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肉を揚げる匂いがした。薄墨色の空に提灯が飾られて、薄いベールが重なるようにもうっと煙が立ち上る。じゃがバタの出店にずらずら人が並ぶ。子供の泣き声がする。ここぞとばかりにのど自慢大会が開かれて、負けじとチンドン屋が笛を鳴らす。見物客がゾロゾロ携帯を構えてついていく。朱色と黄色の光に溢れた日本の祭りの原風景。
「おいダーマー」
「話しかけるな」
「じゃあお前プリキュアだからな」
「うん……」
「唐揚げも置いとくけど、食われるなよ」
ダーマーは子供たちに混ざってチマチマコツコツ型抜きをしていた。
巨大な背中を丸めているものだから、面白がった小学生が肩の上に乗っている。面倒見の良い女の子たちが「ティッシュの上でやるのよ」「つまよーじ濡らすといいよ」とあれこれ世話を焼く。
生意気な中学生が早速勝手に唐揚げを食べた。代わりに百均の光るブレスレットをダーマーの足に着ける。これはもうお決まりになっていたので、チープな七色がふくらはぎから足首までをじゃらじゃらピカピカ覆っていた。
つぼ浦はあきらめてため息をつく。ダーマーが型抜き屋台に居座ってもう一時間も経っていた。
「ボスー、いいの? おともだち」
「友達じゃないからいいんだ。複雑じゃないかこのイカは……」
「大きいとこからやるのよ。ボス、画鋲借りてこようか?」
「なるほど、大きい箇所から」
「友達さん、それどうするの?」
「嫌がらせする」
「じゃ僕がつけたげる! ボス―、じっとしててね」
プリキュア(ひろがるスカイ! プリキュア/キュアスカイ)のお面を男の子がニコニコ笑ってダーマーの首の後ろに結んだ。ダーマーは冬眠する熊より大人しく低い机に向き合って、中学生が唐揚げの代わりにくれたイチゴ飴を手も使わずもしゃもしゃ食べている。
つぼ浦は頬杖をついてそれを暫く見てから、型抜きで出た破片を摘まんで食べた。
「じゃ、俺別ンとこ行くぞ」
「おう」
「なんかあったら電話しろ」
「おう。そっちもな」
「じゃ」
自由行動だ。ダーマーが動かないので仕方ない、つぼ浦はぶらぶら出店を渡り歩いて久方ぶりの縁日を満喫する。華やかな浴衣の集団がカランコロンと下駄を鳴らしていた。人形焼の甘い匂いが漂う。祭囃子に胸が踊り、浮かれた気分で綿あめを買った。食べている間にくじ引き屋を冷やかして、すれ違ったひったくりの足をすくって転ばせる。
「おっと、悪いな。現行犯だぜ」
「あっ、そいつ! ソレ!」
「アンタの鞄か? 大事にな」
水色の手提げを被害者に渡せば、いい年齢だろうにキッと犯人を睨み足蹴にしはじめた。ボコボコ殴られるひったくり犯に、若者がワイワイがやがやスマホを構える。
祭りの華と言わんばかりの大捕物だ。治安が悪いな、とつぼ浦は思った。
そういう目で見れば、あちこちに怪しげな人間が居た。ロスサントス警察の勘で言えば屋台を出している1/3ほどが日陰者。この暑さなのに長袖だったり、じゃらじゃらピアスをつけていたり、後ろに強面の男が控えていたり。
ロスサントスのギャングは白昼堂々銀行を襲うが、日本のヤクザは宵闇に紛れてグレーな金をせしめていく。
捕まえようとしても、犯罪とも言い難いテキ屋商売だ。のらりくらりと追求をかわし、もっと大きな犯罪への足がかりにするのだろう。
大半を火力とノリと勢いで解決する特殊刑事課には荷が重い。ここは一旦目をつぶり、何か理由をつけて通報するのが得策だ。つぼ浦は踵を返した。蛇の道は蛇、ダーマーの意見を聞こうと思ったのだ。
眉をひそめながら歩けば射的屋が目に入った。
着物の女が空気銃でポコンとコルクを飛ばし、キャラメルの小箱を撃ち落とした。子供がキャイキャイはしゃいで、競うように狙いを定める。
よくある平和な屋台の裏で、歯のない店主が菓子に白い粉を忍ばせたのが見えた。店主の手は異常に震え、焦点の合わない目でグラグラ首を振っている。
薬物中毒者だ。
祭りに乗じて、薬を売りさばき、あわよくば中毒者を増やそうとしている。
背伸びした子供がドロップス缶を撃ち落とした。歓声が上がる。通報など悠長なことを考えている暇はなかった。
つぼ浦は路駐されていた大型バイクに飛び乗る。ハーレーダビットソンだ。つけっぱなしのキーを捻れば、1400ccの化け物エンジンがけたたましい唸りを上げた。排気ガスがどっと噴出す。ギャリギャリ耳障りにアスファルトを削って、猛スピードで屋台に突っ込んだ。木で出来た台が割れる。ぶっといタイヤが支柱を真っ二つに折る。客が悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げる。サイドカーが店主の顔面をめしゃっと凹ませる。
「止まれぇい御用だァ! 手前、ヤクの現行犯だぜお縄につきなぁ!」
「キャー!」
「サツだっ、サツだぁ!」
周囲の客と交代で路地からわらわら甚兵衛の男たちが出てくる。その数10人。頭部にまで花の入れ墨を入れて、どこからどう見ても堅気ではない雰囲気だった。
「たった一人でいい度胸じゃねえか!」
「オドレうち舐めとんのかゴラァ」
「殺すどー!」
「オイオイまじかよ! 多すぎだろ!」
慌ててつぼ浦はハンドルを切る。デカい図体のバイクが一瞬浮いた。ドリフトだ。火花を散らして逆方向にドッと走る。ヤクザが怒声をあげて、武器を片手につぼ浦を追い始めた。
「ヴァンダーマーまだやってんのかボケゴラ゛ァ゛ーッ!」
ダンダン背後から銃を撃たれる音がした。それよりもでかい声でつぼ浦は叫んだ。
その声が届いたのか。
「ん。……あっ! だぁーーーっ!」
遠くの屋台で未だ型抜きをしていたダーマーの手元で、パキッとイカの触手が折れた。周りの子供たちも一緒になってあーっと叫ぶ。しょぼしょぼもそもそ凹むダーマーの背中をさすり、「ボスー!」「元気出してボス」「ヨーヨーあげるよボス」「もうテープ貼っちゃえよバレないよどうせ」「ボンド買おうよボス」とくっついて群がる。
「悔しいな、小麦の塊がこんなにも奥深いとは」
「ボスもう一回やる?」
「いいや、そろそろ迎えが来る」
「えっもう行っちゃうの」
「やだー」
「すまない、連れが許してくれないからなぁ」
立ち上がって背伸びをするダーマーに、子供たちがシャツの裾を掴んでぶら下がった。短い間に随分懐かれていた。ダーマーはいつのまにか持っていた光る棒やらお面やらヨーヨーやらを一人ひとりに渡してやり、保護した動物を野生に返す時みたいに別れを告げる。
「また会える?」
「お前たちがその気になれば」
「ヴァン・ダーマァーッ!」
つぼ浦の声が猛スピードて近づいてくる。バイクの上で立ち上がったアロハシャツの後方、横に拡がったヤクザの群れが見えた。
切羽詰まった緊急事態だ。つぼ浦が減速せず手を伸ばす。
「いつかロスサントスで会おう!」
バシィン、と凄まじい音が響いた。子供たちは思わず目を瞑って頭を庇う。
エンジン音が通り過ぎると、一緒に遊んだボスはそこにもういなかった。かわりに、大通りのずっと先で、バイクから手を振る小さな人影が見えた。
「またねー!」
プリキュアのお面をもらった女の子の声を皮切りに、子供たちは飛び跳ねながら手を振った。
「ボスー! 頑張ってー!」
「元気だしてね」
「ロスなんとかいつか行くよ、ボスー!」
夏休みの映画みたいな思い出だ。子供たちはこの日を忘れない。真っ黒で大きな背中を、いつか追いかけに来る。
5年後か10年後か、とにかく気の長い話だ。ダーマーは機嫌良く一つ口笛を鳴らし、サイドカーに乗り込んだ。
「なあヴァンダーマー。ボスって名乗ったのか?」
「まさか。勝手にそう呼ばれていた」
「へえ、勘のいい」
「まあ貫禄があるからな。ロスサントス一古いギャングは伊達じゃないということさ」
「マジで言ってんのか? どう見ても孫の遊びにガチるお爺ちゃんだったぜ」
「奥歯から順番にへし折るぞお前」
「公務執行妨害暴行罪プレイヤー殺人未遂」
「黙れ。そろそろ時間だ」
「ああ、もうか」
つぼ浦はスマートウォッチをちらっと見た。懐から高いベルの音が鳴る。電話だ。片手でハンドルを握って、ダーマーに携帯を投げた。
「画面見てくれ、誰からだ?」
「つぼ浦ナントカさん。漢字が読めん。多分女だ」
「あー、じゃあ切ってくれ」
「いいのか?」
「親」
「ほぉ」
ダーマーはマジマジとつぼ浦の顔を見た。風にアロハシャツをたなびかせる、この苛烈な男が人間の子供とは。宙から生まれたと言われたほうが余程納得がいく。顎をさすって、携帯の画面をスワイプした。
『――もしもし、匠?』
「な、てめっヴァンダーマー!」
「家族なら出た方がいいだろう?」
「お前っ」
『コラ、匠! また乱暴な言葉を使って。変わらないわね』
「あ、う。……おう」
つぼ浦は気まずそうに首の後ろをさする。口元は笑っているが、眉が下がりきっていた。頭の回転が速い男なのに、返事一つでのたのた時間をかける。随分気を遣って話しているのが、スマホを支えているだけのダーマーにもわかった。
『元気だった?』
「……うん。あの、今、運転中だから。急ぎじゃないなら後にしてくれ」
『ハイハイ、じゃ用件だけね。お母さん達もね、花火大会来てるから』
「えっ、なんで」
『去年ニュースでやってたのが綺麗だったから。今年は来ようってお父さんと奮発しちゃったのよー』
「……」
『場所送るから、座る場所困ったらおいで。お友達も一緒に』
「……おう」
『運転気を付けて』
「ん。切るぜ」
つぼ浦はダーマーに向かって顎をしゃくる。ダーマーは今度こそ大人しく通話終了ボタンを押した。
「随分、なんというか」
「なんだよ」
「普通だな。お前の親とは思えない」
「俺もそう思うぜ」
「会いに行くか?」
「オイオイ、カチコミの直前だぜ」
「私ならどうとでもなる。お前がそうしたいならすればいい」
「……会いたくは、ねえな」
「折り合いが悪いようには見えなかったが?」
「まあな。事情だ、事情」
「旅先に日本を選んで、それでも会いたくない事情ね」
「なんだよ」
ダーマーは額を抑え、大袈裟に夜空を仰ぐ。生暖かい風がふいていた。遠くでカウントダウンのアナウンスが鳴る。
「贅沢なことだ! あと一歩を踏み出すか否かで悩むリソースがあるとは、流石公務員」
つぼ浦は黙って、バイクをぐっと加速させた。黒いパーカーの若者集団がぎょっとした顔でこちらを指さす。巨大なハーレーとヤクザがカチコミに来たように見えたのだろう。当然だ。
「ここまで来たんだ、会ってしまえ」
「うるせえな」
「故郷がいつまでもあると思うな!」
「黙れーっ!」
夜空が黄金に光り、炎の花が咲いた。ドォンと遅れて音が響く。つぼ浦の激情が形になったようなどデカい菊花火だ。黄色から赤に色を変え、流星群のように煌めき落ちる。笛の音が鳴る。和太鼓のような破裂音が続く。
急ブレーキと共にハーレーは不良集団を跳ねた。若者が二人宙を舞う。空を彩る火花に背中の刺繍がパッと照らされる。舌に十字架、裏切り者を示すマーク。MOZU構成員の故郷を人質にしようとしたダーマーの標的だ。
「不愉快だ。貴様も、アイツらも」
ダーマーはユラリと立ち上がった。一瞬の幕間は酷く暗い。天から火薬の匂いが降り注ぐ。死神のように不良を指さす。
「百舌鳥が来たぞ。さあ、どうする」
低く、深い、怒りの渦巻いた声だった。隣のつぼ浦でさえゾッと身震いする。殺意を直接向けられたタトゥーの男達は、ハラワタを貫かれたような心地であった。瞬きをしない鬼の目線に支配される。百舌鳥の早贄に選ばれてしまった。恐ろしい男の逆鱗に触れてしまった。
震える声で、じゃらじゃら金のアクセサリーを付けた不良がダーマーを睨む。
「ふ、二人で、何が出来るってんだよ」
「そ、そうだそうだ。コッチは15人いるんだぞ」
「おい、やっちまおうぜ」
「フクロで叩いてやるよぉ!」
赤信号、みんなで渡れば怖くない。脳の足りない不良は集団心理に身を任せ、お手本のように選択を誤った。
「は、は、は! いい度胸じゃないか!」
肺の奥から地鳴りのような笑いを吐き出した。脳に血が滾る。アドレナリンが足先まで行き渡る。ダーマーの心臓がボルテージを上げていく。
『EVERYBODY DANCE NOW!』
花火会場からハイトーンシャウトが響く。夜空をキャンパスにダリアが3つぱっと花開く。轟音が鳴り渡る。
ダーマーは予備動作もなくサイドカーの縁を踏み切って、若者の顎を蹴り飛ばした。
喧嘩の始まりだ。
つぼ浦は右手のスロットルを全開に捻ると同時、ハンドルを右に切った。噴き出した廃棄ガスが花火に照らされ極彩色に色を変える。弧を描いてダーマーとは反対方向、追ってきたテキ屋のヤクザどもへ走る。
猛々しいエンジンよりも強烈に怒鳴る。
「蚊帳の外からごちゃごちゃ言ってんじゃねえヴァンダーマー!」
夜空に銀の閃光がいくつも舞った。連続する雷のような音に混じって、兵衛のヤクザがピストルを撃つ。M1911、45口径コルト・ガバメントだ。人間を楽々殺す銃弾が嵐のように打ち込まれる。フレームをえぐる。アロハシャツに穴をあける。つぼ浦は怯まない。
「こいつイカれてやがる!」
スキンヘッドの大男が叫び、跳ね飛ばされた。クルクルと舞い上がった拳銃をキャッチし、発砲。太ももを撃たれた甚平が崩れ落ちる。つぼ浦はサッと首を動かし数を数えた。ヤクザは残り8人。不良残り12人。
百花繚乱、夜空に火花が散る。万華鏡もかくやあらん、破裂音が16ビートを刻む。
「ああそうだ部外者だ。だからこそ好き勝手言うぞ。家に帰れつぼ浦!親に会ってやれ!」
ダーマーに向かって一斉にバットが振り下ろされる。拙い連携だ。一歩前に踏み込んで、正面から襲いかかる黒パーカーの懐に潜り込む。
笛の音が空へ登る。
ドンッと大輪の花火が辺りをカラフルに染める。
ぎょっと怯んだ不良の胸ぐらを掴み、みぞおちへ拳を叩き込んだ。骨が砕ける感触、血液混じりの濁った唾が飛ぶ。力尽くで左に投げつける。もはや重たい肉のずた袋だ。無惨な仲間の姿に動揺が走る。
一瞬の躊躇に差し込むように、ダーマーは右から迫るバットを鷲掴んだ。ノータイムのアッパーカット。脳がゆさぶられた不良は、白目を向き仰向けに倒れた。
奪ったバットを逆手のままフルスイング。グリップエンドでぶん殴られて3人目が吹き飛び転がっていく。
「帰る覚悟をしたからロスサントスを出たんだろう、それをウジウジウダウダと!」
ダーマーは振り返って、バットをつぼ浦に投げつけた。金属製のバットが手裏剣のようにグルグル重たく回る。場違いなほど煌びやかなプリズムが撒き散らされる。
「あっぶねぇ!」
つぼ浦は飛び込むように地面に転がりそれを避けた。
代わりに日本刀を構えていたヤクザが倒れる。
刹那。龍のように高く、白い光が一条登って消える。
視界を埋める五彩特大の菊花火。
つぼ浦は身を低く獣のように駆け出した。1歩後ろ、地面がパァンと跳ねる。千輪花火が七色に光る。砂利が跳ねる。硝煙の匂い。
極限の集中。スローモーションになった世界で、つぼ浦は倒れ込みながら拳銃を撃った。ナイフを持った手に着弾、衝撃が肉を膨らませ、水風船のように弾ける。鮮血が飛び散る。片手で照準を合わせもう一撃。肩を貫通し、ヤクザが二人同時に倒れた。
世界の速度が戻る。夜空に連続で花火が打ちあがる。これで拾った銃は弾切れだ。舌打ちと共に日本刀を引っ掴んでダーマーに投げた。
「俺にも、事情があんだよ!」
ダーマーは投げ槍のように放たれた刀の柄を握る。驚異的な動体視力はもはや曲芸だ。
「事情事情と、言い訳だけは立派じゃないか! 会えば死ぬのか、それとも消えるのか?」
一足で集団に飛び込み、峰で正面から打ち据える。「がきょっ」と妙な声をあげて不良が一人倒れた。返す刀で運の悪い男の指を切り落とす。怯んだ隙に刀ごと顔面を殴る。
奇声をあげ、不良の一人が鉄パイプでダーマーに殴り掛かる。鍔迫り合いに火花が散った。
好機と見た仲間がダーマーの腰にしがみつく。足を抑える。3人がかりで抑え込まれ、さすがのダーマーも身動きが取れない。
鈍く光るナイフを構え、4人目の不良がダーマーの腹を刺した。
プログラムの幕間、夜空は暗く、遠い。
「勝手に、死にかけてんじゃねえぞゴラァ!」
つぼ浦がダーマーを刺した不良をバットでぶん殴った。スイカが割れるような、水音混じりの痛ましい打撲音。
当然、ヤクザは背を向けたつぼ浦を撃ち抜いた。肩に衝撃を感じ、遅れて焼け付くような痛みが走る。
大口径の銃弾がつぼ浦の脇腹を掠め、貫通してダーマーと鍔迫り合いを演じる不良に当たる。
ふっと体が軽くなればこちらのもの、ダーマーは腰の男を柄の頭で殴り、足にしがみつく男を蹴り飛ばし意識を刈り取った。
「ハハハハハ! まだ私が死ぬと思っているのか」
「現に死にかけてただろ!」
「だが、助かった」
「俺のおかげでな。全く面倒なお爺ちゃんだぜ」
つうっと水上に光が渡り、幕を上げるように輝いていく。黄金の滝、ナイアガラだ。万彩の火花が上がる。花火大会はクライマックスを迎え、鉄火場はいよいよ混迷を極める。
不良がヤクザに殴りかかり、ヤクザが不良を刺した。臓物が砂利にデロリとこぼれる。とどめを刺さんと振り上げた刀を止めるため、つぼ浦が体当たりで転ばせる。つぼ浦を狙うヤクザをダーマーが後ろから絞め落とす。スリーパーホールドだ。ダーマーに気がついて銃口を向けたヤクザの膝裏をつぼ浦がフルスイングで殴る。骨の折れる音が響く。夜空は金屏風よりも絢爛に輝き、つぼ浦とダーマーをキラキラ照らした。
「大体なぁ、魂胆が透けてんだよヴァンダーマー!」
「わかっているならさっさと帰れ!」
背中合わせで2人は立った。足を伝って生暖かい血がこぼれる。貧血のせいで処理が追いつかないのか、いつまでも目玉の裏に花火の跡が残る。
ダーマーは汗もかけないような湿気の中、歯を食いしばり体に力を入れる。脳が危険信号を送り全身が震えるほどの大ケガだが、つぼ浦の体温が気絶を許さない。つぼ浦もそうだった。ダーマーの背中が休憩を遠ざける。
意地の張り合いだ。
こいつの前でだけは倒れたくない。
「いいご家族じゃないか」
「俺は、MOZUじゃねぇ。警察だァ!」
二人同時、入れ替わるように駆け出した。つぼ浦は不良に向かってバットを振った。ナイフを持った不良の体がくの字に折れ曲がる。ダーマーはヤクザ向かって日本刀を投げた。槍のようにまっすぐ飛び、ヤクザの腹へ突き刺さる。地面にいくつも転がっている拳銃を拾いグリップで顎下を殴る。ヤクザが一人、脳震盪で気絶する。振り返って不良の肩を撃つ。
「余計なお世話だぜ、マジでよぉ」
「心配させるやつが一番悪いと思わんかね」
「ああ言えばこういう」
「そうだとも。言うさ、お前のことは案外気に入っている」
「初めて知ったぜ」
「殺したい程度にはな」
「そっちかよ」
一閃。夜空を切り裂き、高く、高くどこまでも花火が登っていく。
ダーマーはつぼ浦に銃を向け、撃った。背後のヤクザが倒れる。つぼ浦はダーマーに向かって駆け、通り過ぎて不良を殴った。
「良くやった」
ダーマーがつぼ浦に右手を上げた。
「そっちこそ、ナイス」
つぼ浦がその手をパシンと叩く。
30号の巨大な花火が、視界の端までドォンと高らかに花開き、締めを飾った。煌めく光の粒が尾を引き、名残惜しくも終わりを告げ消えていく。
「つぼ浦、お前が後悔する姿は見たくない」
「おう」
「家に帰れ」
「……あんたも、後悔してるのか」
祭りの後に吹く風は随分静かだった。ダーマーに故郷はない。根なし草で生きた幼少期、致命的に誤り道を違えた軍の思い出。寄る辺のない不安は、確かにダーマーを形作った。
だが、しかし。ダーマーは首を横に振る。
「……今はしていないさ。帰る場所ならあるからな」
「ロスか?」
「ああ。私の仲間が待つ家だ」
MOZUはダーマーが作り、人が集い、形となった新たな故郷だった。消えた者がいる。訪れた者がいる。歴史を積み重ね、喜びも悲しみも痛みも含んだ優しい場所。ダーマーの人生に存在していなかった、愛を教えてくれた場所。ダーマーと仲間達が帰るべき家。
「私は勝ち取った。だからこそ、故郷の大切さが分かる」
百舌鳥は愛情深いのだ。ダーマーにとってのMOZUが、彼らにとっての故郷であるのなら。
ダーマーが日本に一人で訪れたのは、仲間の故郷を守るためだった。
そしてダーマーはもう一つ守ってやりたい故郷を見つけた。生意気でムカつく面倒な警察だが、若く眩しい正義を持つ男。煽り焚き付けて故郷に返そうとするくらいには、嫌いじゃない青年。
「帰れない事情は、そんなに深刻なのか? 口にも出来ないほど」
「アー、まあ。うん」
「そうか」
つぼ浦が俯いて指をすり合わせるので、ダーマーはタバコに火をつけ待った。
「……お前になら、言っても」
つぼ浦が顔を上げた。瞬間、ダーマーの背中に嫌な予感が突き刺さる。
殺気だ。
咄嗟につぼ浦を押し倒し庇う。
タァンと銃弾が撃ち込まれた。45口径、人を楽に殺せる一撃が貫通せず肉を破壊する。
金のアクセサリーをジャラジャラつけた不良が、硝煙の立ち上る拳銃を構えていた。ヤクザのM1911を拾ったのだ。舌に十字架を刺した刺繍が返り血に濡れる。
ダーマーは起き上がろうとして、肘が支えられず崩れ落ちた。血が川のようにこぼれていく。真っ青な顔に脂汗が浮かんで、意識していないのに呼吸が不規則に乱れる。失血による多臓器不全の兆候だと、つぼ浦の魂が囁く。
「ギャハギャハ、カハッ。てめ、てめえら殺してやる! ぶっ殺してやる!」
不良の上半身が脈絡なく前後に揺れる。正気ではない。M1911を構える腕はめちゃくちゃに震え、照準が定まらない。
「テメェ、止まれ!」
つぼ浦はダーマーの下で藻掻く。焦る手がダーマーの生ぬるい血で滑る。間に合わない。
「死ね、死ね、死ね!」
不良はダーマーの頭に銃口を擦り付けた。脳天0距離、間違いなく死に至る。引き金に指がかかったのを見て、つぼ浦はすとんと表情を落とした。
静かに、死神のように不良を指さす。
「お前は心無きだ」
低く、深い、怒りの渦巻いた声だった。
「は、あ? 何」
「ヴァン・ダーマーを殺す資格がない」
「しぎ」
「お前に魂は無い。お前に、俺たちは殺せない」
「あ、ぎぃ」
「ルーチンワークに戻れよ。仲間と一緒に」
不良はグルンと白目を向いた。ダラダラヨダレを垂らして上を向き、ロボットのようにギクシャク崩れ落ちる。不良もヤクザ、平等に地面にのたうち回り痙攣していた。異様な光景だった。
ダーマーは霞む視界でそれを見ていた。
「なに、が」
「ヴァンダーマー、喋るな。今救急呼ぶからな。大丈夫、番外編だから死なねえよ」
つぼ浦はアロハシャツを脱いで傷口を圧迫した。止血だ。細かい傷を片手でぎゅうぎゅう縛り、少しでもダーマーの体内に血を留める。
「……つぼ浦」
「おう」
ダーマーは虚ろな顔でつぼ浦をしばらく見て、瀕死の馬鹿力で思い切り頬を殴った。サングラスが吹っ飛ぶ。つぼ浦は地面に肘をつき、ポカンと口を開けた。
アロハシャツの胸ぐらを捕み、鼻が触れるほど顔を近づける。
「そんな顔をするな」
「……どんな顔だよ」
「腹が立つ顔さ。泣き出す寸前のガキみてえな、後悔の」
指摘され、つぼ浦の肩が上がった。図星だった。言い当てられた感情はふつふつ大きくなって、喉の奥に苦い物がこみあげる。唇を噛みしめ、眉に力を込めて耐える。
ダーマーはつぼ浦の頭をガッと掴んだ。サングラス越し、涙をこらえ揺らぐオレンジの瞳に血まみれの自分が映る。気に食わない。後悔も涙も、特殊刑事課とギャングボスにふさわしくない。ハッキリ、一音一音言い聞かせるように口を開く。
つぼ浦が息を飲む。この光景に見覚えがあった。
「ワシは、死なない」
ドッと心臓を貫かれたような衝撃。背筋に電流が走る感覚。吹き抜けるような一陣の風で、少年の心を握って離さない憧れだ。脳裏に叔父の影が過る。
その言葉は、つぼ浦の人生を変えた台詞によく似ていた。
「お前のおかげだぞ、もっと誇らしげにしろ! この私を、お前が、守ったんだ」
「……あぁ、ワリィ。悪かった。ヴァン・ダーマー」
つぼ浦は姿勢を正す。腕を組んで胸を張り、ダーマーにニッと笑った。
「特殊刑事課つぼ浦匠が、無事、ロスサントス市民を守りきったぜ」
ダーマーが好ましく思う、若く眩しい正義の姿がそこにあった。
「それでいい。それでこそ、殺しがいがある」
「なんだよそりゃ」
「言葉の通りだ。あぁ、眠いな」
「寝たら死ぬぜ。アー、そうだな。歌なんかどうだ?」
「『The Star-Spangled Banner』は嫌だ。不吉すぎる」
「そうか?」
「殉職みたいじゃないか」
「確かにな。じゃあ何がいいんだ」
「……『Country Roads』」
「いいぜ」
月夜に低い歌声が響いた。ダーマーを寝かせないと言いつつ、つぼ浦も大概血を流していた。ウトウト瞬きをして、歌だけは途絶えさせないように腹に力を込める。
二人分の出血が流れ広がっていく。満月が赤をキラキラと照らしていた。
「『あぜ道よ、家に帰らせておくれ。あの場所に、僕が居たあの場所に』……」
サビで涙がにじんだ。
帰りたいな、と思った。故郷の思い出が胸を優しく締め付ける。叔父のこと、雨の日に死んだ同級生、心無きの父と母――。
「――匠?」
聞き覚えのある声がした。母だ。慌てた父の声がすぐ耳元で聞こえた。
もう大丈夫だと、体から力が抜けていく。ダーマーと折り重なるように倒れる中で、ぼそぼそ口だけを動かした。
「俺は、随分、大事にされてるな……」
ささやく小さな声が返ってくる。
「良かったじゃ、ないか」
「おー。……お前の、おかげだ」
「……」
「ありがとな」
「おかえり、つぼ浦」
「ただ、い……」
言い切る前に意識が沈んでいく。
微睡みの中で、幸せだなぁとつぼ浦は思った。穏やかに眠るつぼ浦にちょっと笑って、ダーマーも目を閉じた。
つぼ浦の両親が懸命に応急手当を行う中で、救急車が到着した。
結に続く