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家までゆっくり歩いた。由崎は私のスピードに合わせてくれた。もとより歩くのが遅い私に合わせてくれたために、歩幅の差が大きくて由崎は歩きづらそうにしていた。私はいつもより少しだけ速くして由崎の左側を歩いた。沈黙が二人の足音を響かせる。だけど、気まずくなくてむしろ心地いい。由崎は私の家に着いてようやく話した。
「昨日は詮索するようなことしてごめん。名前を知ってたのは、偶然だよ。」
私が数秒何も答えないでいたら由崎は来た道をさっきよりも早く歩いて戻ろうとした。逃げるようなその後ろ姿が無性に私を苛立たせた。
「…偶然?」
由崎は立ち止まって、驚いた顔で振り向いた。口元は開いているけど何も出てこない。
「明日は私から話しかける。」
「え…」
由崎が何か言うより先に玄関のドアに触れた。いつもより少しだけ焦って扉を閉めて、すりガラス越しに由崎を覗いた。時間が停止しているような彼を見て私は少しだけ得意げになって、いつも通り鞄を片付けに自室へ向かった。
2030年2月6日木曜日
風邪を引いた私は2時間目の途中で早退した。由崎には話しかけるどころか会ってすらいない。約束でもないけど、有言実行ができない自分が情けない。気分が落ち込んでしまうのは風邪のせいだ。家に帰って着替えてすぐに寝てからもう大分時間が経ったらしい。いつの間にか窓から差し込む光は冷たさがなくなっていた。時計を見たら午後4時、日の落ちる速度が速いせいで体内時計が狂いそうだ。汗ばんだ体を流して少しだけ元気になった頃、インターホンが鳴った。ドア越しに覗くとそこにいたのは由崎と女子生徒だった。
誰?と声が出そうになったが必死で抑えた。
覗いて見ている限りおそらく女子生徒は私と同じクラスの人で由崎のことが好きなのだろう。由崎は顔がいいために素行は目立たないのに女子に人気がある。簡単に言えばモテるのだ。反対に女子生徒の方は、素行の悪さで注目されているようなものだ。見た目の良さから男遊びが激しいらしい。由崎が恋愛対象として狙われても別におかしくはない話だ。そんなことはおかしくないけれど、私がざわつくのはおかしいと感じた。扉から少し離れて薄い酸素を吸った。二人がどうするのかわからないから、扉越しに二人を覗くようにしていた。インターホンが鳴ってから10分経った頃に痺れを切らした女子生徒が流石に帰ってしまった。由崎は周りに誰もいなくなったと確認した後に口を開いた。
「榎木さん。」
由崎はそのまま何も答えない私に、聞いてるかもわからない私にずっと話しかけた。さっきの人は勝手についてきたけれどだれの家か言ってないよ、だとか、今日は先生も風邪をひいていたんだ、だとか、くだらない話にたまに言葉に変換された優しさを混ぜた。私は何も答えなかったけれど。かわりに扉に近づいて5回扉をノックした。そのあと8回返ってきた。どうしようもなくて2回ノックしたら、由崎はさっきより少し長く間を開けて3回ノックした。
「…今日は帰るよ。」
由崎は「お大事に」と言葉を添えて離れていった。私は由崎と違って名残惜しく玄関から離れた。