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心地よい波の音と、肌を撫でる涼しい潮風の気配で、私はゆっくりと瞼を開けた。
「……ん……」
「おはよう、琴音。よく眠っていたな」
視界がクリアになると、すぐ目の前に蒼さんの端正な顔があった。
天蓋付きベッドの隣で片肘をつき、まるで世界に一つだけの宝物を愛でるかのように、私の寝顔をじっと見つめていたらしい。サラリと垂れた彼の黒髪から、南国の花とサンダルウッドが混ざり合った甘い香りが漂ってくる。
「あ……蒼さん……。私、どのくらい眠っていましたか……?」
「二時間と四十五分だ。睡眠スコアは九十八点。深いノンレム睡眠が十分に取れていて、十時間のフライトによる自律神経の乱れも完璧にリセットされている」
蒼さんは私の左手首のスマートウォッチをタップし、満足げに目を細めた。
大きなガラス窓の向こうに視線を向けると、いつの間にか南国の太陽は水平線へと沈み、エメラルドグリーンだった海が、燃えるような茜色から深い群青色へと溶けゆく幻想的なマジックアワーに染まっていた。
「夕食の前に、少し夜のプールへ入るぞ。昼間とは違う景色を見せてやる」
蒼さんに手を引かれてウッドデッキへ出ると、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
人工のネオンなど一切ない絶海の空一面に、零れ落ちそうなほど輝く南十字星と天の川。その無数の星々が、波一つないインフィニティプールの水面に鏡のように映り込み、まるで二人で宇宙の真ん中に浮かんでいるかのような錯覚を覚えさせる。
「わぁ……っ! 空にも、プールの中にまで星がいっぱいです……! 手を伸ばしたら星に届きそう……」
「水温は君の副交感神経がもっともリラックスする三十八度ちょうどに設定してある。おいで、琴音」
夜の温水プールへと先に滑り込んだ蒼さんが両腕を広げ、私を優しく迎え入れる。
水の中で彼の広い胸板に背中を預けると、温かなお湯と彼の力強い体温が溶け合い、全身の力がふわりと抜けていく。
波の音と南国の夜風だけが響く静寂の中、蒼さんは私の左手を水面から掬い上げ、薬指のプラチナの結婚指輪と、手首の黒いスマートウォッチに交互に熱い口づけを落とした。
「……三年前、新卒の君が無理をして倒れそうになっていたあの日から、ずっとこの瞬間を夢見ていた。誰の目も届かない場所で、君の呼吸も、鼓動も、未来もすべて俺だけのものにする日をな」
「蒼さん……」
「先日の危機で、君が俺の高熱を見破っておじやを作ってくれた時、俺は心の底から悟ったよ。俺が君を管理して生かしているんじゃない。俺の方こそ、君という存在に命を繋ぎ止められているんだとな」
いつもは絶対君主のように余裕たっぷりの彼が、星空の下で見せた切実なほど深い愛の瞳。
私は水中でくるりと向き直ると、自分から彼の首に両腕を回し、その唇にそっと口づけを重ねた。
「私も同じです、蒼さん。あなたが私を見つけて、胃袋から愛で満たしてくれたから、私はもう自分の弱さを隠さずに笑えるようになりました。……今夜も、そしてこれからもずっと、私のすべてをあなたに預けます」
その言葉が引き金となり、蒼さんの琥珀色の瞳に甘い焔が灯った。
「……今夜は、君のスマートウォッチの心拍数が朝まで下がらないと思え」と低く囁いて私を抱き上げた彼は、そのまま天蓋付きのキングサイズベッドへと私を運び込み――南国の星々が静かに見守る中、二つのスマートウォッチが夜明けまで途切れることなく熱く重なり合う鼓動を刻み続けたのだった。
◆
ハネムーン二日目の朝。
小鳥のさえずりと穏やかな波の音で目を覚ました私は、全身を包む甘い気だるさと、心地よい筋肉の疲労感の中で小さく息をついた。
隣を見ると、珍しくまだ蒼さんが規則正しい寝息を立てて眠っている。昨夜、誰にも邪魔されない解放感から、文字通り限界まで私を愛し抜いてくれた彼も、少し眠りが深くなっているようだった。
(……ふふっ、蒼さんの寝顔、珍しいな。いつも私ばっかり朝ごはんを作ってもらってるし、今朝は私が淹れたてのコーヒーとフルーツを用意して驚かせてあげよう!)
私は彼を起こさないよう、そっとシルクのシーツから抜け出し、薄手の白いバスローブを羽織った。
しかし、ベッドから降りて大理石の床のラグに素足を着けた、まさにその瞬間だった。
「……っ、あ……!?」
昨夜の甘い疲労が想像以上に腰と太腿に残っていたせいか、膝がカクンと笑ってバランスを崩してしまったのだ。
――『ブブッ! ブブブッ!』
同時に左手首のスマートウォッチが、歩幅バランスの乱れと心拍数上昇(百八)を検知して警告振動を鳴らす。
「――琴音。今、何時だと思っている。そして、その生まれたての小鹿のような足取りは何だ」
「ひゃあっ!?」
床に尻もちをつく寸前、背後から音もなく伸びてきた強靭な腕が、私の腰をぐいと抱き留めた。
見上げると、いつの間にか完全に覚醒していた蒼さんが、琥珀色の瞳を細めて私を見下ろしていた。
「あ、あのっ、おはようございます蒼さん! ち、違うんです、決して無理をしたわけじゃなくて、蒼さんに朝のコーヒーを淹れてあげようと……」
「言い訳をするな。俺のスマートウォッチに、君の筋肉疲労スコアが基準値を超えていることと、今バランスを崩して転びかけたデータがリアルタイムで飛んできたぞ」
蒼さんは呆れたように溜息をつくと、そのままベッドの縁に深く腰を下ろし、私を自分の膝の上へと横向きに抱え込んだ。
「きゃっ……! あ、蒼さん、この体勢は……っ!」
「先日の俺の看病の時、君は俺に何と言った? 『データを無視して強がるのは禁止です』と言ったはずだな。昨夜あれだけ運動量を消費した翌朝に、俺に黙ってベッドを抜け出し、あまつさえ転んで怪我をしかけるなど、健康管理における重大な規律違反だ」
蒼さんの左腕が私の腰を隙間なくホールドし、薄いシルクのバスローブ越しに、彼の大きな右手が私のお尻へとぴたりと重ねられた。
「ご、ごめんなさいっ! ただ蒼さんを喜ばせたくて……っ!」
「気持ちは嬉しいが、自分の身体の疲労を隠して無理をする癖だけは、ハネムーン中でもきっちり矯正させてもらう。愛妻へのモーニング・ペナルティだ。五回いくぞ、数を数えて反省しろ」
――パシンッ!
「ひゃんっ……!」
静かな朝のヴィラに軽やかな音が響き、薄いシルク越しにお尻へじんわりと熱い刺激が広がった。
もちろん怪我をするような乱暴な強さではなく、新婚の甘やかさが滲む手加減された平手だったが、朝の光の中で夫の膝の上に載せられている羞恥心で、私の顔は一気に耳まで真っ赤になった。
「ほら、一だ。足腰が疲れている時は、どうするのが正解か言ってみろ」
「い、いちっ……! じ、自分で無理して歩かずに、蒼さんを呼ぶのが正解です……っ!」
――パシンッ! パシンッ!
「ふぁっ、んんっ……! に、さんっ……! あ、蒼さん、バスローブが薄くて恥ずかしいです……っ!」
「恥ずかしいなら、次からは朝起きた瞬間に『蒼さん、足がだるいので抱っこしてください』と素直に甘えることだな。ほら、あと二回だ」
――パシンッ! パシンッ!
「ひゃうっ、よ、よん……ごっ……! ごめんなさい、もう隠して一人で歩いたりしませんからぁ……っ!」
五回目が終わると同時に、蒼さんはすぐに私のバスローブの裾を整え、熱を持ったお尻を大きな手のひらでゆっくりと円を描くように優しく撫でさすってくれた。
そのまま私を正面から抱き起こし、涙目で潤む私の瞼と唇に幾度も甘いキスを落とす。
「……よし、最後まで素直に言えたな、いい子だ。反省できたご褒美に、本日の正午まで、君には『歩行禁止令』を発令する」
「ほ、歩行禁止令ですか……!?」
「ああ。洗面所へ行くのも、テラスへ出るのも、すべて俺がお姫様抱っこで運ぶ。君の足の裏を床に一ミリも触れさせないからそのつもりでいろ」
蒼さんは私を再びふかふかの枕の上へと寝かせると、ワゴンに乗せて用意してあった朝食――半熟のポーチドエッグが乗ったエッグベネディクト、鉄分豊富なアサイーボウル、そして胃に優しい温かいココナッツミルクスープを、一口ずつスプーンで私の口へと運んでくれた。
「んっ……ポーチドエッグが濃厚で、すごく美味しいです……」
「卵のアミノ酸とアサイーのポリフェノールが、昨夜酷使した君の筋肉を内側から修復してくれる。……ほら、唇の端にオランデーズソースがついているぞ」
蒼さんが親指で私の唇を拭い、そのまま朝の光の中で甘い口づけを重ねてくる。
お尻に残る微かな熱さと、ベッドの上で王女様のように甘やかされる幸福感に包まれながら、私たちのハネムーン二日目は最高に甘く幕を開けたのだった。
コメント
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ああ、もう……冒頭の星空プールからラストの“歩行禁止令”まで、甘やかしと管理欲が完璧に調和してて最高でした。蒼さんの“データで愛を証明する”スタイル、琴音さんの「隠して無理する癖」を咎めつつ最後には抱っこで甘やかす流れ、設定として一本芯が通ってますよね。スマートウォッチが二人の絆の象徴になってるのが好きです。