その日の放課後のこと。私はある友人を探していた。余程私と道浦との関係が珍しいのか、それともあいつが思いの外、モテ人なのか。話したことのない同級生や顔を知らない同級生、他クラスから冷やかしに来る人や、恋バナをどうしても交わしたい連中など…散々であった。興味本位で私に近づいて来た人達1人1人に事実を話した。付き合ってなんかいない。その噂は流石に違う。違う。違うよ。…と。あるいは噂を流したであろう人物を恨んだ。しかし、今回の騒動はその子だけの所為ではなかったのだ…私はたまたま聞こえた道浦の発言に思わず言葉を失っていた。どうしてそんなことを言うの??!!しばらく私は動けないでいた。怒りか呆れか失望か…私はその後の記憶がどうもおぼろげにしか残っていない。席に座り続けていた記憶のみである。
かつてない程に目まぐるしい状況の中、私は誰かを責める程の気力なんて勿論残っていなかった。私はあいつが大嫌いだ!なんて本心を打ち明けてみろ。性格のギャップ故、きっと誰からも引かれるだろうし、これは信じてもらえないなという確信があった。こちらも相手を何としてでも説得させてやる!なんてことで演説をするのも面倒くさかった。つまり、私には私を信じてくれる親しい友人が居なかったのだ。目に視えない形の孤独であった。噂は相変わらず事実として皆を納得させた。上澄みだけが仲のいい人しか居なかったのだ。何故なら私は….
「拓斗くん…?」
少し辺ぴな場所にある廊下の掃除が終わり、冷水に当てられた手がかじかんでいた。やっと静けさを取り戻した教室へと足を運ぶ途中、ふと、彼を見つけた。私はほんの一瞬、家に帰ってきたかのような安心感を抱いた。しかし…どうしたのだろう。不安を胸に抱く。壁に体重を預けぐったりと重々しく歩く1人の男がいた。私の知る彼は辛さや落ち込みといった負の感情を人前で出すことのない人物であった。もしかすると体調が悪いのかもしれない…。いや….もしかすると私と道浦との噂の為に落ち込んでいるのかもしれない…いや、きっとそうだ。だって彼は道浦のことが好きだから。
声が聞こえたのだろうか…彼はぴたりと歩みを止めた。しかし、ずるずると背中を丸めしゃがみ込んでしまった。余りにも鬱々とした彼の姿に私は「ごめんなさい」だなんて関係のない台詞を吐いてしまいそうになった。私は何も悪いことなんてしていないのに。思わず癖で呟いてしまう所だった。私は彼の元へと柔らかくゆっくりと近づく。あらぬ誤解を解かねば。道浦の真っ赤な嘘の発言を正面から聞いた彼はきっと誰よりも真に受けてしまっている。
「拓斗くん…大丈夫…?」
少し距離を空け、同じようにしゃがみ込み目線を合わせた。私はまず、体調が優れないのどうかの確認をしようとした。余りにも返事がないもんだから、彼の肩に触れようとした…
「俺に触らないで」
「あっごめん」
私は直ぐに手をしまう。静かな声ではあったが、彼からの聞き慣れない台詞に少し焦ってしまう。どうやら彼は私と道浦との関係に傷ついているようだ。女々しくも情けなく背中を丸め自身の抱いた恋故にふて腐れる彼の姿を見て、どこか嘲笑う自分がいた。…いけない。そんなこと考えるな。
「ねぇ…楓果ちゃん」
心の声なんて絶対に誰にも気づかれない。超能力者でもいない限り絶対に気づかれない。分かってはいるがまさか覗かれていないよな?と、勝手に罪悪感を抱く。少し怯えた風の私は彼を正面から見るのを少しばかり躊躇ってしまう。
「俺さ、ずっと嘘ついてた。」
「?」
予想外の言葉に思わずきょとんとする。嘘とは一体何のことだろう?
「俺さ、楓果ちゃんが思っているよりもずっと道浦のこと好きなんだよ…。絶対に叶わない願いだって分かってた。それでも俺は好きだった。ずっと、ずっと。大好きなんだ。諦めるだなんて俺には絶対に無理だ。それでも諦めるしかなかった。どうにかしてあいつの側に居られるのならそれでも充分なのかな…って。自分を強く納得させようとした。それでも無理だった」
「楓果ちゃん…君は経験したことがないんだろ。本気で苦しんだことがないんだろ。叶わない願いの存在がどれ程までに絶望の沈みに潜らせてくるのかを…」
溢れ出る彼の言葉に怖くなり、私は思わず目を逸らす。へらへらと明るく振る舞う性格の彼は…今まで通りの彼との思い出は…この瞬間から崩れてしまわないだろうか。と不安に思う。でも大丈夫。きっと時間を掛けてでもしっかり事実を話せば、必ず誤解を解ける。関係が崩れるのを恐れるな私。
「友人として道浦と関わる以上、視界に入る思い人を思わず見つめてしまわないように、考えないように、あってはいけない心を見透かされないように日々を過ごさなくてはいけなくて…」
「騙しているかのようなこの感覚に生きた心地がしない。この苦しさが続くくらいなら、告白して盛大に振られてしまいたかった。俺を軽蔑し、いっそ、こいつは異常者だと嫌ってほしかった。」
私は言葉を挟まない。ただ聞いていた。淡々と顔をうつ向け語る彼は最後に何を言うのか身構えていた。
「でも道浦はこんな俺を受け入れてくれたんだ。キスまでしてくれた…本当にあいつは異常だよ。もう本当に嬉しくて…」
余韻に浸り瞳を潤わす彼を他所に、私は一拍置いて途中から理解が追いついていないことに気づく。私は一体何の話を聞いているのだろう?彼は何を嬉しく思っているんだ?何を勝手に喜んでいるんだ?
「楓果ちゃん。ずっと俺のこと馬鹿にしてただろ?」
唐突に振られた台詞にたじろぐ。えっ…何…それ…。視界に濁りが生じる。薄暗くなった景色の中、私は心の底から怯えていた。見られてはいけないものを見られてしまったのでは。知られていたのでは。まさか…。
「えっ…どういうこと…」
「もういいか…」
拓斗は一体誰だっけ?私の知ってる拓斗は何処だ?知りたくない事実が正面に静かに座っていた。
「単刀直入にいうよ。俺は今までお前のことが大嫌いだった。秘密は守ってくれるし、優しいし、何処までも寄り添ってくれる。それでも受け止め切れなかった。好きであろうとした。それでも俺には凄く居心地が悪かった。いい人であらなきゃいけないって考えるのが!俺の糞みたいな内心を知られたらすきあらば殺してくるんじゃないかって!」
張り詰めていた風船が破裂した。悠長に息なんてしてはいけない。
「…知ってたよ。お前の優しさの裏にあるもの…お前みたいなのが一番信用ならない。ずっとずっと苦しかった…」
拓斗…私の唯一の友人。お願い…今まで楽しかった思い出を否定しないで…。全部嘘だったの?私の知らない所で君は苦しがっていたの?私の中にあるものが少しずつ欠けていき、奈落の底へと音もなく消えていく…。躊躇いのない彼の発言に思わず怒りを覚える。しかし…今まで苦しめてしまってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……私の顔から表情は消えていく。こんな時はどんな顔をすればいいんだっけ?
「楓果ちゃん。君は道浦を毛嫌いしてるらしいけど、まさか好かれてる優越感に浸ってたりしないよな?」
コメント
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ひとりひとりの思いが微妙なすれ違いを生じて、それぞれの想定外がもどかしくて、苦しいですね。😢これからの展開が楽しみです。
執筆お疲れ様です。 最後の告白と、一言の切れ味が抜群で、その場にいるみたいに グサリと心に刺さりました。 拓斗くんの本心が、思っていたよりも複雑で、なんとも言えない気持ちになりました…。