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蓮司は、なおもその場に立っていた。出ていく素振りを見せたのはただの“余韻”の演出にすぎない。
実際は、日下部の視線が緊張を孕んだまま、微かにずれたタイミングで――
「……来てるよ、あいつ」
蓮司が、ふっと笑った。
「ほんと分かりやすい。足音も、息の吸い方も、全部……もうバレバレ」
日下部の肩が一度、わずかに引きつる。
しかし、振り向かない。蓮司もまた、ドアの方を見ない。
「ねえ、日下部」
声だけが低く、甘く、意図的に熱を帯びる。
「俺が“ここ”でさ……おまえの首に、触れたらどうなると思う?」
唐突な言葉。だが、それは脈絡がないのではなく、
“遥が聞いている”ことを前提にした、巧妙な伏線だった。
蓮司はゆっくりと日下部との距離を詰める。
不自然なほど静かな足音で、真正面から。
「殴る? 押し返す? それとも、なにもしないふり?」
日下部は表情を動かさない。だが、その喉仏がわずかに上下する。
蓮司の指が、ほんの一瞬、日下部のネクタイに触れた。
引くことはない。ただ、触れただけ。だがその距離の近さが、
教室の空気ごと、異様に濃くする。
「遥ってさ──そのへんで、いつも泣くんだよ」
声が、微かに揺らぐ。演技か、本音か、その境界を読ませない。
「喉の奥で潰れた声、我慢して……でも、身体は、反応して」
「おまえ、見たことある? あいつの、そういう顔」
言いながら、日下部の首元へ、呼吸が触れそうな距離まで迫る。
遥の気配は、もう確かにそこにあった。
教室の外、ほんの数歩の距離で、足が止まっている。
蓮司の目は、わざと何も見ないまま、
その“聞いている存在”に向けて、刃物のような台詞を紡ぎ続ける。
「俺は見たよ。何度も、全部。……見せてくれた」
「声も、震えも、熱も、涙も──」
「おまえには、見せない顔だった」
その言葉が、誰に向けられたのか。
日下部の手が、蓮司の胸元を強く掴んだ。無言のまま。
蓮司は動じなかった。
むしろ、掴まれたことで、さらに唇の端を歪めた。
「ほら。……おまえもさ、壊れる準備ぐらいしといた方がいいよ」
「“あいつ”が選ぶのは、壊れてるほうだから」
その瞬間──
外にいた遥の足音が、逃げるように去っていく。
蓮司の目だけが、それを追いかけるように細められる。
「ね、やっぱりさ。舞台は整ってたんだよ、最初から」