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冷たい石壁に囲まれた拷問室は、深夜であるにもかかわらず血の匂いが濃く漂っていた。鉄具が並ぶ棚に、灯火が揺れ、影がゆらゆらと蠢くように伸びる。
その中央に、イザベルはひざまずいていた。
両腕は鎖で高く引き上げられ、背中を焼くような痛みを走らせている。
ローゼンバルド卿──黒檻の主と呼ばれ、異端尋問を統べる男は、静かに歩み寄ると、彼女の顔を指先で持ち上げた。
「美しい顔だな、イザベル・ヴァロワ。
だが、その奥に潜むものは──もっと美しい」
ささやきは優しいのに、背筋が氷結するほど冷たい。
「あなたの求める“魔神の鍵”は……私の身体には存在しません」
イザベルは息を切らしながらも、気丈に言い返す。
ローゼンバルドは楽しげに笑った。
「自覚がないだけだ。
お前の血脈は、王家以上に“あちら側”に近い。
だからこそ、鍵に選ばれた」
その瞬間、イザベルの胸の奥で、何かがざわりと目を覚ました。
心臓とは違う、もっと深いところで、黒い鼓動が響く。
(……また、声が……)
数日前から聞こえるようになった、低く囁く声。
──封を破れ。
──力を使え。
──おまえの中にいるのは、わたしだ。
存在が重なるような感覚に、イザベルは奥歯を噛みしめた。
「まずは……“境界”をこじ開けよう」
ローゼンバルドが黒い短剣を手に取った。
刃からは、瘴気がじわじわと漏れ出している。
彼がその刃をイザベルの胸元へ向けた時──
どんっ!
拷問室の扉が吹き飛ぶような勢いで開いた。
「イザベル!!」
アレクシスの叫びが響く。
その背後には黒衣の騎士団、そしてレオンの姿もあった。
「アレク……!」
イザベルが名を呼んだ瞬間──
胸の奥で渦巻いていた黒い力が、彼の声に反応して暴れ出した。
──守れ。
──奪われるな。
「……っ、うあああっ!」
イザベルの身体を黒い魔力が包み、鎖が鈍い音を立てて弾け飛ぶ。
ローゼンバルドは目を細めた。
「始まったか……“覚醒”が」
黒い炎がイザベルの背で揺れ、床に広がる。
その姿は人間離れしていたが、アレクシスは一歩も引かなかった。
「イザベル、俺だ! こっちを見ろ!」
「アレク……近づかないで……! 制御できない……!」
黒い力が暴走するたび、床の石が砕け、空気が軋んだ。
「イザベル、君ならできる! 大丈夫だ!」
アレクシスの声が、暴れ狂う魔力の中心へ届く。
イザベルは必死に手を伸ばした。
(私が……彼を、傷つけるわけには……)
──ならば与えよう。
再び、あの声が響く。
──わたしの力を。
代わりに、おまえの願いを差し出せ。
胸の奥に黒い手が伸び、契約を迫るように絡みついてくる。
(私の……願い……)
イザベルはアレクシスの姿を見つめた。
彼の瞳には恐怖ではなく、確かな信頼があった。
(……守りたい。
この人を。
たとえどんな力を使ってでも──)
「……いいわ。その力……使う!」
その言葉と同時に、黒い魔力が螺旋を描き、彼女の身体に吸い込まれていく。
黒炎が完全に収まり、イザベルは静かに立ち上がった。
その瞳は、深い深い夜色へと変わっていた。
「ローゼンバルド卿──覚悟なさい」
声は冷たく、凛としていた。
ローゼンバルドは口元を吊り上げる。
「ようやく本性を見せたな……我が“鍵”よ」
黒檻の覚醒が、ついに完了したのだ。