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「もう、いかなきゃ……」

言って、おさとは、いつものように、首を傾けながらほほ笑んだ。

秋月の輝きは、お里の面長の顔に塗りたくられた白粉を浮かび上がらせている。

娘らしからぬ、異常に白い顔の内で、紅い小振りな唇が、半開きになっていた。

開かれているそれは、笑むわけでもなく、言葉を発するわけでもないと、佐吉さきちには良く分かっていた。

道端に立ち、客を取るお里の商売癖なのだ。

安っぽい小袖こそですそを翻すように、お里はきびすを返し、先の辻へ向かって行く。

本所ほんじょ、お竹蔵から東へ余辻よつじ──。そこが、お里の商い場所だった。

これから、商売が始まるのだ。

ある夜、たまたま通りかかったこの辻で、佐吉は佇むお里を見つけた。

小石を蹴って、人を待つ仕草をする、二十歳はたち手前の女。遠目からでも目鼻立ちが、はっきり分かるほど、執拗な化粧をほどこしている。

そもそも、娘が明かりも持たず、夜更けに一人出歩く訳がない。

素人ではないと、すぐに見当がついた。

「あら、旦那」

目敏く佐吉を見つけたお里が、声をかけてきた。

二言三言、言葉を交わし、それが縁といえるのか。以来、佐吉は、この辻に足しげく通っている。

──先の暗闇で、声があがった。何か、話し声が聞こえるが、ほとんどお里の甘え声だった。

客を捕まえたのだろう。佐吉は、息をつく。

自分には、銭がない。

どんなに通い詰めようと、佐吉は、お里と挨拶程度の無駄口を交わすことしかできないのだ。

「ああ、あたしかい?里って言うんだよ」

人慣れした口調で、初めて名乗られた時は、佐吉は頭に血が上り、ぼおっとなった。

もちろん、源氏名げんじなに決まっている。それでも、名には変わりない。

里、お里……。佐吉は、一人、名を呟いた。

そして、自分は、この女に惚れてしまったんだと気がついた。

「やあ、今夜は、月がきれいだね。お里ちゃん」

どうにか、くだけた言葉を交わせるようになっていた。

それでも、銭を持たない佐吉ではそこまでが限界だった。

元締めに絞られるのだろう。実入りになる客を求め、お里は佐吉を軽くあしらい、すぐに闇へ消えて行く。

そんなお里の後ろ姿を、だまって見送る事しか出来ない我が身……。佐吉はいつも歯がゆかった。

銭さえ持っていれば。

吉原の花魁おいらんを相手にするわけでもない。岡場所おかばしょの女以下の、たかだか、辻に立つ女、なのに……。

小さめに結った本多髷ほんだまげに、袖が長めの羽織りと博多帯はかたおび、腰には金華山織きんかざんおりの煙草たばこ入れ、白足袋と、八幡黒やはたぐろの鼻緒。

誰もが認める、羽振り良い風体なのに銭が無いとは情けない。

いや、こんな格好など、ぱっと、宙返りすればすぐできる。

そう、佐吉は人ではなかった。

狐、なのだ。

が、ただの狐ではなく、晦日みそかの夜に、関東稲荷総司、王子稲荷へ参拝できる高位の身分。人に化けるのも朝飯前の、強い念力を持っていた。

銭だって、その気になれば、小石か木の葉を使えば……。

しかし、それは一晩明けると、使い物にはならない代物になる。

まやかしの偽銭を使ってまでお里を手に入れようと佐吉は、思ってはいなかった。

お里は、物ではない。佐吉の中では、かけがえのない女だからだ。

しかし、男から、銭を受け取らなければならないお里の事情も汲んでやりたい。

自分が、十分に銭を与えられれば、お里は身を犠牲にしなくても良いのに。

日々、想いと現実との板挟みで苦しんで、好いた惚れたごときにまどわされ立ち往生しているとは、情けない話だった。

と──、先の辻で、うわあっと、おおぎょうな男の声があがった。

追うように、お里の馬鹿笑いが響いてくる。

捕まえた客と、ふざけあっているのだろう。

指をくわえて見ているしかない佐吉の胸は、きりきり締め付けられた。

銭があったら、本物の銭を持っていたならば。

お里があんな下世話な笑い声をあげ、客の気を引くこともないだろうに。 

いや、毎晩辻に立たなくとも……。

でも。銭があっても……。 

佐吉は、あっと息をのむ。

お里は、佐吉の正体を知らないのだ。

人でないとわかったら、いくら、銭を持っていても、逃げ出すに違いない。

結局、佐吉にとって、お里は高嶺の花。一生かけても、近寄れない相手なのだった。

悔しさに押されるように見上げた夜空。月がやけに眩しかった。

「あらまっ、どうしたのさ。こんなところに突っ立って」

「お、お里ちゃん……」

暗闇で、男と戯れているはずのお里が現れて、佐吉は驚きを隠せない。

「ふふふっ、ちょっと、からかってやったのさ」

含み笑いながら、ちろりと舌をだし、お里は肩をすくめた。

その無邪気な仕草に、つい、佐吉の顔も緩んだ。

とはいえ、余所の男と軽口を交わしていたことに違いはない。

素直に笑い話とも受け止められず、なんと返せば良いのだろうかと、佐吉は口ごもる。

「ほら、こうやってね」

お里がふいに、顔を袖で隠した。

「どうだい?」

言って、ゆるりと袖から覗かせたお里の顔には、目も鼻も口もなく、まっ平らで、のっぺりしている。

「お、お里ちゃん?!」

佐吉は、腰を抜かした。

瞬間、ひゅっと旋風がまき起こり、お里は、くるりと宙返る。

「どうしたんだい?あんたも、人間をだましに来てるんだろ?」

くりりと愛らしい目をした犬が、ちょこんと座って、佐吉を見上げていた。

そして、ふさふさとした尾先は、二つに割れている。

犬の体をもち、尾が二股に分かれている──、と言えば、言わずとしれた……。

猫股ねこまた?!」

佐吉のあげた、すっ頓狂な声に、お里だったはずの獣は笑った。

「なんだよ。わかってなかったのかい?あたしは、あんたの事、臭いでわかっていたんだよ?」

まさか、お里も、人でなかったとは……。

佐吉の体から、いっきに力が抜けた。

「……同じ穴のむじなだったのか」

言って、へたりこむ佐吉に、

「まあ!あたしは、猫股だよ。むじななんかと一緒にしないでおくれ!」

歯切れ良いお里の言葉が、浴びせかけられた。

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