テラーノベル
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ゆうき あきや
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第37話:領収書の山と、現実逃避〜経費の魔法が解ける時、四十歳は戦場へ逃げる〜
二月中旬。
十勝平野を吹き抜ける冷たい風が、帯広市にある俺のボロアパートの窓をガタガタと揺らしている。
部屋の真ん中には、大福食品から送られてきた「限界みそラーメン」のダンボールの山。
そして今、俺の目の前には、ラーメンとは別の、もう一つの『絶望の山』が築き上げられていた。
「……なんだよ、これ。どうすんだよ、これ……」
俺は万年床の上に胡座をかき、頭を抱えていた。
目の前にある小さなみかん箱サイズのダンボール。そこから溢れ出し、床に散乱しているのは――無数の『レシート』と『領収書』の束だった。
話は数ヶ月前に遡る。
ジェミニから『配信に使う機材や小道具は経費になる。経費を使えば税金が安くなる』という資本主義の魔法(バグ)を教わった俺は、完全に調子に乗っていた。
スーパーで弁当を買う時も『あ、領収書で。宛名はルシフェルで』とドヤ顔で言い放ち、ドン・キホーテで配信のウケ狙いで買った「光る馬のマスク(二千九百八十円)」や「激辛罰ゲーム用の謎のソース」も、すべて『経費だから実質タダだ!』と息巻いて買い漁った。
百円ショップでボールペン一本買うのにも領収書を要求し、自動販売機の前では「なんで領収書ボタンがねえんだよ!」とキレるという、典型的な『経費の亡者(勘違いした新米フリーランス)』と化していたのだ。
だが、俺は致命的な事実を見落としていた。
経費にするためには、この山のような領収書を一枚一枚チェックし、「いつ」「どこで」「何のために」「いくら使ったか」を、自分でパソコンの会計ソフト(あるいはExcel)に入力し、カテゴリ分け(仕訳)をしなければならないという、とてつもなく地味で過酷な労働(確定申告の準備)が必要だということに。
「えーっと……」
俺は震える手で、丸まったレシートを一枚拾い上げた。
「十月十二日……『メイドカフェ・もえもえきゅん札幌店』……五千五百円……」
……あ。
思い出した。これは秋頃、VTuberの企業勢とのコラボの話題が出た時に、「俺も萌えの勉強をしなきゃならん!」と謎の使命感に燃え、わざわざ札幌まで遠征して入ったメイドカフェのレシートだ。
「これ……どういう名目で処理すんだ? 『メイドにオムライスにケチャップで魔法をかけてもらった代』って税務署に言うのか? 経費の科目ってなんだ? 『接待交際費』か? いや、一人で行ったんだから『研修費』か!? 税務署のおっさんに『これは萌えの研修です!』って言い張って、通るのかこれ!?」
想像しただけで胃液が込み上げてくる。
次に手に取ったのは、コンビニの長いレシート。
「『限界みそラーメン(配信用)』……『黒烏龍茶』……『週刊少年ジャンプ』……『エロ本』……ッ!!」
俺はレシートを床に叩きつけた。
「バカヤロウ!! なんで一緒に会計してんだ過去の俺!! これじゃあエロ本まで経費で落とそうとしてるスケベな脱税おじさんになっちまうだろうが!! どうやってラーメン代だけ切り離すんだよ!!」
無理だ。
四十年間、計算や事務作業から逃げ続けてきた俺の脳細胞(CPU)は、この数百枚の紙切れを前に、完全にフリーズを起こしていた。
「……もう、嫌だ。俺は何も見なかった。今日はもう、店仕舞いだ」
俺はそっとダンボールに蓋をし(閉まりきらずにレシートがはみ出しているが)、くるりと背を向けた。
そして、三十一万八千五百円の七色に光るゲーミングPCの電源を入れ、逃げるようにFPS(銃で撃ち合うバトロワゲーム)を起動した。
「そうだ。俺にはリスナーが待ってるんだ。こんな紙切れの整理なんかしてる暇はねえ。インフルエンサーとして、ファンに最高のエンタメを届けるのが俺の使命なんだ……!」
自分に最高に都合のいい言い訳を並べ立て、俺は突発のゲーム配信枠を取った。
タイトルは『【現実逃避】何も考えずに銃を撃ちたい四十歳』。
配信を開始して一分も経たないうちに、スマホの通知が鳴り止まなくなるほどの勢いで、数万人のリスナー(アリス騎士団含む)が雪崩れ込んできた。
『おっさんチワッス!』
『急にどうしたww』
『タイトルが不穏すぎるだろ』
『なんか後ろにヤバいゴミの山が見えるんだが』
『おい、あのPCの横のダンボールからはみ出てるの……領収書の束じゃね?』
「……っ」
俺はビクッと肩を揺らし、慌ててウェブカメラの角度をずらした。
だが、時すでに遅し。俺のチャンネルに棲みつく、目ざとく、そして残酷な常連リスナーたちは、俺が抱えている『絶望の正体』を瞬時に見抜いていた。
『あっ(察し)』
『確定申告から逃げたなこいつwwww』
『二月中旬でその手付かずの山はヤバいぞ』
『おっさん、現実逃避してる場合か! 税務署が来るぞ!』
『お前、ミリオンVTuberなのにまだ記帳終わってないの!?』
「う、うるせえええええ!!」
俺は高性能なヘッドセットのマイクに向かって喚き散らした。
「俺は今、戦場(ゲーム)で命を懸けて戦ってるんだよ! お前らも余計なこと言ってないで、右から敵が来てるとか、弾が足りねえとか、そういう有益なコメントだけしろ! 領収書とか税務署とか、そういうNGワードを出す奴は片っ端からブロックするからな!!」
俺はマウスを握りしめ、ゲーム画面に全神経を集中させた。
そうだ、ここは戦場だ。税金も、領収書も、ケースワーカーの鈴木さんも、ここにはいない。俺はただの無邪気な一人のソルジャーなのだ。
『敵発見! 前の建物に二人!』
コメント欄の指示を受け、俺はアサルトライフルを構えて建物へ突撃した。
ヌルヌル動く144Hzのモニターが、敵の姿を鮮明に映し出す。
「もらったァ!!」
俺が引き金を引こうとした瞬間、モニターの端に極彩色のエフェクトが飛び込んできた。
『スーパーチャット:10,000円(メイドカフェのレシートは、会議費じゃなくて「福利厚生費」ですか?www)』
「なっ……!?」
俺の手首が、反射的にビクンと跳ねた。
照準が大きくブレ、弾丸は敵の頭上を虚しく通り過ぎていく。
『スーパーチャット:5,000円(青色申告決算書、ちゃんと作れるの?)』
『スパチャ:10,000円(無申告加算税と延滞税のダブルパンチ楽しみにしてるね!)』
「や、やめろォォォ!!」
次々と投げ込まれる、税金用語の赤スパ。
それは、どんなゲーム内の銃弾よりも鋭く、四十歳の個人事業主の精神(メンタル)を直接削り取る『確定ダメージ』だった。
「ひぃっ! 経費! 青色! 税務調査! 嫌だ、俺は悪くない! 俺はただメイドさんにオムライスを作ってもらっただけなんだァァァ!!」
パニックに陥った俺は、敵に背を向けて謎の方向に走り出し、そのまま敵の放ったショットガンの弾を顔面に浴びて即死した。
『YOU DIED』
画面に表示された残酷な文字。
静まり返る帯広市の四畳半。
『よっわwwwwww』
『メンタル弱すぎだろwwww』
『税金スパチャが完全にデバフ(呪い)になってて草』
『ゲームで死んでもやり直せるが、確定申告はやり直せないぞ』
『現実(税務署)からは逃げられない』
『さあ、配信切ってエクセル開けおっさん』
「…………」
俺は、ゲームの死体画面を見つめたまま、ゆっくりとヘッドセットを外した。
振り返れば、そこには依然として、俺をあざ笑うかのようにそびえ立つ『領収書の山』。
現実逃避など、無駄だった。
大金を手に入れようが、トップアイドルに説教をしてミリオンVTuberになろうが、日本国民である以上、この紙切れの山からは絶対に逃れられないのだ。
「……誰か、助けてくれぇ……っ」
俺の泣き言は、容赦なく降り注ぐ『納税おめでとう!』というスパチャの雨音にかき消されていった。
いよいよ、二月十六日。
ラスボス『確定申告』の受付期間開始が、もう目の前にまで迫っていた。
コメント
1件
ああ、この回、めちゃくちゃ笑いました😂 メイドカフェのレシートを前に「研修費」って言い張るおっさん、想像しただけで笑いが止まらなかったです。リスナーから税金用語のスパチャが飛んでくるたびにビクビクしてる姿も最高でした。「現実(税務署)からは逃げられない」ってコメント、まさにその通りすぎて…。おっさん、頑張って確定申告終わらせてほしいけど、この逃避行、まだまだ続きそうですね🤍