「VWI」──「Virtual World Interaction」に出会ったのは2ヶ月前のことだ。最近話題のチャットゲーム。でもただのチャットゲームじゃなくて、VRシステムを導入しており、まるでそこに本当に存在しているかのようにユーザーは交流ができる。ユーザーはアバターを好きに設定して、自分の気に入った姿で「VWI」の世界を自由に動き回ることが出来る。そう、まるでまったくの別人としての「リアル」を、ここ「VWI」では経験することが出来るのだ。
「俺」を知らない誰かと話がしたかった。匿名性というのであれば、SNSで別アカを作ったり、ほかのチャット系ゲームをしたりしても良いのだが、「リアル」であることが何よりも俺の興味を引いた。俺は「俺」ではない「誰か」を生きてみたかったのだろう。
しかし、実際始めてみると、それはあまり面白いものでは無かった。最初は、本当にその世界に存在しているかのように動き回ったり、実際の自分の身体とは全く異なるそれを動かしてみる感覚だったりは面白かったが、メインの目的である「人との交流」はイマイチだった。匿名性をいいことに、誰もがみんな、どこか自分勝手に振る舞うのだ。別に「この場」限りの縁だからちょっと不注意で傷つけちゃってもいいだろう、と言わんばかりに。リアルのコミュニケーションにある些細な気遣いが、繊細さが、この世界には欠けていた。俺はそのことに気づいていく内に、「人ってなんてつまらないんだろう!」と考えるようになってしまい、だんだんと疲れていった。もうここに来るのをやめてしまおうと考えて始めたその矢先のことだった。
「あの、音楽、好きなんですか?」
ひとりで鼻歌を歌いながら「VWI」のエントランス(このゲームには2種類の「活動場所」があり、ひとつはログインしている誰もが自由に動き回れる「エントランス」、もうひとつは個人で設定して指定した人しか入れない、いわゆる個別チャットとして機能する「ルーム」がある。)を歩き回っていたところ、声をかけてきたのが「彼」だった。……いや、最初はてっきり女性だと思っていた。「彼」のアバターは綺麗な腰まである黒いロングヘアで、中性的な顔立ちと身体、服装は初期に選べるもののなかでシンプルな黒の半そでTシャツにレモンイエローのフレアパンツだったからだ。
アバターは基本的に顔の造形から体型については予め用意されているいくつかのパターンから、各パーツの大きさや角度などを好きに調整することが出来、かなり細かなところまでこだわって作り込める。一方で、髪型と服装、またメイクに関してはこのゲームの課金要素となっており、初期に選べるものは限られていて、その他のファッションパーツは「ガチャ」をまわして手に入れることが出来るようになっている。
これがなかなかデザイン性が高く、また、季節やテーマ(和服やスチームパンク系など……多種多様だ)によっても展開されるため、このゲームの人気を支えるひとつの要素ともなっていた。場合によってはリアルでは人目を気にしてチャレンジしにくいファッションを楽しむために「VWI」を利用している、なんて人もいるくらいだ。
しかし、その人物も俺と同じで始めたばかりか、それかファッションパーツにはそれほど興味が無いのか、服装だけでなくその長い黒髪も初期パーツのものと思われた。
そして、このゲームの「声」も、匿名性を保つためにAIによって作られた幾種類かのパターンから選べるのだが、これもまた中性的でハスキーな声を「彼」は選んでいた。
「女性」だろうと判断した俺は少し警戒しながら相手をみる。これまでこの世界で会話をした「女性」といえば、いわばパパ活相手を探している人だったり、美人局なのか積極的にリアルで会おうとしてくるような人だったり(この場合中身は男性だろうという気がする)、いわゆるそういった「出会い」を求めている人が多かったのだ。
「まぁ……そうですね」
俺は警戒心をあらわにしながら、先程の問いに答える。するとその人物は慌てて
「わ、ごめんなさい。名乗りもせずに……僕はここでは『セキ』って名乗ってます。さっき鼻歌歌ってたの、めちゃくちゃ上手で……あれミセスの曲でしょ?僕も好きだから嬉しくって」
まじか、と冷や汗が背中を流れる。完全に無意識だった。いくら俺の声ではないといえ、今日は人が少ないからと油断しすぎていたかもしれない。
「そうでした?無意識だったからな〜」
なんてことない風を装う。変にボロが出る前に会話を終わらせて今日はもう退出してしまおう。しかし「セキ」と名乗ったその人物は、ふふ、と楽しそうに笑って
「あ〜分かります、僕も無意識のうちに鼻歌歌ったり、ひとりごと言っちゃったりするから」
「ひとりごとも無意識?」
「そうなんですよ!よく友だちにもからかわれてて〜しかも結構多いから!」
余計やばいじゃん、とつい笑ってしまう。「セキ」の人好きしそうな柔らかい雰囲気に警戒心がほどけていくのが分かった。
「僕はラビって名乗ってます……よろしく」
完全に警戒心を解いたわけではないが、まぁ最後に時間つぶし程度に話してみる分には悪くないだろう。そう考え、自己紹介ついでに右手を差し出すと、セキもそれに応じた。ラビ、というハンドルネームに特に意味はなく、つい最近新しく構想にいれたファンクラブの新キャラクターがウサギをモチーフにしていたから、それが意識下にあったのかもしれない。
「まぁ、僕はすぐにやめちゃうかもなんですけど」
そう付け加えると、えっそうなんですか、とセキは驚いたように目を見開いた。少し青みのかかったグレーの瞳が揺れる。
「あ……なんか、思ってた感じと違くて」
セキは不思議そうにこちらをみている。なぜ?どんなふうに?そんな疑問がありありと表情に出ている。きっと現実でも顔に出やすいタイプなのだろう。どうせもうログインするつもりはなかったし、会うのもこれが最後だと思えば、別に話してみてもいいか。
「僕……現実の自分じゃない「自分」になって、それを誰かに認めてほしくてこれを始めたんです。でもここはここで息がしづらくって」
「というのは?」
「なんか……顔を合わせるからこそ、というよりかは関係性かな。現実のコミュニケーションってそこに関係性ありきでしょ。だから人って『装う』じゃないですか、相手との関係性をうまく構築するために。でもここにはそれがない。今日限りの関係性だって多いし、失敗したら簡単に切ってしまうことの出来る縁だから、現実のコミュニケーションにあるような温度がないんです。……僕は『装う』ことに疲れてたはずなのに結局他人に求めてるのはそういうことなんだって思ったら馬鹿らしくなっちゃって……自分勝手に振る舞う人たちをみてるのもなんか疲れるし」
話しすぎたな、と自嘲気味に笑う。そうなんだ、とセキは言葉を探すように視線を彷徨わせた。その手は所在なさげに開いたり閉じたりを繰り返している。
「実は僕、今日が初めてのログインなんです。だからラビさんとしかまだ話したことなくて……だからここのコミュニティのこととか何も分からないんだけど、僕も現実の『自分』に求められてる期待とか役割とか……そういうものから逃げたくてここにきたから、ラビさんの気持ちはちょっと分かるかも」
すみません、偉そうに……と言って彼は照れくさそうに笑う。
「でもコミュニケーションに関する気遣いとか繊細さみたいなものはきっと関係性ありきとかじゃなくて、その人の『他者』に対する思いやりとかじゃないかなぁ……他者に対する全てが関係性のもとに成り立ってたら、道で困ってる人を助けたりすることもないわけでしょ?ラビさんが今日初めて会う僕にこうして言葉を選んで話してくれることもないわけで」
俺は先程まで、もう会うことも無いだろうと考えてこの人に対する振る舞いをしていた自分が恥ずかしくなった。
「まぁ匿名性社会だから自分の根底にある他者への気遣いみたいなものがエゴによって薄められてしまう可能性は十分にあるとおもいますけどね。僕は初めて話したのがラビさんだったからラッキーだっただけかも……でも、みんながみんなぞんざいな振る舞いをしていたわけではないでしょう?」
どきりとした。言われて振り返ってみれば、俺はいつの間にか、はなっからここでの「人」に対する期待など捨ててしまっていたのかもしれなかった。興味を持って話しかけてくれた人たちの中で、そして俺が早々に見切りをつけた縁の中で、「温度」をもったコミュニケーションをできた人たちもきっといたのだろうとふと思った。
「わぁ、いつの間にかこんな時間だ!僕明日早いんです、もう行かなきゃ」
セキの言葉にシステム内の時計を確認すると、いつの間にか日付が変わっている。あ……と思わずセキを引き止めるような言葉を探して、そんな自分に驚いた。ここで、誰かとのコミュニケーションに名残惜しさをおぼえたのは初めてだったのだ。セキはそれに気づいたのか、ふわりと笑う。
「僕、明日も同じ時間にここにきます。ラビさん、良かったらまたあなたとお話がしたいな」
「……僕も!明日もまたここに来ます」
彼は柔らかな笑みを浮かべたまま手を振った。その姿はログアウトに伴い光の粒子となって消えていく。俺はしばらくの間、その光の名残をみつめていた。
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新連載、よろしくお願いします〜
コメント
4件
斬新な設定で、続きが楽しみです✨
すごい、設定がしっかりしてるからシーンが目に浮かびやすいし現代の社会問題にもつながるようなお話でなんだか面白そう~ これからの展開が楽しみ!!
おぉ!!今の時代にピッタリな話だ、セキって、セキセイインコのセキだったり…?分からないけど…次も楽しみ🥰