「お疲れさん」
尊さんは私のお尻をポンと叩き、クスクス笑う。
「お疲れ様です。これから仕上げをしますね」
町田さんは私たちを迎えたあと、キッチンに戻って食事の準備をし始める。
「今日はなんですか?」
「慣れないお仕事で一週間お疲れでしょうから、ご褒美気分を味わっていただくために、フレンチ仕立てにしました。旬はまだ少し早いのですが、アスパラを使った前菜に、ホタルイカや筍、|鰆《さわら》、仔羊を使っています」
「わああ……! ご馳走だ! 手洗ってきます!」
私はガバッと起き上がると、スプリングコートを脱いでパタパタと自室に駆け込む。
秘書として働き始めてから、エミリさんからアドバイスを受けて服装が少し変わった。
以前は実験の邪魔にならない程度で自由度の高い服だったけれど、秘書になってからは取引先のお偉いさんに会う確率が高くなるので、いつ誰にお会いしても失礼にならない服を着るようになった。
大体はパンツやスカートにジャケットを合わせ、ワンピースにジャケットも可だけど、とにかくジャケットは着ていたほうがいいみたいだ。
柄物は避けてシンプル、きれいめを心がけ、ピアスは揺れない物にしている。
ネイルは篠宮ホールディングスではNGではないけれど、常識的な範囲で……という事になっている。
エミリさんいわく、いつご不幸があるか分からず、代行として参列する時にジェルネイルをしていると、すぐ落とせないから普段はしていないそうだ。
一応、マナー的には黒い手袋をすれば、ジェルネイルをしていても大丈夫とは言われているけれど、そこまでしたいものなのか? と言われると、仕事なら諦めたほうが良さそうだ。
だからエミリさんは普段はピンクベージュなどのポリッシュネイルをし、週末にお洒落をしたい時だけ、簡単に脱着できるつけ爪で派手な柄を楽しんでいるらしい。
私もそれを見習い、初心者なので大人しくいこうと、素爪にトップコートを塗って勤務している。
ロンTにクラッシュデニムに着替えた私は、洗面所でメイクを落とし、フェイスケアをしてからハンドクリームをつけ、リビングダイニングに向かう。
「あぁ~、いい匂いなんじゃぁ~」
私はクンクンしながらキッチンに行き、いつものようにカトラリーの準備をし始める。
すでに着替えた尊さんは料理の内容を見ながら、ワインセラーからワインを出していた。
やがて私たちはテーブルにつき、町田さんが調理を進めながら出してくれた料理を食べ始めた。
アミューズブーシュはアスパラを細かく切った物をゼリー寄せにした一皿で、出汁の利いたゼリーの味も相まってとても美味しい。
続いてぶっといホワイトアスパラを丸ごと、コトコトと低温で|茹で《ポシェ》、オランデーズソースをかけた一品。
オランデーズソースとは卵黄とバター、レモン汁を用いた物で、エッグベネディクトにも使われているものだ。
「うまーい!」
私は尊さんが開けた白ワインと共にアスパラを味わい、幸せ一杯の吐息をつく。
加えてアスパラと塩だけで作った透明なスープを飲み、ホタルイカと筍、色とりどりの温野菜がドレッシングで和えられた、見た目に華やかなサラダを食べた。
魚料理はオーブンで皮をパリッ、中はふっくらジューシーに焼いた鰆のソテー、肉料理は柔らかな仔羊のローストに、|肉汁《ジュ》で作ったソースが掛かった逸品。
デセールは白くてプルンとしたブランマンジェに、苺とバニラのアイスを添え、苺のソースとフレッシュ苺を散らした可愛い一皿。
満腹になったあとに美味しいコーヒーを飲み、小さなフィナンシェとショコラを摘まんで、町田さんの春のコースが終わった。
「はぁー……、美味しかった! ごちそうさまです」
「美味しかったです」
町田さんは私たちの反応を見て満足げに笑い、テキパキと片付けをしている。
「お手伝いします」
立ちあがって町田さんの手伝いをしようとしたけれど、笑顔で断られてしまった。
「お二人はゆっくりお休みください。これは対価が発生する私のお仕事ですから」
そう言われると何も言えず、私はペコリとお辞儀をしてソファに戻った。
「……なんか、慣れませんね。家事を人にやってもらうって」
「確かに、今まで自分でやっていたなら慣れないだろうな。特に掃除や洗濯は、自分の物を触られたくない人には抵抗があるかもしれないし」
「あー、そういうのありますね」
一人暮らしの時は夜に洗濯機を回すのを避けていたので、週末にまとめて洗濯をしていた。
なので今も週末に自分で洗濯をする事はあるけれど、平日は知らない間に溜まっていた洗濯物が片付いていて、部屋のベッドの上に綺麗に畳まれて置かれてある。
ありがたいといえばそうなんだけれど、下着も洗われているので気恥ずかしさはある。
やがてコーヒーと小菓子をつまんでいるうちに、町田さんは片付けを終えて「では」と帰っていった。
コメント
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自宅でステキなディナー😍✨イイな~(*´∀`)ノ