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――女神の細くも見事な曲線美を誇った御腹は、日を追う毎に大きくなっていった。
無事にオレの弟妹が、すくすくと育まれている証なのだろう。
その度にオレは『耳を澄ませば』で、所在と安否を確認。
『もうすぐだからね』
女神はそうオレの頭を撫でる。
彼女も待ち遠しいのだろうが、オレも待ち遠しい。
早く来い来い池の鯉――って奴だ、心境はな……。
『男の子かな~? 女の子かな~?』
――どっちでも良いのだ。無事に産まれて来さえすればな。
この頃、女神には内緒にしていたがな、オレには実はどちらなのかが分かっていたのだ。
猫は感覚が鋭い。それらは人間の比ではない――即ちシックスセンシス“第六感”。
受胎告知――オレの超感覚領域は、天使ガブリエルの域に在る。全ての猫がそうではない、オレだけが特別なのだ。
産まれて来るであろう子が、オレの“妹”である事を事前に知ったら、女神はどう思うだろうか。
いずれ分かる事とはいえ、オレはどうしても真実を彼女へ伝えられらなんだ。
この時ばかりは言葉を交わせない事を、崇めるヒンドゥのヴィシュヌ神に感謝したものだ。オレはすぐに口に出てしまうからな。
これ程までに空気が読める猫を、貴公等は見た事もなかろうて。
そう崇めなくともよい。流石のオレも照れるではないか。
さてさて――順調に育まれる日々。淡い記憶の欠片を遡り幾星霜。
そして瞬く間に時は過ぎて弥生――春。
その日は慌ただしかった。
とはいえ、女神は出産の為に一週間程前から入院したので、此所には居ないがね。
彼女の居ない間は、はずれ者と二人っきりで寝る羽目になってしまい、オレは毎夜毎夜嘆いたものだ。
何が悲しくて嬉しくて、野郎と床を一緒に過ごさねばならぬのだ?
まあそんな心外な日々も終わりを迎える。
家族間で慌ただしくなる前に、オレはシックスセンシスで感じていたのだ――生命の息吹を。
つまり無事にオレの妹が産まれたと言う訳だ。
はずれ者は前日から病院に赴いており、未だに帰って来ない。
もう帰って来なくていいよ――オレの妹が産まれた以上、お前の役目はもう終了だ。
――と、そこまで蔑ろにする程、オレは非情ではない寧ろ温情。
奴にはまだ役割が在る。オレ達を養うと言う――な。
だから早く帰って来い――と、何時帰って来るのか、オレは不安に屯所内をぐるぐると駆け回ったが、浮かれ過ぎて『人間の出産後は何日か病院に滞在』という事実を、オレはすっかりと忘れてしまっていたのだ。
この時のオレの心境が分かるかね?
女神と悠久とも感じられる程に、久しく会っていないという事実。
そのストレスは容易に食欲と、『八つ当たり』に変換され、屯所中の柱や障子が傷だらけ穴だらけになったものだ。
反省はしていない。何故する必要があろうか。
温厚なオレだからこそ、この程度の被害に留まった事をゆめゆめ忘れぬよう――。
――入院から出産、退院まで幾星霜。ようやく女神が屯所へと御帰還されたのだ。
待ちに待った瞬間。俺の有頂天さは、言葉で表さずとも想像出来よう。
『ただいま、ほし』
女神が優雅に前進してきたオレの頭を撫でる。その片手にはオレの妹がっ――
だが其処からでは皆目伺えない。
我が子を居間で寝かせ、ようやく妹との初対面だ。
くっ――年甲斐もなく胸が高鳴る!
覗き込むと其処には玉のように可愛らしい天使がっ――とは少々大袈裟か。
産まれたばかりの赤ん坊は、等しく猿みたいにしわくちゃなのだ。変に過大評価してはならぬ。それは只の親馬鹿だ。
しかしな、オレの目には本当に天使に映ったのだ。
猫の目は人の心まで見透かす。
其所ですやすやと寝息を立てていたのは、カリブ海より透き通る一切の濁りの無い、純水そのものだったのだ。
その神秘なる生命の奇跡を前に、オレは目尻が熱くなるのを感じたものだ。
オレも歳を取った。涙脆くてかなわん。
もう思い残す事は何も無い。素晴らしい猫生だった……とな。
――なんて、今にして思えば時期早尚だった。
オレの猫生はこれから始まりを迎えるのだ。
何が悲しくて、若い身空で遺言を遺さねばならぬ? 猫又に成るべくして成るこのオレが――
……とまあ、当時は若かったわい。オレの存在は永遠と思っていたからな。
だが歳を取る毎に現実を知り、センチメンタルな気分にもなると言うもの。
『――コラほし! アカネに悪戯はするなよ?』
おっと、そうだったな……。状況はオレの妹との邂逅、それを引き裂こうとするはずれ者。
状況は芳しくないと言えよう。
この馬鹿はどうしてこうもデリカシーが無いのか。オレがそんな事、間違ってもする筈がなかろうに。
猫は幼子は勿論、赤ん坊にも絶対に危害を加える事はしない。
これは貴公等も再度、心に刻みつけておくといい。
匂いで分かる。貴公等にも猫を飼っている者が居るのだろう?
猫の博愛は海より深い。無論――オレもな。
『――大丈夫よ。ほしはそんな事しないもんね~。これからもアカネを宜しくねほし?』
流石に女神は分かってらっしゃる!
理不尽極まりないはずれ者の言動のせいで、怒りにうち震えていたオレの溜飲も下がろうというもの。
ちなみに『アカネ』と云うのは、オレの妹の名前の事だ。
命名は女神らしいが――
『明るい音と書いてアカネと呼ぶの』
女神の唯一の欠点とも云える“ネーミングセンス”の無さに、オレは何度も嘆いたものだが、今回ばかりは見事と言わざるを得ない。
フム……音楽は良い。人間が生み出した究極の文化だ。
妹であるアカネには一刻も早く、カノンの良さを教え込ませてやらねば。
音楽に彩られた環境は、きっとこの子を感受性豊かにするだろう。
女神も同感だったのか、屯所内でクラシックが奏でられる日々。
たまに納得いかないのか趣味なのか、はずれ者の奴が『ヘビメタ』を流そうとする事もあった。
――この馬鹿がっ!
そんな重低音の金切り垂れ流しの有害雑音を流してどうする!?
自分よがりの趣味を押し付けるのは止めて頂きたい。
貴公等も分かるだろう? 『これ凄い良い曲だから』と押し付けがましい奴。
そういう奴等は、周りが引いている事に気付いていない。
少し考えれば分かるだろうに、空気の読めなさは哀れな道化師だよなホント。
『アカネに変なの聴かせないでよ!』
この馬鹿はその度に女神の怒りを買い、土下座して謝る奴の哀れな姿を見るのは、オレの気も晴れようというものだがね。
だがそれだけでは物足りないので、膝に乗ると見せ掛けて奴の太股に、咎めの爪を立ててやったのは言う迄もない。
何時まで経っても、コイツには教育が必要なのだ。
『――ぎゃあぁぁぁっ!!』
オレの鋭利な爪の痛みに、間の抜けた悲鳴を上げる奴の姿が愉快で堪らなかったな。
少しは反省してくれるといいのだが、多くは期待出来まい。
――まあそんなこんなで、順調に育まれていく日々。
“早く大きくなれアカネよ。その時はオレがしっかりと遊んでやるから――”
愛狂しい妹の寝顔を覗き込みながら、オレは訪れるだろう日々が待ち遠しかった。
そんな蜜月がずっと続くものだと――そう思っていた。