テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「お兄ちゃん、本当に凄いわねえ。お父さんと同じ研究所を目指すなんて、お母さん、鼻が高いわ」
リビングのソファで、美紗子はスマートフォンの画面に向けて自撮りの笑顔を作りながら、長男の修一(しゅういち)の肩を強く抱きしめた。
修一は引きつった笑みを浮かべ、母親の過剰な力に耐えるように身を硬くしている。
修一は幼い頃から勉強ができた。 それは美紗子が手作りの教材で彼を縛り付け、徹底的に英才教育を施した成果だった。
美紗子にとって、修一は自分の正しさを世間に証明するための「最高級のトロフィー」だった。
SNSには毎日のように、『ASDの夫の遺伝子に負けず、優秀に育ってくれた長男』の自慢話が、ママ友たちの羨望のコメントと共に並んでいる。
◇
だが、当の修一の脳内は、地獄のようなぐちゃぐちゃの泥濘(でいねい)と化していた。
大学の研究所に進んだものの、そこで求められる緻密なマルチタスクと、締め切りへのプレッシャーに、彼の脳(ADHD特性)は完全に悲鳴を上げていた。
文字が頭を素通りし、思考が整理できない。 父親のように淡々と論文を書くことができない。
(違う、僕が狂っているんじゃない。僕の脳が追いつかないのは、毎日スマホを見て僕のプライドを削る母親のせいだ。僕の邪魔をするこの環境のせいだ……!)
修一の心は、激しい「他責思考」に侵食されていった。 薬物治療を始めても、頭の中の雑音は一切収まらない。
強烈なストレスと焦燥感の捌け口として、彼は夜な夜な、インターネットの暗部へと潜り込んでいった。
◇
そのリビングの片隅で、次男の和也(かずや)は、完全に気配を消して立ち尽くしていた。
手には、学校から配られた「友人たちとのお泊まり会」のプリントが握られている。 何度も寝室で練習した言葉を、意を決して口にした。
「お母さん、来週、みんなでお泊まり会に行きたいんだけど……」
美紗子はスマートフォンから一切目を離さないまま、冷酷に言い放った。
「ダメに決まってるでしょ。お母さん、今どれだけ大変か分かってるの? お兄ちゃんの体調も悪いし、お父さんは何もしてくれない。あんたが外で何かあったら、お母さんの心が壊れちゃう。心配だから許しません」
「……いつも、それだ」
和也の拳が、爪が肉に食い込むほど強く握りしめられる。
和也のお願いは、常に全否定から始まった。
美紗子にとって、手のかからない定型発達の次男は、自分の不安を解消するために手元に縛り付けておく「都合のいい奴隷(感情のゴミ箱)」に過ぎなかった。
和也の時間は、事あるごとに母親の愚痴の聞き役として、家庭のケア要員として奪われていく。
(この女は、僕を人間だと思っていない。自分の『可哀想な母親』という役割を演じるための道具だ)
和也の心から、急速に「家族」への体温が失われ、冷徹な殺意に近い諦めが育っていった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!