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第186話 錆の追跡
【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】
戻ってきた人々を、
いつまでも駅前の光の内側に留めておくことはできなかった。
医療確認。
身元確認。
家族確認。
それが一通り終わった者から、
駅前東側に作られた臨時医療スペースへ移す必要がある。
だが、問題はそこからだった。
光の内側は安定している。
名前を確認し、互いに呼び合う声もある。
足元は現実のアスファルトに戻っている。
けれど、その外側は違う。
ロータリー中央には異世界の石塔がまだ残っている。
駅舎外縁の柱は半透明に揺れている。
バス停の支柱や仮設ゲートには、赤茶けた錆が食い込んでいる。
木崎は駅前の地面を見ながら言った。
「金属の近くを通すな」
隊員が聞き返す。
「仮設ゲートもですか」
「全部だ」
木崎は短く答えた。
「ゲート、柵、支柱、看板、マンホール、バス停。
ラストの錆が残ってる可能性があるものには近づけるな」
「でも、東側へ抜けるにはゲート脇を通らないと」
「じゃあゲートを通るな」
木崎は周囲を見た。
「布テープで人の導線を作れ。
誘導灯は手で持て。支柱に固定するな」
近くの警官が走る。
「布テープと手持ち灯、持ってこい!」
「金属柵は使うな!」
「戻った人は、名前確認しながら一列ずつ移動!」
戻ってきた人々は、不安そうにその声を聞いていた。
「また動くんですか」
「ここにいた方が安全なんじゃ……」
警官は声を落とす。
「ここに長くいる方が危険です」
「でも、走らなくて大丈夫です」
「名前を確認しながら、順番に移動します」
「名前を……?」
「はい」
警官は頷いた。
「あなたがあなたのままでいるためです」
その言葉に、戻ってきた人々は黙った。
名前を呼ぶ。名前を返す。
それが、自分たちを現実側に繋ぎ止めている。
もう、その感覚を彼らも少しだけ理解し始めていた。
「田中真由さん」
「はい」
「弟さんの名前は」
「健太」
「こちらへ」
真由は警官に従い、ゆっくり歩き出す。
その後ろに、母親と子どもが続く。
「ユウくん」
「はい」
「お母さんの手を離さないで」
「うん」
光の内側から、一歩外へ出る。
麗太
#追放
その瞬間、木崎のカメラの画面にノイズが走った。
「止まれ!」
列が止まる。
東側へ伸びる誘導路の先。
何もないはずの地面に、赤茶けた筋が一本、すっと走った。
アスファルトの上ではない。
その下に埋まっている何か。
古い金属配管か、排水溝の縁か。
見えない金属を伝うように、錆がこちらへ近づいていた。
隊員が青ざめる。
「地面の下ですか」
木崎はカメラを覗いたまま言う。
「……追ってきてる」
「ラストが?」
「本体は見えない」
木崎は歯を食いしばった。
「だが錆が、人の列に合わせて動いてる」
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部の端末にも、同じ反応が出ていた。
《RUST RESIDUE / MOBILE》
《UNDERGROUND METAL LINE / REACTION》
《CIVILIAN TRANSFER ROUTE / RISK》
日下部は思わず声を上げた。
「残留錆が動いています!」
佐伯が画面を覗き込む。
「残留なのに動くんですか」
「金属の経路を伝っています」
日下部はすぐに地図を重ねた。
「地中配管、排水溝、古い電線管、仮設ゲートのアンカー」
「止まっている金属が連続している場所を、錆が追っている」
村瀬が顔をこわばらせる。
「戻った人たちの移動先へ向かってる?」
「そう」
日下部は答えた。
「人の列そのものを追っているというより、
移動導線に使われそうな金属を先回りして腐食させています」
城ヶ峰が低く言う。
「逃げ道を潰すつもりか」
「おそらく」
城ヶ峰は即座に通信を開いた。
『木崎、聞こえるか』
木崎の声が返る。
『聞こえてる。こっちでも見えた。地面の下を錆が走ってる』
『金属導線を全部捨てろ』
『地中配管の上も避けろ』
『日下部、通れる場所を出せ』
日下部は画面を操作する。
「金属反応の薄い場所を探します」
「東側の通常導線は危険。北東の歩道も排水溝が多い」
「……南側の植え込み沿い、樹脂製の仮設マットを敷けば通せます」
村瀬がすぐに資材リストを見る。
「樹脂マットあります。搬送用の軽量タイプ」
佐伯が通信へ入る。
『現場班、南側植え込み沿いへ樹脂マットを敷いてください』
『金属板は使わないでください』
『手持ち灯を三点、交差させて移動します』
木崎が返す。
『了解』
『人を戻すだけじゃなく、逃がすところまでが仕事ってわけだな』
日下部は画面を見つめた。
錆の反応は、ゆっくりとだが確実に移動している。
ラストは見えない。
だが、見えないまま人の逃げ道を腐らせている。
ラストを止めなければ、
駅を完全に戻すどころか、戻った人々すら安全に移せない。
日下部は拳を握った。
「逃げる導線を作ります」
「でも同時に、記録も取ります」
「ラストの錆が何を追うのか、ここで見ます」
城ヶ峰が短く言う。
「逃げながら観察か」
「はい」
「危険だな」
「でも必要です」
少しの沈黙のあと、城ヶ峰が言った。
「分かった」
「ただし、人命優先だ」
「もちろんです」
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】
樹脂マットが運ばれてきた。
隊員たちが、南側の植え込み沿いへ急いで敷いていく。
金属板は使わない。
固定金具も使わない。
布テープと重しだけで、人が通れる幅を作る。
手持ちの誘導灯を持った警官が三人、三角形を作るように立つ。
中央。右。左。
半界反転の時と同じ、三つの光の節。
ただし今度は、固定ではなく移動のための小さな光だ。
木崎は戻ってきた人々の列へ向かって言った。
「ここから移動する」
「走らない」
「名前を呼ばれたら答える」
「知らない声に従わない」
「警官や駅員の制服だけで判断するな」
真由が不安そうに聞いた。
「また、影がいるんですか」
木崎は少しだけ間を置いた。
嘘は言えない。
だが、不必要に怖がらせてもいけない。
「影も、錆も、まだ外側に残ってる」
「でも、名前を返せるなら戻れる」
「光の内側を歩けば、こっちにいられる」
真由は唇を噛み、頷いた。
「分かりました」
移動が始まる。
「田中真由さん」
「はい」
「弟さんの名前」
「健太」
「進んで」
「ユウくん」
「はい」
「お母さんの名前は」
「美紀」
「よし、そのまま」
名前の確認と、手持ち灯の光。
その二つに守られながら、人々は少しずつ駅前から離れていく。
その時、背後で音がした。
ギギ、と。
木崎が振り返る。
先ほどまで列が通る予定だった仮設ゲートが、根元から歪んでいた。
赤茶けた錆が一気に広がり、支柱が内側へ折れ曲がる。
もし、あのまま通っていたら。
隊員が息を呑む。
「……先回りされてた」
木崎は低く言う。
「そういう奴だ」
その直後、道路脇のマンホールが鈍く鳴った。
ゴン、と下から叩かれたような音。
赤茶けた筋が、マンホールの縁から広がり始める。
「進め!」
木崎が叫ぶ。
「止まるな! 南側へ抜けろ!」
警官たちが声を張る。
「名前確認を続けろ!」
「光を切らすな!」
「列を乱すな!」
戻った人々の列が、少しだけ早くなる。
だが、走らない。
走れば名前確認が途切れる。
光の三角形も崩れる。
恐怖を抱えたまま、歩く。
それが一番難しかった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】
学園の体育館には、王都から送られた小型光具が届いた。
運んできたのは、駅周辺との連絡に使っていた術師の一人だった。
息を切らしながら、布に包まれた光具を床へ置く。
「王都北西からです」
「小型二つ、結界杭一本」
ダミエがすぐに近づこうとした。
だが、ハレルがその前に手を出した。
「ダミエは待って」
ダミエの眉が動く。
「なぜ」
『私が言った』
ノノの声がイヤーカフから入る。
『ダミエが全部調整すると、また負荷を抱え込む』
『外側の設置は、ハレルたちと先生たちでやって』
ダミエは不満そうに黙った。
リオが光具を見下ろす。
「置くだけなら俺もできる」
『置くだけじゃない』
ノノが答える。
『ダミエの外箱に直接つなげないで、外側に二重の受け皿を作る』
『結界を補強するんじゃなくて、揺れを逃がす場所を作る感じ』
サキが紙に書きながら確認する。
「外箱にくっつけない」
「外側に置く」
「揺れを逃がす」
『そう』
ノノが言う。
『レアの箱を強く締めると、内側が暴れる』
『だから締めるんじゃなくて、外側に余白を作る』
レアが箱の中で笑った。
「余白。いい言葉だね」
リオが睨む。
「お前は黙ってろ」
「黙ってても見えるよ」
レアは、床に置かれた光具を見ていた。
その目は、逃げ道を探しているようにも、ただ興味を持っているようにも見える。
サキは不安になった。
「レア」
「なに?」
「本当に、変なこと考えてないよね」
レアは少しだけ首を傾げる。
「さっきも聞いたね」
「もう一回聞きたいの」
レアは数秒、サキを見た。
そして、笑わずに答える。
「考えてるよ」
サキの背筋が冷たくなる。
ハレルがすぐに顔を上げた。
「何を」
レアは箱の中で膝を抱え直した。
「箱の外に出たら、何が見えるのかなって」
ダミエの声が低くなる。
「出られると思うな」
「今はね」
レアは、外箱の薄い光を見た。
「でも、箱も人も、ずっと同じ形ではいられないでしょ」
その言葉に、体育館の空気が一瞬だけ冷えた。
ノノの声がすぐに入る。
『ハレル、外側光具の設置を急いで』
『レアの反応、少し上がってる』
ハレルは頷いた。
「リオ、右側頼む」
「サキ、位置を読み上げて」
「うん」
ダミエは黙って箱を見ている。
自分でやれば早い。
だが、それをすればまた負荷が自分に集中する。
今は、任せるしかない。
それが、ダミエには一番難しかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/臨時移動導線・朝】
戻った人々の列は、南側の植え込み沿いへ進んでいた。
樹脂マットの上を、一人ずつ歩く。
手持ち灯が三点で光を作る。
警官が名前を呼ぶ。
「真由さん」
「はい」
「ユウくん」
「はい」
「美紀さん」
「はい」
名前の声が続く限り、列は乱れない。
だが、背後から錆の音が追ってくる。
ぎし。
ばき。
ざらざら。
金属が弱り、崩れ、粉になる音。
振り返ってはいけない。
そう言われても、何人かは振り返る。
そこでは、さっきまであった仮設ゲートが崩れ、
バス停の支柱が傾き、道路脇の金属標識が赤茶けて曲がっていた。
ラストの姿はない。それなのに、錆だけが追ってくる。
子どもが泣きそうな声で言う。
「怖い」
母親がその手を握る。
「名前を言って」
「ユウ」
「もう一回」
「ユウ」
「そう。あなたはユウ。ここにいる」
そのやり取りを聞いていた木崎は、少しだけ目を細めた。
名前確認は、ただの手順ではない。
人を現実側に留める言葉になっている。
その時、列の先頭近くで警官が声を上げた。
「前方、街灯が傾いてます!」
木崎が見る。
植え込みの先にある街灯。
金属製の支柱が、すでに赤茶けている。
根元からぐにゃりと曲がり、今にも導線の上へ倒れそうだった。
「止まるな!」
木崎が叫ぶ。
「右へずらせ! マットを曲げろ!」
隊員たちが樹脂マットを持ち上げ、導線を右へ曲げる。
その瞬間、街灯が倒れた。
ガァンッ!
金属の重い音が、背後で響く。
さっきまでの導線を、街灯が完全に塞いだ。
もし数秒遅れていれば、列の上に落ちていた。
木崎は奥歯を噛んだ。
「……追い込んでる」
隊員が聞く。
「ラストがですか」
「ああ」
木崎はカメラを構え、倒れた街灯の向こうを見る。
「逃げ道を読んで、金属を落としてる」
その先に、一瞬だけ人影が見えた。
警官の制服。
黒と赤錆色の髪。
目の下の濃い隈。
ラスト。
彼は倒れた街灯の向こうで、静かにこちらを見ていた。
「……逃げる」
「でも、道は……古くなる」
木崎は低く言った。
「いたな」
すぐに通信を開く。
「ラスト本体を確認」
「南側導線の先。距離はある」
「人の列を追ってきている」
城ヶ峰の声が返る。
『交戦するな』
『今は人を抜け』
木崎は、ラストを睨んだまま答えた。
「了解」
今は逃げる。
だが、木崎の中で、何かが変わり始めていた。
ただ逃げているだけでは、この錆は止まらない。
道を変えても、また先回りされる。
金属を避けても、地中や街灯や標識を使われる。
どこかで、逃げるのをやめなければならない。
そのためには、まず生きて抜ける。
木崎は叫んだ。
「列を進めろ!」
「名前を切らすな!」
「ラストを見るな、前を見ろ!」
戻った人々は、震えながら進む。
背後で錆が追ってくる。
光の三角形だけが、細く、白く、列を守っていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部は、ラストの移動を画面で追っていた。
錆の反応は、点ではない。
線だ。
金属のある場所を伝い、先回りし、逃げ道を塞ぐ。
だが、完全に自由に動いているわけではない。
「……見えた」
佐伯が顔を上げる。
「何がですか」
「ラストは、人を直接追っているんじゃない」
日下部は画面を指す。
「人の列が使いそうな“構造物”を読んでいる」
「ゲート、支柱、街灯、排水溝、標識」
「人が誘導に使うもの、避けようとするもの、支えにしそうなものを先に錆びさせてる」
村瀬が言う。
「じゃあ、何もない場所なら?」
「そこへ誘導すればいい」
日下部は答えた。
「ただし、何もない場所には人を導く目印もない」
「だから、手持ちの光だけで導線を作る必要があります」
城ヶ峰が低く言う。
「反撃に使えるか」
日下部は少しだけ目を見開いた。
「……使えます」
佐伯がペンを構える。
日下部は早口で続けた。
「ラストは、こちらが使いそうな構造物へ先回りする」
「なら、逆に“使うふり”をすれば誘導できる」
「金属のゲート、街灯、標識を囮にして、実際の人流は非金属導線へ逃がす」
「その間に、ラスト本体を交差光路へ誘い込む」
村瀬が小さく言った。
「罠……」
「まだ案です」
日下部は答える。
「でも、逃げながら分かった」
「ラストは読んでくる」
「なら、読ませるものをこちらが選べる」
城ヶ峰は短く言った。
「詰めろ」
「はい」
日下部は画面上に、新しい作戦名を仮で入力した。
《RUST COUNTER PLAN / DRAFT》
錆から逃げるだけではない。錆を誘導し、閉じ込める。
そのための最初の線が、ようやく見え始めていた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/薄い演算空間】
パイソンは、駅周辺の配置を見ていた。
ラストの錆が、現実側の構造物を伝って人の列を追っている。
木崎たちは逃げている。
日下部たちは記録している。
白い線が、細く動く。
その背後を赤茶けた影が追う。
「観察していますね」
パイソンは静かに呟いた。
「逃げながら、学んでいる」
それは少し厄介だった。
恐怖でただ逃げる相手なら、追い詰めればいい。
だが、逃げながら記録し、記録しながら反撃の形を探す相手は、簡単には崩れない。
パイソンは配置図の別の場所へ目を移す。
学園。
レアの箱。
ダミエの結界。
追加光具。
主鍵と副鍵。
黒い線が、そこへ細く伸びていた。
「では、現実側が錆を見ている間に」
パイソンの指が、学園の周囲をなぞる。
「別の扉を開けましょう」
◆ ◆ ◆
戻った人々は、現実の駅前から離れ始めた。
だが、ラストの錆はその足元ではなく、彼らが通るはずの道を追ってきた。
ゲートを腐らせ、街灯を倒し、排水溝を赤茶けさせる。
見えない錆が、逃げ道を先回りする。
木崎たちは逃げた。
だが、ただ逃げただけではなかった。
日下部たちは、その追跡の癖を見た。
ラストが何を読むのか、何を狙うのか、少しずつ形が見え始めた。
そして学園では、レアの箱の外側に、新しい光具が置かれていく。
守るための光。
だがその光の余白を、レアはじっと見ていた。
現実側では、錆が追ってくる。
学園側では、影が隙を探している。
逃げる時間は、長くは続かない。