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「いつも私に見張られていては気が休まらないでしょうから、勿論個室で寝起きしてもらいますし、休みになったらご家族やご友人と過ごして構いません。ただ、もしも恋人役として一緒に過ごす必要ができた時は、有給でお付き合いください。その際に必要な服や美容代などがあれば、こちらで用意します」
滔々と言われ、私は困惑する。
「あの……」
そもそも私は〝エデンズホテル東京〟に面接しに来たのであって……。
「勿論、この事は面接に響きません。公私混同するつもりはありませんので」
肝心な事について言及され、私はホッと安堵の息をつく。
「……でも、三峯さんは採用されると思いますけどね。ここだけの話、面接直後も皆さん『いいですね』と好感触でした。僕は用事があってすぐ面接会場を出て、エレベーターホールの前でしゃがみ込んでいるあなたを見つけました」
「えっ……、も、もしかしてそこからベッドまで……」
今まで失念していた事を口にすると、副社長は「はい」とにっこり笑う。
「僭越ながら、私が運びました」
「すっっっ……! すみません! 重たかったでしょう!」
「女性一人運べないような鍛え方はしていませんから、大丈夫ですよ」
副社長の笑顔が眩しくて目に痛い……!
(父の事があって食べられなくなったとはいえ、その前までは、帰国して日本食が美味しくてバクバク食べまくってたから、絶対増量してる……)
私は両手で頭を抱え、悶えそうになる。
いくら彼が気を遣って大丈夫だと言っても、脱力した人間は起きている時以上に重たいと言う。
(申し訳ない……っ!)
私は両手で顔を押さえ、真っ赤になった顔を隠した。
「女性が気絶しているというのに、勝手に触れてすみません」
「いっ、いえ! 重くてすみません!」
私はこれ以上ないぐらい恐縮し、下手をすれば土下座しそうなぐらい頭を下げている。
副社長はそんな私を見て、クスクスと笑っている。
「一人で勝手に感じているんですが、私たちは気が合いそうな予感がします。契約、結びましょう。決して三峯さんが損をする事はありませんから」
結論を促され、私はまだ顔を火照らせたまま手を放す。
副社長は多忙な方なのに、ずっとこのスイートルームで私の世話をしていていい訳がない。
早く結論を出さないと、彼だって次の予定があるだろう。
「……本当にいいんですか?」
恐る恐る尋ねると、副社長はゆったりと笑んで頷く。
「できない事なら提案しませんし、確かにこちらに二億というデメリットが生じますが、契約恋人になってくれれば、私としてもそれを補えるメリットがあるんです」
確かに、彼が言うならそうなんだろう。
「……では、宜しくお願いいたします」
母や健太に相談すれば、「そんなうまい話はない」と言われるのは分かっている。
けれど、私たちに残された道はそう多くない。
三人で力を合わせて寝る間も惜しんで働いたとしても、返せる額は微々たるもの。
仮に副社長に今提示された以上の事を要求されたとしても、私さえ我慢すればすべて丸く収まる。
(覚悟を決めないと。今までアメリカで働けていたのも、家族が支えてくれていたから。今度は私が家族を助ける番だ)
私は顔を上げ、表情を引き締めて副社長を見つめた。
「……意志が固まったみたいですね。……じゃあ、これから宜しく。芳乃」
副社長は微笑み、――いきなり私を呼び捨てにしてきた!
「~~~~っ!」
ブワッと顔を赤くすると、彼は私の反応を見ておかしそうに笑う。
「では、追って契約書を作ります。……一応〝外と内〟では呼び方や態度を使い分けましょう。そのほうがメリハリが効くとおもいますから」
「はい、副社長」
もう、こうなったらなるようになれ!
私は背筋を伸ばして両手を腿の上に載せ、深く頭を下げる。
「連絡先を交換してもらってもいいですか? 今住んでるのはご実家? 荷物が纏まったら迎えに行くので、教えてください」
「いえ、ずっとアメリカにいて帰国したばかりなので、私個人の荷物はとても少ないんです。スーツケースに入れたら収まる程度なので、その気になればいつでも……」
まるでノリノリで同棲しようと思っているみたいで、言いながら恥ずかしくなってくる。
「それなら助かりました。では次の週末に迎えに行きます」
「いえ、私が最寄り駅まで向かいます。ご多忙な副社長にお手間を掛けさせる訳にいきませんので」
私は固辞したが、彼も引かない。
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