「楓果ちゃん。君は道浦を毛嫌いしてるらしいけど、まさか好かれてる優越感に浸ってたりしないよな?」
自称、拓斗は私を見ていた。彼があまりにもぐったりしていたもんだから。体調が優れないのかと思い、気づかってあげた後にこの仕打ちか。どうしたの。拓斗くん。私に何を答えて欲しいの。私はこのとき、誰かに顔を黒く塗りつぶされていた。感情の向け方が分からないな。私の前髪が額にふわりと触れている。…それだけ。その感覚だけが鮮明に残っていた。
「冗談だよ。」
拓斗は状況に似合わずへらへらとした笑みを作ってみせた。あ…懐かしい。よく見かけた光景だ。なんだ。先程味わった異質な空気は、取り敢えず笑っておけばよかったのか。私は彼と同調するように同じく笑っておくことで、ついさっきまでの会話を、聞かなかったことに。見なかったことに。なかったことに。できるのではないかと考えた。ああ。そうか、思い出した。笑えばいいんだ。どうして忘れてしまっていたんだろう。そうだ。まるでさ。息を吸えるだなんて、なあんて幸せ者なんだろう。と心の底から馬鹿みたいに思うことで、自然とそう。自然と幸せそうな笑顔ができて、楽しくなれて…陰気な私はそうすることで上手く隠すことができて…。ああ!思い出した!笑おう!ここではそうだな…焦れったく笑えばいい。藁にもすがる思いであった。
「ははは…拓斗くん。怖い冗談止めてよお。一瞬ドキッとしちゃったじゃんか。ほら、一緒に帰ろう。」
私は立ち上がり、静かに手を差し伸べた。指先が小刻みに震えていたのは冷水のせい。
「楓果ちゃん。その笑顔が大嫌いなんだよ。」
秋。
秋。
ああ。寒いな。
秋?
秋?
「あ…」
鼻の奥から何かがするすると滑ってくる。鼻水…じゃないな。落ちてくるのを止めようと反射的に庇ったが間に合わなかった。ずっとのろのろとした思考回路になっていたが故かな。動きが鈍いのは。赤い玉がぽつぽつと止めどなく落ちてきた。これ…気持ち悪いんだよな。少女は1人退屈そうにその光景を眺めていた。一度なったら中々止まらない。元より鼻血のでやすい体質であった。なんだか止めるのも面倒くさい。少女は1人バス停のベンチに座っていた。帰宅ラッシュはとっくに過ぎており、部活動が終わる時間帯でもないので、同級生と会うことはない。バスの来る時間は…後30分程待たなければいけない。鼻血はそれまで垂れ流しでもいいだろう。なんとなく、もうどうでもよかった。鼻をすする。まるで泣いているみたい。軽く逆流し口の中では血の味が広がる。血の味はどこまでも鼻血の味だ。退屈だ。ぼうっと秋に色づいた木を眺めていた。すると、右手に誰かが歩いて来る気配を感じた。自習終わりの学生だろうか。私はのそのそと鞄を探ろうとしたがハンカチを持ってきていなかったことに気づく。流石にこれを見られるのは気が引けるよな。仕方ないのでブレザーの裾で軽く抑える。
ギッ…
誰かの重さがベンチをつたう。今日はつくづくついてない。全く…。
「喧嘩したの?」
どこか見透かしたようなその声に。少女は息を止めた。その瞬間誰かが私の心臓を掴む。ぎゅっと縮こまり、激しく殴る。横を振り向いた時には、遅かった。隣に影と並んで座るあいつが居た。静かに、そして愉しげにこちらを見るそいつの目は私を捕らえて離さない。吐き気のする黒い瞳に思わず呑まれる。
この場から直ぐに離れよう。こいつは本当にやばい奴だ。気持ち悪い。こいつと関わるな。そう本能的に感じた。今日は特別、気が参っていたからだからだろうか、敏感に感じ取っていたように思う。私は反射的に立ち上がった。しかし、右に座る気持ち悪いの塊は私の腕を強く掴みにかかっていた。私の動きは予想済であったように。
「何処行くの?もうすぐでバス来るよ。もしかして僕が隣に座ったのが嫌だったかな。ごめんね。」
同情を誘っているのか覗き込むように呟く、右腕を掴まれたせいで流れる血が露わになった。身体の中から流れ出るものを他者に見られるのは誰であろうと拒絶した。何とかして見せまいと顔を背ける。何がごめんね。っだ!気持ち悪い!
…へ?…う…いっ…痛っ!
「っ痛い!」
私の腕に爪を立てていた。初めて感じる種類の痛みに思わず背筋が凍る。このとき、道浦という存在を初めて認識した。何してるの?うっ…いった…制服越しだというのに爪が深みを増して肉を切っていく。
「バスもうすぐだし。待っておこうよ。それにさ、お互いに少し話したいことがあるだろう?君も僕も。」
どうしてこいつはいつも私の邪魔をするんだ。幼稚でわがままで自分のことしか考えていない糞野郎が。ああ、ストーカーを続けるようなら先生にでも言ってやるよ。お前の本性もクラスメイト全員に言いふらしてやるよ。その覚悟がもちろんあって私にこんなにも図々しいことをしているんだろう?ぎりぎりと離れず痛む腕に私は耐えきれなくなった。仕方なく座り直す。奴とできる限り距離を空けて。しかし意味はなかった。嫌がる程に状況は悪化した。私はこの瞬間だけはもがくのを諦めることにした。そっとハンカチを押し当てられる。変に整った匂いのハンカチに酔いそうだ。
コメント
6件
🥹続き楽しみに待ってます🥹
更新ありがとうございます。 読み終わった後、鳥肌が経ちました🐦🐦🐦 道浦くんも拓斗くんも、本性がえげつないけれど、物語の良いアクセントになっていて、個人的にお気に入りです!☺️