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「……ということで、よろしくお願いします」
カフェのテーブル越し、高橋先輩はどこかホッとしたような、それでいて少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。
さっきまで死ぬほど心臓がバクバクしていた私は、ただ小さく「はい、こちらこそ…!」と頷くのが精一杯だった。
憧れの先輩の、偽装彼女。
頭の中では「これは演技」「先輩が困っているから」と自分に言い聞かせているけれど
私の心臓はその言葉をちっとも理解してくれない。
「あ、でも田中さん。無理にベタベタしなくていいからね。ただ……そうだな」
先輩は少し考えるように顎に手を当てた。
その仕草さえ様になっている。
「美佐子さんとかがいる前では恋人っぽく振舞ってくれればいいかな」
「と、言いいますと……?」
「俺が上手く誘導するから、田中さんは上手く話を合わせてくれるだけでいいってこと。難しいことはしないから安心して」
「なるほど……それなら何とかできそうです!」
先輩は少し安心したように微笑んだ。その表情を見て私もほっとする。
「それじゃあ、そろそろ戻ろうか」
カフェを出て執務エリアに戻ると
案の定、お局の美佐子さんが獲物を狙う鷹のような目でこちらを見ていた。
美佐子さんは仕事はできるけれど、お気に入りの男性社員への執着がすごいことで有名な人だ。
「あら、高橋君。田中さんと一緒なんて珍しいじゃない。お仕事の話?」
美佐子さんがツカツカと歩み寄ってくる。
空気が一瞬でピリついた。
私は反射的に身を固くしたけれど、そのとき
スッ……と、高橋先輩の温かい感触が私の右肩に添えられた。
驚きと照れで心臓が跳ね上がる。
「実は美佐子さん……」
先輩が自然体で話し始めた。
「俺、彼女と付き合ってるんです。ちょっと前から」
一瞬、美佐子さんの目が大きく見開かれ、そしてすぐに細められた。
「え?あ、あら〜そうなの?」
声には明らかな不信感が混じっている。
私は緊張で手が汗ばむのを感じながらも、先輩の演技に乗る決意を固めた。
必死で平静を装って口を開く。
「はい、実は……」
言葉を探す間もなく、先輩が言葉を継いでくれた。
「春に新入社員歓迎会のあとで二人で二次会に行って……そこから自然と」
自然すぎる流れに思わず感心してしまう。
先輩は器用に嘘を紡ぎ出している。
美佐子さんは疑わしげな視線を送ってきたが、しばらくして諦めたように首を横に振った。
「まあ……そういうことなら?お幸せに」
皮肉を込めた言葉だが、これ以上追及する気はないようだ。
去っていく美佐子さんの背中を見ながら、私は安堵のため息をついた。
「すみません、上手く答えられなくて……」
「いや、充分上手くやってくれたよ」
先輩は優しく笑った。
「でも、美佐子さんが今のだけで信じるとは思えないから、これからもなにか探りを入れて来ると思うんだ」
「な、なるほど…」
「だから、それまでは恋人役をお願いするね」
胸がトクンと音を立てた。
こんな風に先輩と一緒に過ごせる時間が増えると思うと、ドキドキが止まらない。
これは、演技、偽装恋人だと分かっている。
でも、鏡を見なくてもわかる。
今の私の顔は、きっと恋をしている女そのものの色をしていると。
#ワンナイトラブ