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こんにちは、今日は猫の日ですね。
日本とにゃぽんのハートフルコメディです。
以下の注意事項をご一読ください。
この作品によって特定の国に対する反感の助長または、反社会的思想の肯定や擁護、誘発をする意図はございません。
あくまで創作物としてお楽しみください。
「……は?」
目の前に広がる光景に、私の脳は完全にフリーズした。 猫耳、しっぽ、そしてセーラー服。 アニメの住人が画面から這い出してきたかのような格好の美少女が、我が物顔で私のソファーに座っている。 何を言っているのかわからないと思うが、私にもさっぱりわからない。
事の起こりは、ほんの数分前。
やっと、やっとだ。
「やっと家に帰れた……!!」
目の下に盛大にクマをつくった私、日本は1週間に及ぶデスマーチから解放された安堵に震えていた。
私は社畜だった。
国の化身という大層な立場に居る私も、結局は国際社会という名の大企業で使われるただの犬に過ぎないのである。
1週間ぶりの我が家だ。ろくに風呂にも入れず、会社の仮眠室で浅い眠りを繰り返すだけの夜から解き放たれたのだ、やっと。
自然と笑みが浮かんでくる。
「へへっ、これでしばらくはあのパワハラの化身とおさらばできるぞ…!っしゃあァ!!!」
睡眠不足でリミッターの外れたテンションのまま、深夜のオートロックマンションに上司への悪口と奇声を響かせる社畜。普通に近所迷惑である。
疲労で震える手でカバンから鍵を取り出し、何度も空振りしながら鍵穴へ。
カチャリ、と小気味よい音が響いた。
この音こそ、地獄の門が閉じ、安息の地が開かれる福音だ。
「ただいま、私の城……! さらば、エクセルと進捗管理表……!」
靴を脱ぎ捨てる勢いで玄関に踏み込む。
一週間PCのブルーライトに晒され続けた眼球には、廊下の薄暗ささえも慈悲深く感じられた。
ふらつく足取りで廊下を抜け、リビングのドアノブを掴む。
瞬間、男の一人暮らしにはおよそ縁のない匂いが鼻腔をくすぐった。
(……ん? なんだ、これ。出汁……の匂い?)
普通ならここで不審に思うべきだった。 しかし、極限状態の脳はその違和感を華麗にスルーし『まあええか、腹減ってるし』という最悪な結論を導き出してしまう。
朦朧とする意識のまま、ドアを乱暴に開け放つ。
真っ暗なはずの部屋。しかし、そこから漏れてきたのは、カーテンの隙間から差し込む月光ではなく、暖色系の柔らかな照明の光だった。
もしや消し忘れたか?だが、それにしては空気が妙に暖かい。
さらに視線を落とすと、そこには見覚えのない光景が広がっていた。 ローテーブルの上には、湯気を立てる味噌汁と、炊き立てのご飯。
泥棒? いや、泥棒がわざわざ飯作らないだろ。
「じゃあ、仕事のストレスによる幻覚?あのクソ上司め、労基に訴えてやる!」
混乱する脳が「不法侵入」という現実的な恐怖を弾き出し、代わりに「極限状態による幻覚」という説を採用し始めたその時。
テレビのリモコンを片手に、ソファーでくつろぐ「何か」と目が合った。 そいつは、頭の上に生えた三角の耳をピコピコと動かし、私の帰宅に気づくと、パッと花が咲くような笑顔で立ち上がった。
「おにーちゃんおかえりー!ご飯できてるよー!」
「……は?」
絞り出した声は、自分でも驚くほど情けなく掠れていた。 目の前の少女は、私の困惑などどこ吹く風で、ふりふりと尻尾を揺らしながらキッチンへ小走りで戻っていく。
「さあさあ、冷めないうちに座って! お豆腐たっぷりのお味噌汁だよ!」
促されるまま、私は吸い寄せられるように座卓の前に腰を下ろした。 一週間、コンビニのパサついたおにぎりと、エナジードリンクだけで繋いできた胃袋が、出汁の香りにダイレクトに反応してぐぅ…と悲鳴を上げる。
(……待て。落ち着くんだ私。これは不法侵入だ。あるいは新手の詐欺か、それとも……)
視線を上げると、少女が身を乗り出して私の顔を覗き込んでいた。 至近距離で見るその耳は、フェイクファーの安物には見えない。産毛の一本一本までが照明を弾き、時折ピクピクと、私の鼓動に合わせるように動いている。
「どうしたの? 毒なんて入れてないよ? ……あ、もしかして、量少なかった?」
「いや、そういう問題じゃ……」
「じゃあ、はい! 召し上がれ!」
彼女から手渡された、ずっしりと重い茶碗。 炊き立ての米の熱が、冷え切った指先にじわじわと伝わってくる。 その『温度』を感じた瞬間、私の理性という名の防波堤が音を立てて崩壊した。
「いただきます」
気づけば、お椀を傾けていた。 まずは味噌汁を一口。 五臓六腑に染み渡るとは、まさにこのことか。 インスタントではない、丁寧に取られた出汁の旨味と、甘い味噌の香りが、ボロボロの脳細胞を優しく愛撫していく。
「……美味しい」
「えへへ、でしょ? おかわりもいっぱいあるからね!」
次は白米だ。 一粒一粒が立っている。噛みしめるたびに米の甘みが広がり、一週間分の疲労が、涙となってこぼれ落ちそうになる。
(泥棒でも、幻覚でも、もういい……)
もしこれが死に際に見る夢だとしても、この味噌汁が飲めるなら安いものだ。 私は勢いよくお椀の中身を掻き込んだ。
「……ところで、あなたは」
「なーに? おにーちゃん」
「…………いや、なんでもないないです。もう一杯よそってくれませんか?」
「はーい!ちょっと待ってて」
名前を聞くことさえ忘れて、私は二杯目の米を要求した。 玄関の鍵を閉めたかどうかさえ、もうどうでもよくなっていた。
翌日。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、容赦なく私の眼球を刺した。
「……う、ん……」
一週間ぶりの、自分のベッド。 会社の仮眠室の薄い毛布とは違う、慣れ親しんだ柔軟剤の香りと適度な弾力。 体中の節々が悲鳴を上げているが、心なしか胃袋だけは温かい満足感に満たされている。
(……変な、夢を見たな)
昨夜の記憶を手繰り寄せる。 帰宅したら、なぜか猫耳をつけたセーラー服の美少女がいて、絶品の味噌汁と炊き立てのご飯を振る舞ってくれた……なんていう、ラノベのような夢。
「ははっ、私も相当キてたんですねぇ。猫耳って……二次元に逃げすぎ……」
自嘲気味に笑いながら、重い体を引きずり出す。 まずは顔を洗って、現実に戻らなければ。 今日からようやく休みだ。録り溜めたアニメでも見て、眠り直そう。
そう思い、寝室のドアを開けて廊下に出た瞬間。
──トントントン、と。
小気味よい、リズムに乗った包丁の音がリビングから聞こえてきた。 私の動きが止まる。心臓が嫌な……いや、期待と恐怖の入り混じった鼓動を刻み始める。
私は一人暮らしだ。この家に、私以外の人間がいるはずがないのだ。
恐る恐るリビングのドアを開ける。 そこには、夢の続きが広がっていた。
「あ、おにーちゃん! おはよう、いいタイミングだね!」
振り返ったのは、昨夜と同じ、現実味のないほど整った顔立ちの美少女。 朝日を浴びて、頭の上の三角形の耳が黄金色に縁取られ、満足げにピコピコと動いている。 彼女の手にはお玉。コンロの上では、またしても食欲をそそる出汁の香りが立ち上っていた。
「……夢じゃ、なかった……んでしょうか?」
「何言ってるのー? ほら、早く顔洗ってきなよ。朝ごはんは焼き鮭と、ほうれん草のお浸しだよ!」
彼女は当然のように言い放ち、ふりふりと尻尾を揺らしながらお皿を並べ始めた。 昨夜のセーラー服はそのまま。だが、その上から私が適当に脱ぎ捨てていたエプロン(景品でもらったやつだ)を羽織っている。
そのあまりに家庭的で、かつ圧倒的に異常な光景を前に、私の脳は再びシャットダウンを選択した。
「あ、はい。すぐ行きます……」
私はロボットのような足取りで洗面所へ向かった。 鏡の中に映る、クマの消えきっていない疲れ果てた顔。 その背後を、楽しげな鼻歌を歌いながら横切る猫耳の少女。
「……とりあえず、食べてから考えよ」
現実は非情だ。だが、朝ごはんの匂いはあまりにも慈悲深かった。
「……ふぅ」
完食。 焼き鮭の塩加減は絶妙で、ほうれん草のお浸しは出汁がしっかりきいていた。 空っぽになった茶碗を置き、温かい茶を啜る。
しかし、いつまでも現実逃避しているわけにはいかない。 私は湯呑みをテーブルに置き、居住まいを正した。
「……さて。落ち着いたところで、いくつか聞かせてもらいたいことがあるのですが」
「ふぇ?」
目の前では、猫耳美少女が自分の分の白米を幸せそうに頬張っている。その頭上の耳が、咀嚼に合わせてピコピコと動く。
「……食べ終わったら、話をしましょう」
「うん!わかった!」
数分後。 食卓を片付け、私はソファーに、彼女は床にちょこんと正座して向き合った。 私は努めて冷静な顔を作って切り出した。
「まず、あなたは何者ですか?……いえ、答えは分かっています。その日章旗、あなたも国の化身ですね?」
少女は、にゃぽんは、にこりと微笑んだ。
「察しがいいね、おにーちゃん。私は『にゃぽん』。新たな日本の化身だよ!」
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。 『新たな国の化身』それは、元の国が分裂するか、あるいは滅びて別の統治機構が生まれることを意味する。私達にとって最も忌むべき言葉の一つだ。
「……冗談はやめてください。私が、あるいは日本という国家が、今この瞬間に崩壊の危機に瀕しているとでも言うのですか?」
私の声に、自然と威圧感が混じる。 しかし、にゃぽんは怯えるどころか、不思議そうに首を傾げた。
「ううん、そんなに物騒な理由じゃないよ。今日は『猫の日』でしょ? 日本中の人たちが『猫かわいい!』『猫になりたい!』『猫耳最高!』って、ものすごい熱量で願った結果、その概念が一時的に受肉しちゃっただけ」
「……は?」
「つまり私は、おにーちゃんの『お休みしたい』っていう本音と、国民の『猫への愛』が混ざり合って生まれた、24時間限定のバグみたいなものだよ!」
にゃぽんは屈託のない笑顔で言い放った。 あまりに馬鹿げた理由だ。だが、この国の人間ならやりかねない、という妙な説得力があった。
「じゃあ、あなたは……国が分裂した結果ではない、と?」
「そうだよ。私はおにーちゃんの妹。おにーちゃんが激務で壊れそうだから、国民の皆がプレゼントしてくれた『理想の妹』なんだから」
彼女は立ち上がり、私の膝にポンと手を置いた。
「難しいことはおしまい! 今日は猫の日。おにーちゃんを甘やかすのが、私の唯一のお仕事だよ!」
それからの時間は、天国だった。 有能すぎるほど有能な妹は、私の肩を揉み、せっせと部屋の掃除をし、おやつには手作りのパンケーキまで振る舞った。
「おにーちゃん、お茶入ったよ」
「あ、ありがとう」
テレビを見れば、SNSでは『#猫の日』がトレンド1位を独占している。 本来なら、化身が増えるなどという事態は上層部に報告し、隔離し、徹底的に調査すべき案件だ。 だが、にゃぽんが淹れてくれた緑茶を啜り、彼女の柔らかい尻尾が私の腕に触れるたび、凝り固まった『国家としての責任感』が、泡沫のように消えていく。
「……にゃぽん」
「なーに? おにーちゃん」
「あなたは、明日には消えてしまうんですか」
私の問いに、彼女は少しだけ寂しそうに、でも満足そうに目を細めた。
「概念だもん。でも、おにーちゃんが明日からまた頑張れるくらい元気になれば、私の任務は完了だよ」
夕食は、彼女が腕によりをかけた肉じゃがだった。 ジャガイモは煮崩れる寸前の絶妙な柔らかさで、出汁の味が芯まで染み込んでいる。
一口、また一口と運ぶたびに、胸の奥が熱くなる。 一人で食べるコンビニ弁当にはなかった温度が、そこにはあった。
「……美味しいです」
「でしょ! 愛情たっぷりだもん!」
明日になれば、私はまた日本の化身として、泥沼のような国際情勢と終わらない書類の山との格闘に戻るだろう。 にゃぽんという存在は消え、このリビングにはまた静寂が戻る。
けれど、今この瞬間、口の中で広がる温かい家庭の味は本物だ。 私は、にゃぽんがよそってくれた最後の一杯を、噛みしめるように飲み込んだ。
「ごちそうさまでした。……ありがとう、にゃぽん」
にゃぽんは、本日一番の、花が咲くような笑顔で「お粗末様でした!どーいたしまして!」と答えた。 外は冷たい夜風が吹いていたが、私の家の中だけは、春のような暖かさに包まれていた。