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イザベルの瞳が夜の深淵のように染まりきった瞬間、 拷問室の空気が、まるで別次元へと変わった。
黒い〈領域〉が彼女の足元から静かに広がり、
押し寄せる魔力の流れに、アレクシスもレオンも圧倒されて息を呑む。
「イザベル……これが、君の……」
「……大丈夫。制御できてる」
イザベルの声は静かだった。
だがその奥に、確かに“別の何か”が同居している気配がある。
ローゼンバルドは一歩も退かず、むしろ恍惚とした表情さえ浮かべた。
「見事だ。
その姿こそ、〈魔神の鍵〉が本来持つべき器……!」
「黙りなさい」
イザベルがひと振り手を払うと、黒い線が空を切った。
それは刃でも魔術でもない──“影が形を持ったもの”だった。
床石が深々と抉れ、石片が飛び散る。
アレクシスが叫ぶ。
「イザベル! 無茶は──」
「アレク、下がっていて。
ここは……私が終わらせる」
彼女の背に黒炎がゆらめき、影が獣の形を成して蠢く。
ローゼンバルドが両手を広げる。
「来い、《影喰らい(シャドウイーター)》!」
彼の背後から溢れた黒い霧が一か所に凝縮し、
巨大な影の怪物となって吠えた。
闇と闇がぶつかり合い、拷問室は震えた。
「イザベル、避けろ!」
影喰らいが高速で迫る。
複数の腕を伸ばし、獲物を捕らえようとする。
イザベルは逃げず、指を鳴らした。
「……跪きなさい」
たった一言で、黒い衝撃波が放たれた。
影喰らいの身体が捻じ曲がり、床に叩き伏せられる。
影同士なのに、格が違う。
ローゼンバルドの顔が驚愕に歪んだ。
「馬鹿な……! 鍵の覚醒が、ここまで……!」
イザベルが歩くたび、影が揺れ、鎖のように床を這う。
「あなたの影……わかるわ。
これはあなたの魂を歪ませた呪い。
本来は、こんな姿じゃなかったはず」
「黙れ!」
ローゼンバルドが魔術陣を展開し、闇の槍を数十本生成する。
黒い槍が一斉にイザベルへ飛んだ。
しかし──
「無駄よ」
影がじわりと伸び、槍をすべて飲み込んだ。
まるで底なし沼。
触れた途端、魔力が消失する。
「これは……喰われている……?」
「あなたの影より、私の影の方が“深い”」
イザベルが静かに掌を向けると、
影喰らいの身体が黒い糸のように引き裂かれ、霧となって消滅した。
拷問室に、沈黙が落ちる。
「……どうやら理解したようね、ローゼンバルド卿」
イザベルが近づくと、ローゼンバルドは硬直した。
「お、お前……何者だ……!
ヴァロワ家にこんな……恐るべき血が……!」
その問いに、イザベルはゆっくりと言葉を選んだ。
「さっき……聞こえたの。
私の中にいる“もうひとつの声”が」
──おまえは王家ではない。
──“魔神の因子(いんし)”を受け継いだ、禁忌の血脈。
「……私の中の“影”は、呪いでも力でもなく──血なんだわ」
アレクシスもレオンも息を止めた。
「まさか……ヴァロワ家にそんな血が……?」
「話していないだけよ。
公爵家は代々“影を封じる器”として王家に仕えてきた。
本来は……私みたいな存在が生まれないように」
イザベルが手を握りしめると、影が静かに揺れた。
「でも、私は生まれてしまった。
『影の継承者』として」
ローゼンバルドは震えながら後ずさる。
「ふ……ふふ……!
ならば、やはりお前は“鍵”だ!
魔神を復活させる、唯一の鍵!」
その瞬間、イザベルの影が床を覆い、ローゼンバルドの足を掴んだ。
「違うわ。
私は──“封印する鍵”よ」
「――ッ!?」
影が重くのしかかり、ローゼンバルドは地に押し倒された。
「あなたはこの王国を混沌に落とそうとした。
その罪……贖わせてもらうわ」
「や、やめ──」
「……眠りなさい」
影が音もなく奔り、ローゼンバルドの意識を闇に沈めた。
彼は二度と、闇の術を使えない身体となった。
アレクシスが駆け寄る。
「イザベル……大丈夫なのか?」
彼女はゆっくり振り返り、微笑んだ。
「ええ……アレクが来てくれたから」
その微笑みには、黒い気配はなく──
ただ、彼女本来の温かさが宿っていた。
だがアレクシスは、その瞳の奥に
“まだ目覚めきっていない影”を感じ取る。
(……彼女は、どこまで堕ちてしまうのだろう)
恐怖ではない。
ただ、彼女の未来を案じる痛みだった。