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*** 執務室の扉が閉まった瞬間、空気が変わる。ついさっきまでの王子の顔は消え、アシュレイは椅子の背に体を預けた。
「……疲れた」
珍しく弱音を漏らす。机の上には山のような書類。神殿崩壊後の再編、法整備、各地からの嘆願――見るからに終わる気配がない。
「本日の公務は、これで終了です」
淡々とした声でレオンが告げた。壁際に控えていたはずの聖騎士は、いつの間にか机のすぐ横に立っている。
なぜか距離が近い。
「何を言ってる。書類は、まだ残っているが」
「大丈夫です。緊急性は低いので」
即答。しかも迷いがない。
「明日に回して問題ありません」
完璧な判断を疑問に思い、アシュレイはわずかに目を細める。
「やけに手際がいいな」
「当然です」
レオンは表情一つ変えない。
「殿下の負担軽減は、最優先事項ですから」
あまりにも正論。でも、その机の端。“後回し可”と分類された書類の山が、不自然に整えられている。
(――最初から、減らすつもりだったな)
アシュレイは、口元を緩める。
「……随分と都合のいい判断基準だ」
「効率です」
微塵も揺れない返答をした次の瞬間、レオンの手がアシュレイの手首を取る。自然な動作は、あまりにも迷いがない。
「休息も任務のうちです」
そのまま軽く引き、無理やり立ち上げられた。
「レオン?」
「このまま寝室へ行きます」
間髪入れずに連れられる。命令口調に近いのに、どこか甘い。
アシュレイは小さく息を吐く。
「……お前は、本当に変わらないな」
「変わりました」
即否定。そのまま距離が詰まる。
「今は、遠慮しないだけです」
低い声で答えながら指が絡む。まるで逃がさないように。それだけでアシュレイの鼓動が、わずかに跳ねる。
「公の場では、完璧に距離を保つくせに」
「当然です」
息が触れる近い距離に近づいたレオンの顔を、アシュレイは横目で捉えた。
「その分――」
囁きがアシュレイの耳元に落ちる。
「ここでは、全部取り戻します」
(ああ、やっぱり。この男は計画的だ。しかも隠す気がない――)
アシュレイは、わざと一歩引く。レオンを試すように。
「命令はしないのか」
以前なら、“耐えろ”と縛った。今はどうするのか。
レオンの目が、ほんのわずかに細くなった次の瞬間、距離がゼロになる。一気に壁に追い込まれた。
「必要ありません。もう、止めませんから」
そのまま、手首を押さえられる。強くはない。だが、逃がす気もない力加減。アシュレイの喉が、わずかに鳴る。
「……本当に、遠慮がなくなったな」
「ええ、あなたが許した」
その言葉で、すべてが決まる。視線が絡むだけじゃなく、逃げ場はない。いや――最初から逃げる気もない。
アシュレイが、わずかに笑う。
「だったら責任を取れ」
「もちろんです」
短く告げた唇が、アシュレイの唇が重なる。深く重ねられるが、乱暴ではない。奪うようでいて、確かめるような熱があった。指が絡み、体温が移る。離れたくないと、はっきり分かる想いをアシュレイは感じ取った。
「……足りないです」
レオンが掠れた声で言う。珍しく、余裕がない。
「今まで、ずっと我慢していました」
その言葉に、アシュレイの心臓が強く打つ。
(ああ、これは――本気で崩れている)
「アシュレイ」
名前で呼ぶ。そこに、もう迷いはない。
「全部、取り戻させてください」
請願の形をした執着。拒否など、最初から選択肢にない。
アシュレイは目を細める。わざと、少しだけ意地悪に。
「……どこまでだ?」
一瞬の沈黙。そしてレオンが、はっきりと言う。
「全部です」
迷いなし。躊躇なし。そのまま抱き寄せられる。強く、逃がさないように。
アシュレイは、もう抵抗しない。むしろ、レオンに体を預ける――選んだのは自分だ。この執着もこの熱も。
「好きにしろ」
小さく許す。それが合図になり、レオンの理性が完全に切れる。寝室の扉が閉まる音が、やけに遠く聞こえた。
*** 後日談 朝の均衡
朝。差し込む光が、やけに白い。アシュレイは、ゆっくりと目を開けた。
身体が重い。だるいというより――思い出すだけで熱が戻るような感覚があった。貪るように抱かれた次の日だからこそ、尚更だ。
「……レオン」
掠れた声で呼ぶ。隣にいたはずの気配は、もうない。
「起きていると思っていました」
扉の方から落ち着いた声で、レオンが入ってくる。いつも通りの聖騎士の装い。完璧に整った姿――まるで、何もなかったかのように。
アシュレイは、わずかに目を細める。
「随分と、余裕だな」
「職務ですから」
即答。だがその視線が一瞬だけ、ベッドの上をなぞる。
乱れたシーツ。絡まったままの布。そしてアシュレイの首元。ほんのりと残る赤い痕。
レオンの呼吸が、わずかに止まる。ほんの一瞬、それだけ。でも確かに、“昨夜”がそこに残っている。
「レオン……何か」
アシュレイが、わざと何気なく問う。
「問題でも?」
「いえ」
レオンは即座に視線を逸らすが、次に口を開いた声は、ほんの少しだけ低い。
「問題は、ありません……」
その“ありません”に、全部詰まっていた。
アシュレイは小さく息をこぼす。
(――やはり、崩れているのはお前の方だ)
「ならいい」
ゆっくりと体を起こす。その動きに、シーツが滑り落ちる。無防備に晒される肩。そこにも、うっすらと残る痕が残されていた。
レオンの視線が、完全に止まる。
「……殿下」
呼びかけが続かない。言葉を選んでいる。いや、抑えている。アシュレイはその様子を横目で捉えて、わざと何も言わない。ただ、ゆっくりと衣服に手を伸ばす。
「今日の予定は?」
平然と、あくまで王子として訊ねた。
「午前に会議が二件。午後は謁見です」
レオンが即座に答える。完璧だ、声も姿勢も全て――しかしながら視線だけが、わずかに泳いでいる。
「そうか」
アシュレイは立ち上がる。わざとゆっくりと動いて、距離を詰めるように、レオンのすぐ前まで近寄った。
「……近いです」
「問題は、ないのだろう?」
さっきの言葉を、そのまま返す。レオンが一瞬だけ言葉に詰まる。その沈黙が答えだった。
「……支障は、あっ、ありませんっ」
言い直すが、声がいつもより硬い。挙動不審なレオンの様子に、アシュレイはくすりと笑う。
「顔に出ているぞ」
「出ていません!」
即否定したものの、耳がわずかに赤く染まる。見るからに、分かりやすい。
アシュレイは手を伸ばして、レオンの胸元にそっと触れる。そこは、布越しに心臓の位置でドクン、と強く跳ねる。
「お前は……平然を装うのは、得意だったはずだが」
「今も装っています」
即答したものの、鼓動は正直だった。
「なら、この反応は何だ」
少しだけ指に力を込めると、レオンの呼吸が乱れる。
「……生理現象です」
苦しい言い訳を聞き、アシュレイは耐えきれずに笑う。
「苦しいな」
そのまま顔を寄せて、耳元で甘く囁いてみせる。
「その顔、昨夜のことを思い出しているだろう?」
レオンの身体が、わずかに強張る。
「……任務に支障はありませんっ」
必死に、崩れないように。しかしながらその声は、もう十分に乱れている。
「そうか」
アシュレイは一歩引く。何事もなかったように。
「なら問題ない」
完全に切り替えて、王子の顔を見せた。
「支度をする」
「……はい」
レオンも応じる。完璧に――表面上は。
数分後。整えられた装い、乱れ一つない姿。廊下に出れば、そこにいるのは王子と騎士。誰が見ても完璧な距離。非の打ち所がない関係。
だがすれ違いざま、ほんの一瞬だけ袖が触れる。それだけでレオンの思考が、昨夜に引き戻される。
(ああっ、レオンもっと……お前を離したくない)
あの感触。あの熱。思い出した瞬間、口元がわずかに緩む。
「レオン」
隣から低い声が飛んできた。
「顔」
一言。それだけで、レオンはハッとする。すぐに表情筋を引き締めた。
「失礼しました」
だが遅い。アシュレイは、横目でそれを見ている。実に楽しそうに。
「公の場だ」
「承知しています」
短い応答をするのでいっぱいだったが、次に続く言葉がわずかに低い。
「……後で、続きを」
ほとんど音にならない声だが、確かに届く。アシュレイの歩みが、ほんのわずかに乱れる。そして何事もなかったように、前を向く。
「分かってる、仕事を終えてからだ」
冷静な声を発した完璧な王子。でもその指先が、わずかに強く握られている。
――均衡は保たれている。その内側で甘い熱は、まだ消えていない。
#同級生