そんな言葉を知ってるだろうか。
“何か”を受け継ぐ事……大体そんな意味だろう。
英訳では
「Inheritance」「Heritage」「Legacy」…
挙げれば沢山あるのだが、これらは全て同じ”継承”という言葉であっても、使用される場面によって変わる。
だがこれらは全てビジネスや遺産、文化などに使われる意味合いであり、そんなマイナスなイメージは無いはずだ。
だが、今回、この私、不知身 武輔が体験した出来事は、どの”継承”の中でも恐らく一番の異質、「Hereditary」である。
人間が怖いのでは無い。真に怖いのは、科学や常識をも越える、人間の思いであるということを。
5月1日 朝
「……はぁ」
時刻は朝の9:00。今日も朝早くパソコンと向かい合ってデータを打ち込んでいる、ため息をついたこの男こそが私、不知身 武輔(しらずみ たけすけ)である。年齢は22歳。
「朝から辛気臭いぞ。不知身巡査。」
そう言いながら後ろからファイルで頭を軽く叩いてきた。
「浪川巡査部長…」
「おはよう。不知身。」
少し微笑みながら挨拶をしてくる。この愛想と人柄に全振りしたようなこの男、浪川 順平(なみかわ じゅんぺい) 年齢は30歳。
「おはようございます。浪川巡査部長。」
「浪川だけでいいぞ。堅苦しいだろう。」
「そうは言ってもですね…こっちも後輩っていう立場があるので…」
「ははは、そう言うと思ったよ、これ、差し入れ」
そう言いながら机の上に缶コーヒーを置いた。
「あ!ありがとうございます。いただきます。」
「仕事熱心なのはいい事だが、あまり無理しすぎるなよ。倒れたらそっちの方が大変だからな。」
「お気遣いありがとうございます。」
どんだけいい人なんだこの人は。そりゃ結婚出来て子供も居るわけだ。
勝手に納得しながら、温かい缶コーヒーを一口ほど飲んだ。
最近の日本の気候はかなりの気分屋で、急に暑くなったと思えば急に真冬になったりする。そんな曖昧で少々鬱陶しい、そんな時期。
そんな事もありながらいつも通り事務作業をしていると
『事件発生』
胸に付いた無線が語りかけてきた。
『美海美術館にて殺人事件発生。被害者は2人、近くで常駐している者は至急現場に急行せよ。どうぞ。』
「こちら浪川巡査部長、至急現場急行します。どうぞ。」
一気に緊迫した空気が流れる。それもそうだ。殺人事件なんて、滅多にない、経験する方が珍しいはずだからだ。
「俺は葉鐘巡査と同行するから、不知身は仲山と来てくれ。」
「…了解です。」
渋々了承しながら、急いで車へ乗り込む。
「浪川巡査、遅いぞ。早く乗れ。」
そう言いながら急かしてくる女性の名は仲山優里(なかやま ゆうり)巡査長。年齢25歳。
「すみません。」
「早く行くぞ。気を引き締めてけよ。」
…最悪だ。ただでさえ殺人事件だって言うのに、こんな堅苦しい、仕事に全振りの女性と車内に2人きりだとは。せめて少し愛嬌があればな。美人なんだし、スタイルも…まあそんな事はどうでもいいとして、仲山巡査長はとても優秀、かつ天才とも言われる程評価を貰ってる方だ。巡査長なんかではとても収まらないような器の持ち主。この人といるとすごく勉強になるし、何より頼りになるからいいんだけど。
「…仲山巡査長はこういうのって経験あったり」
「私語は慎め。気が散る。」
…嫌われてんのかな。
「…いま考え事をしてるんだ。質問はその後で。 」
「はい…」
こうして俺たちは現場に着くまで終始無言だった。考え事って何だろう…事件の内容とか考えてるんだろうな。流石だ。
9:20分 現場到着
今回の殺人現場―美海美術館に到着し、助手席から降りて現場に向かおうとドアレバーに手を掛けたその時
「おい」
真横から仲山巡査長が話しかけて来た。
「はい!」
反射的にいつもよりも元気に返事した俺に、ほんの少し停止した後
「…今回の事件、かなり、いや、だいぶ惨いぞ。気をつけてかかれよ。」
そう言って俺の肩を軽く叩いた。
「…はい!頑張ります!」
意外と優しいとこあるんだな。と思いながらいつもより声量を上げて返事した。
「…分かったらさっさと行け。」
前言撤回、この人怖いよ。飴と鞭が0.1:9.9位であるよこの人。
そう思いつつも、初めて見る殺人現場に不安を持ちながらも向かうのだった。
「…!浪川巡査部長、お疲れ様です。」
「佐藤検視官、お疲れ様。…聞く必要も無さそうだな。惨すぎる。」
場所は美海美術館内1階の男子トイレ。
被害者は個室トイレの中で死亡しており、血痕は個室トイレのみに収まらず、隣の個室トイレや、外まで流れていた。
「何だこれ…ウッ…すみません、一旦失礼します。」
葉鐘巡査は遺体を見るなり外へ出た。無理もないだろう。なぜならこれは━━
「四肢が無い…」
「あぁ、俺ももう十何年と警察をやってきたが、こんなのは初めてだ。」
あまりにも惨すぎる。残虐性が高く、まるで殺人を楽しんでいるかのような、そうとしか捉えられなかった。
「葉鐘巡査には”もう1つ”の方を頼もう。彼にやらせるには歴が浅すぎる。」
浪川巡査部長はそう呟いた。そして俺の方を見て
「不知身巡査は平気そうだな。」
そう語りかけてきた。
「…すみません、なんというか、グロさ、等より疑問の方が勝ってしまって。」
「疑問?」
浪川巡査部長は問いかける。
「いえ、洗面器の近くで四肢を切断した後、わざわざ引きずって個室トイレの中に入れ、便座の上に座らせた、という事ですよね。血痕を見る限りそう感じました。」
「わざわざそんな事する理由って、一体なんなんだろうなって」
分かってる。俺達に分かるわけないって
でもきっとこれは、計画的な犯行だ。
もし快楽殺人で、恨みも何も無いのだとしたら、きっと遺体は展示物の近くに置く、そう判断した。これは間違いじゃないはずだ。じゃなきゃ、こんな手間のかかる殺しはしない。
「…俺達に、殺しの理由なんて分かるわけない。いや、分かっていいはずないんだ。だから俺たちは犯人に聞くまで憶測でしか話せない。だから、絶対に捕まえるぞ。犯人を捕まえて、遺族の無念を晴らすのが俺たちの仕事だ。」
「…そうですね。頑張りましょう。」
同時刻、美術館展示ルーム
「葉鐘巡査、急げ、犯人は待ってくれないぞ。」
「仲山巡査長…すみません。どうしても慣れなくて…ウッ」
葉鐘音魅(はがね ことみ)22歳。不知身と同期で、少し気弱な人物。
「全く…どうやって学校を卒業したんだか… 」
「うぅ…すみません…」
「もういい、さっさと始めるぞ。」
仲山は大きめの溜め息をつくと、遺体に近づいた。
被害者は展示ルームで壁にもたれ掛かる形で座った状態で死亡。
頭部と身体は切り離され頭部は被害者の膝の上に置いてあった。
そしてその被害者の手に持っていたのは
「絵画…ですね。」
「赤黒い絵だな、というより赤黒い絵の具のみで塗りつぶされた絵…壁から絵画が外されてるのを見る限り、盗もうとしたのか?」
遺体の真上に飾られていた作品は取られており、作品名は「赫黒呪」。(カクコクジュ)
全てを赤黒く塗りつぶされており、不気味さを感じる絵画である。
「絵画を盗もうとした時、襲われた可能性も有りそうですね。」
「宗教的、象徴的な絵画なのかもしれないな。元々この絵画は何かの意味合いを持っており、かなり過激な信者がいたのだろう。それを盗もうとして…」
「殺られた感じですかね…」
「その線が高いな。葉鐘巡査はこの絵画の元を辿ってくれ。私はこの被害者について調べる。」
「はい! 」
我々は知る事になる。
「浪川巡査部長、この血で壁に書いてある文字は…?」
真の恐怖を。
「絵画の裏に何か書いてある…?」
真の絶望を。
「「Hereditary?」」
これは、”継承“の物語である。
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