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「いつもありがとう。竜胆くん」
悲しげな表情でそう言う義姉さんに、俺はいつも上手い返事ができなかった。
ある日の事だった。部下から連絡が来て何かと思ったら、下に灰谷蘭の妻を名乗る女性が……と言うではないか。俺はそれを聞いて急いで部下の元に向かうと、そこにはやっぱり兄貴の妻で義姉の魅華さんがいた。
兄貴の事を心配して初めて事務所を訪れた義姉さんは、兄貴の姿が見えないことに誰が見ても分かるくらい落ち込んでいた。聞けば、ここ数日程、兄貴が家に帰ってないらしい。だから心配で来たと義姉さんは言っていた。
でも、兄貴ならとっくに自分の仕事を全部片付けてる。というか、数日も家に帰ってないなんて聞いてねぇし、そもそもそんな仕事量でもないはずだ。
義姉さんが心配で来るくらい家に帰ってないなんて何事だよと……そう思って電話してみても繋がらず、仕方なくラインしてみても『今忙しいからあとにしろ〜?』みたいな呑気な返事が返って来た。
ちゃんと文面読んでんのかよ……と思いつつ、義姉さんに「兄貴は今忙しいみたいだ」と伝えて家に帰るように促した。
渋々頷いた義姉さんを家まで送る最中、他愛のない話題を振って話をしてみたけど、義姉さんはやっぱりどこか上の空だった。
そして住んでるタワマンまで送り届けると、義姉さんは「送ってくれてありがとう」とそう言った。そんな義姉さんに俺は「どういたしまして」と返す。
本当なら、こういうのは兄貴が率先してやる事だろうに。なんて思いながら。
「義姉さん、兄貴のこと心配してくれんのは良いけど、事務所来る時は俺か兄貴に一言連絡入れて?俺らその……あぶねー仕事してっからさ」
「あ、うん。今度からそうする。ごめんね、そういう所まで気が回らなくて……」
「いいよ。兄貴が心配だったんだろ?じゃ、俺まだ仕事残ってるから行くね」
おやすみと義姉さんに言って、その日は別れた。
でも、その日を境に、義姉さんからの連絡が頻繁に来るようになった。
【蘭は元気?大丈夫?】
【もしかして大怪我でもしたのかな……?最近また蘭と連絡がつかなくて】
【今日、事務所に行っても大丈夫?蘭に少しでも会いたいんだけど……】
そんな文面がよく来るようになって、その後に必ず【蘭と連絡がつかないの】って送られてくる。
何やってんだよ兄貴……!と思いながら、義姉さんの様子を見に行ったり、どうしてもって時は事務所に連れて来たりしてた。だけど、運が悪いのか、兄貴と義姉さんの会うタイミングが絶望的に合わない。しかも義姉さんは、自分が事務所に来てることはあまり言わない方がいいかもだなんて言う。確かに、兄貴が聞いたら良い顔しないとは思うけど、それでもコレは……と言おうとした。だけど義姉さんの無理して笑う顔を見たら、渋々頷くしかなかった。
兄貴は確かに女相手にする仕事が多い。だけど、兄貴が惚れて好きになった女は義姉さん1人だけのはずだ。他の女なんて興味ないはずなんだ。
だけど、元々女癖悪かったせいなのか、今の兄貴は他の女と遊ぶようになった。
「兄貴、なに考えてんだよ!?」
ある時、俺は兄貴にそう詰め寄った。義姉さんからの連絡が頻繁に来るようになった頃だ。義姉さんにあんなに惚れ込んで、全部捨てさせてこっちの世界に連れて来たくせに、なんで今更女遊びなんてしてんだよって言ってやった。だけど、兄貴は一言。
「ん〜?別に深い意味はねぇけど?強いて言えば、アイツが嫉妬してる顔見んの面白いから?」
「はぁ……?」
「そんな怒んなよ。ちゃんと俺にとっての一番は魅華だっての」
そう言って兄貴は「じゃ、呼ばれてるから行くわ〜」と自分の管轄にある風俗店に行ってしまった。
「一番とかそういう問題じゃねぇだろ……ッ!」
今、それで義姉さんがどれだけ傷付いてると思ってんだよと、一人残された俺は出て行った兄貴にそう怒鳴ってやりたかった。
それからも兄貴の女遊びは続いた。家に帰ってこない兄貴を心配した義姉さんが、頻繁に事務所に来るのが良い証拠だ。その度に俺は兄貴に連絡を入れるけど、取引先の女とかキャバ嬢の相手とかで素っ気ない返事しかして来ない。もうこの際だからと、一度だけ【義姉さんが事務所に来てる】って連絡を入れても、兄貴は俺に【ちゃんと家に送り届けろよ〜】なんて軽い返事を寄越すだけ。事務所に来てるって意味をちゃんと分かってんのかよとイラついた。返事の感じからして、全く分かってないって察しがつく。ラインで送っても、相変わらずだった。
俺以外の男がいる事務所に来させるのを、昔はあんなに嫌がってたクセに、今はこのザマ。そんなに義姉さん以外の女と遊ぶのに忙しいのかよと悪態を吐きたくなる。
他の奴らも、義姉さんの様子を見て兄貴にそれとなく女遊びを控えるよう言う事が増えた。だけど、兄貴は笑って誤魔化すだけ。
そしてお決まりのように、「一番は魅華だ」って言う。
どう見ても悪化していってる兄貴と義姉さんの関係に、俺は頭を抱えるしかなかった。
そんな事が続いてたある日の深夜、義姉さんから【こんな時間まで蘭と連絡がつかないんだけど、竜胆くん何か知らない?】なんて内容のラインが届いて、あんのクソ兄貴……と思いながら、そういえば今日は早く仕事終わらせたはずと思い返信した。
【兄貴なら、もう仕事終えて家に帰ってるはずだけど?】
と、そう送った。だけど、この様子なら義姉さんのいる家に帰ってねぇなと分かって、すぐに【俺からも連絡してみるよ】と続けて送った。
だけど、それに対して義姉さんは珍しく何の返事も寄越さず、ただ既読がついただけだった。
それに少し胸騒ぎがしたのは気のせいではなかったんだと思う。
俺は、もっと早くにでも兄貴を殴り飛ばすべきだった。
【竜胆くん、今日事務所に行ってもいい?】
【分かった。迎え行くから待ってて】
その翌日に義姉さんからそう連絡が入った。最早恒例になってしまったこのやり取りに、俺は溜め息を吐きながら車を出す。義姉さんは事務所に来るようになってからか、俺や他の奴らの仕事事情を理解できるようになってきていた。だから、俺が今ちょっと暇してたのも見抜いてこうして連絡してきたのだろう。義姉さんのこういう理解力というか、ちょっと鋭いとこは凄いと思う。
「急に連絡してごめんね」
「いいよ。義姉さんいた方が事務所も明るくなるし」
「え、そうかな?」
冗談やめなってと言う義姉さんだけど、コレは本当の事だ。元々女っ気のない職場だからか、義姉さんがいると見るからに他の奴らの雰囲気が良くなる。兄貴がいたら修羅場だろうけど、今はそんな心配すらしてないほど兄貴に期待してない。だって、今の俺は義姉さんの味方だから。
そして事務所に着いて部屋に案内すれば、義姉さんはいつものソファに腰を下ろした。応接用のそこに座って、俺達の様子を見るのがいつもの光景。
だけど、この日の義姉さんはなんだかいつもと違った。
「あの、急に来て申し訳ないんだけど、三途くんか鶴蝶くんっている?」
「三途と鶴蝶?多分この時間ならいると思うけど……なんでその2人?」
「少し、話がしたくて」
「ん、分かった。俺が呼んでくるよ」
あの2人に話ってなんだろう。俺にはできないのかな?なんて思いながら、別の部屋で作業してた鶴蝶を見つける。
「鶴蝶ごめん。今良い?」
「竜胆か。どうしたんだ?」
「今義姉さんが来てんだけど、三途か鶴蝶に話があるって」
「魅華さんが?」
なんの話だろうかと首を傾げる鶴蝶。とりあえず義姉さんのいる部屋まで案内する。
三途も鶴蝶も、事務所に何度も来てる義姉さんとは面識がある。鶴蝶なんかは昔から知ってるから話し易い相手みたいだし、義姉さんもなんだかんだで鶴蝶のことを可愛がってた。三途は最初こそ兄貴の嫁だから良い顔しなかったけど、兄貴の浮気で落ち込む義姉さんを不器用に慰めるような場面を見るようになった。それくらい仲良くなってるって感じなんだろう。兄貴が知ったらマジで嫌がりそうだけど、自業自得だから俺は義姉さんと他の奴らが仲良くするのに口出ししない。
部屋に入ると、義姉さんは九井と何か話していた。俺と入れ違いで九井が来たってとこか。
「魅華さん」
「あ、鶴蝶くん」
鶴蝶の顔を見た義姉さんはソファから立ち上がり「急に呼びつけてごめんね」と謝るが、鶴蝶は「気にしないで下さい」と言い、2人は向かい合うような形でソファに腰掛ける。俺は義姉さんの隣にとりあえず座る。九井は少し離れた所で何かの資料に目を通してる。
「それで、話というのは?」
鶴蝶が優しげな声音でそう聞く。
すると、義姉さんはゆっくりと口を開き「あのね」とその言葉を口にした。
「私を殺して欲しいの」
「…………………………え?」
「………………は?」
一瞬、自分の耳を疑った。義姉さんは今なんて言った?と。あまりにも突然、何もないところから急に出てきたその言葉に驚く俺達をよそに、義姉さんは言葉を続けた。
「ほら、私は一応蘭の嫁っていう立場でしょ?だけど、今の状況だとその役目もお役御免状態というか……都合の良い家政婦みたいなものなんだよね、私。それでね。蘭と別れようかなって考えもしたけど、血縁も友人も全部切って来た私には行くところがないし、それに私は組織の一部だから、下手な動きができない。それならもう、私をスクラップで処分した方が梵天にとっては良いと思うんだ。蘭だって一応幹部なんだからそこが分からない訳じゃないだろうし、今の彼は私一人いなくなっても問題無い。だからね?もう好きにしようかなって思ったの!そう言う訳で、私を殺して欲しいの。日時はそっちで決めていいよ。それまで最後の人生を楽しむから!でも、もし私を処分するのが面倒なら臓器売買とか風俗で働かせてもらうとか……そういう貢献はできると思うから、考えてもらっても良いかな?鶴蝶くん」
義姉さんは平然としながら、まるで日常会話のようにそう話した。
言葉を挟む余裕もないくらいの言葉の羅列に、俺も鶴蝶も絶句した。離れたとこで聞いてた九井なんて、呆然としながらその手に持ってた資料を落とした。
そんな中で、義姉さんはゾッとするくらい良い笑顔でいた。
ヤバい、ヤバいヤバいヤバい……!!!!と俺の中で警報が鳴った。
義姉さんは今、正気じゃない。
平気な顔でいるけど、なにかが狂ってる。
そうじゃなきゃ、義姉さんみたいな人間が「自分を殺して欲しい」だなんて笑顔で言うはずがない。
「ね、義姉さんッ!いきなり何言い出すんだよ!?」
「え?」
肩を掴んで正面から義姉さんの顔を見る。普通だ。不気味なくらい普通だ。いや、普通な訳ない、だって今の義姉さんはどう見てもまともじゃないんだ。
「どうしたの?竜胆くん」
「どうしたはコッチの台詞だよッ!?義姉さん、今自分が何言ったか分かってる!?」
俺がそう聞くと、義姉さんは顔色一つ変えずに答えた。
「『殺して欲しい』って言ったけど?」
それがなに?とその至極当然とでも言いたげな表情に目を見開く。
可笑しい。絶対可笑しい。義姉さんが急にこんなことを口走る事なんて絶対にない。今までだってそんな素振りなんて一つも見せなかったのに……とそう考えたところで、俺は漸く気付いた。
義姉さんは、”普通のフリ”をするのが異常に上手くなっているんだって。
そのキッカケは分かりきってる。兄貴の浮気だ。兄貴の浮気と女遊びが、義姉さんをジワジワと確実に蝕んでいた。
俺や他の奴らの前では何でもないように振る舞っていたけど、義姉さんはもうとっくの昔に限界を迎えていたんだと思い知る。
それが今、こんな形で出てきたんだ。
「私、そんなに変なこと言ったかな?」
「ッ……」
当たり前の事を言ったと言わんばかりの義姉さんに、俺はどう返せばいいのか分からない。
遅かった。
気付くのが遅すぎた。
一度こうなった人間を元に戻すのは難しいのに。
なんで気付かなかった?
俺が一番近くにいたのに!
なんで、どうして……!!!!
そんな後悔の念に駆られていく。
どうする?
どうしたらいい?
例えもしここでなんとか説得できても、今の義姉さんを一人にしたら自殺しかねない。
兄貴に連絡するか……?
いや、今の義姉さんが兄貴に会ったところで考えを改めるとは思えねぇし、寧ろやっぱり死んだ方がいいって思う可能性もあるから逆効果だ。
どうする?どうすれば義姉さんは──
「魅華」
悶々と悩んでいたその時、九井が義姉さんの元にやって来た。
俺も鶴蝶も、何する気だ?と九井を見つめる。
「なに?九井くん」
義姉さんは至って普通にそう返事をすると、九井は言葉を続けた。
「最近うちの管轄に美味いって評判の店ができたんだ。今からそこに行かねぇか?」
「え?」
「は?」
「ハァ!?」
あまりにも突拍子もない提案に、義姉さんだけじゃなく俺と鶴蝶も口を開いたまま固まった。急に何言ってんだコイツ。
だけど九井はにこやかに話を続ける。
「魅華、最近ちゃんとした飯食ってねぇだろ?腕とかホラ、こんなに細くなってるし」
「あ……そ、そんなことは……」
「顔色も若干悪いみてぇだし、ちゃんと栄養取らなきゃ駄目だろ?」
「で、でも……そんなことより……」
「そんなことって、食べるって事は大事なことだぜ?俺も今ちょーど腹減ってるからさ。魅華も付き合ってくれよ」
「でも……」
「竜胆と鶴蝶も一緒だし、な?いいだろ?」
そう言う九井は俺と鶴蝶に『話を合わせろ』って目を寄越してくる。そこでやっと、意図が掴めた俺達は九井の話に便乗する。
「そうだよ義姉さん!その店めちゃくちゃ美味い料理あるから、義姉さんも絶対好きだと思う」
「竜胆くん……」
「俺もその店の味は保証する。魅華さん、確か甘いものも好きだったよな?デザートも種類豊富だからオススメだぞ」
「鶴蝶くんまで……」
「ちょっと付き合うだけでいいからさ。一緒に飯行って、美味いもん沢山食べようぜ?今の魅華、細過ぎていつかぶっ倒れそうな感じだし、とりあえず今の話は一旦忘れて飯行こうぜ?」
そこまで言って、俺達は義姉さんの返事を待つ。さっきとは全然違う話題に戸惑っているようだけど、こうでもしないと今の義姉さんは危険だ。だから、九井は全く違う話題を義姉さんに振った。
「どうだ?ちょっとくらいならいいだろ?」
「…………そこまで、言うなら」
少しゴリ押しみたいだけど、仕方ないなと少し笑った義姉さんに安堵する。
そしてあれよあれよと鶴蝶が義姉さんを車に案内するのを見送ると、「竜胆」と九井が俺を呼んだ。
「どう見ても大丈夫じゃねぇぞ。魅華のアレ」
「……分かってる。九井が話題変えてくれて助かったわ」
「ま、あんなこと急に言われたらな……だいぶ不審には思われただろうけど、これで少しは冷静に話ができんだろ?」
「そうだといいけど……」
「それに、魅華がもし死んだら一番荒れるのは蘭の野郎だろ?面倒事は極力避けたいからな。まぁ、魅華がああなってる原因は思いっきり蘭だけどよ」
「ハァ〜……マジで何考えてんだよクソ兄貴ッ!」
「そのクソ兄貴は、今頃取引先の令嬢と“独断”で会ってるっぽいけどな」
「あんな女より優先すべきなのは義姉さんだろうがッ!!!!!」
「まぁ、落ち着けよ。お前が一番苦労してんだろうけどさ」
そう言って九井は、少し考えるような素振りをする。そして何か思いついたような顔で言葉を続けた。
「なぁ、竜胆。俺に考えがあるんだが……聞いてくれるか?」
「ポイント制?」
食後のデザートを食べながら、義姉さんは九井の言葉に首を傾げた。
「そう。蘭の奴が浮気したら1ポイントって感じで、ポイント貯めて、今日みたいに美味いモン食べたり、好きなことしたりすんの」
「な、なるほど?」
「もうさ、アイツのアレは治るようなもんじゃねぇから、魅華も好きにしていいんじゃねぇの?」
そう言って笑う九井だけど、俺や鶴蝶は義姉さんの反応に変に緊張してしまう。
「そりゃ好きにしたいけど……でも」
「大丈夫だって。何したいかは事前に俺らに言ってくれれば良いし、組織の管轄内ならなんでもできるぜ?だから心配いらねぇよ。ボスも魅華が好きなことしたって文句言わねぇはずだしな」
「マイキーさんが?」
「さっき言ってたろ?好きするって決めたんなら、これくらいはして良いんじゃねぇの?」
九井は上手い具合に義姉さんを説得していく。流石、昔から色んな相手と取引した事だけのことはある。
九井の考えはこうだ。兄貴に浮気される度にポイントをつけていき、そのポイント毎に”ご褒美”として義姉さんに好きな事をさせるというもの。美味いモン食べたり、好きな服とかアクセとか買ったりとかそういう感じだ。傷心しきって、自分の死に躊躇の無い今の義姉さんには、少しでも兄貴の浮気をマイナスではなくプラスに還元して精神を安定させる必要がある。もちろん兄貴が浮気しなければいい話だけど、あんだけ言っても改善しないんだからもうこの際だ。
今は義姉さんの精神状態を少しでも別の何かに向けさせてやった方が良い。
それが、九井の考えた今の義姉さんへの”応急処置”だった。
「ポイントの基準は、魅華が決めたらいい」
「え?九井くんが決めてくれないの?」
「ポイントつけていくのは魅華なんだから良いんだよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
義姉さんは少し悩むような素振りを見せる。だけど、九井は至って真剣に話を続ける。
「今日来たこの店にポイント貯めてまた来るも良し、好きな映画見まくるのも良し、服とかアクセとか買いまくるも良しだ。魅華の好きなことをポイントでとことんやったら良いんだよ。なぁ?竜胆もそう思うだろ?」
「そうそう。楽しそうじゃん。義姉さんいつも家の中じゃ退屈しまくってるだろうし」
「それはそうだけど……」
「安心しろ魅華さん。もしそれで蘭と何かあっても俺達は魅華さんの味方だ」
「………………」
「ほら、2人もこう言ってるし?」
「ん〜……でも、好きなことか……」
この様子ならあと一押しだ。
「手始めに、何したいか考えてみたらどうだ?」
「ん〜…………あっ……いや、でもな〜……」
「義姉さん?」
何か思いついた感じだけど、義姉さんはうーんうーん言って悩んでる。
「何したいか決まった感じか?」
「ん〜……まぁ、そんな感じ?」
鶴蝶の言葉に、義姉さんはそう言って苦笑いして見せた。
よし!いいぞ!と俺は心の中でガッツポーズする。
「なになに?聞かせてよ」
「……聞いても、笑わない?」
「笑わない」
「笑わねぇよ」
俺達がそう答えると、義姉さんは少し恥ずかしそうにしながら言った。
「スイーツビュッフェで甘い物たくさん食べたいな〜……って」
それを聞いた俺はよし!!!!と再びガッツポーズする。
「いいじゃん義姉さん!最初のポイント貯めたご褒美にスイーツビュッフェ!」
「甘い物好きですもんね」
「よーし、じゃあそれで決まりだな。何処のスイーツビュッフェがいい?」
「え……!?もうそこまで話進めちゃうの!?」
「当たり前だろ?これは魅華へのご褒美なんだしな」
そうして俺達はなんとか九井の機転で義姉さんをこの世に引き止める事に成功した。
義姉さんは、ポイントを一定のところで区切って、自分へのご褒美を与えるようになった。スイーツビュッフェに温泉、観光や高級料亭などなど、それはもう楽しんでいるみたいだった。
だけど、義姉さんが自分にご褒美をやるって事は、兄貴の浮気は続いてるってわけで。それが複雑だった。
俺も他の奴らも、いい加減にしろって言うけど、兄貴は適当な理由と屁理屈を言って取引先の女や売り上げに貢献してるキャバ嬢の相手をする。
一度、兄貴にそういう仕事をさせないなんて話が出たことがある。だけど、それは逆に相手の女達の反感を買うようで、取引や売り上げに影響が出る事態になった。組織としてはそこは避けたい問題だった。
つまり、兄貴が自分から今の状況に気付いてもらわないと、義姉さんとの関係は亀裂と溝ができたまま。
ポイントのご褒美だって、回数が増えれば効果が薄れる可能性は十分ある。今は楽しんでるけど、いつ義姉さんのあの自殺願望が出てしまうか分からない。
だから俺は、注意深く義姉さんを見守り続けた。
そして、ポイントが30貯まった時、やっと兄貴の方から義姉さんへコンタクトがあった。
まぁ、そうしてもらわないと困るんだけどな。
三途から話を聞くに、高級焼肉店に来る前、義姉さんは兄貴と女が仲良く歩いてる姿を発見したらしい。そこで義姉さんは、ポイントが30個貯まったことに大喜びして、すぐに近くにいた三途の車に乗ったという。その一部始終を兄貴に全部見られていた。なんなら義姉さんが兄貴に声をかけていたくらいだ。
そんな状況で他の女と遊び続ける余裕は兄貴には無い。
だから、ここで兄貴が自分のやらかしに気付いて義姉さんとの関係修復をしていけば、もう大丈夫なはずだと俺はそう思っていた。
だけど、その考えは甘かった。
元々プライドの高い兄貴だ。まず、素直に自分の非を認めるかさえ分からない。そんな兄貴は、義姉さんと俺達が一緒にいるって知ってるからあからさまに不機嫌だった。
そして。
『お前……俺がいんのに、他の男と遊ぶとかいい度胸してんなァ〜?ビッチかよ』
とうとう義姉さんのことを『ビッチ』と言いやがった。
その散々な物言いに、もう俺が怒鳴ってやりたかった。
だけど、それを遮ったのは義姉さんだった。
「は?他の女と毎晩よろしくやってたヤツが何言ってんの?」
え……とその冷た過ぎる声音に、俺も三途達も、電話越しの兄貴も固まった。
さっきまでニコニコしながら焼肉を食べて、俺らと談笑してた義姉さんの顔からストンと表情というものが一瞬で消え失せた。
そして義姉さんは、淡々と言葉を並べた。
その長く、途中で口を挟む事すら許されないような言葉の羅列に、ドッと冷や汗が流れた。電話越しで聞いてる兄貴なんて、向こうで息を呑んで固まっているだろう。
それくらい、話続ける義姉さんの内に秘められたモノはハンパじゃなかった。
まるで別人のように話す義姉さんに、恐怖すら感じた。
そして思い出す。
今の義姉さんは、”普通のフリ”をするのが異常に上手いって事を。
何か言おうとしてた兄貴との通話を切った義姉さんは、焦げそうになった肉を皿に救い出すと、そのまま頬張った。
「はあ〜〜〜〜ッ!おいし〜〜〜〜〜ッ!!!!幸せ〜〜〜〜!!!!」
さっきまで怖いくらいの真顔で、感情すら失ったような感じだったのに、焼肉を食べるその振る舞い方は、いつもの義姉さんなのが逆に怖かった。
唖然としてる周りも気にせず追加の肉を注文する義姉さん。自分へのご褒美だからかよく食べる。
だけどこれは、関係修復とかそんな簡単な話じゃないかもしれないと、俺は直感した。
「あれ?どうしたんですか皆さん?お肉食べないんですか?」
そう言ってニコッと笑う義姉さんに、俺も他の奴らもなんとかそれらしい返事をしながら箸や酒の入ったグラスを掴むしかなかった。そうしないとこの雰囲気の温度差で潰されそうだったからだ。
「35個目は何にしようかな〜また温泉行こうかな?オススメの温泉探しとかないと」
ウキウキしながら肉を焼く義姉さんは、もう次のご褒美のことしか考えていないらしい。
それはつまり、兄貴が浮気するのを信じて疑わないってことだ。
「ねぇ、竜胆くんはオススメの温泉とか知らない?」
隣でそう聞いてくる義姉さんに、俺はどう答えるべきなのか分からなかった。
高級焼肉を大いに楽しんだ義姉さんは、終始上機嫌だった。今はお酒で頬を少し赤くしながら眠っている。部下に運転を任せて隣で眠る義姉さんを見つめながら、俺は兄貴に電話をかける。
『……もしもし』
随分弱り切った声にため息を吐きつつ、「俺だけど」と話し始める。
「義姉さん寝ちゃったから、今夜は俺のとこ泊まらせるよ。今の兄貴、義姉さんにまたいらねぇこと言いそうだろ?義姉さんもその……あんな感じだったしさ」
『……ああ、そうしてくれると助かるわ』
そう答えた兄貴は、相当さっきの義姉さんの言葉が効いてるのが分かった。
「言っとくけど、こんなことなってんのは兄貴のせいだからね。殴ってでも止めなかった俺らも悪いけど、今の義姉さんはあんな事を平気でいうくらい精神的に不安定になってる」
『…………』
「俺としては時間かけてでも関係修復して欲しいけど……」
『……魅華が許してくれると思うか?』
「思わない。それだけのことを兄貴はしていたから。だけど兄貴はさ、義姉さんのことが大好きじゃん?ちゃんと昔みたいに向き合って欲しい。元通りになるまで大変だと思うけど、それが兄貴にとっての義姉さんへの償いだよ。最悪、別れる事になっても……仕方ないと思う」
『そうだよなぁ……』
そこで兄貴は間を開けると、言葉を続けた。
『悪りぃな竜胆……俺、頑張るワ』
「おう」
『あと、明日会ったら俺のこと思いっきり殴って』
「俺だけじゃなくて三途達も殴るけど良い?」
『良い。全員加減無しで良いって伝えといて』
「ん、分かった」
そこで通話を切ると、俺は隣で眠る義姉さんに目を向ける。
スヤスヤと寝ている義姉さんは、俺らの見えない所で傷付いて傷付いて、ボロボロになって、今にも壊れそうになってる。
それを治すことができるのは、多分兄貴だけだし、壊せるのも兄貴だけだ。
俺はただ、2人を見守ることしかできない。
「ハァ〜…………明日思いっきりブン殴ろ」
とりあえず、今の俺にできるのはそれだけだ。
そう思いながら窓の外に目を向ける。
明かりの消えていく夜の街並みを、俺はただ眺めていた。
○ 魅華 みか
好きにしよう=もう死のうという思考に陥ってたが、応急処置でなんとか生命維持できていた。
口を挟む隙すら与えないくらい喋る時が一番ヤバい状態だと一目で分かる。
実は食事がろくにできていなくて細くなっていってた。今はご褒美のおかげで通常体型にまで戻った。
○竜胆
昔から2人を傍で見てきたので、できれば関係修復して欲しい。
だけど状況が状況なので別れるかもと思ってもいる。
蘭のことは加減無しで思いっきり殴り飛ばした。本当はもっと早くこうするべきだったと猛省してる。
○蘭
人生で一番と言っていいほど反省しまくってる。自分は殴られても仕方ないと思ってる。
魅華との関係修復に励むつもりだが、困難を極めるのは言うまでもない。