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十一月二十五日、火曜。恭平の給料日で、恭平の休みの日だった。
夜七時、恭平は食卓に白い封筒を置いた。
「食費と、結衣の分だ。光熱費とローンは俺が払う。これで足りるだろ」
真尋は封筒を開けた。一万円札が八枚。
「八万円」
「足りるだろ。お前のパート代もあるんだから」
結衣は隣で宿題をしている。真尋は封筒を閉じて、家計簿の九冊目を開いた。十二月のページの、いちばん上の行。
『12月 生活費 80,000(恭平)』
括弧の中に、名前を書いたのは、九年で初めてだった。今までは、家計口座に入る三十三万円も二十八万円も、全部が「家の金」だった。これからは、恭平の八万円と、真尋のパート代を、分けて書く。
「書いとけよ。俺がちゃんと渡してるってことを」
「はい。書きました」
恭平はそれ以上何も言わず、風呂に行った。
真尋は電卓を出さなかった。食費が月五万円。結衣の給食費が、先月から十円上がって四千三百三十円。学用品、スイミング、病院。八万円で、結衣の分と食費は、ぎりぎり足りる。足りないのは、それ以外の全部だった。真尋の携帯代、服、靴、結衣の靴。来年の学年の教材費。それと、これまで家計口座から出ていた、義母への仕送り三万円。
仕送りは、恭平が払うのか。真尋は聞かなかった。聞けば、恭平は「俺の口座から出す」と言うだろう。本当にそうなるかは、来月の二十五日に分かる。
真尋は家計簿に、もう一行書いた。
『私のパート代 → 携帯、服、靴、教材、予備』
パート代は、月十一万円前後。週三日の、九時半から五時。時給は千三百円。八万円と十一万円を足して十九万円。この家の、十二月の全部だった。
真尋は家計簿を閉じる前に、九冊目の表紙の内側を見た。一年前の自分の字で、『2025年 目標:学資保険、満期まであと十一年』と書いてある。
水曜の朝、事務所に着くと、真尋は所長室の扉を叩いた。
「所長。相談があります」
神谷は書類から目を上げて、真尋が口を開く前に言った。
「週五にする。月曜から」
真尋は、扉の取っ手を持ったまま止まった。
「年末調整が三十二件ある。坪井一人では回らない。あなたが火曜と木曜も来れば、事務所が助かる。事務所の得だ」
「所長、私はまだ、何も」
「相談があると言った。顔を見れば分かる。時給は変えない。日数を増やすだけだ。学童の時間に合わせて、五時に上がりなさい。年収の線のことは、私が見る。それも業務だ」
真尋は、少し待ってから言った。
「ありがとうございます。月曜から、来ます」
「業務だ」
神谷は書類に目を戻した。
扉を閉めて席に戻ると、大久保が湯呟みを持って立っていた。所長室の扉は薄い。
「所長。それ、心配って言うのよ」
大久保は、閉まった扉に向かって言った。中から、「業務だ」と返ってきた。
大久保は笑って、真尋の机に湯呟みを置いた。
「真尋さん。学童の申込書、うちの娘のときの控えがあるから、貸すわ。延長の欄の書き方、ちょっと面倒なの」
真尋さん、と呼んだ。二年半のパートさんと、三週間の篠原さんのあとだった。
「ありがとうございます、大久保さん」
「所長が週五って言うなら、週五で正解よ。あの人、損になることは言わないから」
向かいの坪井が、「年末調整、助かります」と小さく言って、またキーを打ち始めた。
学童は、小学校の敷地の中の、別棟にある。週五の申込みは、大久保の控えを見ながら、昼休みに書いた。延長の欄は、六時まで。神谷の言った五時上がりなら、十五分で着く。
夕方、学童に結衣を迎えに行って、帰り道で話した。
「結衣。お母さん、来月から毎日お仕事になる。学童も、毎日になるの。いい?」
「毎日?」
「月曜から金曜。五時に迎えに来る」
結衣は、少し考えた。
「わたし、学童好きだよ。佳奈ちゃんいるし。おやつ出るし」
「そう」
「お母さん、お金、足りないの?」
真尋は、結衣の手を握り直した。
「足りなくはない。でも、お母さんが働くと、もっとちゃんと足りる。だから働く」
「分かった」
結衣は、それだけ言った。七歳の分かった、が、何をどこまで分かったのか、真尋には分からなかった。ただ、結衣は信号で止まるとき、いつもより少し強く、手を握った。
家に帰って、真尋は銀行のサイトを開いた。結衣の給食費と、学用品の引き落とし先を、家計口座から自分の口座に変える。学校に出す書類の様式は、翌日、事務所で印刷して、自分の口座の番号を書いた。
家計簿の十二月のページに書く。
『給食費 4,330(私)』
恭平の八万円の下に、真尋の行が一つ、増えた。
夜。恭平は九時に帰ってきた。
#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

1,510
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
「土曜から、母さんが来る」
「お義母さんが?」
「しばらく住む。結衣の面倒を見てもらう。お前が忙しくなるなら、家のことを誰かがやらないとな。母さんが見てくれるから、お前は好きに働け」
真尋は、仕事を増やすことを、恭平に言っていなかった。言うつもりも、今はなかった。
「土曜から、ですね。部屋は和室でいいですか」
「ああ。布団、出しとけ」
恭平は冷蔵庫を開けた。
その後ろで、結衣が、宿題のノートから顔を上げて、小さな声で言った。
「おばあちゃん、来るの?」
コメント
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ついに来たか、この空気の変わり目——って感じでしたね。家計簿の書き方が「八万円(恭平)」って括弧付きになっただけで、九年分の距離感がひしひしと伝わってきた。神谷所長が「顔を見れば分かる」「業務だ」って冷たく見せて助けるスタイル、めっちゃ渋くて好き。大久保さんが湯呑み置きながら「心配って言うのよ」ってツッコむのも含めて、職場に味方ができた感じが沁みる。そしてラストの結衣の「おばあちゃん、来るの?」——この小さな一言が、続きを気にさせる。#八万円