テラーノベル
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王都の平穏を文字通り「粉砕」した、あの噴水広場での爆発と第一王子放り投げ事件。
あの日以来、公爵家を取り巻く空気は一変した。
世間的には、愛娘クラリスが「正体不明の凶悪な魔導師」に襲われかけたショックで寝込んでいる
ということになっており、屋敷の周囲には厳しい箝口令が敷かれている。
だが、重厚な扉に閉ざされた私の寝室の内側で起きている現実は
世間の想像とはあまりにもかけ離れていた。
私は今、実質的な監禁生活を送っている。
それも、この世で最も甘く、最も恐ろしい「管理者」の手によって。
「澪、おはよう!お着替えの時間だよ♪」
「今日は君が前世の設定資料集の隅に『これが私の最高傑作だ』と書き残していた、あのゴスロリチックな黒のドレスを用意したんだ。気に入ってくれるかな?」
カチャリ、と小気味よい音を立ててクローゼットの扉が開く。
そこから、人間の姿を完璧に模したヴィクターが
溢れんばかりのフリルとレースがあしらわれた漆黒のドレスを恭しく抱えて現れた。
……そう、彼はあの日から
私のクローゼットに文字通り「住み着いて」いるのだ。
「狭くないの?」と聞いた私に、彼は平然と
「四次元的に拡張したから、王宮のホールよりは広いよ」と答えた。管理者の権限の無駄遣いにもほどがある。
「……ヴィクター。私、これでも一応公爵令嬢なんだけど。着替えくらいはいつもの侍女に頼みたいわ」
「ダメだよ」
ヴィクターは流れるような動作で私の背後に回り込み、耳元で低く、けれど逃れられない重みを含んだ声で囁いた。
「君の柔らかな肌に触れていいのは、この不完全な世界の管理者である僕だけだ。他の有象無象のバグ(人間)たちに、君を汚させるわけにはいかないからね」
彼の金色の瞳が、底なしの独占欲を孕んでギラリと光る。
その溺愛ぶりは、日に日に狂気を帯びてエスカレートしていた。
食事はすべて彼が魔力で成分を解析し
毒の有無どころか栄養素までチェックしてからでなければ口にできない。
私が本を読もうとすれば、彼は迷わず私を膝の上に抱き上げ、耳元で甘い朗読を始める。
さらに、私がトイレへ行こうとすれば
「万が一、便器から異世界の魔物が出現したら困る」という謎の理屈で
ドアのすぐ外にカチャカチャと骨の音を立てて待機するのだ。
「……貴方の愛、重すぎ!物理的に重厚だし!骨だけに」
「おや、それは一本取られたね。座布団を一枚、君の足元に用意しようか?」
「いらないわよ!」
ヴィクターは人間の顔で、端正な唇を吊り上げてクスリと笑った。
だが、その完璧な「人間」の笑顔を見るたび
私の胸の奥には、前世の記憶にもない鋭い違和感がチクリと刺さるようになっていた。
その違和感が、決定的な「亀裂」となって姿を現したのは、静かな午後のひとときだった。
西日の差し込む寝室の隅。置かれたままだったグランドピアノの前に、ヴィクターが座った。
彼は、私が前世でこのゲームのメインテーマとして指定した、切なくも壮大な旋律を奏で始めたのだ。
長くしなやかな、人間らしい指先が白鍵と黒鍵の上を舞うように滑る。
少し目を伏せ、旋律に身を委ねる彼の横顔は
教会に飾られた聖徒の彫像よりも美しく、神々しかった。
(……綺麗。本当に、私の理想そのもの……)
かつて、私が「設定が盛り込みすぎて破綻する」という理由でボツにした
救われなかった未完のキャラクター。
彼が今、私のために音楽を奏で、確かに私の目の前で「生きて」いる。
その事実に、胸が熱くなりかけた
その瞬間だった
───カチャリ。
硬質な、乾いた音が静寂の旋律を切り裂いた。
不自然な角度で、ピアノの音が途切れる。
鍵盤の上に置かれていたはずの、ヴィクターの美しい右手が───
まるで魔法が解けたかのように
肉も皮も一瞬で消失し、真っ白に磨き上げられた「骨の手」に戻っていた。
「……あ」
ヴィクターが、短く、ひどく掠れた声を漏らす。
彼は、自分の剥き出しになった骨の手を
まるで自分のものではない異物を見るかのように呆然と見つめた。
そして、慌てて左手でその骨を隠すように握りしめ
強張った表情で私の方を振り返った。
「…おっとごめん!少し、集中力が切れたようだ。……お見苦しいところを見せたね」
彼は人間の顔を保ったまま、悲しげに、そして酷く寂しそうに微笑んだ。
その笑顔は、これまでに私に見せてきた
「すべてを支配する自信満々の神様」のそれとは、あまりにもかけ離れていた。
(……違う。化けているんじゃないんだ)
私は、指先の震えを止めることができなかった。
彼は、魔力で「人間の姿」に化けているのではない。
この世界から「存在しないもの」として拒絶されている彼は
「人間の姿」という、彼にとっての唯一の「正解」を維持するために
膨大な魔力を一秒たりとも欠かさず注ぎ込み続けているのだ。
止まれば、たちまち彼は「ただの骨」に還ってしまうから。
(彼は……このゲームの世界に、最初から一文字も存在しなかった)
私が練り上げたプロットのどこにも
キャラクターリストの端っこにすら、彼の本当の名前は刻まれていない。
彼は、私が捨てた「不採用(ボツ)」という名の残骸が、意志を持って集まった
この世界の理の外側に漂う亡霊。
(……ヴィクター…)
夜、クローゼットの奥から聞こえてくる
彼が寝返りを打つたびに響くカチャカチャという乾いた骨の音。
その音は、もはや私を笑わせるシュールなものではなかった。
それは、正解のない世界に取り残され
愛されたいと願う「欠落」が奏でる、悲痛なメロディだった。
私の「死の運命」を書き換えて守ると豪語するヴィクター。
けれど、彼自身こそが
永遠に完結することの許されない
最も残酷で「未完成のエンドロール」そのものであることに、私はまだ気づいていなかったのだ。
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