テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
そこは国ではなく、街でもない。人里離れた森の中に奇妙な『里』があるという。
なぜ奇妙なのか、それはその色。木々を飾る葉も、野に咲く花々も、全てが『紫』一色で埋め尽くされていた。
この地に生える植物は全て毒性を持つために、人も魔物も近寄らない。
ここは、都市伝説のように存在が噂されるだけの不確かな場所、毒の里『ポワゾン』。
その里の住民は、たった一人。毒の花と同じ色である紫の髪と瞳を持つ娘『リィラ』だけであった。
その日、里を出たリィラは近くの森の中で木の実を拾っていた。片手に小さな籠を持ち、足元だけを見ながら歩いている。
昼間なのに森の中は静かで、動物の鳴き声はおろか虫の音さえ聞こえない。それは全ての生物がリィラを避けているからであった。
その時、近くの木々が騒がしい音を立てて揺れ動いた。
(近くに……誰かいる?)
リィラが顔を上げて前方の木に目線を合わせた瞬間に、木々の間から何者かが勢いよく飛び出してきた。
「わぁっ!!」
「きゃあっ!?」
全力で森の中を駆けて来た男性がリィラと正面衝突した。男性の勢いに弾き飛ばされたリィラは地面に尻餅をついた。
「あっ、ごめん、大丈夫!?」
男性は息を切らしながら片手を伸ばして、地面に座ったままのリィラを立たせようとする。
リィラが見上げて目を合わせると、相手は20歳くらいの若い青年であった。銀色の髪と美しいブルーの瞳に目を奪われる。
息を呑むほどに秀麗な顔立ちの青年は白いマントに全身を包んでいて、その上質な布地と装飾から高貴な身分だと推測できる。
リィラは差し出された青年の手に触れる事なく立ち上がると、逆に青年に詰め寄る。
「あなたこそ大丈夫なの? 私とぶつかって痛くない? 苦しくない? 息してる?」
「……え? 僕は大丈夫だよ……?」
青年は少し引きながら苦笑いをする。大怪我をするような衝突ではないのに、まるで命の心配までされているようだったからだ。
見つめ合ったままの数秒の沈黙の後、リィラはすぐに数歩後ろに下がって距離を取った。
「……だめ、私に近寄らないで!」
詰め寄ってきたのはリィラの方なのに、なぜか拒絶されてしまった青年はまたも苦笑いをするしかない。
その瞬間、近くから獣の咆哮が聞こえてきた。だんだんとこの場所に近付いてきている。
青年はハッとして背後の森を振り返った。
「そうだ、魔物に追われていたんだ。ここは危険だよ、君も早く逃げた方がいい!」
「魔物……分かった。私についてきて」
リィラは青年に背を向けると、反対側の森の中に向かって駆け出していく。
青年もリィラの背中を追って走り出すが、リィラの後ろ姿を見た途端に不思議と目を奪われた。
リィラは黒のロングドレス姿で、美しい紫色の長いストレートの髪を揺らしながら青年をどこかへと導いていく。
森の木々を抜けて、やがて視界が開けた場所に辿り着いた。
薄暗い森から一気に眩しい世界を目にした青年は、息を整えながら目を細める。
「すごい……森の中にこんな場所があったなんて」
目の前に広がるのは、紫一色の花畑。周囲を囲む木々の葉も紫で、視界に紫のフィルターでも乗せたかのような世界。
心を奪われたかのように一歩踏み出そうとする青年の前にリィラが立ちふさがった。
「……だめ、入らないで。花には毒があるの」
我に返った青年は正面のリィラに目を合わせる。リィラの瞳も花畑と同じ紫色で息を呑むほどに美しい。
「私はリィラ。ここは毒の里だから花には触れないで」
「毒の里だって? じゃあ、ここがポワゾンなんだね? 本当に紫色ばっかりなんだ」
「……そう。本当は誰も入れたくなかったけど」
毒の里というだけあって、毒性に覆われたこの地に魔物は近寄らない。それは生物の本能。だからこそリィラは青年をここへ導いた。
外敵から身を守るには最も安全な場所ではあるが、その毒性は普通の人間にとっては危険な場所でもある。
「あ、僕の名はセンティ。アディール王国の者だよ」
センティは礼儀正しく一礼をして名乗った。その気品溢れる容姿と所作から高貴な身分であることは一目瞭然。
しかしセンティという名の、この青年。毒の里の周辺の森を一人で歩き、しかも魔物に追われるとは……無茶すぎる。
「……王子様が危険な森を一人で歩き回るなんて、何事なの」
「え? 僕、王子だなんて一言も言ってないよ」
「見れば分かる」
「へぇ、リィラちゃん、すごいなぁ」
図星だったようだが深くは詮索しない。そもそもリィラは誰とも関わるつもりはない。
愛想のよい笑顔で『ちゃん』呼びしてくるセンティに悪意がないのも見て分かる。この里を汚す目的なら毒の針で刺してやろうかとも思ったが。
「でもリィラちゃんだって一人で森の中にいたよね」
「私は平気なの。だって……」
そう言いかけた時、リィラは右足の脛にズキズキとした痛みを感じて顔を歪めた。先ほどセンティに突き飛ばされた時に足を擦りむいていた。
「あ、リィラちゃん……その足……血が!」
「触れないで!! 見ないで、大丈夫だから!」
リィラは足の傷が見えないように後ろを向いた。センティが驚いたのは怪我に対してではない事は分かっている。
恐る恐る顔だけをセンティに向けると、彼は眉を下げて憐れむような顔をしていた。……当然の反応だ。
「驚いたでしょ? ……私の血の色」
「うん。紫色なんだね」
「そう……私自身にも毒性があるの。だから魔物も近寄らない。あなたも近寄らないで」
リィラは髪も瞳も……そして血の色すらも。全身が毒性の紫色に染まっている。
センティは全身を巻いている白いマントの中から何かを取り出した。そしてリィラの前まで歩み寄ると屈んで地面に片膝を突く。
「ちょっと、近寄らないでって……!」
「大丈夫だよ。ちょっと動かないで」
センティはリィラの足の脛、足首に近い部分の傷に白いハンカチを巻こうとしている。包帯の代わりなのだろう。
リィラは大人しくしているものの、声は動揺している。
「そんな事したら、そのハンカチが……!」
「いいよ、あげる。ねぇ、この里に他に人はいないの?」
リィラは気付いた。センティは毒を持つリィラを憐れんでいたのではない。純粋に怪我の心配をしていたのだと。
そして、わざと話題をそらしてくる。センティという王子の心は汚れなく澄んでいる。毒性を持つ自分とは正反対だと思った。
全身がパープルのリィラは、なぜか頬だけを赤く染めて眼下のセンティに答える。
「この里には私しかいない。私が最後の生き残り」
「え? 一人だけなの? 何があったの?」
「何もない。みんな寿命。この里の者は毒を持つから短命なの」
「そうなんだ。寂しいね」
つまり体内の強い毒性は自身をも蝕んで寿命を縮めている。毒の種族の血筋は間もなく尽きる運命にあった。
ハンカチを巻き終えるとセンティは立ち上がり、見下ろしていたリィラは彼を見上げる形に変わる。
「王子様は早くこの里から出た方がいい。毒の花の花粉を吸い続けるのは危険……」
「ねぇ、リィラちゃんって何歳? 僕は20歳だよ」
「……18だけど」
センティはまるでリィラの忠告を聞いていないようで、自身や毒の事よりもリィラに興味を示している。
不思議な人だなとリィラは思うが、嫌悪感はない。外部の人間と話す機会もなく、里で孤独に生きてきたリィラも彼に興味が湧いてきた。
「王子様、ちょっとここで待ってて。絶対に動かないで」
リィラは小走りで花畑に挟まれた小道を真っ直ぐに進んで、その先にある木造の小屋の中に入った。
そこがリィラが暮らす家であるが、簡素な外観で物置小屋にしか見えない。
小屋から出てきたリィラは、手に小さな巾着袋を持っている。再びセンティの前まで歩み寄ると、それを差し出した。
「……これ、お守り。持っていれば魔物は近寄らないから」
「これ、ポプリ? いい香りがするね」
その巾着袋に手で触れるとカサカサとした感触と音がする。ドライフラワーが入っているのだろう。
「袋は絶対に開けないで。毒の花びらだから」
「分かったよ、ありがとう」
センティが包帯代わりにくれた『白いハンカチ』のお礼として、リィラはお守り代わりに『毒花のポプリ』を贈った。
センティはポプリをマントの内側に入れるとゴソゴソと動かす。巾着の紐を腰のベルトに結んでポプリを腰から下げた。
「じゃあ、僕は行くね」
「……帰りも一人で大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。お守りがあるし。またリィラちゃんに会いにくるからね」
「……え?」
リィラが驚いて言葉を返す前に、センティは最後に清々しい笑顔だけを残して森の方へと走り去ってしまった。
(また、来る……?)
呆然とセンティの背中を見つめていたリィラは、その言葉の意味と不思議な感覚に戸惑う。
アディール王国はポワゾンから一番近くにある国だから大した距離はない。
それでも、毒に覆われたポワゾンには人も魔物も近寄らないのに、なぜあの王子様は近付こうとするのだろうか。
ふと、センティが右足に巻いてくれたハンカチに視線を落とす。
真っ白なハンカチには紫の血が滲んでいたが、もう痛みは感じなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!