テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
その後、センティは何度も一人でポワゾンを訪れてきた。
毒の花粉が飛ぶ里に彼を長居はさせられないので、花畑の前で少しだけ言葉を交わすだけであった。
「王子様……なんで来るの? ここは有害なのに」
「通り道だから、ついでにリィラちゃんの顔を見たいなって」
嘘も偽りもない晴天のような笑顔で、いつもセンティは他愛もない話をして帰っていく。
……いや。センティは嘘をついている。ここは通り道なんかではない。ポワゾンは存在が都市伝説化されるほどに辺境の地にある。
そして、この里を荒らさない配慮なのか、他人を巻き込まないためか、センティはいつも一人で訪れる。
「……センティって、変な王子様。ふふ……」
「あ、名前で呼んでくれたね。それに笑ってくれた。嬉しいな」
ずっと一人で生きているリィラには、センティと話していると胸が熱くなるこの感情が何なのか分からない。
いつしかセンティが会いに来てくれる事を楽しみに待つようになっていた。
毒を持つリィラは、センティと触れ合う事はできない。触れるだけでも、手を繋ぐだけでも彼を毒に侵しそうで怖い。
それでもセンティと会える僅かな時間だけでも幸せだと感じた。そして、それは彼も同じだったのだろう。
「ねぇ、リィラちゃん。アディール王国に来ない?」
「……え?」
今日も紫の花畑の前で語らっていると、センティが突然の提案を持ちかけてきた。
リィラは驚いてアメジストの瞳を見開いて彼を見上げたが、すぐに目を伏せた。
「出られない。私は毒の体だから人に害を及ぼす。だから最後までこの里にいる」
リィラはポワゾンの最後の生き残りとして、この里で一人で命を終える覚悟をしていた。
しかしリィラの決意を聞いてもセンティの優しい微笑みは崩れない。今日の空のような澄んだスカイブルーの瞳が美しい。
「逆だよ。リィラちゃんの毒が必要なんだ」
「え……?」
「リィラちゃんがいれば魔物は近寄らないからね。僕の移動中の付き人になってくれない?」
センティの言いたい事は分かる。確かにリィラは自身の体そのものが魔物除けの役割を果たす。
そしてセンティにとって、それは口実に過ぎないという事も。彼は純粋にリィラを王国へと迎えたいのだろう。
「でも、私の体は人体にも悪影響だから……」
「気になるならローブに身を包めばいいよ」
確かにリィラの血や涙などの分泌物には毒が含まれるが、他人が皮膚や髪に触れただけで毒に侵される事はない。
考え込んでしまったリィラの前で、センティは困った顔をして笑った。
「あ、ちゃんと給料は出すし、城に住み込みでも……」
「……次までに考えておく」
微笑みながら曖昧に答えたリィラの心では、すでに答えは決まっていた。里の人たちの魂もきっと、このくらいは許してくれるだろう。
里の外に出たいと思った事などない。王国に行きたい訳でもない。ただ……センティと一緒にいられるなら、どこでも良かった。
毒の体ではセンティと結ばれる事なんて不可能なのは承知の上だった。どうせ長くはない寿命なのだから、自分に正直に生きたいと思っただけ。
それから約束の3日後、リィラはいつもの紫の花畑の前でセンティが来るのを待っていた。
センティが来たら今日こそ一緒に里を出ようと思った。不安や罪悪感よりも、期待と喜びが勝るリィラの胸は高鳴っていた。
その時、風に乗って運ばれた何かの香りが鼻を刺激した。嗅ぎ慣れた毒花の香りではない。
(……何の匂い……?)
心地よい香りとは言えない。不穏な気配を感じたリィラは森の入り口に近付くと立ち止まり、耳を澄ましてみる。
普段なら虫の音ひとつ聞こえない森の奥から、獣の声と衝突音が微かに鼓膜に響いた。
(魔物の声と……血の匂い!?)
リィラは咄嗟に駆け出すと、そのまま森の中へと足を踏み入れる。全力で走りながら、その音と匂いを感じる方へと本能のままに進んでいく。
何本かの木々を通り抜け、生い茂る草を掻き分けると少し開けた場所に出た。そこで目にした光景に息を呑む。
巨大な魔物と対峙したセンティが長剣を構え、今まさに決着を付けようとしている瞬間であった。
センティは振り返ると背後のリィラに向かって叫ぶ。
「リィラちゃん!? 来ちゃダメだ!!」
センティの纏う白いマントは自身の血の色に染まり、額からも血を流している。
すでに彼は致命傷を負っているのかもしれない。二本の足で立つ熊のような漆黒の毛並みの肉食獣は、その牙でセンティに食らいつこうとしていた。
「センティ……っ!!」
センティの制止も聞かず駆け出したリィラは、センティの前に回り込んで魔物の前に立ちふさがった。
「さぁ、私に食らいついて!!」
気丈にもリィラは、魔物の前で両手を広げてセンティを庇う体勢になった。
リィラの体内には毒がある。少しでも噛み付けば魔物は毒に侵されて拒絶反応を起こす。これで少なくともセンティだけは守れるはずだった。
漆黒の魔物の瞳は血のように赤く、理性などは持ち合わせていないように見える。リィラの言葉など理解していないだろう。
「リィラちゃん、危ないっ!!」
「……きゃっ!?」
咄嗟にセンティはリィラの体を横に押しのけて、再び魔物の前へと立った。同時に魔物が瞬時に牙を剥いた。
地面に倒れたリィラが少し身を起こして顔を上げた瞬間に飛び込んだ色は……赤。
真っ赤な鮮血……それしか認識できなかった。
「い、や……」
目の前で何が起こったのか分からない。脳が、心が、意識が……それを現実と認める事を拒んだ。
「センティィィ!!」
その叫びと同時に目の前に落ちてきた何かが、血に染まった世界を遮るようにしてリィラの視界を通り過ぎた。
地面に落ちた小さな巾着袋は、親しみのある花の香りを纏っている。
それはリィラがセンティに贈った、毒花のポプリだった。