最寄り駅まで送る約束が、車は目的のターミナル駅に向かっている。それは政志が自ら申し出たからだ。
運転手よろしくの状態で、美幸と沙羅は後部座席で、おしゃべりに花を咲かせていた。
「それでね。山菜狩りでワラビやフキだけじゃなくてヤマモモも採れるって楽しみにしていたのに、転んじゃって、ホント、残念だったなぁ。ヤマモモでジャム作れるんだって」
美幸は、政志の実家に行った時の事をケガの無い方の手で手振りを交え、沙羅に語っている。
「ヤマモモのジャムなんて珍しいものね」
「また来年、おばあちゃんちに行ったら、絶対にヤマモモ採ってジャム作るんだ。お母さんも手伝ってね」
胸の横で小さくガッツポーズをする美幸を前に、沙羅は政志の実家にはもう行く事もないのだと、言えるはずもない。ごまかすように微笑みを返した。美幸はそれを肯定と受け取り、おしゃべりを続ける。
「あっ、お母さんの田舎にも行きたかったなぁ。金沢市だって聞いて、いろいろ調べたの。石川県は金属箔が全国1位、それとカレー屋店舗件数も全国1位」
美幸の豆知識に沙羅は思わず吹き出す。
「あはは、カレー屋さん確かにたくさんあるわ。石川県は、美味しい食べ物がいっぱいあって、良い所よ」
「お母さんの夏休み中は、美味しい物食べた? 楽しかった?」
美幸の問いかけに、沙羅は金沢で過ごした日々を思い起こし、憂いを帯びた表情になる。
「たくさん美味しい物を食べて、幸せだったわ」
ふたりの話しに聞き耳を立てていた政志が、バックミラーで沙羅の様子をチラリと|窺《うかが》っていた。
「お父さん、送ってくれてありがとう。それと、おこづかいも」
「美幸の好きな物買っていいんだよ。帰りも迎えに来ようか?」
美幸には、少し甘いくらいの良い父親なのだ。
12歳と言えば、父親を嫌がる年頃。それなのに、美幸は要領の良さも発揮して仲良くしている。
「この辺り夕方は渋滞するから、迎えに来るの大変よ。電車で帰るから最寄り駅まで来てくれれば助かるわ」
気遣うような素振りで、政志と少しの時間も一緒に居たくない沙羅は、妥協案を提示する。
その言葉を良く取ったのか、政志は柔らかく笑う。
「わかった。電車に乗ったら連絡して」
美幸が小さく手を振ると、車が滑らかに走り出す。
やがて、テールランプが、他の車に紛れて見えなくなり、沙羅は安堵の息を吐き出した。
政志から向けられている視線に沙羅は気づいていた。
それは、部屋の片隅に置きっぱなしにしていた人形を普段はたいして大切にしていなかったクセに、ある日人手に渡るのを知った瞬間、大切だと騒ぎ立てる子供のような粘着質の視線。
その視線を向けられると酷く居心地が悪い。
「お母さん」
「なに?」
「お父さんの事、まだ怒っているの?」
不安気な瞳を向けられて、返事に困る。でも、変に隠し立てしても聡い美幸は両親の不仲に敏感だ。沙羅は少しずつ事実を教えていこうと思った。
「お父さんは、お母さんとしていた大切な約束を破ったの。それは、絶対に破ってはいけない大切な約束で、どんなに謝ってもらっても、すぐに仲直りは出来ないの。美幸には、お友達とケンカしても謝ったら仲良くしてね。と言うのに矛盾しているわよね。でも、お父さんが約束を破った事はゆるせなくて、お母さんは傷ついているの。美幸に嫌な思いをさせて、ごめんね」
「うーん。大切な約束を破られたら、怒るよね……」
美幸は、訳知り顔でうなずき、無言で歩き始めた。
思春期という年代は、大人のような考えをしてみたり、子供としての経験の浅さから短絡的に物事を捉えたり、相反する感情の合間を行ったり来たりする。
どこまで理解したのか、言ってしまって良かったのか、沙羅の心の中に、いろいろな不安が駆け巡る。
ショッピングモールのエントランスホールを抜けて、エスカレーターに乗ると、ひとつ前の段に居る美幸が何かを思いつたように振り返った。
「ねえ、お母さんは、お父さんと、なんで結婚しようと思ったの?」
不意打ちとも言える質問に、沙羅はワタワタと慌ててしまう。
エスカレーターの前後に乗る他人様に聞かせるような話しじゃない。
「ちょっ、どこか、ケーキでも食べれるお店に入りましょうか」
その一言に、美幸は、ぱぁっと顔を輝かせる。
「ケーキじゃなくて、パフェでもいい?」
「いいわよ」
「やったぁ!」
目の前ではしゃぐ美幸の様子を見て、沙羅は複雑な思いだ。
政志とは、大学時代に入っていたボランティアサークルの先輩と後輩の関係。
でも、知り合った最初の頃は学年も違うし、話しをしたことも無かった。
転機となったのは、両親が亡くなった後、かろうじて大学には通っていたものの、ショックと喪失感から、サークル活動をする余裕も気力も無くしていた。
講義の空いた時間にカフェで、ぼんやりと外を眺めていた時に政志から声を掛けられたのが、ふたりの始まり。
「あれ、同じサークルだよね。最近見かけていないけど、どうしたの?」
冬枯れの景色から向かいの席に座る政志に、沙羅は視線を移す。
大学4年の政志は、内定をもらい卒業を待つばかり、今日はサークルに顔を出しにきたのだ。
その前にコーヒーでも飲もうかとカフェに立ち寄り沙羅を見つけ声を掛けた。
「サークルは、辞めました。挨拶もしないですみません」
「熱心に活動していたから、ちょっと意外。何か事情でもあるの?」
政志に「両親に不幸があって辛い」などと胸の内を明かせるほど、親しい関係ではない。
でも、政志の態度は、からかいやナンパなどではなく、とても真摯だ。
「あの、家庭の事情でバイトを探さないと生活が苦しくなりそうで……」
当たり障りのない理由を口にした。
きっと、「大変だね」とか「頑張ってね」で会話が終わると思ったから。
それなのに、政志の返事は予想していたものと違った。
「そうか、何か力になれればいいけど……。あっ、カテキョのバイトは? 今俺が受け持っている子で、中1と中2の生徒が居るんだけど、就職だから後任探そうと思っていたんだ。良かったら紹介するよ」
そう言って、政志はバイト内容の詳細を説明し始めた。
普通に販売や接客のバイトをするより時給は高く、なにより好条件。
「こんなに良いバイトを譲ってもらっていいんですか?」
「もちろん。サークルでも熱心に活動しての見ていたからね。岩崎さんなら安心して任せられるよ」
こうして、ふたりの距離は近くなっていった。
政志は大学を卒業した後もこまめにメールや電話をくれた。
最初は家庭教師のバイトの引継ぎで、教え方などの相談に乗ってもらううちに、少しづつプライベートな話しをするようになる。
暫くして、沙羅が両親を亡くした事も打ち明けた頃から、政志は休日に食事や映画に誘い出すようになった。
戸惑いつつも、両親を亡くし心許なくなった沙羅にとって、頼れる兄のような存在になった政志と出かけるのは、だんだんと楽しみになっていく。
「ねえ、お母さん。それで、なんでお父さんと結婚しようと思ったの?」
美幸の声に、沙羅は過去の回想から引き戻される。
好奇心で目を輝かさせた美幸は、パフェのイチゴをスプーンですくいモグモグと口を動かしながら、沙羅の回答を待ちわびていた。
その様子を見た沙羅は、あきらめたように語り出した。
「お母さんが、風邪をひいて動けなくなったことがあったの。その時にね、お父さんが、駆け付けてくれて看病してくれたの」
「うん、うん、それで?」
「熱が上がって、意識が|朦朧《もうろう》として、お母さん一人暮らしだったから、誰も頼れないでしょう。正直言って、このまま死んじゃうのかなって思っていた所にお父さんが、薬や飲み物をもって来て、一晩中看病してくれたの。この人となら穏やかに暮らして行けるのかなって思ったから」
そう、燃えるような恋ではなかった。けれど、両親を亡くして辛い時期にいつも横で支えて、家族になろうと言ってくれたのは政志だった。