時刻は午前2時。
街が眠るその時間に、ふたりの殺し屋は向かい合っていた。
狭いアパートのテーブル、散らばる資料とモニターの青白い光。
外は雨。窓ガラスにポツポツと当たる音だけが、静寂を破っていた。
「……眠くないですか?」
「うるせぇ。作戦終わるまで寝かさねぇ」
「ひぃ……」
栞は手元の資料を抱えて座り直す。
今日の任務は、複数組織の合同取引現場を突く“潜入系”。
しかも、標的の正体が未確定のまま。
潜入から情報取得、回収と始末までを一晩で完了させる必要があった。
「……でも、普通この時間から作戦立てます? 普通もうちょっと……朝とか……」
「甘ったれるな。夜が本番だろ、殺し屋は」
「むぅ……」
不機嫌に口を尖らせながらも、栞はホットミルクを両手で抱えてすする。
対して翠は、ブラックコーヒーを片手に、モニターから目を離さない。
「……この施設、やっぱり正面から入ったら即アウトですよね」
「当たり前だ。防犯カメラ、暗号ドア、赤外線──正規ルートは“殺されるための道”だ」
「……怖っ」
「で、抜け道はここだ」
翠は画面の端を指さした。
排水路の出口から伸びる、隠しルート。管理ミスで使われていない通気管だ。
「細いけど、お前なら通れる」
「え、私だけ!? 翠さんは?」
「俺は背中が引っかかる。だから別ルートで入る」
「……ずるい……」
「お前の役目は潜入して、現場の映像と音声を送ること。俺が外からバックアップする。基本、殺させねぇ」
「“基本”って何ですか、“基本”って……!」
「バレたら死ぬ。それだけだ」
「やっぱ怖っ!!!」
栞の声が裏返る。
それを無視して、翠はふと立ち上がり、キッチンへ向かう。
戻ってきた彼の手には──温かいマグカップがもう一つ。
「……コーヒー、飲め」
「え……?」
「さっきのミルク、もう冷めてるだろ。これ、甘くしてあるから」
「……え、えぇ!? 優しい!? だれ!? ほんとに翠さん!?」
「寝言は撃ち抜くぞ」
「はい……いただきます……」
手渡されたコーヒーは、苦味よりもミルクの甘さが勝っていて、疲れた身体にじんわりと染み込むようだった。
「……ねえ、翠さん」
「なんだ」
「なんでそんなに、私のフォローしてくれるんですか?」
「してねぇよ。お前が失敗したら俺の任務が台無しになるだけだ」
「それ、もう聞き飽きました」
「……」
「ほんとはちょっとくらい、バディとして信頼してくれてるんじゃないですか?」
そう言って、にやにや笑う栞を、翠はちらりと見やる。
「……少し黙れ、うるさい」
「照れてます?」
「撃つぞ」
「やっぱり優しい!!」
「……マジで撃つぞ」
そのやり取りに、部屋の空気がふわりと緩む。
雨音はまだ続いているのに、不思議とその音が心地よくなっていた。
***
午前3時半。
作戦は完成し、部屋の照明が落とされる。
布団が一つしかないという話になり、栞は遠慮しようとしたが──
「床に寝るのは体温が落ちる。風邪ひくなよ、バカ」
そう言われて、黙って半分だけ布団をもらった。
「……ねえ、翠さん」
「寝ろって言っただろ」
「……ありがとう。こういう時間、初めてかもしれないです」
「殺し屋になって、初めての作戦会議か?」
「ううん。“誰かと一緒に夜を過ごすこと”が、です」
「……」
「私、ずっと独りだったから。なんか、すごく……落ち着きます」
寝息まではまだ早い。
けれど、栞の声はもう夢に片足を突っ込んでいるように、静かに響いていた。
翠はその背中に毛布を少しだけかけ直すと、ポツリと呟く。
「……また騒がしい夜になりそうだな、明日は」
だけどその言葉には、なぜかどこか安心した響きがあった。
深夜の作戦会議は、眠気と甘さと、淡い信頼の香りを残して幕を閉じた。
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