テラーノベル
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耳をつんざく獣の叫び声。風の音ですら恐怖を煽ってくる。美琴の目前を塞ぐように立つ鬼姫の振袖が、バタバタと激しくたなびいていた。
「小娘には近寄らせへん。しっかり働きや、子ぎつね!」
木々の間から勢いよく飛び出して来た、猿型のあやかし。ニホンザルと比べると体躯は倍もあり、黒色の毛に全身を覆われ、口が異様に大きくて血走った目が目立つ。猿と言われたら猿なのだろうが、やはりかなり違う。腕と足は太く、力尽くで襲われたら抗える気がしない。
アヤメの叱咤に「分かってる!」とキレ気味に返事すると、ゴンタはひらりと飛び上がり、最初の一体を両前足を揃えて上から踏みつけていた。身体の大きさは子ぎつねの方が圧倒的に小さく見えたが、妖猿はギャーという鳴き叫び声を発しながらすぐに動かなくなる。ただ踏んでいるのではなく、妖力を足裏から放っているのだろうか。死んではいないようだけれど足下のあやかしが完全に力尽きているのを確認すると、また次に襲い掛かってきた猿へと飛び乗っていく。次々に妖狐によって猿達が踏み倒されていくのを、美琴は壺を両手で抱えながら見守っていた。
山から下りてくる数が増えていくと、美琴達のすぐ至近距離まで近付いてくるモノも現れたが、それは鬼姫が軽々と手で払い除けてアスファルトへ叩きのめしていく。圧倒的に式達の方が力は上だが、猿軍団の数は増えていくばかり。
北斗は結界の張られた陣の中で、不安を隠し切れない表情をしている。何も視えてはいないみたいだけれど、周囲の尋常じゃない気配くらいは感じているのかもしれない。
「おい、こいつら何体くらいいるんだ? キリが無い……」
「さぁ、どうやろ? いくら雑魚でもこの数やし、全部喰ってればまた尻尾が増えたりして」
退屈して愚痴り始めた子ぎつねへ、アヤメが揶揄うように言う。妖狐は成長と共に尻尾の数が増えていくのは美琴も何となく気付いていたが、他のあやかしを食すことでも増殖できるんだろうか? 真偽不確かな鬼姫の台詞だったが、ゴンタは「そ、そうかもな!」と意気揚々と次の敵へと飛び移っていった。とにかく早く九尾になりたくて仕方ないらしい。
異様に張り切り出したゴンタのおかげで、猿達の数が落ち着いてきた頃。再び、ザワザワと木々が騒ぎ始める。それまではケラケラと笑う余裕を見せていた鬼姫が、その顔からさっと笑みを消す。
「来よったで」
アヤメが溜息交じりで呟いた後、美琴の真横で結界の中にいるはずの北斗が、「ひぃっ」と短い悲鳴を上げた。
宿泊施設の建物のすぐ脇の森。そこから姿を見せたのは、先ほどとは比べ物にならないほどの大猿。ゆっくりと歩み寄ってくる手足には鋭い爪を携え、あれで攫ってきた贄を引き裂いて命を奪っていたのかと思うと、自然と鳥肌が立った。
「脇田君、しっかりして!」
「で、でも……あんなのと結婚とか、どう考えたって無理だ……」
さっきまでの小猿達のことは視えていなかったはずの北斗が、猿神の姿を視て震え出す。人化している訳でもないのにヒトに姿を認識させることができるのは、このあやかしの能力なのだろうか。それとも北斗だから視えているのか。
猿神はその獣の姿のまま、北斗に向かってニィと笑いながら話しかけてくる。その声は見た目とは裏腹に穏やかな女性のもの。そのギャップがまた恐怖を煽ってくる。
「大人になるまで待ってって、そう言ったから待ってた。長かった……おかげで、飢えが止まらない」
一歩一歩近づいて来る猿神に、北斗は顔を青褪め、膝を震わせている。テニスラケットを握る手が赤くうっ血していくのも気付く余裕がない。
じわじわと詰め寄ってくる猿神に式達が近付こうとすれど、残っている小猿がまとまってその行く手を阻んでくる。ボス猿が出てきたことで、それまでバラバラだった手下達が急に統率の取れた動きを始めたようにみえた。
「まだ約束の時ではない。けれど、私はもう耐えられそうもない……さあ、迎えに来てやったのだ。一緒に参ろう」
「無理っ……無理だから……」
震える泣き声。こっちへ来るなとばかりに、ラケットを振り回して北斗が猿神を拒絶する。パニック状態一歩寸前の北斗が、今にも結界を飛び出してしまいそうで、美琴は猿神の囁きを打ち消すよう、わざと大きな声を出した。
「脇田君っ、私達のことを信じてっ!」
何度目になるか分からない「大丈夫だから」では、もう北斗の精神を守り切れない。気休めの励ましではなく、心からの懇願。信じるは大丈夫に繋がる。だから、信じて、と。
美琴の言葉に、北斗は弱音の漏れる口を閉じた。
猿神の口元にまだ乾き切っていない赤黒い液体が付着しているのがはっきり確認できる距離。アヤメが二体同時に右手で祓い倒し、ゴンタが足で踏み潰しつつ、横から飛び掛かってきた猿の首根っこへ噛みついている。そして、ちょっと嫌な顔をしていた。あまり美味しくなかったみたいだ。
それらを横目に、美琴は抱えていた壺の蓋を開く。
八神孝也の自信作、当社比一.五倍の吸引力を誇るというそれに、ありったけの力を込めて唱えた。
「――我の名は美琴。我に逆らう悪しきものをここへ封じる。『封印』――」
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