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賛歌が聞こえた少し後、ユカリは悲鳴を耳にする。クチバシちゃん人形の助けを求める呼び声だった。賛歌を奏でる砦から逃れるように目を離し、ユカリはユーアの人形が去った方向に視線を向ける。
大きな影が翼を広げ、地面を離れた瞬間だった。鳥だ。鷲だ。大鷲だ。ユカリが以前に姿を借りた玻璃の大鷲ほどではないが、かなり大きな翼であった。その大鷲が人形を足に掴んで舞い上がる。
「急げ、グリュエー。偉大な風よ。その身をもって、あの鷲に、その力を知らしめたまえ」何故かユカリは歌ってしまい、驚き、慌てて、口塞ぐ。
「わが友ユカリ、気が乗らないよ。傀儡などを助けても、ユカリの助けにはならないよ」歌詞の中身とは裏腹に、グリュエーは大風を巻き起こし、身の程知らずの不遜な鳥は羽ばたつかせて大暴れ。
しかしそれは少しの間、大鷲はすぐに翼を伸ばし、暴れる風を乗りこなし、砦に聳える物見の塔へ流星のように飛んで行く。
積み重なった異常事態をいったん脇に追いやって、今度はユカリが大鷲に変身しようと考えた時、視界の端の何者か、上半身を引き起こす。ちょうどクチバシちゃん人形が攫われた辺り、その場所に、甲冑纏いし何者か、野原に一人座している。錆びた甲冑立ち上がり、ユカリの方へとやってくる。
「ああ、怖かった。驚いた。高いところは苦手だよ」拍子をとって韻律に乗せ、クチバシちゃん人形はそう歌う。
「クチバシちゃんを大事にね。ユーアの人形なんだから」
どういうことか理解して、人形を見捨てたその甲冑を諭すようにユカリは歌う。
「うるさいな。高いところは苦手なんだと言っただろ。取り戻すのは、あんたが勝手にやってくれ」
「それにしても、どうしてこうも、歌になるのか分からない。もしかしてこの響いて聞こえる砦の歌のせいなのかな?」
あいもかわらず砦から、荘厳な歌が鳴り響く。それに引きずられてしまうのか、ユカリの全ての言の葉が、歌に変わってしまうのだった。
「歌が? 一体なんのこと? グリュエーたちは歌ってるけど」とグリュエー歌う。
「他には誰も歌っていない。聞こえているのはあんただけだな」と甲冑歌う。
「廃れた砦。私には、歌が聞こえる。ずっと聞こえる。廃れた砦。さあ行こう。他のどこへと行こうというの?」
ユカリとグリュエー、甲冑は、口を開けば歌うたい、真っすぐ砦に向かうのだった。
道々唱い、鳴き真似や叫びの呪文を使おうとして、変な調子で歌ってしまい、魔法は行使されずじまい。魔法少女の変身と、万物たちとのお喋りと、人形遣いの魔法しか実質使えない状態だ。
もはや歌による力なのか、気のせいなのかも分からない。足音、風音、水音までも、楽の音のように聞こえてしまう。
とうとう砦は目の前だ。積み上げられた石材の、隙間、ひび割れ、苔生して、覆いし蔦は無遠慮に築き上げられた栄光も無いに等しく蹂躙し、草木と虫と獣と鳥が人の叡智も空しく巣食う。張り出し櫓は地に落ちて、突き出し狭間を草葉が覆う。
砦の賛歌は遠くに響き、あいもかわらず言の葉は歌に変じてしまうのだった。物見の塔の頂に、鷲の姿は見えないが、確かに鷲の歌声がユカリのもとに降ってくる。砦の賛歌と別物の孤高を歌う独奏曲。
「我が一対の至大の翼、地を這う輩の血を吸いて、なお輝きに鈍ることなく、貴き羽根が身を飾る。我が八本の鋭き鉤爪、幼き者にも容赦なく、逃げも隠れも能うことなく、皆等し並みに死を与う。恐れ敬え、地に伏せよ。空をも覆う翼の影が、汝の永遠の王国也」
げに恐ろしき王の歌。グリュエー、甲冑には聞こえぬようだが、ユカリの耳はしかと聞く。負けじとユカリは心を振るい、廃れた砦に勇みて挑む。
兵どもを退けた、かつての門は腐り落ち、そこに根差すは無花果と、葡萄に柘榴、橄欖が所狭しと並び立ち、奇妙で不思議でおかしな森が砦に守られ、栄えた様子。
苔の覆いし石畳、外壁砕く雄々しき大樹、腐った扉は茸の苗床、練兵場に花が咲く。無骨、無粋、野暮天のかつての砦は影もなく、木々に果物、花々が瑞々しき花園に。
ユカリは木々の間を通り、歪みし通廊潜り抜け、枝葉の覆う中庭へ、甲冑と共にたどり着く。最早深き森の奥、見慣れぬ鳥が盛んに歌うが、鷲の姿は見当たらぬ。
不意に静まる。鳥も風も、何もかもが歌うのをやめた。その時、中庭を巨大な黒い影が覆い、鳥たちが騒ぎ立てる。
大風を巻き起こしつつ、クチバシちゃん人形を攫った大鷲が中庭に舞い降りた。
「うわあ! なんだなんだ!」と甲冑がわざとらしく叫ぶので、ユカリは無理やり甲冑を引き寄せて、物陰に隠れ、大鷲の様子を伺う。
大鷲は何度となくはばたき、しばらく空中に留まっていたが、その大きな爪に哀れな鳥たちが犠牲になると、また空へと舞い上がった。
「狩りだったんだね。物見の塔に大鷲が陣取っているってのに、ここの鳥たちはなんでこんな所にいるんだろう。あれ? 歌じゃなくなってる」
「本当だー。歌うのも結構楽しかったけどね」
ユカリは木の葉の天蓋の隙間に物見の塔を探す。あの大鷲が関わっているのは間違いないはずだ。
「もういいっての、歌なんて。さっさと人形取り戻そうぜ」甲冑は歌う。
束の間だった。再び歌が、調べが響く。鳥も歌う。風も歌う。木々も木の葉もささめき歌う。
「自分も守れないくせに、取り戻すのも人任せ。ユカリの言葉、聞き届ければ、今頃腕を取り戻し、無様を晒すこともなく」
ユカリを慕う風の子はひそひそひそと囁き、歌う。
「伝えるつもりはないからね」ユカリは風に忠告す。
グリュエーは辺りに逆巻いた。「ユカリはどっちの味方なの? 大概にしてお人好し。グリュエーの声、聞こえる人は、他には誰もいないのに。他には誰もいないのに」
「鳥の一羽も落とせずに、果ては鳥に乗られる始末。そのくせ愚痴は一丁前。さあ、吹けグリュエー。嘶けグリュエー」
風と甲冑の罵声の嵐、ユカリは耳を塞ぎつつ、空に蓋する枝葉を見やる。枝葉の隙間に目当ての塔が、存在感を知らしめる。ユカリは甲冑率いて進み、物見の塔へとまかりこす。
崩れた階段、がたつく扉、人によって作られた命無き者どもが、人の行く手を遮った。時にユカリの言の葉が道塞ぐ者を説得し、時に空虚な甲冑が聞く耳持たぬ障害を力を尽くして脇にやる。
たどり着きたる砦の中の、閉ざされた部屋にたどり着く。光はわずか、空気も澱む。さりとて疲れが身に重く、一息つこうとユカリは休む。いつの間にやら甲冑と、風の諍い、聞こえてこない。煽るも愚策と黙っているが、長い沈黙になお疲れ、ユカリはグリュエーに言葉をかける。
「ねえ、グリュエー、聞いて。気にしちゃ駄目だよ。グリュエーは私の無二の相棒だから、今まで何度も助けてもらって、感謝してもしきれない。忘れないでね。グリュエーは私の無二の親友だから、今まで何度も救ってもらって、感謝してもしきれない。空を飛んで、大地蹴って、悪漢どもを薙ぎ倒し、グリュエーは私の一部なんだ。夜のお喋り、二人笑って、いつもそばに寄り添って、私はグリュエーの一部なんだ。きっとこの先もずっと、私たち一緒だよね。いつか生まれ変わっても、私たち笑っている。ねえ、グリュエー、聞いてる?」
ユカリの言葉は宙に消え、一人、ただ一人、歌い終える。壁にもたれかかった甲冑が、一人、ただ一人、笑っている。
「どうやら風は不貞腐れ」甲冑は歌い始める。「魔法少女は片思い。風に愛想をつかされて、一人孤独に虚空に歌う。世界の果ての一室で、目には見えない親友に、目には見えない親愛を、一人孤独に虚空に歌う」
ユカリは歌から逃げ出すように、たった一人で部屋を出る。かつての時代、血気盛んな若者が戦に行けぬ不満を零し、見張りに勤しむ夜を過ごし、敵を見つけた壁垣を、ユカリは一人突き進む。もう目前の行く先に物見の塔が聳え立つ。
「いつまで中で休んでいるの」歌うはグリュエー、気だるげな歌。「グリュエー一人待ち惚け。砦を覆う蔦揺らし、二人を待って歌うたう。広い野原を見晴るかし、風を退ける密室の二人を待って歌うたう」
ユカリは驚き、風に問う。
「そんなの聞いていないけど。密室で吹けないなんて。何で言ってくれなかったの?」
グリュエーもまた驚いた様子で歌を返す。「言わなくたってわかるでしょ? 部屋の中、吹く風なんて、一度も聞いたことはない」
可笑しそうに甲冑が笑う。
「そんなことも知らないで、親友がどうのとよく言える。あんたに吹くのは隙間風」
そう歌えど甲冑は高さにおののき、座り込む。
ユカリは心底、恥じ入って、何も言わず、歌いもせず、物見の塔へと突き進む。
最早砦に歌はなし。砦の賛歌は押し黙り、大鷲の歌も聞こえない。
上へと続く螺旋のきざはし、ユカリは物怖じすることもなく、頂目指して昇り行く。物見の塔の内部には風が確かに吹いていた。しかしユカリは押し黙り、グリュエーも何も歌わない。そこにいるのか分からない。