コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
瞬間、真っ白に輝いていた空間は彩りのある広い草原を映す。
『ここがどこか分かるか。君はよく覚えているだろう』
青々とした空の下。涼やかな風。生い茂った草が揺れている。何も遮るものがない、なだらかな丘で、ヒルデガルドはもうひとりの自分を見つめた。
「……イルネスと戦った場所だ。あのときはもっと荒れていたが」
『ここで君の冒険のひとつが終わった』
杖の石突が地面を叩くと、瞬間に荒廃した姿に変わる。
『そしてここから君の二つ目の冒険が始まった』
杖を高く掲げて、彼女は言った。
『大賢者ヒルデガルド。我が真名は〝エール〟。君であり、君でない者。空より降りし恩恵を賜る高貴、その身に受けるが良い』
放たれた雷撃がまっすぐヒルデガルドに飛んだ。躱すには速過ぎる一撃を予測して身を捩れば、片腕が千切れ飛ぶのに留まった。霊薬の効力が働き、彼女の肉体はすぐさま再生して元の形を取り戻す。
「慣れたつもりだったが、激痛だな……!」
雷撃は容赦なく次々と放たれる。咄嗟に身体強化の魔法を使い、駆けて躱す。エールは一歩も動かず、ただ無情のままにヒルデガルドを狙い撃ち続けた。
(防戦一方か。このままでは埒が明かない)
杖を手に強く握りしめ、逃げる足を止めた。
「いいだろう、受けて立ってやる!」
同じ魔法を放ち、雷撃を相殺する。いける、と踏んだ瞬間、今度は片足が吹き飛ばされて、勢いのまま転んで顔で地面を叩く。
『……君は賢い。あらゆる叡智を身に宿し、有り余る魔力を以て世界を救うだけの力を持った。たった二人の人間、いや、あのクレイ・アルニムでさえ君には敵わなかった。つまりは、君がいなければイルネスは倒せなかったのだ』
杖の先を向け、ヒルデガルドに大きな火球が放たれた。雷撃ほどの速度はなくとも、破壊力はその数倍以上もある。直撃したら片足では済まない。即座に傷を治癒させた彼女は立ち上がって、すぐに杖の石突を叩きつけて魔力の壁を張った。
だが、壁に直撃すると爆発し、ヒルデガルドは遠くへ吹き飛ばされる。何度も地面を跳ねながら転がって、ようやく止まったときには全身が引き裂かれた布のようにズタズタで血まみれだったが、また立ち上がった。
肩で息をして、今にも倒れそうなほどの苦痛に額からは汗を流す。それでも彼女はまだ戦える、と思った。いや、むしろ戦えば戦うほど自分の中に湧いてくる活力があるようにさえ感じられて、苦痛にも耐え始めた。
『受け入れろ、ヒルデガルド。受け入れるんだ』
ヒルデガルドは彼女をじろりと見て、眉間にしわを寄せた。
「何が言いたいんだ、結構立派にやってると思うんだが!?」
抗議しても容赦なく魔法は飛んできた。何度も撃ち合い、そのたびに負けて手か足を吹き飛ばされたり、全身の骨が砕かれる痛みに吐き気すら催した。今までに数々の修羅場を潜っていなければ、とても耐えられない苦痛だ。
しかし、得るものはあった。徐々に動きが追い付くようになってきた。これも修行の一環なのか、ここではない場所で待っているのかもしれないイルネスたちは、今、どうしているだろう。色んなことを考える余裕も出始めた。
『君は戦わなければならない、ヒルデガルド。私は、君のためにここにいる。……だから、受け入れるんだ。私は過去を知り、現在《いま》を伝え、未来を予言する。与えられた役割を果たすべく言葉にしよう。──今が、力を得るときだ!』
猛攻は続く。いや、さらに苛烈になっていく。ヒルデガルドはやはり撃ち負けた。だが彼女は諦めたりはせず、むしろ闘志を燃やしながら突破口を探す。
(どうすればいい? どうすれば彼女の猛攻に打ち勝てる? 彼女の戦いはまさしく私がこれまでにしてきたものと同じだ。なのに、今が弱いからなのか、多少マシになった気はするが、やはりまだ並ぶには程遠い。いや、無理なのか?)
いつまで戦えばいい。いつまで耐えればいい。繰り返し、思考をゼロにしてやり直す。なぜ勝てないのかではなく、どうすれば次の段階へ進めるか。不可能だと思われてきたことは、全て成し遂げてきた。諦めたくなるときもあった。絶望して涙を流すときもあった。それでも彼女は立ち上がってきたのだ。
そして、今、目の前で起きていることは、決して不可能なものではない。可能なのだ。何かが欠けているだけで、必ずパズルのピースはあるはずだ、と。
『受け入れられないか、ヒルデガルド。君には、私の力が』
距離を置こうと背を向けた瞬間、エールの言葉に駆けだそうとした足が、前に進むのをやめた。ヒルデガルドは、杖をそっとその場に手放した。
「……なんだ、そういうことか。言葉足らずじゃないか」
戦うのをやめたヒルデガルドに、エールは仄かに笑んで言った。
『神とは不自由なものなんだ。特に智慧を授けるときはな』
デミゴッドたちが思想という名の制約を受けていることを思い出して、彼女はそういうものなのかもしれない、とくすくす笑った。
「では、これでお別れになるわけだ。……なあ、最後に教えてくれないか、エール。君はいったい何者で、神の涙と呼ばれる宝玉は何で出来ている?」
エールの杖が強く光り輝いていく。炎の一撃が、ヒルデガルドを狙う。
『私は君だよ、ヒルデガルド。現人神の遺した希望であり、敬意を集める大賢者であり、そして遥かなる未来を想う予言者。ゆえに、私は君に伝えておこう。──友を大切にしろ。君が大いなる災いを振り払いたいのなら』