「一度離れて形を変えて戻り、気の向くままに弾いているうちに、クラシックの曲も少しずつ楽しんで弾けるようになっていきました」
彼は顔を上げ、百合さんや弥生さんを見て伝えた。
「当時はピアノと勉強以外特技のない男だったんですが、今はピアノ以外にも趣味を沢山持てています。友達も少ないながらいますし、ピアノと復讐心しかなかった男はもういません」
そう言って、尊さんはそっと私の手を握った。
彼の話をすべて聞き、百合さんは「そう……」と頷いた。
「……私は尊の才能を見て、思わず昔の自分がさゆりに課した事と、同じものを要求しかけてしまったわ。……八十歳を超えて、学ばないものね」
自嘲した百合さんに、彼は小さく首を横に振る。
「いいんじゃないですか? 幾つになっても人は人です。神様にはなりません。間違えても、軌道修正していければいいんです」
「……自慢の孫ね」
「色々経験しましたから」
今までも尊さんは皮肉げな顔でこういうセリフを口にしてきたけれど、今はとても柔らかな表情をしていた。
「参考までに、朱里さんは何か楽器はできるの? セッションしてるのかな? って思って」
弥生さんに尋ねられ、私はビクッと体を震わせた。
……い、いかん。このサラブレッド一家に、ロバが混じっている……。
口を引き結んでプルプルと震えた私は、そろりと挙手して白状した。
「……リコーダーとタンバリン、カスタネット、鍵盤ハーモニカぐらいなら……」
言わずもがな、小、中学生レベルの演奏だ。
タンバリン、カスタネットと言われてもオーケストラで演奏するようなレベルでは勿論なく、「うん、ぱっ、ぱっ」のレベルだ。
尊さんはプルプル震える私を見てクシャッと笑い、背中をトンと叩いてきた。
「『猫踏んじゃった』弾けるか?」
「あ、それぐらいなら」
「なら、連弾してみないか?」
「えっ?」
連弾なんて高度な事をした経験がないので、私は目を丸くして焦る。
「でも私、本当に下手くそで……。『猫踏んじゃった』も久しぶりだから、上手く弾けるかどうか……」
あの神演奏を聴かされたあとに、私の『猫踏んじゃった』を披露するのはハードルが高すぎる。
「カバーするから大丈夫だよ。俺を信じて」
「じゃあ、私、ヴァイオリンで参加しちゃう!」
そう言って勢いよく立ちあがったのは、小牧さんだ。
「えっ? 小牧さん、ヴァイオリン弾けるんですか?」
驚いて尋ねると、彼女は得意げに眉を上げる。
「一応音楽一家の端くれだからね。ピアノは勿論やったけど、それほど夢中になれなかったの。一回『ピアノ以外の楽器なら好きになれるかも』って手を着けたのがヴァイオリン」
そう言って、小牧さんは「お祖母ちゃん、ヴァイオリン借りるね」と言ってからリビングを出ていった。
「じゃあ、俺はチェロ担当しようかな」
さらにそう言ってリビングを出て行ったのは、大地さんだ。
(…………偉いこっちゃ)
まるで猫まんまに「トリュフとキャビアとフォアグラをのせます」と言われている気分だ。
(……もしかしたら上手い人の演奏に、私の下手さが紛れるかもしれない……)
せこい事を考えていると、弥生さんが挙手した。
「じゃあ私、上か下かどっちかやる。尊くんはどっちやる?」
「じゃあ、俺は下で」
「OK!」
私は百合さんに向かって深々と頭を下げる。
「……素晴らしい演奏の中に、雑音が混じってしまう事をお許しください」
すると百合さんは柔らかな笑みを浮かべた。
「音楽は音を楽しむものだわ。尊とセッションした事がないなら、これが初めてね」
「は、はい」
思わず尊さんの顔を見ると、彼は「ん?」と私を見て微笑む。
(……セッション。……せっしょん!)
これから演奏をしようとしているのに、私の脳裏に〝夜のセッション〟という言葉が浮かび上がる。おっさんか!
一瞬、春日さんとエミリさんの顔がチラついたけれど、首を横に振って追い払う。
(~~~~っ、だって! さっき尊さんが|性器《うで》を見せつけてきたから!)
どうもこうも、脳内に彼の腕がチラついて堪らない。
というか真剣な顔でピアノを演奏する姿も見た事がなかったし、今日は知らない尊さんを沢山見ている。
コメント
2件
らびちゃん参加してーヽ(*´∀`)ノ アタシはギターやるワ(笑)
参加したくなっちゃう🎶♩♬🎼🎹🎻🎺🎷🎸🥁