ワイズ伯爵のように没落しますよ?」
そこまでいうと、もう一つ情報を持ってきたとホクホクしていた顔は血の気がひいている。
「アンナなのか……? 伯爵を陥れたのは……?」
「失礼ですし、人聞きが悪いですよ? 元々エリザベス欲しさに侯爵家にちょっかいかけてきたのは向こうです。ただの意趣返しですけど……? 私に喧嘩売って勝てると思ってるから馬鹿を見るのです」
「それは、父上も母上も知っているのか……?」
恐る恐るという感じで聞いてくる。私はそれを鼻で笑うと兄の表情に緊張が走った。
「独断ですけど? 短期決戦でしたし、情報隠蔽もありますからね? あまり多くの人に知られたくなかったので話していません。国王に届いている報告はかなり古いですし、ワイズ伯爵はお家が傾いた上に没落ですね。完膚なきまでに伯爵自身に経済打撃を与えてます。お父様とお母様にも怒られるでしょうけど、こういうことも貴族社会で生きていくなら大事ですよ? 綺麗事だけで生きていける貴族なんていませんから……」
そこまで言うと、兄を蔑むようにみる。苦虫を噛んだような顔をしている。
「そんな顔している場合ですか? もう少ししたら、ワイズ領への経済援助が行われますから、ワイズ領の領民にはそれほど影響はでないと思います。商人を握ったので、伯爵個人へ流れる賄賂を一切合切カットしました。伯爵は、苦しい立場でしょうね。ご愁傷様です」
兄は自分が気づけなかったこと、そして、妹がすでに手を打ってしまったことに驚嘆とともに悔しい思いをしているようだ。何しろ、私は勉強はできないが、こういうことには長けている。
しかも、行動力もあるから、あっという間に行動を起こしてしまう。母には慎重にと言われるが、なかなか自分ではできないので、手足となってくれる優秀な人材を私は常に求めていた。今回動いてくれたデリアは実に優秀なようだ。もちろん、今後は侍女となってもらう予定だ。それも、少し別の計画に付き合ってもらう形で。
本人が、こんな計画を今後も受け入れてくれて、それでも私の元で働きたいと言ってくれるならという条件付きではあるのだが、大丈夫だろう。
「お兄様、後顧の憂いは祓いましたよ? あとは、お兄様がきちんと責任をとる行動を示してくれれば、妹として今回起こしたことは誇りに思えます。大事になさってください、エリザベスのこと」
この短期間で、兄にとってエリザベスはかけがえのない存在となったであろう。私にとって、兄もエリザベスも両方大切な人。だからこそ、今回は汚れ役になった。
「あと、今回のことは、エリザベスには言わないでください。バクラー領への支援についても陰ながら行っているので、少しずつ経済が回り始めたくらいだと思いますから、不審なところはないでしょう」
しばしの沈黙。
その間、特に話すこともないので私はゆっくりお茶を楽しむことにした。次のお茶を用意する。ポットにお湯を入れ、蒸らしている最中だ。
「アンナ……ありがとう……返せないほどの借りができたようだ……」
「何を言っているのです? 私たちは兄妹。お兄様のピンチは、妹が救うのが当然じゃないですか! 当たり前のことを忘れないでください。私たちは家族なのです。私もお兄様には助けてもらってます。それこそ数え切れないほどに。それに、これからも私をたくさん助けてくれるでしょ?」
二人分のカップに紅茶を注ぐと、とてもいい匂いがする。余談だが、先日マーラ商会により納品された紅茶茶葉でいれたのだ。結局、農場を丸ごと買い取ることになった。その売上を10等分にして3割を農家へ、2割を加工工場へ、2割をマーラ商会へ、残りの3割を私にくれるようだ。納品ついでに売上金も置いていってくれることになった。2割を自分のポケットに入れて、1割を茶葉向上に使うお金とした。そして、生産過程の報告書ももらうようにした。ビルはうまくしてくれているようで、なんとか販路の軌道に乗るのを待っているところだ。
「当たり前だ。兄として、アンナにできることはなんでも協力するよ。兄妹だからね。それにしても、この紅茶うまいな……?」
舌が肥えている兄もうまいと言った。なら、これは、なかなかいい買い物をしたんじゃないかと心の中でニヤニヤとしておく。
「ありがとうございます。先日、農場を買ったのです。なかなか、出回らないところの紅茶でしたので、これから販路を開拓していくところなんですよ? お兄様も宣伝してくださいね?」
「はっ? えっ? 農場を買った……? アンナ……ちょっと、飛びすぎてやしないか……うちの領で紅茶の産地……」
「うちの領地ではないですよ? アンバー領です」
兄の素っ頓狂な声は、私の部屋に響く。
……やかましい。
厳しい話をしていたが、少し和やかな雰囲気になったので、エリザベスとの婚約のことをどうするのか聞くことにする。
「お兄様は、エリザベスといつ婚約されますの? 向こうの両親にもお会いしないといけませんし……」
「あぁ、実はそのことなんだが、今度の休日に行くことになっているんだ。エリーはかなり嫌がっていたんだけどね? 理由がそういうことなら納得だけど、今はそういう憂いはなくなったのなら、これで両家ともに認めてもらえるようにしたい!」
「そうですね。では、お父様とお母様には報告書を書かないといけませんね……私のやったことの分も」
いくら私でも叱られるのは嫌だ。特にお母様に叱られるのは大嫌いだ。そこは、兄に任せることにしようとしたのだが、許してくれない。
「さっきの報告なら自分できちんとするように!!」
大きくため息をひとつ。兄と共に両親への報告書を書く。もう1つ報告があったので、報告書は書かないといけない。
……嫌だ嫌だ。
重い筆を走らせながら、2通の手紙を書く。両親への報告書とデリアへの召喚状だ。今回も兄が両親への報告書は送っておいてくれるらしいのでお願いしておく。もう1つは、学園のメイドにお願いしておいた。
『 デリアへ
今回の件、よくやってくれました。
来週の休日に王都の屋敷にくるように。
召喚状があれば入れるよう連絡はしておきます。
アンナリーゼ 』
これで、来てくれるだろう。一言しかなかった手紙への返事を思い出し、次会うことを楽しみに笑うのであった。
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