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第11話 疑心暗鬼の王国
警察署の取調室は、思っていたより静かだった。
机。
椅子。
録音機。
壁の時計。
久世ミナトは、グレーのパーカーの袖を握っていた。
部屋の外では人が動いている。
足音。
書類の音。
電話の音。
それなのに、この部屋の中だけ時間が遅かった。
葛城怜司は向かいに座っていた。
灰色のスーツ。
短く整えた髪。
鋭い目。
腕時計へ一度だけ視線を落とし、またミナトを見る。
「確認を続けます」
ミナトはうなずいた。
「はい」
「あなたは、Kという言葉を最初に使った」
「はい」
「K宣告の形式は、あなたの記録に残っていた言葉と似ている」
「はい」
「あなたの部屋から、被害者の記録、支援履歴、配信保存用の端末が見つかった」
「はい」
「しかし、世界同時宣告をあなた一人が操作した証拠は、現時点では確認できていない」
ミナトは顔を上げた。
葛城の表情は変わらない。
「では、僕は」
「自由になったわけではありません」
その言葉は重かった。
「あなたを中心に、Kは広がっている」
ミナトは机の木目を見た。
「分かっています」
「本当に?」
葛城の声は低い。
「分かっている人間は、ここまで大きくなる前に止められたのではありませんか」
ミナトは唇を結んだ。
反論できなかった。
止めたかった。
止めようとした。
でも、止まらなかった。
その事実だけが残る。
取調室の外で、誰かが走る音がした。
続けて、扉が強く叩かれる。
葛城が立ち上がった。
部下が顔を出した。
「また宣告です」
葛城の眉が動く。
「何件だ」
「確認できているだけで、三百件以上です。配信元が分散しています」
ミナトの息が止まった。
三百件。
増えている。
止まるどころではない。
ボスの拠点が見つかったと報じられた後も、K宣告は増え続けている。
いや、むしろ増えた。
人々は知ってしまった。
誰でも、ボスの形式をまねられる。
誰でも、誰かの名前を読み上げられる。
誰でも、たった一言で、誰かの生活を揺らせる。
ミナトは、椅子の背にもたれた。
「……終わってない」
葛城は戻ってきた。
「終わる理由がありません」
その言い方は冷たかった。
でも、責めているだけではなかった。
現実を置いただけだった。
「ボスを見つければ終わると思っていました」
ミナトは言った。
「僕も、どこかでそう思っていました」
葛城は何も言わない。
「でも、違った」
ミナトは震える手を見た。
「ボスは、もう一人じゃなかった」
廊下の向こうで、また電話が鳴る。
誰かの怒鳴る声。
別の誰かの泣き声。
Kは警察署の中にも入ってきていた。
拘束されたのはミナトだった。
でも、世界は変わらなかった。
夕方。
ミナトは別室へ移された。
そこには小さなモニターが置かれていた。
画面には、ニュースが流れている。
K宣告、世界中で増加。
久世ミナト拘束後も止まらず。
模倣配信が急増。
K疲れとK恐怖、同時に広がる。
人々は疑う相手を探し始める。
ミナトは画面を見つめた。
自分の写真が映る。
部屋から連れ出される姿。
疲れた目。
乱れた茶色の髪。
下を向いた顔。
その横に、大きな文字。
始まりの人物か。
ミナトは目を閉じた。
始まり。
その言葉は、刃より重い。
扉が開いた。
綾瀬レイナが入ってきた。
短い茶色の髪。
丸い眼鏡。
緑のジャケット。
いつもより歩き方が遅い。
怒っている時の爪先の音も、今日は小さかった。
「面会、短いって」
ミナトは顔を上げた。
「来てくれたんだ」
「来るでしょ」
レイナは椅子に座った。
机を挟んで向かい合う。
少し前まで、二人は現場へ走っていた。
今は、警察署の部屋で向かい合っている。
「外、ひどいよ」
「うん」
「君を責める人。君を守る人。君をボスだと決めつける人。君を英雄にしたがる人」
レイナは息を吐いた。
「全部いる」
ミナトはうつむいた。
「英雄じゃない」
「知ってる」
「ボスでもない」
「それも知ってる」
「でも、始まりではあった」
レイナは答えなかった。
その沈黙が答えだった。
ミナトは笑おうとして、失敗した。
「レイナ」
「何」
「僕がいなければ、Kはなかったのかな」
レイナはすぐには答えなかった。
丸い眼鏡の奥で、目が揺れている。
「違う形で、あったと思う」
「慰め?」
「違う」
レイナは机に手を置いた。
「人は、誰かを疑う理由をいつも探してる。名前がKじゃなかっただけで」
ミナトは顔を上げる。
「でも、君が名前をつけた」
「うん」
「名前がついたから、広がった」
「うん」
「だから、責任はある」
その言葉は、やさしくなかった。
でも、必要だった。
ミナトはうなずいた。
「うん」
レイナの声が少し低くなる。
「でも、全部の罪を背負うな」
ミナトは黙った。
「全部背負った顔をすると、みんな安心するんだよ」
「安心?」
「悪い人が一人いた。捕まえた。終わり。そう思えるから」
ミナトは、胸の奥が冷えるのを感じた。
人々は安心を求める。
安全ではなく。
真実ではなく。
分かりやすい終わりを求める。
そして今、その終わりにされようとしているのは、ミナトだった。
「僕を消しても終わらない」
「うん」
レイナはうなずいた。
「だから、言わないと」
「何を」
「君の言葉で」
ミナトは、モニターを見た。
そこでは、また新しいK宣告が流れていた。
知らない配信者。
知らない声。
でも、形式は同じ。
本日のK宣告を始めます。
今回の対象者はこちらです。
〇〇さんに[K]を持たせます。
ミナトは目を閉じた。
この形式を、誰もが覚えてしまった。
儀式のように。
遊びのように。
罰のように。
「最後のメッセージを出したい」
ミナトは言った。
レイナはうなずいた。
「手伝う」
「葛城さんが許すかな」
「許させる」
少しだけ、いつものレイナだった。
夜。
葛城は、ミナトの申し出を聞いて黙った。
取調室ではなく、署内の会議室だった。
レイナが隣にいる。
画面越しには佐倉ユウもいた。
柔らかい茶色の髪を首元で結び、ベージュのロングカーディガンを着ている。
疲れた顔。
でも、目はそらさない。
葛城は腕時計を見た。
「危険です」
「分かっています」
ミナトは答えた。
「あなたが話せば、さらに注目が集まる」
「分かっています」
「あなたの言葉が、また切り取られる」
「分かっています」
「それでも?」
ミナトはうなずいた。
「はい」
葛城は長く黙った。
やがて言った。
「警察の管理下で行います。話す内容は事前に確認します。ただし、あなたの言葉で話してください」
ミナトは顔を上げた。
「いいんですか」
「私も知りたい」
葛城は静かに言った。
「これを、どう終わらせるつもりなのか」
ミナトは答えられなかった。
終わらせる方法など、まだ分からない。
でも、言わなければならないことはあった。
深夜十一時。
配信が始まった。
警察署の小さな会議室。
机。
椅子。
灰色の壁。
中央に座るミナト。
横には葛城。
少し離れてレイナ。
画面越しにユウ。
視聴者数は、見たことのない速さで増えていく。
百万。
一千万。
五千万。
それ以上。
数字が壊れているように見えた。
コメントは流れすぎて読めない。
ボスだ
違う
説明しろ
謝れ
助けて
終わらせて
ミナトは、カメラを見た。
喉が乾いていた。
手が震える。
逃げたい。
でも、逃げない。
「久世ミナトです」
声はかすれていた。
「僕は、Kという言葉を最初に使いました」
コメントが爆発する。
ミナトは続ける。
「疑われて苦しむ人を守りたかった。危険で、怖くて、正体が分からないものに、名前をつけたかった」
一度、息を吸う。
「でも、その言葉は僕の手を離れました」
レイナが、少しだけ拳を握った。
ユウは画面の向こうで黙って見ている。
「Kは、誰か一人が作ったものではありません」
ミナトは、自分の声が震えているのを感じた。
「誰かを疑いたい気持ち」
「怖さを誰かに押しつけたい気持ち」
「分からないものを、分かったことにしたい気持ち」
「それらが集まって、Kになりました」
コメント欄が荒れる。
言い訳
でもそう
逃げるな
何をすればいい
ミナトは、机の上の手を握った。
「ボスを捕まえても終わりません。」
言葉が、会議室に落ちた。
「僕を消しても終わりません。」
葛城の目が、少しだけ動いた。
「疑うことをやめない限り、Kは消えない。」
その言葉の後、配信画面のコメントが一瞬だけ遅くなった。
本当に一瞬。
世界が息を止めたような一瞬。
ミナトは続けた。
「でも、疑うことを完全に消せと言っているわけではありません」
レイナが顔を上げる。
「怖いなら、怖いと言ってください。確認したいなら、確認してください。不安なら、距離を取ってください」
ミナトは、今まで出会った人たちを思い浮かべた。
社長。
教師。
院長。
配達員。
俳優。
友人。
配信者。
偽物にすがりかけた人々。
「ただ、誰かの人生を壊す前に、一度だけ立ち止まってください」
声が少し強くなる。
「その人は、あなたの恐怖を持たされるために生きているわけではありません」
会議室は静かだった。
「Kを止める方法を、僕はまだ知りません」
その一言で、レイナの目が揺れた。
「でも、始められることはあります」
ミナトはカメラを見た。
「次の対象者を探さないでください」
「名前を並べないでください」
「怖いと思ったら、広げる前に、誰かと話してください」
「疑う前に、確認してください」
「確認できないなら、断定しないでください」
「そして」
ミナトは少しだけ声を落とした。
「宣告された人を、一人にしないでください」
言い終えた瞬間。
配信が、止まった。
いや、止まったように見えた。
コメント欄の流れが消えた。
通知音も消えた。
世界が静寂に包まれた。
ミナトは、画面を見つめた。
レイナも。
葛城も。
ユウも。
誰も話さない。
その静けさは、勝利ではなかった。
理解でもなかった。
ただ、世界が一瞬だけ、どう反応すればいいか分からなくなっただけだった。
けれど、その一瞬に、ミナトは息をした。
まだ、終わっていない。
でも、届いたかもしれない。
ほんの少しだけ。
その直後。
新しい通知音が鳴った。
会議室の全員が、同時に画面を見た。
ミナトのスマホ。
レイナの端末。
葛城の端末。
ユウの通話画面。
世界中の画面。
そこには、短い文章だけが表示されていた。
次は、あなたかもしれない
音は一つだけだった。
けれど、世界中に鳴った。
ミナトは目を閉じた。
終わらなかった。
分かっていた。
それでも、胸の奥に重いものが落ちた。
レイナが小さく言った。
「まだ続く」
ミナトはうなずいた。
「うん」
葛城が立ち上がる。
外では、また電話が鳴り始めていた。
通話画面のユウが、静かに言った。
「でも、聞いた人もいる」
ミナトは顔を上げた。
ユウは少し笑っていた。
疲れた笑い。
でも、確かにそこにある笑い。
「全部は変わらない。でも、聞いた人はいる」
レイナも言った。
「そうだね」
ミナトは、画面に表示された言葉を見た。
次は、あなたかもしれない。
その言葉は、脅しだった。
呪いだった。
遊びだった。
警告だった。
そして、問いでもあった。
あなたは、誰かを疑うのか。
あなたは、誰かにKを持たせるのか。
あなたは、宣告された人を一人にするのか。
深夜の警察署で、ミナトはゆっくり息を吐いた。
「僕は、まだ終われない」
レイナがうなずいた。
「知ってる」
葛城は何も言わなかった。
ただ、腕時計を見てから、静かに扉へ向かった。
外では、世界がまた騒ぎ始めている。
批判。
擁護。
恐怖。
怒り。
嘲笑。
祈り。
全部が同じ画面に流れている。
ミナトは椅子に座ったまま、机の上に手を置いた。
その手は、まだ震えていた。
けれど、逃げるための震えではなかった。
朝になれば、また誰かが宣告される。
昼になれば、また誰かが疑われる。
夜になれば、また誰かが画面を見る。
Kは続く。
人々が誰かを疑いたい限り。
怖さを誰かに持たせたい限り。
分からないものを、分かったふりで裁きたい限り。
それでも。
誰かが立ち止まるかもしれない。
誰かが広げる前に、手を止めるかもしれない。
誰かが、宣告された人の隣に座るかもしれない。
ミナトは、その小さな可能性だけを胸に残した。
K宣告十一日目。
ボスを捕まえても、終わらなかった。
始まりの人間を責めても、終わらなかった。
世界は、疑心暗鬼の王国になった。
その王国のどこかで、また通知音が鳴る。
次は、あなたかもしれない。
物語は終わる。
だが、K宣告は終わらない。
コメント
1件
読了しました。第11話、本当に重くて、でも綺麗な話でした。ミナトが「疑うことをやめない限り、Kは消えない」って言ったシーン、心に刺さりました。ボスを捕まえても終わらない、自分を消しても終わらないっていう現実の厳しさと、それでも「届いた人もいる」ってユウが言ってくれたところに、少しだけ救われた気がしました。次はどうなるんだろう…続きが気になります🌙