コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ただいま…」
小さな声で、そっと玄関を開けて入ってくる健二。
「おとうちゃん、おかえりなさーい」
翔太が走ってきて抱っこをせがむ。
「おかえりなさい」
私はできるだけいつもと同じように、健二を迎え入れる。
どちらかというと、優しくする。
「あ、うん、ただいま。翔太、元気にしてたか?」
「まるでずっと会ってなかったようなセリフだね」
私はわざと、にこやかに話しかける。
「あ、そうだね、なんかおかしいな、俺。とにかく手を洗ってくる」
「おとうちゃん、おふろはいるの?しょうたもはいる」
「そうだね、たまには翔太と一緒に入ってあげて」
「わかった、けどパジャマ……」
「出しておくから」
なんとなく居心地が悪いんだろうな、健二。
よその旦那さんだったらこんな時はきっと、ちゃんと別れましたとか報告してケジメをつけるんだろうけど、健二はこちらが聞かなければうやむやにするのだろう。
そこはまた近いうちにこっそり、スマホを確認することにしよう。
案の定、マリのことについては一言も触れてこなかった。
私は何事もなかったように過ごしながら、数日後に健二のスマホを確認した。
LINEから、マリは削除されていた。
偽名を使うマリのことだから、LINE以外には連絡手段はないのだろう。
まさか健二も、また部屋まで押しかけたりはしないだろうし。
今度こそ、マリに通報されるだろうから。
表向きは、何事もなかったかのように過ごしていた。
私もマリのことを話すのは避けていた。
健二について確かなことは、私や翔太を捨てる気は全くないということだ。
だからといって、私はもう元のようには健二を好きな気持ちは戻らない。
翔太の父親としてしか見られなくなっていた。
家族としては、うまくいっているように見えるはず。
そんなふうに我が家が落ち着いた頃、お母さんからあの人(義理のお父さん)と正式に離婚したと報告があった。
離婚届はまだ提出してなかったようだ。
離婚してもそのまま一緒に暮らすらしい。
まるでシェアハウスのようだけど、なんだかうらやましく思えた。
特に騒ぎ立てもせず、日常を取り戻しつつあった。
ときおり、抑えてる感情がぐっと込み上げて、話しかける健二にひどく冷たくあたることも減ってきた。
その度に、健二が懺悔のように家事をやってくれたり、美味しいものを買ってきてくれたりして機嫌をとってくれたからで、許してもいないし忘れてもいないけど。
健二と翔太と3人での生活はこのまま続けるとしても、また健二の浮気癖が出るような気がする。
その時のためにも、準備をしておきたい。
この前、離婚の報告を聞いた時のお母さんの話を思い出していた。
ー「浮気とかね、気持ちの問題はそんなにたいした問題じゃないのよ。長年夫婦やってればずっと同じ気持ちでいられるわけないし。でもね、お金のことは現実だからね。どんなに綺麗事言っても、現実からは逃げられないんだから」ー
経済的に自立しないと、離婚もままならないということだ。
どんなに離婚やシングルマザーが特別なことじゃなくなったといっても、生活を考えるととても厳しいことには変わりはない。
お母さんは離婚する前に、スーパーのパートから自動車整備工場でフルタイムで働き出して、資格も取って今はアルバイトでラブホテルの清掃員までやってる。
今は、あの人(元お義父さん)と家をシェアしてるけど、私が離婚したときにはあの家には帰れなくなるかもしれない。
「家賃か…それに翔太の学費も必要だし…」
フリーペーパーの求人案内を見ても、特に資格も経験もない主婦には、たいした仕事は見つからない。
ぴこん🎶
《おは!綾菜ちゃん、ちょっとうち、来れない?話したいことがあるんだけど》
千夏からのLINE。
〈14時くらいなら行けるよ〉
《了解。待ってます》
なんだろ?
千夏防犯カメラ?
あれから、つまり私がマリの部屋に乗り込んだ日からまだ一か月も経っていない。
それに、健二はあれから、無駄な残業もしなくなったようだし。
まさかね。